もう長いこと更新してきませんでしたが、ようやく少しだけ時間ができましたので、すかさず更新です。以前も書いたことがあったと思いますが、弁護士って土曜も日曜もないんですよね。
というわけで、友史会2月例会の第2回です。前回正福寺古墳で終わりました。今回はその続き。
今回、先日購入したソフトバンクのiPhone5を同行させました。それまで出先では3Gしか使えない状態でしたが、iPhone5はLTEです。やっぱり接続速度が違いますね。
そこで、どこまで奥地までLTEがつながるか実験です。
ご覧のとおり、御所市大淀町檜垣本2208までは通じております。
でもその後程なくして3Gに切り替えとなりました。やっぱりソフトバンクは田舎に弱いですね。
ずいぶん長いこと歩いていたらお昼になりました。公民館で昼食をしているとお寺に大変詳しい方が軒丸瓦を見せてくれました。大安寺式でしたっけ? 冒頭の写真がそれです。
「レプリカですか?」と聞くと「本物です」とのこと。古物商から4万円で購入したらしいです。確か。さすが気合入っていますな(・_・;
昼食後は石神古墳です。
高いところにある古墳で、どんどん山を登って行きます。途中こんなのがありました。
皇紀2600年の記念碑ですね。1940年は皇紀2600年ということで、記念行事があったようですね。
神武天皇即位が紀元前660年ということになっているのですね。そのころは縄文時代ですから史実ではないことは明らかですが、宗教の問題ですからそういうのもありなのでしょう。
そうこうしているうちに石神古墳に到着。
この日もたくさんの参加者がいて、古墳の周りは人だらけ。
これは石室入口。早速中に入りましょう。
石室の局部写真ですので何が何だかわかりません。石室の中も人がいっぱいで、顔が写っちゃうんですよ。だから、どうしても壁面アップになってしまうのです。
しかし、この古墳からの景色はすごいです。
うーん絶景かな。
というわけで、友史会2月例会の第2回です。前回正福寺古墳で終わりました。今回はその続き。
今回、先日購入したソフトバンクのiPhone5を同行させました。それまで出先では3Gしか使えない状態でしたが、iPhone5はLTEです。やっぱり接続速度が違いますね。
そこで、どこまで奥地までLTEがつながるか実験です。
ご覧のとおり、御所市大淀町檜垣本2208までは通じております。
でもその後程なくして3Gに切り替えとなりました。やっぱりソフトバンクは田舎に弱いですね。
ずいぶん長いこと歩いていたらお昼になりました。公民館で昼食をしているとお寺に大変詳しい方が軒丸瓦を見せてくれました。大安寺式でしたっけ? 冒頭の写真がそれです。
「レプリカですか?」と聞くと「本物です」とのこと。古物商から4万円で購入したらしいです。確か。さすが気合入っていますな(・_・;
昼食後は石神古墳です。
高いところにある古墳で、どんどん山を登って行きます。途中こんなのがありました。
皇紀2600年の記念碑ですね。1940年は皇紀2600年ということで、記念行事があったようですね。
神武天皇即位が紀元前660年ということになっているのですね。そのころは縄文時代ですから史実ではないことは明らかですが、宗教の問題ですからそういうのもありなのでしょう。
そうこうしているうちに石神古墳に到着。
この日もたくさんの参加者がいて、古墳の周りは人だらけ。
これは石室入口。早速中に入りましょう。
石室の局部写真ですので何が何だかわかりません。石室の中も人がいっぱいで、顔が写っちゃうんですよ。だから、どうしても壁面アップになってしまうのです。
しかし、この古墳からの景色はすごいです。
うーん絶景かな。
我が事務所も1年周年を迎えました。また新しい1年を無事に過ごして行きたいものです。
今回から、有史会の2月例会への参加についてお話ししたいと思います。
今回は、「吉野川北岸、大淀地域の遺跡を歩く」というタイトルで、奈良県吉野郡大淀町の遺跡見学でした。吉野川は、奈良県南部の山間部を水源として中央構造線に沿って西に流れ、和歌山県にはいり、紀ノ川となり、海に注ぐ川です。この地域は、大和盆地の文化と紀伊国の文化が混在する地域といえるのかもしれません。
最初は保久良(ほくら)古墳です。
見てのとおり小さな古墳です。石室の入り口があって、中にはいることもできるのですが・・・参加者が多すぎてみんなは入れません。とりあえずカメラだけつっこんで撮影しました。
あちらからも撮影している人がいました。周りを見ていくと、
石室入り口の反対側にも穴がありました。天井が崩れたんですな。
早速内部を撮影。
やっぱり中途半端にしかとれませんね。
この古墳は7世紀前半の古墳と考えられています。
直径約15メートル、高さ約4メートルの小さな円墳で、石室は全長約9.5メートル、玄室長約3.5メートル、幅約1.5メートル、高さ約0.8メートルという小さめの石室です。
石室内から琥珀石が発見されています。
明治27年編の「大和志料」という本にはこの古墳は建王(中大兄皇子の子供。8歳で亡くなったとのこと。)のもがり塚との伝承もあります。
次に正福寺古墳です。
この岩だけ見える部分が正福寺古墳です。
近くに行くと、
この大きな岩が横穴式石室の天井石であることが分かります。
おや、天井石に隙間がありますね。中を覗いてみましょう。
皆さん、横穴式石室に入って色々眺めていますね。
古墳の上には小さなほこらがありました。
正福寺古墳は、石室の全長が約5.5メートル、幅約1.2メートル、高さ約1.2メートルです。これも小さな古墳ですね。築造時期は7世紀後半と考えられています。
今回から、有史会の2月例会への参加についてお話ししたいと思います。
今回は、「吉野川北岸、大淀地域の遺跡を歩く」というタイトルで、奈良県吉野郡大淀町の遺跡見学でした。吉野川は、奈良県南部の山間部を水源として中央構造線に沿って西に流れ、和歌山県にはいり、紀ノ川となり、海に注ぐ川です。この地域は、大和盆地の文化と紀伊国の文化が混在する地域といえるのかもしれません。
最初は保久良(ほくら)古墳です。
見てのとおり小さな古墳です。石室の入り口があって、中にはいることもできるのですが・・・参加者が多すぎてみんなは入れません。とりあえずカメラだけつっこんで撮影しました。
あちらからも撮影している人がいました。周りを見ていくと、
石室入り口の反対側にも穴がありました。天井が崩れたんですな。
早速内部を撮影。
やっぱり中途半端にしかとれませんね。
この古墳は7世紀前半の古墳と考えられています。
直径約15メートル、高さ約4メートルの小さな円墳で、石室は全長約9.5メートル、玄室長約3.5メートル、幅約1.5メートル、高さ約0.8メートルという小さめの石室です。
石室内から琥珀石が発見されています。
明治27年編の「大和志料」という本にはこの古墳は建王(中大兄皇子の子供。8歳で亡くなったとのこと。)のもがり塚との伝承もあります。
次に正福寺古墳です。
この岩だけ見える部分が正福寺古墳です。
近くに行くと、
この大きな岩が横穴式石室の天井石であることが分かります。
おや、天井石に隙間がありますね。中を覗いてみましょう。
皆さん、横穴式石室に入って色々眺めていますね。
古墳の上には小さなほこらがありました。
正福寺古墳は、石室の全長が約5.5メートル、幅約1.2メートル、高さ約1.2メートルです。これも小さな古墳ですね。築造時期は7世紀後半と考えられています。