遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

遺跡好き弁護士射場守夫は現在奈良県大和高田市一法律事務所にて業務中!遺跡紹介とたまに法律や仕事のお話をいたします。

よろしくお願いします!

2012-02-26 17:24:47 | 日記
3月1日に奈良弁護士会への登録変更が完了し、ようやく事務所開設となりました。
名称は「一(はじめ)法律事務所」です。
上の写真は、事務所の入り口を外から写したところです。
そして、

これは、お客様用の受付カウンターです。まだ新しくていいですね。(自画自賛)
カウンターの向こう側は間仕切りで見えなくしています。私たちの仕事は、個人情報で溢れていますから。そして、

これは、相談室大です。机の端の方にデジタルフォトフレームがあるのが見えるでしょうか?
以前ソフトバンクで買ったものです。以前観光に行ったときの写真がスライド上映されるようになっています。お客様の待ち時間の退屈しのぎ用に置いています。意外と皆さん見ています。

これは相談室小。丸机です。外の風景はこんな感じです。見晴らしはかなりよいです。雨だったのでかなり暗くなってしまいました。
事務所の所在地は、
〒635-0095
奈良県大和高田市大中127-1
      ブラザー高田ビル4F
         一 法律事務所
私たちのもう一つの職場である裁判所のすぐ近く。これからはここでがんばりたいと思います。

事務所開設作業で本当に忙しく、ずいぶん更新をさぼってしまいました。確か今回の予告は「変わり種」だったのですが、これはまた次回に。



奈良行きその3(メスリ山古墳)

2012-02-25 21:22:32 | 日記
箸墓からさらに南に足を伸ばしてメスリ山古墳です。
古墳時代前期の古墳で、大型の円筒埴輪が立てられていたことで知られています。
墳丘長224メートルを測る大型古墳であり、後円部には埋葬施設である主石室ともっぱら副葬品のみを納める目的だったと見られる副石室があります。副石室は、盗掘を逃れており、中からは大量の槍や鏃(やじり)などの武器が出土しました。
しかし、主石室は、激しい盗掘を受けていました。(ああ、もったいない。)

これは、墳丘規模や埴輪列の見事さや副葬品の豪華さからして、非常に強大な権力を持っていたと推定されますが、陵墓指定されていません。ですから、箸墓と違って中に入れます。

これは前方部の写真。何か木が植えてあります。

これは前方部に上って後円部を撮影したところです。このまま後円部に入っていきたかったのですが、このときスーツを着ていたので我慢しました。
陵墓指定されていない古墳は、なんとなく親しみやすい雰囲気がありますね。
反対側に回り込むと八坂神社があります。

奥に進むと本殿が、

この神社はこの古墳を祀っているのでしょうか?
物置スペースにはこんなのがありました。

近所の住民の方々に親しまれているのでしょう。

この日は、事務所の内装工事の状況を確認してきました。
こんな感じでした。

人が写っていますが、業者の方です。
あと少しで事務所オープンです。

次回はちょっと変わり種をご紹介します。

奈良行きその2(箸墓古墳)

2012-02-20 20:53:19 | 日記

やってきました!箸墓古墳です。
大きすぎて全景が入りません。したがって、


古墳時代初期の古墳です。特殊器台型埴輪が出ています。
もともと私は岡山で司法試験を受験してきました。岡山(吉備)では、弥生時代から器台(壺を載せて安定させる台)が大型化してきまして、弥生墳丘墓にも特殊器台が出土していたのを知っていますので、箸墓は親しい感じがするのです。ちなみに「特殊器台=特殊器台型埴輪」ではなくて、弥生時代の特殊器台が文様の点、形象の点でシンプルになって古墳に立てられるようになったものが特殊器台型埴輪です。
特殊器台型埴輪を「都月型埴輪」ともいいます。都月坂1号墳(岡山市)から出土したためだろうと思います。

やはり陵墓ですね。鳥居なんかあったりして、

やはり宮内庁が例によって「魚鳥等を取らぬこと」と注意書です。しかし、魚は周濠の魚のことでしょうか?鳥も中に入れなければどうせ取れません。
情報収集を怠っていて、あまり良く理解していないのですが、築造時期が3世紀中頃に遡るかもというのは、本当ですかね?そうすると、古墳時代全体がが何十年か遡ることになるのでしょうか?
卑弥呼の墓ではないかと言われていますが、私はあまり関心がありません。
奈良で生活を始めたら、何度も来ることでしょう。

ちなみに、こちらに向かう途中(だったかな?)、オート三輪を発見しました。

すごい久しぶりに見ました。

奈良盆地南部は出現期の古墳が多くていいですね。

次回はメスリ山古墳です。

送別会(予告と違います)

2012-02-18 15:17:24 | 日記
予告では、今回は箸墓古墳(はしはかこふん)のつもりでしたが、変更です。
昨日私が仕事をさせてもらっている事務所で送別会をしていただきました。もう登録変更が目前に迫っています。
引っ越しの見積もりもしてもらいました。

ところで・・・・、上のねこ柄のかわいらしいカップは、昨日事務所のスタッフからもらったものです。
その4歳のお子様から私へのプレゼントだそうで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
う~ほほ~~~~~~~~~~~い!! うれしいな!!
いいですねぇ、こういうの。
これまで、この子は事務所に来てくれたり、事務所旅行にもきてくれたりして一緒に遊んだこともありますが、とてもかわいい女の子です。
どうしてねこ柄かというと、私がねこが好きだと知っていまして、それでこういう柄にしたそうです。
これまでもっぱら遺跡の写真ばっかり紹介してきましたが、実は私はねこの写真もたくさん撮っていて、数はねこ写真の方が多いのです。将来的には、ねこの写真もアップしようと思っています。

うれしいから角度を変えて

とらじまのねこがいますよ。それから下にはホルスタインみたいなねこもいますよ。

さらに角度を変えて

一番上に「アメデオ」みたいなねこもいますよ。アメデオを知らない人は母を訪ねて三千里を見るように。

そのスタッフの話によりますと最近その子にはいろいろと手を焼いているそうですが、なかなかどうして将来よい大人になりますよ。きっと!!

奈良行きその1(行燈山古墳)

2012-02-11 15:34:21 | 日記
写真だけ見ても何のことだかわかりませんが、行燈山古墳です。写真は、前方部から撮ったものです。
大きすぎてうまく収まりませんね。
2月9日奈良に登録変更の手続きに行ってきました。(緊張した~~~~~!!)その足で奈良の古墳を若干駆け足で見てきました。
とりあえず、箸墓古墳を見たかったので国道169号線を南に下ると途中で行燈山古墳をがあったので足を止めました。

鳥居の正面から撮るとこんな具合です。伝崇神天皇陵ということです。
本当は古墳全体が撮影できる場所取りをしたかったのですが、時間がなかったものですから至近距離でパチパチ・・・・・

宮内庁からこんな注意書きがありました。

「魚鳥等を取らぬこと」・・・「ぎょちょう」と読むのでいいのでしょうか?
「取らぬ」って・・・江戸時代?そんな時代劇みたいな言い方しなくても・・・・。
それにしても巨大ですな。墳丘長242メートル、周濠を入れると375メートルです。
後円部形158メートル、前方部幅最大で100メートルです。後円部の方が目立って大きいですね。
古墳時代前期の古墳です。
周囲には多数の陪塚(ばいちょう。大型の古墳に近接して作られる小型の古墳です。大型古墳の被葬者の臣下にあたる人が埋葬されていると考えられています。)があります。こんな感じ

しかしまあ、陪塚からして前方後円墳ですよ。すごいですね。
古墳が密集していて、どこからどこまでが陪塚なんだか・・・
と思えば、右下の天神山古墳は墳丘がざっくりと半分削られています。なんともったいない。

これは陪塚の一つです。

そしてこれがもう一つ。これらも大きいですよ。

次回は箸墓古墳です。

奈良出張(一泊二日)

2012-02-09 07:29:27 | 日記
今日は奈良弁護士会に登録換手続に行く為に奈良出張です。
現在特急やくもの中です。
いよいよ登録変更が迫って来ました。登録変更には日弁連に登録変更の請求をする必要があって、その窓口が奈良弁護士会になります。法律で定められた一定の場合には、登録変更の拒絶なんてこともあります。
私はそう言ったこともありませんから大丈夫なんですが、何だか緊張します。

米子は辺り一面雪景色ですが、近畿地方は雪などないのでしょう。雪が積もっていたので私は長靴を履いていますが、現地についたらちょっと変ですかね。

とりあえず、奈良に行って来たら今度は何枚か写真を撮って来ます。

大学病院(眼科)

2012-02-08 14:58:21 | 日記
現在大学病院眼科です。三年何ヶ月か前に左目の円錐角膜の手術をして、それ以降通院しています。
左目と右目の視力が違いすぎて遠近感がなかったり、小さな文字を見るときに苦労します。
今後は、奈良の病院に通わなければならないので紹介状を書いて欲しいとお願いするつもりです。

思えば手術で入院している時はな~んにもしなくて良かったので、幸せでした。現在ご病気で苦しんでおられる方には不謹慎かもしれませんが。
あの時は、看護師さんが髪を洗ってくれたりして、「なんて親切な方だろう」と思ったものでした。
ごはんも上げ膳据え膳だし。

最近の幸せな記憶5位くらいでしょうか。

西谷墳墓群その4(う~ん)

2012-02-04 20:24:25 | 日記
毎日寒い日が続きますね。こう寒いと仕事の能率も上がりません。
そんな私の暗い気持ちにぴったりな西谷5号墓と6号墓をご紹介します。
上の写真は5号墓です。前回ご紹介した4号墓のすぐ隣にあります。
もともと方形墓だったようですが、墳丘のあちこちが崩れていて元の形はわかりません。
何とか墳丘の形をとらえようとして

こんな角度で写真を撮ったり(これは墳丘状から北西の角の稜線を写そうとしました。)

こんな角度で写真を撮ったりしましたが(これは南西方向から墳丘を見上げて撮りました。)、何ともとらえにくいですね。
墳丘は結構残っているのですが、形が崩れて全体として「土まんじゅう」ですね。

結局この解説板をごらんになるのがもっともわかりやすいといえるでしょう。
「長辺22メートル、短辺17メートル、高さ2メートル前後の方形または楕円形」ですか。てっきり方形墓だと思っていたら、楕円かもしれないのですね。
築造時期も不明です。調査ができていないのかな?
古墳時代にはいると、前方後円墳も円墳も方墳も規格化されて整った形になるのですが、これに先立つ弥生時代は墳形が固まっておらず、不定型なものが多いのです。

次に西谷6号墓です。これは四隅突出型です。

これも微妙・・・。

これが北東側のとっしゅつぶで~、

これがほくせいがわのとっしゅつぶ・・・っと。
見た感じわかりませんよねぇ。
しかし、北東側の突出部の下には石の列がありますね。これは当時の貼石(墳丘の斜面に貼り付ける石です。墳丘が崩れるのを予防するために貼ります。)または敷石(西谷墳墓群その1を参照してください。)でしょうか?
そして、これが解説板。

これも解説板を見るのがよいようです。
ごらんのとおり、東西方向にざっくりと削り取られており、なんとも痛ましい限りです。この写真を見て気づいたのですが、埋葬施設(主体とかいいます。)の底はほとんど元の地面の高さですよね。

西谷墳墓群も今日で一応終わりです。西谷9号墓のご紹介がまだですが、それはまた後日に。

大雪と蕎麦

2012-02-02 23:32:41 | 日記
今日は、午後全部を使って証人尋問の予定でしたが、大雪のため相手方代理人(相手方の弁護士のことです。)が裁判所に出頭できないとのことで急遽尋問が中止となってしまいました。
突然時間ができたので、事務所の他の弁護士と一緒に安来市の「まつうら」に行って来ました。
結構有名なお店のようでして、待合のために小屋まで作っています。
いつも行列ができるそうです。

そこで頼んだものが「きつねとろろそば」大盛。「きつねとろろそば」というのを聞いたことがなかったので珍しいと思って注文しました。
美味しかったのですが、カメラも持参していないので写真を撮っていません。惜しいことをしました。

今後はこんなチャンスに備えていつもスマホを携帯すべきですね。

西谷墳墓群(出雲市)その3

2012-02-01 20:37:04 | 日記
今回は4号墓のご紹介です。これも大きいですね。
写真だと木の陰に隠れて少し見えにくいですね。
以前貼った写真ですが、もう一度

この写真の手前側に大きく写っているのが4号墓です。遠くに写っているのが、3号墓と2号墓。こうやって並んでいるのを見ると壮観ですね。

4号墓の大きさは、南北26メートル、東西32メートル、突出部を含めると約40メートルの大型墳丘墓です。
これも、2重の敷石と立石(前々回の書き込み参照)が周囲に巡らされていたそうで、ここでも吉備(岡山)の特殊器台や特殊壺(前回の書き込み参照)が出土しているようです。2号、3号、4号と長い期間吉備の首長と密接なつながりがあったのですね。
弥生時代後期後半(2世紀末)の築造です。

これは北西側の突出部。
これは、

南西側の突出部。
これは、

南東側突出部。
これは、

南西側突出部から4号墓を見上げた様子。
う~ん。かっこいい。