![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/22/c1ec4688c7cb1afac6b946afbe048529.jpg)
半年以上休みましたが、この辺で更新してみたいと思います。
弁護士になって10年経ちましたが、事件処理に慣れるわけではありませんね。ブログ更新が大変難しくなってきました(泣)
常に事件は個性的で同じ事件というのは存在しませんから、仕事に慣れるはずもないんですよね。
「慣れてきた」と思ったら、それは手抜きの危険信号なのかもしれません。
前回まで、西殿塚古墳、西山塚古墳と山辺の道沿いの古墳を紹介しました。今回もその続きで、中山大塚古墳をご紹介します。
この古墳は、奈良盆地の東側の丘陵部を南北に亘る山辺の道を南に下っていき、前回の西山塚古墳から約500メートルくらい進んだところにあります。
冒頭の写真は古墳を北から撮影したものです。
ちょうどこの日は大変天気が良く、古墳日和でした。
中山大塚は、全長約130メートル、後円部径約67メートル、後円部高約15メートルの中規模の前方後円です。後円部は二段築成であり、前方部は1段のみです。古墳全体が葺石で覆われていました。
後円部が高く前方部が低い、初期の前方後円墳の特徴を持っています。
さらに、後円部北側に張り出し部分が設けられており、西側くびれ部分にも張り出しが設けられています。
古墳に設けられていた解説板によれば、通路的な施設とありましたが、素直に理解するとこれらは、造出(つくりだし)であり、祭祀を執り行った場所である可能性がありそうです。
特に後円部北側の張り出しは、柳本古墳群の櫛山古墳との類似性が感じられ、櫛山古墳の造出部分(東側前方部)が祭祀場であったことを考えれば、よりいっそう祭祀関連施設との連想を働かせてしまいます。
後円部墳頂から全長約7.5メートル、深さ約2メートルの長大な竪穴式石室が発見されており、盗掘されて破片ばかりだったようですが、銅鏡片2点、鉄器36点が石室内から発見されています。
銅鏡は、二仙四禽鏡、鉄器は鉄槍、鉄鏃などです。
そして、埋葬主体を囲むようにして円筒埴輪が樹立されていたようであり、特殊壺形埴輪、二重口縁壺系の埴輪、特殊円筒埴輪、特殊器台形土器、特殊壺形土器などが発見されています。
このとおり、中山大塚古墳は、古墳時代最初期の古墳であることが明らかになりました。
私は、文様などを細かく見比べてみたことはありませんが、箸墓古墳に続く時期に築造されたとのことです。
前々回紹介した西殿塚古墳と同時期でしょうか?
近藤義郎先生の講演集「前方後円墳に学ぶ」にもありましたが、特殊器台や特殊壺の起源が吉備に求められることは明らかなようですが、ちょうど弥生から古墳時代への移行期に相当する特殊器台(形埴輪)や特殊壺(形埴輪)は、吉備よりも大和で大量に見つかっています。
大和政権の成立に吉備がかかわってきたというのは、リアリティの感じられるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/88/69cb1d81ff2293e29909fd7a0114dc13_s.jpg)
これは、古墳の北側に広がる墓地から撮影したものです。
お墓参りの家族連れも多かったですね。
次回も山辺の道沿いの古墳を紹介したいと思います。
追記
最近後円部の写真を撮ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/7d/2f56386c0a99122893013eaecbe017e3_s.jpg)
石室のあった付近に植木をしているのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/66/30d0e98f636aba30cef89275bb3fad70_s.jpg)
竪穴式石室はこんな感じです。
また、この古墳から出土した特殊器台の写真がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/47/a5dadf4f41230c90e632de39222dd803_s.jpg)
右側のものがそうです。
宮山型の特殊器台です。
ちなみに中山大塚古墳に向かう途中こんな看板がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/f6/06544ffb30f5109181fed6a585f172c3_s.jpg)
ん~、あと2499メートルでセブンイレブンか~・・・・
ここの店長さんはきっととても細かい人か、完璧主義者なのでしょう(^^;)
弁護士になって10年経ちましたが、事件処理に慣れるわけではありませんね。ブログ更新が大変難しくなってきました(泣)
常に事件は個性的で同じ事件というのは存在しませんから、仕事に慣れるはずもないんですよね。
「慣れてきた」と思ったら、それは手抜きの危険信号なのかもしれません。
前回まで、西殿塚古墳、西山塚古墳と山辺の道沿いの古墳を紹介しました。今回もその続きで、中山大塚古墳をご紹介します。
この古墳は、奈良盆地の東側の丘陵部を南北に亘る山辺の道を南に下っていき、前回の西山塚古墳から約500メートルくらい進んだところにあります。
冒頭の写真は古墳を北から撮影したものです。
ちょうどこの日は大変天気が良く、古墳日和でした。
中山大塚は、全長約130メートル、後円部径約67メートル、後円部高約15メートルの中規模の前方後円です。後円部は二段築成であり、前方部は1段のみです。古墳全体が葺石で覆われていました。
後円部が高く前方部が低い、初期の前方後円墳の特徴を持っています。
さらに、後円部北側に張り出し部分が設けられており、西側くびれ部分にも張り出しが設けられています。
古墳に設けられていた解説板によれば、通路的な施設とありましたが、素直に理解するとこれらは、造出(つくりだし)であり、祭祀を執り行った場所である可能性がありそうです。
特に後円部北側の張り出しは、柳本古墳群の櫛山古墳との類似性が感じられ、櫛山古墳の造出部分(東側前方部)が祭祀場であったことを考えれば、よりいっそう祭祀関連施設との連想を働かせてしまいます。
後円部墳頂から全長約7.5メートル、深さ約2メートルの長大な竪穴式石室が発見されており、盗掘されて破片ばかりだったようですが、銅鏡片2点、鉄器36点が石室内から発見されています。
銅鏡は、二仙四禽鏡、鉄器は鉄槍、鉄鏃などです。
そして、埋葬主体を囲むようにして円筒埴輪が樹立されていたようであり、特殊壺形埴輪、二重口縁壺系の埴輪、特殊円筒埴輪、特殊器台形土器、特殊壺形土器などが発見されています。
このとおり、中山大塚古墳は、古墳時代最初期の古墳であることが明らかになりました。
私は、文様などを細かく見比べてみたことはありませんが、箸墓古墳に続く時期に築造されたとのことです。
前々回紹介した西殿塚古墳と同時期でしょうか?
近藤義郎先生の講演集「前方後円墳に学ぶ」にもありましたが、特殊器台や特殊壺の起源が吉備に求められることは明らかなようですが、ちょうど弥生から古墳時代への移行期に相当する特殊器台(形埴輪)や特殊壺(形埴輪)は、吉備よりも大和で大量に見つかっています。
大和政権の成立に吉備がかかわってきたというのは、リアリティの感じられるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/88/69cb1d81ff2293e29909fd7a0114dc13_s.jpg)
これは、古墳の北側に広がる墓地から撮影したものです。
お墓参りの家族連れも多かったですね。
次回も山辺の道沿いの古墳を紹介したいと思います。
追記
最近後円部の写真を撮ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/7d/2f56386c0a99122893013eaecbe017e3_s.jpg)
石室のあった付近に植木をしているのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/66/30d0e98f636aba30cef89275bb3fad70_s.jpg)
竪穴式石室はこんな感じです。
また、この古墳から出土した特殊器台の写真がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/47/a5dadf4f41230c90e632de39222dd803_s.jpg)
右側のものがそうです。
宮山型の特殊器台です。
ちなみに中山大塚古墳に向かう途中こんな看板がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/f6/06544ffb30f5109181fed6a585f172c3_s.jpg)
ん~、あと2499メートルでセブンイレブンか~・・・・
ここの店長さんはきっととても細かい人か、完璧主義者なのでしょう(^^;)
古墳にまつわるお話を読んでいると、その頃の時代の人たちの気配を感じられ、だんだんわくわくしてきます。つながりの中に生きているんだなあ、と。
ねこたちも 古墳のころからのご先祖さんがいいるんですよね、どんなふうな ねこたちだったんでしょうね🐈
遺跡は、ただ見ているだけではなんでもない土の塊ですが、実はそこから、文字文化以前の人々の生活状況がダイナミックによみがえってきます。
イエネコについては、8世紀に仏教の経典とともに中国から輸入されてきたという説が信じられてきたようですが、最近、6世紀末から7世紀の古墳から出土した須恵器にイエネコの肉球痕が残っていたり、弥生時代の遺跡からイエネコの骨が発見されるなど、イエネコがこの土地に住み始めたのはかなりさかのぼるようですね。
見てみましたが、かなり立派な肉球です。見事な足跡といえるでしょう。
都留文化大学考古学研究会ブログ
壱岐新聞
取りあえず、URLを載せます。
都留文科大学考古学研究会ブログ
http://tsurukouko.jugem.jp/?eid=17
壱岐新聞
http://iki-guide.com/?p=1721