またまた飛鳥巡りに舞い戻りました。
今回は、いまいち派手さに欠ける文武天皇陵と言われている粟原塚穴と真の文武天皇陵という説が有力な中尾山古墳をご紹介します。
高松塚古墳をご紹介したのはずいぶん昔の話ですが、今回はそのあたりのお話。
飛鳥歴史公園に入ると、「ん?ニワトリの群れ?」と思うようなオブジェを発見。
「花☆四神」という名前だそうで、よく見ると龍や朱雀や玄武、白虎・・・といわれればそう見えなくもない。
高松塚古墳を通り過ぎて200メートルほど奥に行ったところに文武天皇陵の看板がありました。
例によって陵墓指定されているので、全然中に入れません。
文武天皇というのは、日本史などで聞いたことがあるような気がしますが、それほど印象に残っていません。
しかし、大宝律令のできた701年が彼の在位期間の出来事であります。また、ネット情報で見ますと、当時の位階制度を整備したとのことです。しかし、20代でなくなっています。
この古墳は、現在こそ文武天皇陵となっていますが、証拠に欠けるようでして、様々な変遷を経てこの場所に至っている様子です。
そこで、現在文武天皇陵の有力説として中尾山古墳があります。
この古墳は八角墳でして、どうやら火葬された骨が埋葬されているそうです。そこからも文武天皇陵ではないかと言うことらしい。
古墳の廻りには二重の石敷が巡らされていて、八角形の墳丘の対辺間距離は19.4メートルに対し、石敷の対辺間距離は、29.4メートルです。
これが敷石かな?
中には花崗岩の石槨があり、目地を漆喰(しっくい)で埋めていました。
廻りをぐるっと巡ると
あっ!
ありました。しかし、写真がぼけてる(T_T)
あれが、石槨の一部ですね。
ここは陵墓指定されていないのですが、廻りに柵が巡らされていてやっぱり近づくことができません。
残念ではありますが、盗掘によって石槨の一部が露出する事態になっているので、仕方ありません。
今回は、いまいち派手さに欠ける文武天皇陵と言われている粟原塚穴と真の文武天皇陵という説が有力な中尾山古墳をご紹介します。
高松塚古墳をご紹介したのはずいぶん昔の話ですが、今回はそのあたりのお話。
飛鳥歴史公園に入ると、「ん?ニワトリの群れ?」と思うようなオブジェを発見。
「花☆四神」という名前だそうで、よく見ると龍や朱雀や玄武、白虎・・・といわれればそう見えなくもない。
高松塚古墳を通り過ぎて200メートルほど奥に行ったところに文武天皇陵の看板がありました。
例によって陵墓指定されているので、全然中に入れません。
文武天皇というのは、日本史などで聞いたことがあるような気がしますが、それほど印象に残っていません。
しかし、大宝律令のできた701年が彼の在位期間の出来事であります。また、ネット情報で見ますと、当時の位階制度を整備したとのことです。しかし、20代でなくなっています。
この古墳は、現在こそ文武天皇陵となっていますが、証拠に欠けるようでして、様々な変遷を経てこの場所に至っている様子です。
そこで、現在文武天皇陵の有力説として中尾山古墳があります。
この古墳は八角墳でして、どうやら火葬された骨が埋葬されているそうです。そこからも文武天皇陵ではないかと言うことらしい。
古墳の廻りには二重の石敷が巡らされていて、八角形の墳丘の対辺間距離は19.4メートルに対し、石敷の対辺間距離は、29.4メートルです。
これが敷石かな?
中には花崗岩の石槨があり、目地を漆喰(しっくい)で埋めていました。
廻りをぐるっと巡ると
あっ!
ありました。しかし、写真がぼけてる(T_T)
あれが、石槨の一部ですね。
ここは陵墓指定されていないのですが、廻りに柵が巡らされていてやっぱり近づくことができません。
残念ではありますが、盗掘によって石槨の一部が露出する事態になっているので、仕方ありません。