遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

粟原塚穴(あわらつかあな)と中尾山古墳

2012-10-23 22:31:48 | 日記
またまた飛鳥巡りに舞い戻りました。
今回は、いまいち派手さに欠ける文武天皇陵と言われている粟原塚穴と真の文武天皇陵という説が有力な中尾山古墳をご紹介します。

高松塚古墳をご紹介したのはずいぶん昔の話ですが、今回はそのあたりのお話。
飛鳥歴史公園に入ると、「ん?ニワトリの群れ?」と思うようなオブジェを発見。

「花☆四神」という名前だそうで、よく見ると龍や朱雀や玄武、白虎・・・といわれればそう見えなくもない。

高松塚古墳を通り過ぎて200メートルほど奥に行ったところに文武天皇陵の看板がありました。

例によって陵墓指定されているので、全然中に入れません。
文武天皇というのは、日本史などで聞いたことがあるような気がしますが、それほど印象に残っていません。
しかし、大宝律令のできた701年が彼の在位期間の出来事であります。また、ネット情報で見ますと、当時の位階制度を整備したとのことです。しかし、20代でなくなっています。

この古墳は、現在こそ文武天皇陵となっていますが、証拠に欠けるようでして、様々な変遷を経てこの場所に至っている様子です。
そこで、現在文武天皇陵の有力説として中尾山古墳があります。

この古墳は八角墳でして、どうやら火葬された骨が埋葬されているそうです。そこからも文武天皇陵ではないかと言うことらしい。
古墳の廻りには二重の石敷が巡らされていて、八角形の墳丘の対辺間距離は19.4メートルに対し、石敷の対辺間距離は、29.4メートルです。
これが敷石かな?

中には花崗岩の石槨があり、目地を漆喰(しっくい)で埋めていました。
廻りをぐるっと巡ると

あっ!

ありました。しかし、写真がぼけてる(T_T)
あれが、石槨の一部ですね。
ここは陵墓指定されていないのですが、廻りに柵が巡らされていてやっぱり近づくことができません。
残念ではありますが、盗掘によって石槨の一部が露出する事態になっているので、仕方ありません。

安倍文殊院(続き)

2012-10-18 23:06:13 | 日記
前回に引き続き、安倍文殊院です。
後半の今回は、安倍文殊院の奥深くにあるいろいろなおもしろいものをお話ししたいと思います。

冒頭の写真は、前回もご紹介した浮御堂です。別な角度から撮った写真がありましたので、載せてみました。
池の少し奥には、コスモス迷路がありました。

まだ、このころは咲き方がいまいちでしたね。

それから石仏群

解説によると、以前この境内にあった四国八十八カ所、西国三十三カ所の各霊場ご本尊を一カ所に集めて、ここさえ参拝すれば、四国八十八カ所と西国三十三カ所を巡ったのと同様の効果が得られるということです。

そして・・・・・ありました(^^)/

東古墳です。閼伽井(あかい)古墳と言われていまして、羨道のところから水がわき出ており、これが「閼伽水」と呼ばれて尊ばれているようです。
残念ながら中には入れませんでした。
できるだけ奥を撮影しました。

奥にも3体ほどお地蔵さんが見えます。

そこから、少し高いところに上ると展望台がありました。
そこに本日最大のサプライズが・・・

「なんだろうこれ・・・」と思ってよく見ると、「ウオーナー碑」なんて書いています。

「ウオーナーのオジサンありがとう」「ありがとうウオーナーオジサン」????何かの新興宗教かしら?
と思って近くの解説板を見ると・・・・

日頃は解説板はアップしないのですが、今回はこの感動的なアメリカ人をよく知っていただきたいため、アップしました。
第2次対戦時に、アメリカで京都と奈良を爆撃しないように政府と軍を説得した方でした。爆撃しないようにしていたことは何となく知っていましたが、こんなところでその方の石碑を見ることになろうとは!!
おそらく、孤立無援の中で、説得に奔走したのでしょう。

さらに感動的なことに、このことを知った桜井市の一市民の方が、ウオーナーさんの功績に感激して、日雇労務の大変な生活の中から10万円を貯めて、昭和34年にこの石碑を建立したのであります。昭和34年の10万円って大金だと思いますよ?
これを見られただけでも、ここに来た甲斐がありました。

感動さめやらぬ気持ちで下に降り、白山堂を見るとこれまた笑えました。

白山堂は、菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っており、この方がイザナギとイザナミを引き合わせたそうです。また、音で「くくり」とあるものですから、これはもう「縁結び」となるわけです。「えんむすび大神」という赤いのぼりが派手ですね(^^;)
近くに絵馬がたくさんつるされており、それがなんと!?

全部ハート形??
しかも、

なにこれ?
ここの宗教はなんだっけ?
多分あちら風の方が女性にウケがいいからなんでしょうね。

いやいや、これはきっと21世紀の神仏習合なんですよ!
絶対!!
がんばれ!それいけ!安倍文殊院!

安倍文殊院(桜井市)

2012-10-16 21:19:31 | 日記
最近遺跡から離れていますね。今回も現役続行中のお寺安倍文殊院です。
安倍文殊院は、秋になるとコスモスがきれいに咲くと言うことで、ちょっと行ってみました。今より1ヶ月ほど前に。

駐車場に自動車を駐めて、少し歩くと門が見えてきます。

大きく「下馬」と彫り込まれた岩があります。
門をくぐって行くと道の右側に灯籠が並んでおり、所々に地蔵さんが立っています。何故か二人ずつですね。


さらに歩くと、正面に本堂が見えてきます。

本堂の前になんだか看板があります。

ボケの花だそうで、「大和ぼけ封じ道場」にちなんで植えられるようになったそうです。駄洒落ですか(^_^;)

すでにコスモスが咲いていました。


近くに池がありまして、そこに金閣のような建物がありました。

浮御堂というそうで、もう少しコスモスが咲いていたら、きれいに見えたのでしょうが、まだ時期が早すぎたようです。

浮御堂からさらに奥に行こうとすると、いきなり横穴式石室発見!こんなところにも!

文殊院西古墳というそうです。ということは、文殊院東古墳も近くにあるということでしょうか?
中に入ってみました。
すごいですよ!!

左が羨道左側壁、右が羨道右側壁です。
それぞれ、一段で巨石を切り出し、平面を磨きだしています。築造当時の美しさを想像するとすごいですよね!
先日ご紹介した岩屋山古墳に匹敵する美しさです。

奥壁、お地蔵さんが・・・・・仕方ありませんね。

左が玄室左側壁、右が玄室左側壁です。
このきっちりはめ込まれた1つ1つの石がまるでマチュピチュを思わせます。行ったことありませんけど。

安倍文殊院は、華厳宗のお寺ですが、中にはいるといろいろおもしろいものがたくさんありますよ。
次回は、私が発見したおもしろいものをご紹介します。

葛城山のすすき(奈良県御所市)

2012-10-14 20:55:55 | 日記
今日午前中は、葛城山にススキを見に行きました。
仕事がたまっているので、観光は午前のみです(T_T)

葛城山へは、徒歩でも上れるのですが、時間がないのでロープウェイです。
途中ゴンドラに揺られながら、次第に大和盆地が見えてきました。おお~~絶景!!


山頂駅に到着して少し行くと葛城天神社がありました。

本殿がコンクリートでできています。近代的だ!
山の上だと補修もままなりませんから、これくらい丈夫じゃないといけませんよね。

こちらにはススキ目当てで来たのですが、なかなかススキにお目にかかれません。
どうしたのかな?・・・・と思っていたら。
出てきました!

山頂近くの斜面にススキが群生していますよ!
さらに山頂に登ると・・・

一面のススキです。パノラマ写真みたいに撮ればよかった。しまった。

さあっ。時間がないから帰ります(^_^;)
最後に大和盆地のパノラマをどうぞ。

やっぱり写真の才能な~~い(笑)
ちなみに真ん中の写真の正面が畝傍山、左奥が耳成山、少し右奥が天香久山です。

須佐神社(雲南市)

2012-10-13 21:56:27 | 日記
またまた長期間さぼってしまいました。この一週間恒例となっている山陰地方への出張に行ってきました。
今回はその合間を縫って須佐神社に行ってきました。
なんと言っても、今出雲の国は神在月ですから、大変にぎやかですよね。神様で。見えませんけど・・・

須佐神社は、出雲市から県道184号線を中国山地に向かって進み、雲南市佐田で県道を二つほど乗り換えて行きます。約30分程で到着します。
この神社は、素戔嗚尊を祀った神社であり、出雲大社と同様大社造建築です。
ネットで「須佐神社」と検索すると出雲の国以外にもいくつかあるようで、和歌山県にもありますね。
冒頭の写真にある鳥居をくぐると右側に変わったものが・・・

左は、石を集めた物の上からむしろをかぶせた物、右はそのすぐそばにあった石碑です。
石碑を読むと、左の石はどうやらカメを象った物のようです。よく見ると右側に頭らしきものがありますね。

その先にはこんなものが、

これは東末社というらしいです。ここに5名くらいの神様がまとめて祀られているようです。

突き当たりにあるのが須佐神社の拝殿です。

左に回り込んで本殿を撮影。

う~~~む、確かに大社造りですな。

裏側に回ると、小さな稲荷神社が

神社の真後ろには大杉がありました。

この杉は1200歳だと言われています。

神社の奥にはもう一つ神社がありました。

光の加減で写りが悪いですね~(-_-)
三穂社といいます。ここの本殿はミニチュアの大社造りですね。

須佐神社の鳥居から道路を挟んで向かい側にあるのが、天照神社です。天照大神を祀っているのですね。

奥に回って本殿をパチリ。

これも大社造りに見えますね。

周りを見ると、おもしろいものがありました。

蛇の置物ですよ。首が1つしかないから八岐大蛇ではないのでしょうが、多分それにちなんだ置物なんでしょう。
さらによく見ると、

卵が供えられていますよ!何しろ蛇ですからね~。卵が好物ということで。

この日は連休中だったこともあり、日頃はひっそりしているであろうこの神社にも参拝客がいました。

この神社は、出雲国風土記にも「須佐社」として登場する神社で、大変古いようですね。

橘寺(明日香村)

2012-10-08 20:24:09 | 日記
今回も明日香村のお話です。
以前亀石をご紹介しましたが、亀石から東に200か300メートルほど進むと橘寺が出てきます。
橘寺は聖徳太子ゆかりのお寺であり、寺に向かう途中にこんなのがありました。聖徳太子生誕の地のようです。

お寺の門を潜って行くと、

向こうに見えるのは観音堂です。
観音堂の手前には親鸞上人の像が、

観音堂の正面に回って、

観音堂の階段登ったところに鎮座されているこのお坊さんは誰でしょう?

見開いた目が蘭々と輝いています。
観音堂から後ろを見ると、

何んだったかな?

これは阿字池。聖徳太子が梵字の「あ」の字を象った池だそうです。「あ」の字が変換できません。この写真で確認してください。

しかし、梵字なんて凡人の私には読めませんので、池の形もよくわかりませんでした。
そして、これが古の塔の礎石です。

礎石もなんだかおしゃれな形をしていますね。まるでミッキーのシルエットみたいですね。と思いきや、この三つの出っ張りは、真ん中の柱に添え木をつけた跡だそうです


これは太子堂です。多分。

このお寺は、聖徳太子が建てられた7つのお寺の一つだそうでして、発掘調査によると7世紀前半に遡ることができるそうです。聖徳太子の生きていた時代と何とか重なりそうです。

岩屋山古墳(明日香村)

2012-10-06 13:19:56 | 日記
今回は驚異的に美しい岩屋古墳をご紹介します。
岩屋山古墳は、飛鳥駅前を北に進んで、踏切を渡り、そのまま40~50メートルほど進むと案内板があります。


この古墳は、1辺54メートル高さ12メートルの方墳と考えられていますが、一説には方形の下段の上に八角形の上段が乗っている八角墳ではないかと言われているようです。

中を見て初めての驚き。

おおおお~~~!! なんてきれいなんだ! 切石が精巧な上に目地にはきっちり漆喰が塗り込まれている・・・・
羨道入り口付近は側壁が2段、奥の方は1段。
さらに奥に入ります。
ズン

ここで、羨道側壁アップ

左が右側壁、右が左側壁
で、天井

段になっています。これは、しみこんできた雨水をここで防ぐためか?
そして、玄室へど~~ん!

ふ~~~~う・・・まさに感嘆すべき美しさ。

左から、右側壁、左側壁、天井です。
側壁は、2段となっており、上段には2個の巨石が使用され、下段には3個の巨石が使用されています。上段は、内側に寄せられており、家形になっています。
使用されている石は石英閃緑岩(通称飛鳥石)を使用しており、全長約16.7メートル、玄室長約4.72メートル、幅約2.7メートル、羨道長約12メートルです。
石材のせいか、とても白くてきれいな石ですね。築造当時は大理石みたいに白く輝いていたのでしょうか?

築造時期は、7世紀前半とされており、被葬者は、特定できていませんが、大王クラスの人であったのでしょう。説としては斉明天皇などがあるそうです。

思わず、近づいて漆喰などもよくよく見学させていただきます。

と思ったら、ここにもやはり先客が・・・・

カマドウマファミリーです。確かに昔は誰か偉い人のお墓だったかも知れませんが、現在はカマドウマが平和に暮らしているようです。
しかし、いくら古墳に通ってもカマドウマはどうもなじめませんね~~(-_-)
何となく、宇宙生物のような、SF的な生き物ですよね。
そういうわけで、先客の平穏を邪魔してはいけないので、そろそろ出て行きます。最後に両袖の写真。

左から右袖、左袖です。
外に出て、墳丘上から飛鳥駅方面を撮影。

右前方に見える丘陵が、飛鳥歴史公園ではないかと思います。

しかし、感動的に美しい石室でした。本当に1300年以上前の遺跡なのか?

マヌケ記念日( ̄▽ ̄)

2012-10-03 23:42:11 | 日記
実は1週間ほど前、私の誕生日でした。
その日には事務所ではケーキをいただき、メールやFacebookでもお祝いの言葉をいただきました。
その時には、それぞれに感謝の意を表しました。

しかし、せっかくブログ作っているんだから、Facebookやってるんだから、ケーキの写真は撮ってアップさせて、改めて感謝の意思表示をしたら良かったな~・・・。
と今思いました。1週間後に。

仕事でも日常生活でも、後悔することは多いのです。
しかし、失敗したことを忘れないうちにメモして、失敗した地点からスタートしたいものですね。

というわけで、誕生日の1週間後は間抜け記念日ということで。

マルコ山古墳

2012-10-02 20:40:36 | 日記
かなり涼しくなってきました。
今回はマルコ山古墳です。マルコは、なぜ「丸子」なんかではなく「マルコ」なんでしょうか?
私などは、カタカナで「マルコ」なんて書かれると、母親を訪ねて南米大陸を旅する子どもをイメージしてしまいますが、当然それとは関係ないんでしょう。

明日香村のホームページには、大正12年に刊行されたの高市郡古墳誌に「マルコ山塚」と記載されているとのこと。やっぱり歴史のある名前なんですね。

マルコ山古墳は、飛鳥駅前を水路沿いに南に進み、高取国際高校の手前を西方向へ山に上る感じで進んで、櫛山神社の横を通り、300~400メートル進むとあります。
飛鳥巡りは自転車で回ったのですが、マルコ山古墳は山沿いに上っていくので、汗だくだく・・・
着いたらこんな感じです。

段築の向こうに少しだけ墳頂が見えますね。

この古墳は一見して円墳に見えるのですが、実は発掘調査の結果、二段築成の一辺24メートルの六角墳である可能性が高くなっています。
到着して、とりあえず段築の様子を撮影します。

1段目の上が、平らになっている様子が分かるでしょうか?

それから、頂上に登って、本当に六角形なのかどうか見てみました。円墳でなくて、多角形墳であれば墳丘の外縁が曲線ではなく、直線的になっているはずです。

どうです?段築の縁が何となく直線的ですよね?そう見えませんか?気のせいかな?

埋葬主体も発掘されていまして、凝灰岩製の横口式石槨です。こんな感じ。

非常に精緻ですね。
そのほか、中からは漆塗りの木棺や金銅製の飾り金具、30歳くらいの男性の人骨が発見されています。

墳丘の北側にはバラス敷きが発見されており、バラスの下には岩盤を彫り込んだ暗渠(地上からは見えないように作られた水路。)排水溝がありました。山沿いに作られた古墳なので、山からしみ出てくる地下水を効率よく排水する必要があったのですね。

最後に、マルコ山古墳の頂上から飛鳥駅方面を撮影してみました。


明日香村巡りはもう少し続きます。