バロックな話

バロック音楽/バッハとチェンバロ演奏、あるいは音楽のいびつな雑感

スピーカー購入

2015年06月07日 | つぶやき
 16年超えで使用してきたオーディオスピーカーをついに新調しました。
これで、新居に越してきてから重い腰を上げて開始したオーディオシステムの刷新は、1年半かけて完了した。
プリメインアンプ→CD/SACDプレーヤー→スピーカーの順番に約半年毎に選定・購入してきた。

 購入し我が家に届いたのはゴールデンウィークで、既に1か月を経て、セッティングを試行錯誤するうちにエージングも進み、それなりに良い音が出てきた。物はなんと「B&W 805 Diamond (PB)」。まさか805Dを手にすることは考えてもみなかったのだが、ずっと使うものなので、生音を圧倒的なリアリティで再現する能力を感じたことが購入の決め手になった。

 特にチェンバロの音をはじめとして、バイオリンやフルート、チェロ等の古楽器は倍音が多く、その楽器の音をどこまでも自然な響きで楽しめる。ダイアモンド・ツイーターの威力は生楽器の音でこそ活かされる。楽器の音色は倍音で決まるのである。今まで使っていたスピーカーとは次元が違う驚きの音で、同じCDを聞いているとは思えないほど、演奏のダイナミクスや音色の変化があることに気付かされた。

 検討当初はトールボーイ型で低音が出そうな機種を試聴してみたが、予算内での機種では、室内楽中心の音楽を聴くには低音が太すぎて音楽全体のバランスが悪かったので、選択肢から外した。

 805Dで大編成のオーケストラ曲も部屋に設置した状態で聞いてみたところ、セッティングの工夫により低音もかなりしっかり出ることが判明したので、当初の課題はこのスピーカでも結果的に十分クリアした。

 難点はソースの録音状態がそのまま出るので、悪い録音は酷い音で聞けたもんじゃない。これをクリアするにはスピーカーのセッティングやらアンプ、CDプレイヤーまでいじる(最悪買換え?)必要がありそうなので、そこまでやる気力も財力も無いので、このまま死ぬまでこのセットで行くつもり。

 「当たり」のCD/SACDは、殆ど目の前で演奏している様な錯覚に陥るほど素晴らしい音楽を楽しめる。これから梅雨どき。雨の日は我が家でゆったりと音楽三昧だ。眠っているPCを引っ張り出して、ネットオーディオもそろそろ?と思う今日この頃です。

SACDプレーヤー購入

2014年08月04日 | つぶやき

 SACDプレーヤーを購入した。昨年末に購入したアンプ(Accuphse(アキュフェーズ) E-360)が、17年使用してきたSONYのCDプレーヤーとの相性が悪く聞いていて疲れるので、新しいCDプレーヤーを約半年かけて探してきた。

 一番重視したのは、古楽器の音。特にチェンバロの音はかなり難しく、他の製品でこれぞと思える音が出るものは超高額機種になってしまい諦めた。結果、Esoteric(エソテリック)のK-07を新調した。上位機種の音は確かに素晴らしいが、かなり高額で、その差額でCDソフトを購入したほうが有効との判断だ。因みに私はオーディオマニアでは無い。

 K-07でも十分に繊細で分解能が高く、かつ音楽的な表現が素晴らしい。いわゆるハイエンドオーディオのエントリーモデルというらしい。手持ちのCDを聞き返してみたが、結局のところ、元のCDの録音状態がそのまま音に出るので、良い録音でないとハイエンドオーディオの実力は生かされないことが良く分かった。CDプレイヤーとCD/SACDソフトの録音状態との相性もあるようだ。

 K-07は、とにかくクラシック音楽(生音系)向きだ。今まで使用していたSONYのCDPの様に、どんな音楽ジャンルでもそれなりにこなすタイプでは無いように思える。しかし生楽器の音は断然フレッシュで演奏者の細かな息づかいまでも余裕で再現している。ダイナミックレンジも音場空間も広く、聞いていて疲れることはない。コストパフォーマンスは結構高いと思う。

 肝心のチェンバロの音だが、良い録音が前提であるが、純正和音であれば融合感が良く、対位法であれば各声部が明瞭に再現され、また音律による微妙な響きの違いや、楽器それぞれが持つ音色の個性やチェンバロ独特な雑音もきちんと伝わって来る。もちろん、演奏者の微妙なアーティキュレーション表現、和音の響かせ方等もしっかり再現してくれる。

 特筆すべきはPCMからDSDフォーマットへ変換する機能を搭載していて、その再生音はCDソースの録音状態にもよるが、音の密度が高く滑らかで、かなり納得のゆく仕上がりになっている。ディジタルフィルタも変更ができ、CDソースに合わせた好みの音を選べる点も良い。しばらくはこのシステムの組み合わせで幸せな音楽鑑賞ライフを楽しめそうだ。


演奏会出演

2014年05月24日 | チェンバロ

 本日、東京都内武蔵野地区の某市民センターで音楽サークルを集めて合同演奏会的な催しがあり、我らバロックコンソートも出演しました。

 演目はJ.J.クヴァンツのリコーダーとフルートのためのトリオソナタ、ハ長調です。全4楽章の演奏にチャレンジしました。リコーダーはH.Sさん、フルートはK.Sさん、チェロはY.Iさん、私はチェンバロの受け持ちとなります。運搬および持ち時間の都合によりチェンバロは電子チェンバロを用いました。

 久しぶりの舞台での演奏は、私にとって心拍数が上がることは想定はしていたものの、テンポをキープする役目の通奏低音パートにも関わらず、細かい音符が入るたびにテンポが上がってしまうのを制御できないという課題が残る演奏になってしまいました。本番では練習時の最良の演奏レベルを発揮することの難しさを痛感しました。

 クヴァンツの作品という、一般のお客さんには恐らく全くなじみのない曲ではありましたが、なかなか新鮮な印象を受けて頂けたようで、演奏後、ロビーにてそれなりのお声を頂くことが出来ました。

 そして何よりは、聞きに来てくださったお客さん、演奏メンバーの方々との生演奏を通じた最高のコミュニケーションが出来たことに感謝しています。

 私どものバロックコンソートは秋の演奏会にも出演を予定していますので、これから選曲、練習と楽しみが尽きない次第であります。


オーディオアンプ購入

2013年12月22日 | つぶやき

 15年間使用してきたDENON(現デノン)のプリメインアンプ、PMA-S10ⅡNの調子が悪くなったので、アンプを買換えた。消費税が上がる前だったのは少し幸いした。新しいアンプは熟慮の結果、Accuphase(アキュフェーズ)のプリメインアンプ、E-360にした。

 週末に納品され即日セッティングし、土曜から早速慣らし聴きをしている。E-360はDENONの音と比べてうるささが無く、自然な音で長時間聞いても疲れない。大人の音とはこういう音を言うのだろう。

 音の解像度はかなり高く、全周波数領域でフラットでかつダイナミックレンジが広い印象。繊細なバロックアンサンブルを聞くと、各パートが明確に分離・定位していて、清涼感もあり大満足である。但し、録音の質が悪いCD/音源だと粗が目立つ。

 今まで聞いていた音と傾向が異なっているので、各楽器の音量バランスや音色、残響もかなりの差が感じられる。しばらく違和感が残るが、CDによっては新たな発見もありそうで、大いに期待出来る。

 現状、スピーカとの接続はバイワイアリングにしているが、少し低音がふくらみ気味なので今後変更してみる予定。エージングが進んでどんな音に収まるか楽しみだ。年末年始は音楽鑑賞三昧で決まり!


調性格について

2013年08月31日 | 音楽

 調性格論はそれを語ること自体が時代遅れでしょう。現代においても古の作曲家の語った調性格論を引き合いに、無意味であるとこを主張している人が見受けられますが、何を言いたいか理解不能な記事を見かけることが多いです。(特にプロピアニスト?)

 

 調性は楽曲の持つ一側面でしか無く、音楽は個人的体験に帰結するので、調性格論を否定すること自体には基本的には同意なのですが、以下の事実をはっきりと認識しておく必要があると思います。

 

 12等分平均律であっても、移調して演奏することで響きが異なることは事実です。例えば狭い5度や高い長3度を持つ12等分平均律は、どこで5度、3度を弾くか(c-eやf-a)によって、異なる「うなり」という現象を伴います。これは他の古典音律やピッチの違いでも同様な現象が発生します。この物理現象が音の響きに違いを生むので、人が感じる印象も異なる可能性が高いと言えます。

 

 上述の事実を明言せずに、調性格は無意味であることや、すべての調性は同じ響きであるなどとことさらに語ることは虚しいとしか言えません。

 また、ヴァイオリン属楽器の解放弦であるC-G-D-A-E音は明るい音になるなど、楽器の特性を理由に調性格が成立するという主張も見受けられますが、楽器やピッチは時代や地域によって異なるので、あまり意味を持たないと思います。つまり一歩譲っても、普遍的な調性格はあり得ないというのが私の主張です。

 

 重要なことは、どんなピッチで何の音律を使ったときに、この曲はどういう響きとなるかを演奏者が感じて、ピッチと音律を選択することも音楽的表現の1手段にするべきではと感じています。そしてどう感じるかは、聞く人がそれぞれ判断するだけのです。今はそういう時代ではないかと思います。(古楽奏者はとっくに実践してますが。。。)


チェンバロの練習

2013年05月05日 | チェンバロ

 今年に入って、弦楽アンサンブルに通奏低音パートで参加させてもらっています。曲はヘンデルの合奏協奏曲と他コンチェルト1曲、ヴィヴァルディの調和の霊感からイ短調です。チェンバロでの通奏低音があると、低音が引き締まるそうで、少しは皆様のお役に立てているようなので、下手でも頑張って練習しています。

 合同練習には電子オルガンで参加していますが、自宅で本物のチェンバロで練習すると鍵盤の違いで、どうにもうまくなじみません。最近では電子オルガンのみで練習しています。しかし、電子オルガンのタッチはなんとも酷いもので、残念ながら弾いていて楽しいものではありません。そうは言っても自分の楽器を毎度練習に持参するわけにはいかないので、しかたありません。チェンバロはピアノの様にどこにでも置いてある楽器にはならないでしょうね。

 でも弦楽アンサンブルとは別に、リコーダーとフルートのお二人を家にお呼びして、生チェンバロでのバロックアンサンブルも始めましたので、こちらで生楽器を楽しんでいます。私の演奏ではバロック音楽のアンサンブルを堪能出来るレベルになるにはまだまだ時間がかかりそうですが、リコーダーやフルートとチェンバロの音の相性は最高ですので、少しずつでも継続して頑張りたいと思います。バロック音楽とは、百聞は一奏に如かず。かな。


オーディオケーブルを交換~その2

2013年04月13日 | つぶやき

 前回のスピーカケーブルに加え、CDプレーヤーとプリメインアンプ間のRCAケーブル(14年間使用したもの)を新品に交換してみました。結果は目から鱗です。

 ゾノトーン(ZONOTONE) のSILVERMEISTER AC1001 RCA1.2という製品に変更したのですが、比較的に編成の大きなバロック・アンサンブルの通奏低音のチェンバロ音がしっかりとした解像、定位で明瞭な音が聞けたことには驚きでした。

 低音もレスポンスと厚みが増して大満足です。何万円もする眉唾ケーブルの音は聞いたことがありませんが、このケーブルは音のバランスが極めて良く、逆に演奏のアラが目立ってしまいます。所有しているお気に入りのCDのランキングに逆転があるかも知れません。

 オーディオの世界って、意外と繊細なようです。但し、ケーブルの音質はCDプレイヤーやアンプ、スピーカーとの相性、さらには個人の趣味・嗜好の領域なので、あまり参考にはならないと思います。一定のレベルを超えるとオーディオ沼(浪費)が始まりますので、私は自己抑制しています。音よりも演奏の中身の方が重要ですからね。


スピーカーケーブルを交換

2013年02月22日 | つぶやき

 13年以上使用してきたオーディオシステムの、スピーカーケーブルの被覆がかなり傷んできたので、新しいケーブルに初めて交換した。もちろんスピーカー本体はまだまだ現役で使える。

 今までは極太の撚(よ)り線ケーブル1本で接続していたが、スピーカーとアンプがバイ・ワイヤリング(低音と高音をそれぞれ別のケーブルで接続する端子がある)対応なので、試しにバイ・ワイヤリング対応の単線4芯ケーブルに交換した。

 結果は明らかだった。音場空間が広がり、音が緻密、鮮明になり、解像感と定位(楽器の左右の位置)も格段に向上した。たかがケーブルでこんなにも違うものかと驚いた。手持ちのCDを聞き直すたびに、新しい発見があったりする。つい時間を忘れて長時間音楽を聴いてしまうが、以外にも耳があまり疲れない。大満足である。安くていい買い物をした。

 もっと早く交換すればよかったのにと少し後悔した。オーディオマニアが聞いたらそんなことも知らないのかと言われそう。。。

 人により音の好みもあるかと思いますが、バイ・ワイヤリングは私には当たりでした。可能であれば是非お試しあれ。CD(音源)の録音状態によっては、音の粗が目立ってしまう場合もあるので要注意です。


BCJによるヘンデル・メサイアのコンサート

2012年12月25日 | 演奏家

 12/23(日)に、BCJ(バッハコレギウムジャパン)によるG.F.ヘンデルのメサイアを所沢MUSEで聴いてきた。BCJのコンサートは初めてだ。

 メサイアは明快で平易な曲が続くので、私は普段は少し飽きるが、そこはBCJの素晴らしい演奏により曲の弱点を十分に補完してくれた。こんなに集中して聴けたメサイアは初めてかもしれない。ホールの響きも素晴らしい。

 何といっても、合唱と器楽の透き通るような美しい響きは、筆舌に尽くしがたい。そこに古楽ならではの絶妙に彫琢された音色の陰影により、繊細さと力強さが入り混じって、恐らくヘンデルの意図を超越した、理想に近い音楽の世界が再現されたことだろう。

 演奏の時代と言われる今日、「現代の古楽演奏」の水準は既に当時のそれを遥かに超えたものになってしまったのかもしれない(古楽に限った話ではありませんが)~あくまで推測です。しかも、こんな楽団が日本にあること自体、奇跡的だ。


テレマン考

2012年10月27日 | 作曲家

 G.P.テレマンはバッハとの親交もあったと言われているが、現代では一般にはあまり知られていない作曲家である。しかし、当時テレマンはバッハに比べ圧倒的な人気を博し、その名声はバッハはその足元にも及ばない作曲家であったらしい。

 実際に曲を演奏し、その音楽に直に接してみると、その魅力はある意味でバッハを超えた存在価値があると思えた。最近、幸いにも演奏仲間が出来て、テレマンのソナタでヴァイオリンの伴奏をする機会が持てたためである。

 テレマンのソナタは「一般市民」を意識したと思われる演奏の容易性や、音楽の明快さを持ち、あらゆる面で難易度の高いバッハとは一線を隔している。このことは、テレマンがマーケティング、つまり商売手法的に優れていたと明言できる。

 テレマンの音楽の楽曲的要素には、バッハと同様に現代にも通ずる、西洋バロック音楽の根本原理的な要素が盛り込まれていて、しっかりと音楽のツボを押えている。バロック音楽を超越してしまったバッハには無い、緩やかさや親しみやすさという面ではテレマンが時勢の人であった理由は、一度演奏すれば容易に感ずることができる。

 私にとって未だ未知の多いテレマンではあるが、圧倒的な傑作の存在はあまり期待していない。しかし、演奏の可能性と楽しみという意味では多いに期待できる作曲家であることを知った、貴重な発見である。