写真は西谷3号墓です。これも大変大きく、南北30メートル、東西40メートル、突出部を入れると50メートルに及び、高さは4.5メートルの大型の墳丘墓です。2世紀後半のころに作られたとのこと。
これも整備されており、きれいな姿になっています。
これは南西側の突出部です。手すりがついて頂上まで登れるようになっています。
周囲を見ていただくと、石で墳丘が取り囲まれていますが、立石が2列になっています。
そして、
これが北西側の突出部です。それにしても大きいです。
後の古墳時代の巨大古墳に比べれば小さいのですが、それでも弥生時代にこれだけの労力と技術力を駆使してこんなものを作るのですからすごい!労働力としてかり出された皆さんは大変だったでしょうね~。
頂上にあがると、
こんなのと
こんなのがあります。
埋葬施設の発掘状況を再現したのですね。両方とも朱が敷き詰められておりまして上の方の写真の埋葬施設にはネックレス状に管玉と鉄剣、下の方の写真では同じく管玉と耳飾りが発見されました。
これは解説板。真ん中の写真に特殊器台と特殊壺が写っています。また、北陸系の土器も出土したようです。その辺の首長と交流があったのでしょうね。
日本海側は冬になると寒かったり風が強かったり、雨や雪が降ったりで気分もふさぎがちになりますが、このころの出雲地域は燦然と輝いていたようです。
次回は4号墓です。
これも整備されており、きれいな姿になっています。
これは南西側の突出部です。手すりがついて頂上まで登れるようになっています。
周囲を見ていただくと、石で墳丘が取り囲まれていますが、立石が2列になっています。
そして、
これが北西側の突出部です。それにしても大きいです。
後の古墳時代の巨大古墳に比べれば小さいのですが、それでも弥生時代にこれだけの労力と技術力を駆使してこんなものを作るのですからすごい!労働力としてかり出された皆さんは大変だったでしょうね~。
頂上にあがると、
こんなのと
こんなのがあります。
埋葬施設の発掘状況を再現したのですね。両方とも朱が敷き詰められておりまして上の方の写真の埋葬施設にはネックレス状に管玉と鉄剣、下の方の写真では同じく管玉と耳飾りが発見されました。
これは解説板。真ん中の写真に特殊器台と特殊壺が写っています。また、北陸系の土器も出土したようです。その辺の首長と交流があったのでしょうね。
日本海側は冬になると寒かったり風が強かったり、雨や雪が降ったりで気分もふさぎがちになりますが、このころの出雲地域は燦然と輝いていたようです。
次回は4号墓です。