今回は先月見学した五色塚古墳とそのとなりの小壺古墳をご紹介です。
五色塚古墳は、兵庫県最大の古墳であり、全長約194m、前方部幅約81m、後円部径約125m、後円部高さ約18m、前方部高さ約11.5mという巨大さです。
4世紀末から5世紀初頭に築造されたと考えられています。
明石海峡を望む傾斜地に築造されており、この海峡の海上交通を支配した豪族の墓ではないかとのこと。
これは後円部
前方部の方にまわると葺石が綺麗ですね。
前方部から後円部を望む
この日は、団体さんがきていたようです。振り返って、
後円部に登ってみた。
隣の小壺古墳、
この古墳には鰭付朝顔型円筒埴輪と呼ばれる両脇に板状の張り出しがある朝顔型円筒埴輪や鰭付円筒埴輪が多数並べられていたそうで、現在レプリカが並べられています。
横に張り出した板がまるでスクラムを組んでいるように見えます。
墳丘の周りには周濠が存在しており、築造当時から空濠だったようです。くびれ部付近に方形台を発見。
後円部の横にも発見。
これらは、祭祀場だったと考えられています。
五色塚の由来は一説には葺石に使った石を淡路島の五色浜で採取したからという説もあれば、一日の太陽の光の角度によって古墳の色が変わって見えるからという説もあるそうです。
次に小壺古墳です。
ご覧の通り円墳で五色塚古墳に比べれば見劣りがしますが、それでも直径約70m、高さ約8.5mの円墳で、周濠も備えていたようです。そして、周濠には土橋が設置されていたとのこと。
二段築成で斜面や段築の間のテラスには、五色塚同様の鰭付朝顔型円筒埴輪が並べられていたようです。ただし、五色塚のような葺石は存在しなかったようです。
築造時期は4世紀後半と考えられています。
五色塚古墳は、兵庫県最大の古墳であり、全長約194m、前方部幅約81m、後円部径約125m、後円部高さ約18m、前方部高さ約11.5mという巨大さです。
4世紀末から5世紀初頭に築造されたと考えられています。
明石海峡を望む傾斜地に築造されており、この海峡の海上交通を支配した豪族の墓ではないかとのこと。
これは後円部
前方部の方にまわると葺石が綺麗ですね。
前方部から後円部を望む
この日は、団体さんがきていたようです。振り返って、
後円部に登ってみた。
隣の小壺古墳、
この古墳には鰭付朝顔型円筒埴輪と呼ばれる両脇に板状の張り出しがある朝顔型円筒埴輪や鰭付円筒埴輪が多数並べられていたそうで、現在レプリカが並べられています。
横に張り出した板がまるでスクラムを組んでいるように見えます。
墳丘の周りには周濠が存在しており、築造当時から空濠だったようです。くびれ部付近に方形台を発見。
後円部の横にも発見。
これらは、祭祀場だったと考えられています。
五色塚の由来は一説には葺石に使った石を淡路島の五色浜で採取したからという説もあれば、一日の太陽の光の角度によって古墳の色が変わって見えるからという説もあるそうです。
次に小壺古墳です。
ご覧の通り円墳で五色塚古墳に比べれば見劣りがしますが、それでも直径約70m、高さ約8.5mの円墳で、周濠も備えていたようです。そして、周濠には土橋が設置されていたとのこと。
二段築成で斜面や段築の間のテラスには、五色塚同様の鰭付朝顔型円筒埴輪が並べられていたようです。ただし、五色塚のような葺石は存在しなかったようです。
築造時期は4世紀後半と考えられています。