
第0038号
*****(制作終了)*****
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
ちび猫が描く『夢の話し』第0007号参照
あだち漫画『虹色とうがらし』第0009号参照
~~~『タッチ』予告~~~第0014号参照
ちび猫が描く『タッチ』の感想・第0016号参照
ちび猫が描く『タッチ』の感想(2)・第0024号参照
第0038号の続きは第0044号へ移りました。
・記入順序逆転開始
*今日は(5月13日・日)・(後日編集)
ボヤキの続きです。昨日の夜にNHKで、『サンリオ』が“ハローキティ”の《ライセンス ビジネス》を世界で展開して、国内の損失を埋めて余りある利益を出しているが。他の『クールジャパン』と呼ばれる『サブカルチャー』などの『新・ニッポンブランド』は、人気や知名度が高い割りに、世界を相手にしての《コンテンツビジネス》では思いのほか苦戦していて。「せっかく良いモノを持っていながら売込みが下手で、勿体(モッタイ)ないコトをしている。『サンリオ』の自由な《ライセンス ビジネス》の成功を、これからの《コンテンツビジネス》の“雛形”に出来ないか」と安易に話を展開させていました。
しかし、先日も少し書いたが、TVアニメの【アクション】や【飛行シーン】などの映像は『ドラゴンボール』や『スレイヤーズ』や『交響詩篇エウレカセブン』などで“完成”してしまったみたいですし、作品の【設定】や【ストーリー】の面白さは『MASTERキートン』や『犬夜叉』や『ケロロ軍曹』や『けいおん!』などがこれまでの“集大成”になったみたいですし、音楽的な【BGM】や【挿入歌】においては『宇宙戦艦ヤマト』や『カードキャプターさくら』や『ARIA』や『のだめカンタービレ』など以上のモノはそうそう出ないでしょうし、日本アニメの【傾向】や【イメージ】が『未来少年コナン』や『めぞん一刻』や『タッチ』や『美少女戦士セーラームーン』や『天地無用』などで出来上がってしまいましたし、なにより日本そのものの【文化】や【感性】の表現が『ムーミン』や『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』や『母をたずねて三千里』や『あらいぐまラスカル』や『ペリーヌ物語』や『赤毛のアン』などから始まる『世界名作劇場』でやり尽(ツ)くされてしまっていて、あとはやたらと【色気・性描写】や【暴力・殺戮】や【童顔・幼児体型】を“リアル”に付加しているだけに見えてしまうのです。なので、最近作られるアニメを見ていても新鮮味が感じられず、まるで何かの伝統芸能を見ているかのような錯覚に陥(オチイ)ってしまうので、売込みの上手下手をとやかく言う前に、停滞気味の製作現場に《量より質》で頑張るように“カツ”を入れていただきたいモノです。
ただ、NHK自身が、以前に制作したアニメの『未来少年コナン』や『ふしぎの海のナディア』や『学園戦記ムリョウ』や『おばけのホーリー』や『スージーちゃんとマービー』や『飛べ!イサミ』や『あずきちゃん』や『カスミン』や『だぁ! だぁ! だぁ!』や『YAT安心!宇宙旅行』や『コレクター・ユイ』や『カードキャプターさくら』や『電脳コイル』や『獣の奏者 エリン』や『十二国記』や『彩雲国物語』などの面白さや有用性が分かっていないようで。最近の『十二国記』や『彩雲国物語』はすでに忘れかけられているみたいですし、ファンの多いの『未来少年コナン』や『カードキャプターさくら』ですらマニアの中だけで評価されていて。歴史的な大作の『ふしぎの海のナディア』や『学園戦記ムリョウ』や、短編傑作の『スージーちゃんとマービー』や『おばけのホーリー』や、少女向けアニメの“鏡”となる秀作の『カスミン』や『だぁ! だぁ! だぁ!』にいたっては、見たコトも無ければ聞いたコトも無い人がほとんどなのが現状であり。NHKが自分の保有している膨大なアニメなどの《コンテンツ》ですら埋もれさせたままにして、何の“アクション”も起こさずに≪宝の持ち腐れ≫にしているのに、日本の《コンテンツビジネス》の行方を心配して、『サンリオ』の《ライセンス ビジネス》を一つの“雛形”にしてはどうかと提案するなど、“愚の骨頂”であると言うほかはないと思うのです。
グダグダと言ってしまいましたが。ようは昔のような、『無敵鋼人ダイターン3』や『機動戦士ガンダム』や『YAWARA!』や『赤ずきんチャチャ』などを見て、《ユーモア》や《ヤル気》や《新鮮味》が「わーっスゲー!」と感じられた瞬間を、また味わってみたい“中年オタク”のたわ言なのです。
そうそう、『タッチ』が世界に受け入れられる為に必要なるから色々考えようと思っていた{日本のアニメ表現の多くがが世界の非常識で、文化圏ごとに柔軟な変更が必要になるという}諸条件が、『サンリオ』の“ハローキティ”では{簡単に}クリアー出来ている見たいで、ちょっと悔しかったですね。【昼前】
*今日は(5月12日・土)
チョット時間が空いたので、ボヤキを言おうと思います。最近、漫画本は『ああっ女神さまっ』の43巻の単行本を読んで、アニメはその43巻に付いてきたDVDのOVAを見ただけで、それ以外はまったく読んでいませんし、TVアニメもまったく見ていません。深夜にテレビチャンネルを回していると、アニメの番組がちょくちょく遣っているのですが、映像的には以前見たアニメの良い所取りに見えるし、何より作品の設定やテーマやストーリーが既存の物のコピーで、新鮮味に欠けるのです。・・・すみません買い物に行く時間になりました、ボヤキの続きはまた別の機会にいたします。【夕方】
*今日は(3月24日・土)
親友の『S』さんに刺激を受けて、絵はダメなので『詩』を作ってみました。
作品一『水仙の花』
僕の鉢植えに花が咲いた
白い小さな花だった
可愛い花だったが、すぐにしおれてしまった
来年も咲くだろうか
毎年咲いたら嬉しいが。
作品二『被災地へ』
東北へ行った
三月に入ってすぐだった
一年前に大津波が襲って来た漁港で
とても寂しかった
次に行く時は花の種を、イッパイ持って行こう。
作品三『心配事』
おかしな雲が出た
初めて見るような雲だった
地震雲と思い、家にも電話をしておくと
翌日に震度五の地震が起きた
今日の雲はどうだろう。
作品四『愛車』
車が走る
白い車が疾走する
僕の愛車だ
可愛くて、『プチ フランソワーズ』と名付けた
何所へだって一緒です。
作品五『青空』
トンビが飛んでいた
ゆっくり飛んでいた
木の枝にも止まっていて
ピ~ヒョロロと鳴いている
僕の気分も上々だ。
作品六『雨の日』
カエルが出た
ケロケロ鳴いていた
ベッドの下から、ロッカーの裏から、聞こえてくる
パニック、パニック
カエルパニック。
作品七『仕事』
空が暗い
雲が厚い
雨は降ってこないが、なんか憂鬱
頑張れガンバレ
僕もみんなも。
作品八『寝不足』
風が冷たい
日差しが弱い
今日も仕事で、朝からずっと立っている
コーヒーぐらいでは
眠くてしょうがない。
作品九『飛行機銀座』
ゴーっと音がする
飛行機が飛んで行く
また、ゴーっと音がして
飛行機が飛んで来た
みんな羽田へ、行くのかな。
作品十『昼下がり』
カラスが来た
カーカー鳴いている
森の中を飛んで来て
大空へと飛んで行った
ランチタイムかな。
作品十一『ドライブ』
夜中にそっと家を抜け出した
まだ午前二時だった
あっちコッチ車で走っていたら
ずいぶん遠くへ来てしまった
家に帰ると、もう午後十一時。
作品十二『球根フェチ』
山や庭先で草を採取している
お気に入りの草で、鉢植えを作るのだ
球根は特に気に入り
太った所がとても可愛くて
花は二の次、三の次。
作品十三『メディア』
テレビをあまり見ない
ラジオをまったく聴かない
雑誌は読まなくなって、ひさしいし
インターネットは、マンネリだ
僕の楽しみは、新聞ぐらいか。
作品十四『今時の車』
知り合いが車でやって来た
ハイブリット車だった
スッと来て、スーッと行ってしまった
ん~ン、あれも車か
エキゾーストノイズが懐かしい。
作品十五『何年前?』
雨降りの日のテレビ
ブロックノイズばかりの、地デジ放送
午後九時以降のインターネット
フリーズしてばかりの、光通信
アナログ放送や、ADSLが懐かしい。
作品十六『携帯電話』
知り合いに
携帯電話の設定を頼まれる
写真や、メールの仕方も説明する
自分の携帯電話では
写真も、メールも出来ないのに。
作品十七『走る鳥』
ガサガサ音がする
何かが茂みの中を走てる
ツグミと思い、探してみるが、見つからない
ガサガサと、音だけが続てる
そのうちパッと飛び去った。
作品十八『鳥の案内』
駐車場を歩いていると
目の前を、小さな鳥が走てる
ハクセキレイと思い、眺めながら歩いていると
何処までも目の前を走てる
車の所まで案内してくれた。
作品十九『イバラの香り』
バラの花が咲いた
赤いの、白いの、黄色いの
でも、イバラの花が、咲いていない
とても良い香りなのに
あの香りが僕の庭に欲しいのに。
作品二十『ガン付けられる』
仕事へは車で行く
時々猫が飛び出してきて、危険だ
でも、その日は少し違っていて
猫が道の真ん中に居座って、ガン付けている
仕方なしに僕の方が、猫をよけて行った。
【早朝】
*今日は(3月15日・木)
先日、母親が油がラードのようになってお皿にこびり付いた汚れを、ティッシュで拭いてから洗おうとしていて、何枚もティッシュを使っていたので。私の『生きた水』のスプレーをお皿に吹きかけてあげると、母親が「何で水で油が溶けるの!?」と驚嘆していました。『生きた水』を吹きかけた私も、これほど油が溶けるとは思っていなくて。『生きた水』の効能の新発見でした。
あと、親友の『S』さんが手書きの手紙をくれていた件についてですが。字が下手な私は、結局またワードで書いてプリンターで印刷したモノを返事に送るだけしか出来ませんでした。以前にも書いたが、この斉藤さんは筆まめな上に手書きの絵葉書を書いてくれるお方で、さらには『星野富弘』さんのフアンで、赤毛のアンの空想が大好きという既得な人物なのですが。出しゃばりな私と違って奥ゆかしくて、なかなか自分から才能を活かして何かをしようと考えてくれず。私が色々お節介を焼くのですが、自分の才能を否定するばかりで、何時も煙たがられてしまいます。残念でなりません。【?】
~~~第0038号先頭へ~~~
・記入順序変更以前
*今日は(1月17日・火)
第0016号と第0024号で、『タッチ』の原作漫画とTVアニメを対比さてストーリーを説明する試みをしていたのですが、今までは途中で頓挫していて記入がまったく進んでいませんでした。今後は、この第0038号で『タッチ』と色々な漫画とアニメについての想いを時々でも記入しながら、第0024号の続きも少しずつ記入していこう考えています。【朝】
第0024号でも書いたとうり、『タッチ』の男女合わせたキャラクターの中では『新田 由加』と『佐々木くん』がお気に入りなのですが。私が今までに見てきたアニメや漫画の中でのお気に入りは、スージーちゃんとマービーの『スージーちゃん』・『郵便屋さん』や、ARIAの『アリスちゃん』・『暁さん』や、カードキャプターさくらの『リ・メイリン』・『リ・シャオラン』や、赤ずきんチャチャの『やっこちゃん』・『まやちょん先生』・『ミケネコ博士』・『ポピィくん』や、スレイヤーズの『白蛇のナーガ』・『マルチナ』・『ゼロス』・『魔竜王ガーヴ』や、カスミンの『春野 カスミ』・『ハニワ夫人』・『あらいさん』・『ぬれぞうきん』や、やじきた学園道中記の『ハマのクイーン』・『ハーディ・レニアートン』といった面々です。そんなの知るか(!)と言う人も居るかと思いますが、知らない人はぜひアニメを見るか漫画を読むかしてみてください。【昼】
作品紹介画像《キャラクターとは無関係です》

文字だけでは分かりにくいと思ったので、少し画像を貼り付けてみました。【夕】
*今日は(1月19日・木)
@「ちっちゃな雪使いシュガー」
あともう一つお気に入りのキャラクターが居るアニメがあって、それは「ちっちゃな雪使いシュガー」というアニメなのですが、それに登場する『グレタ』と『長老さま』がお気に入りなのです。この『グレタ』というのが、人間側の主人公である『サガ・ベルイマン』にライバル心をむき出しにして、何時もちょっと変な事で挑戦してくる“パワフル”な{少し前に転校してきた、お金持ちの家の}女の子で、『タッチ』の物語の中での{『浅倉 南』に対抗心を抱く}『新田 由加』や、「赤ずきんチャチャ」の{『チャチャ』に対抗心を抱く}『やっこちゃん』や、「カードキャプターさくら」の{『木之本 桜』に対抗心を抱く}『リ・メイリン』などのポジションに近いキャラクターなのです。しかも、本当は心の優しい可愛い女の子だという所も{4人とも}よく似ていますしね。
そして、もう一人の{季節使いの長である}『長老さま』なのですが、雨使いの『ジンジャー』という一人前の女性季節使いに思いを寄せて、妖精界から人間界にほぼストーカーのようにしてやって来た“トボけた”御老人で、『タッチ』の中で『新田 由加』のパンちら(?)を見てしまい進学校を明青学園に変更してしまった『佐々木くん』と少しダブル所があると思うんです。特に、『長老さま』は妄想の入ったトボけた発言を連発しますし、『佐々木くん』は夏合宿でのクッキング大戦争で『新田 由加』におかしな肩入れをして、『浅倉 南』が下ごしらえした野球部の晩御飯の材料をみんな捨ててしまうしで、変な純愛主義者という意味では二人とも同じ部類に入るのは確かです。

@「スレイヤーズ」
沢山の私のお気に入りのキャラクター達には、それぞれにまつわる名言・名場面が沢山あるのですが。その中でも特に忘れられないシーンが一つあって、それは
【TVアニメの『スレイヤーズ』シリーズにおける第3部作目にあたる『スレイヤーズ・TRY』という作品中で、敵役の『ヴァルガーヴ』という古代竜(エンシェント・ドラゴン)の最後の生き残りが、{第8話「用意周到! 計画は動き出した!」の中で、火竜王の神殿にいる『アルメイス』と『リナ=インバース』を探しながら}自分が黄金竜(ゴールド・ドラゴン)に殺されようとしていた所を『魔竜王ガーヴ』に救われた時の事を順次回想していくシーンがあり、その中の《投げやりな言葉を放つ『ヴァルガーヴ』とやり取りをしながら『魔竜王ガーヴ』が「そうだな、とりあえずは“生き残る”ためだ」~~~「そうでもねえだろ、“俺たちを殺そうとする奴らにとっちゃ、それが一番頭にくる事”だろうからな」と言う》名言の有る場面】
なのですが。私は生きている限りこの場面のこの名言を一生忘れそうにありません。

良い画像がなくてすみません【深夜】
*今日は(1月22日・日)
@「新田 由加」
漫画とアニメの『タッチ』の双方に、沢山の名言や名場面は有るのですが、私にとっては“とっておきの忘れられない”シーンと言える瞬間が一つ有って。それは、
【{アニメの第86話「負けてたまるか三回戦!エースの力を見せてやる!」・漫画の第19巻(10話目「悪いな、吉田」)のラストシーンの}明青学園が夏の甲子園予選大会3回戦で以前のチームメイトだった{『新田 由加』をめぐって『上杉 達也』とエースの座を争っていた}『吉田 剛』が投げる『佐田商』に勝った直後の、《敗れた『吉田 剛』が野球場から帰ろうとして球場の通路を独りで歩いている時に、そこに偶然(?)一人で通りかかった『新田 由加』が、すれ違った直後に『吉田 剛』の後ろから、声をかけるように通路に張られたポスターに書かれた(アニメでは自分で書いた?)文字を読む形で「ファイト!」と言って立ち去る》場面】
なのですが、「イヤ~。小心者の私にはとてもマネの出来ない芸当(!)」で、本物の優しさとはどんなモノなのかを教えられた瞬間でした。
@「風の谷のナウシカ」
最近テレビのCMで、『スティーブン・スピルバーグ』監督の『戦火の馬』をチョクチョク見るのですが。あれを見て『宮崎 駿』先生の漫画『風の谷のナウシカ』を思い出した人も少なくはないと思うのです。
『ナウシカ』が先生と呼んで慕(シタ)う『ユパ』から、{第一巻78ページで}初陣の戦場へ出発する時に贈られたトリウマの『カイ』を、「サパタの都城」をめぐる攻防{第三巻の後半}の中で死なせてしまって悲しむ『ナウシカ』を、トルメキアの兵士達が瀕死で走って来た『カイ』を称(タタ)えて慰めている時に、{私のお気に入りの}鉄の女(!)『クシャナ皇女』が立ち去りながら「あの馬、食糧にせず丁重に埋葬してやれ」と“自分から”部下に言う{小さなコマ割りの}名言のシーンが有るのですが。
たぶん第三巻が、漫画『風の谷のナウシカ』の最大の見せ場であり。『カイ』の死は、戦闘の惨(ムゴ)さと『ナウシカ』や『クシャナ』とその兵士達の想いを象徴した特別のモノであったと私は思うのです。
ただし、この『カイ』は、『ナウシカ』を乗せて「サパタの都城」へ帰ってくる途中で一度銃で打たれて倒れていて、その時に落馬した『ナウシカ』が{『ユパ』から譲ってもらった}キツネリスの『テト』をめぐって土鬼(ドルク)の僧兵と小競り合いになっていた最中に息を吹き返す事が出来て、『ナウシカ』と『テト』を乗せてそのまま「サパタの都城」まで走り切ってしまうのですが。この、『カイ』が復活するキッカケを作った『テト』が、『タッチ』の中で監督代行の弟『柏葉 英二郎』に唯一なつく『ノラの子犬』とだぶって見えると言うのは、私の{無茶な}穿(ウガ)った勘ぐりなのでしょうかね。

@「柏葉 英一郎」
話が『タッチ』の監督代行の件に触れたので、そこから話しを始めさせていただきますと、以前から少し気になっていた事なのですが。兄『柏葉 英一郎』の描かれ方が先行の漫画と追う形で作られたアニメで少し違っている理由がハッキリしないままであり、アニメの制作者側のテレビ局が業界の諸事情で「話しを単にやんわりとまとめてしまいたかっただけだ」というのが有力な理由ではあると聞いていたのですが。どうにも腑に落ちなくて、自分で色々考えてみて、
【『あだち 充』先生も当初から、漫画の中では伝説の名キャプテン『柏葉 英一郎』そのモノを虚像であると設定していた可能性が有り。兄『柏葉 英一郎』の後輩で弟『柏葉 英二郎』の先輩にあたる元野球部員達が{漫画の第22巻(5話目「幼なじみになろうね」)の中で}執拗に『柏葉 英二郎』監督代行の事を病気療養中の『西尾 茂則』野球部監督に告げ口していたのは、『柏葉 英一郎』が野球部キャプテンとして本当の意味での人望が有った訳ではなくて。『柏葉 英一郎』は強権的に野球部を統率していた俗物で、他の部員達からは{漫画の第18巻(5話目「兄弟なんてものは」と、6話目「だけど」の中で)実の弟の事を“クズ”と罵(ノノシ)り、『ノラの子犬』から吠えられる『柏葉 英一郎』に『浅倉 南』が不信感と嫌悪感を抱いたように}嫌悪されていた為に、『柏葉 英一郎』と入れ替わりに入学してきた弟『柏葉 英二郎』に対して執拗なイジメが行われたのだと想定していたからだとも考えられ。{漫画の第21巻(8羽目「あいつといっしょに」)や、第22巻(5話目「幼なじみになろうね」)の中に}『西尾 茂則』野球部監督が『柏葉 英一郎』や元野球部員達に「自分の“人”を見る目の無さ」を告白している場面が有り、ここで言う“人”の範疇には兄『柏葉 英一郎』は直接的の文言では含まれてはいないものの、入ってはいないと断言する事も出来ない深い表現が使われていて。私見ではありますが、『柏葉 英二郎』は俗物であった兄『柏葉 英一郎』の間接的な被害者であったと漫画では初期設定されていたはずなのです。
とこらが、テレビのアニメが漫画の連載中に始り、漫画へのモノとは少し違う意味合いでのアニメへの人気と期待が盛り上がってきて、兄弟愛を大事に描いている作品だと勝手に評論されてしまっていて。原則的にアニメが漫画と同一と言っても言い設定で作られていたモノであったために、先行する漫画で『柏葉兄弟』の仲が険悪なまま終わってしまうのはアニメの制作に不適切ではないかと、『あだち 充』先生自身が感じてしまい、閉塞感に苛(サイナ)まれたのか。漫画では苦肉の策で、『浅倉 南』が『柏葉 英一郎』に遭遇した{漫画の第18巻(6話目「だけど」)の中での}一件を最後に、それ以降の『柏葉 英一郎』の{回想は除いての}直接的・間接的な出番は意図的に一度も描かなかった様に思われるのです。
そしてそのおかげで、TVアニメでは{アニメの第87話「意外!?柏葉ロマンス!南に似ている恋心」の中で}『柏葉 英一郎』の奥さんであり『柏葉 英二郎』が思いを寄せていた『柏葉令子』が『浅倉 南』と出会い。{アニメの第93話「出た!?監督命令!心に傷持つ柏葉采配!」の中では}兄『柏葉 英一郎』は弟『柏葉 英二郎』のことを誤解していただけで、その誤解も解けた今では弟『柏葉 英二郎』が甲子園出場を果たす事に期待を寄せていると『柏葉令子』が『浅倉 南』に話しをしていて、{アニメの第82話「見えたぞ!柏葉兄弟のふか〜い謎」の中での}『浅倉 南』の『柏葉 英一郎』への不信感も誤解であったいう事であっけなく決着してしまったのですから。
私の想像が正しかったとするなら、漫画が連載中にテレビでアニメ化されるのも考え物だという事ですかね】
という結果に至ったのですが。これも私お得意の{無茶な}穿(ウガ)った勘ぐりなのでしょうかね。
@「夏目友人帳」
また最近の話しなりますが、新年早々から『夏目友人帳 肆(四)』がスタートして、私も毎週楽しんで見られる唯一のアニメがまた始まったと喜んでいて。その主人公の『夏目 貴志』は、普通の人には見えない「妖(あやかし)」が見えるという設定で描かれているのですが、私は特にその「“妖”(あやかし)という存在」の描かれ方に大変な興味があるのです。
それは、「普通は見えていないモノが私には見えている」と言えるモノが有って、それは第0013号にも詳しく書いた「多目的用途の『生きた水』や土壌改良用の『EM菌』などの“バクテリア群”」なのですが。この“バクテリア群”の活用方法や有用性についての具体的な話しは第0013号を読んでいただくとして、この場で私が何を言いたいのかというと、この人の目には見えない“バクテリア群”は、使い方によっては人間にとって、とても有用な働きをしてくれる性質のモノであるのと同時に、人間の制御の利かないモノの中にはとても危険な性質のモノも在るという事と。人の目に見えないために無用な警戒心を抱かれてしまっていて、一般にはほとんど全ての“バクテリア群”が雑菌と一括(クク)りで呼ばれていて、消毒の対象になっているという事と。一部の人間が“バクテリア群”の有用性の{秘密の(?)}恩恵を独占していて、それを元に金儲けをしたり、宗教を立ち上げたり、医療機関を名乗ったりと好き勝手に利用していながら、人間に仇なすモノには容赦をせずに、それが自然界でどんな役割を果たすモノなのかを斟酌(シンシャク)されずに人間の周辺から消滅させられているという事と。そして、この三つから分かるように「私が見えていると言っている“バクテリア群”」と「『夏目 貴志』が見えている“妖”(あやかし)という存在」がとてもそっくりであるという事なのです。
しかも、この“バクテリア群”の問題には、一筋縄では解決しない色々な要因も絡んでいるみたいで。過去に『風の谷のナウシカ』の作品中で、『森』とか『粘菌』とかを使って『宮崎 駿』先生が自然界における“バクテリア群”による{有害物質の}分解のサイクルと、無知な人間や身勝手な人間による「有用な“バクテリア群”への攻撃」や「“バクテリア群”への強引な干渉」の危険性を訴えた時に。欧米の{過激な『グリーンピース』などの}環境保護団体が支援金目当てに過激なパフォーマンスをしているのと同じで、売名行為や金儲けの為に環境保護を利用しているだけだと、露骨に非難された事もあり(私の周囲からも“虫唾が走る”という非難の声があたり前に聞こえた)。『夏目 貴志』が“妖”の事で、多くの一般人に理解されず、能力を独占する『祓い屋』と衝突する姿が、『宮崎 駿』先生が『風の谷のナウシカ』以降『スタジオジブリ』を立ち上げて、数々の名作アニメを世に送り出しながらも孤軍奮闘を続ける姿と、どうしても重なって見えてしまうのです。

さらには、我らが『あだち 充』先生の環境保護問題に対する独自の認識である、「環境問題に関わる豊富な知識や高度な技術を駆使してヘタな画策する事よりも、江戸時代のような『良質な日本的感性』が世の中に溢れている状況であれば、それ以上に環境に良い対策は他に無い」という文明への挑戦的な考え方が、漫画『虹色とうがらし』の中にハッキリ見られると第0009号でも書いたのですが。
『あだち 充』先生がそういった考えにいたったのも。「安定している“バクテリア群”に対してワザワザ“強引に干渉”する」ような“高度な環境技術”などよりも。日本の古い時代の“伝承や工夫”である「“バクテリア群”と“共存”する」という事の方が、環境問題の“真の解決方法”に近いのだと、早くから気付いていたからだと思うのです。

本日も、長々とお付き合いいただき有り難う御座いました。【深夜】
*今日は(1月28日・土)
@愛車『プチ フランソワーズ』
私は、現在自分が乗っている軽バンSUZUKIエブリイに、敬意を込めて愛車『プチ フランソワーズ』という愛称を付けているのですが。以前は4輪(自動車)ではなく2輪(バイク)にばかり乗っていて、{当時から}免許証が以前の中型限定であった事から、HONDANS400Rに{専門学校に通(カヨ)っていた}東京の新宿と、その後{地震が起こるまで}神戸に移り住んでいた時機に{10年間近く}乗っていて。当時は特にバイクに愛称を付けるという意識は無かったものの、カラーリングがロスマンズカラーだった事から、他人(ひと)に自分の乗っているオートバイを説明するのに漫画『バリバリ伝説』と同じ『NS400Rのロスマンズ』だと言っていました。その時は私もまだ20代と若かったので、ほぼ毎晩のように峠道へ走りに行っていて、一晩で走る距離は少ない時でも200km程で、多いときは300km以上走ることもざらに有った程でした。走りに行く先は、東京に居た時はほとんど奥多摩でしたし、神戸に居た時は六甲山か生駒山でしたが、今思うと{二度事故って救急車で運ばれたが}よく事故死しなかったものだと感心(寒心?)してしまいます。
【HONDA NS400R ロスマンズカラー】

その後は、神戸の大地震以後も同じ兵庫県の{被災地の}西宮に移り住み、年齢が30代以降になってからは『HONDAGB250クラブマン』などに乗り継いで、平成17年の夏まで2輪(バイク)一筋で『走り屋』人生を楽しんでいましたが。実家の都合で千葉県へ引っ越して来てからは、病気の親を病院へ連れて行く都合から4輪(自動車)を初めて購入し、去年の8月からは今の愛車『プチ フランソワーズ』に乗っています(軽四輪でしかも、“走りの練習の為に最近になってからですが”荷台の最後部に重量ブロックを100kg程{意図的に}敷いて負荷を掛けているのですが、この愛車『プチ フランソワーズ』はそれでも“速い”です。『フレンチカンカン』の絵が貼られた{ふざけた}白の軽バンを千葉(南房総周辺)で見かけたら、試しに煽って下さい、{昼間は通勤か親を乗せているのでダメですが、夜であれば}大歓迎です)。
【フレンチカンカンの絵】

【YAMAHA XJ650 スペシャル】

もう少しだけ2輪(バイク)の話しをしますが、『タッチ』でも須見工の『新田 明男』がYAMAHAの黒いオートバイ《漫画の12巻(2話目「勝って当然なんだよ」)でYAMAHAのロゴが確認出来る:XJ650スペシャル?》に何時も乗っていますし、私の仕事先でよく話しをする大学生達もみんなではないにしろ、そこそこの割合で2輪(バイク:原付含む)に乗ってはいるのですが、それでも最近は街中でも(山道でも)2輪(バイク)を見る事がほとんど無くて、{自分が4輪(自動車)に乗っていて言うのも変なのですが}なんか寂(サミ)しい気分です。また、木更津の友達が一人100ccのスクーターに乗っていて、「私もまた2輪(バイク)を買いたいと思っているので、その時は一緒にツーリングに行こう」と言ってもう3年位は経つのですが、まだまだ当分の間は買えそうになくて、すまないとは思っているのです。しかし、最近は『ブライス』のドール(プチブライスを8体購入)にまで興味が広がってしまい、それやこれやに結構な金額を注ぎ込んでいるせいもあって経済的に大変で、しかもこのブログの記入に相当な精力を費(ツイ)やしているので、まだしばらくの間は2輪(バイク)にまでは手を出せそうにありません。
【プチブライス フランソワーズ ファム】

【ネオブライス カンカンキャット】

最近感心を寄せている『ブライス』のドールシリーズには、愛車『プチ フランソワーズ』の由来となった『フランソワーズ・アルヌール』が主演した『フレンチカンカン』をモチーフにしたドールが2体有って、それがキッカケとなって『ブライス』のドールに興味を持ち始めたのですが、{ブログ第0033号にも書いたように}いつの間にかその『ドールの世界』にのめり込んでしまい掛けていて、愛車『プチ フランソワーズ』に何時も8体のドールを乗せて走っていますし。この『ブライス』のドールシリーズにはサイズで「ネオブライス・ミディブライス・プチブライス」の3種類に別れ、さらにはそれぞれのサイズごとに特有の種類のドールが沢山有り、そして着せ替えなどが自分の手作りで出来るのも魅力らしいのですが。私はこの《『ブライス』のドールシリーズ》がかもし出している人間臭さに引かれた様で、顔は種類ごとに人間の様に違っていて個性豊かですし、オリジナルの服が妙に顔とマッチするコトで世界中の人間の雰囲気をリアルに漂わせていて、一体一体がとても素敵でついつい“ドール達”と呼んでしまうくらいなのです。しかも、その反面としてこの“ドール達”は髪型や帽子や靴・小物に至るまで総てが純粋にファッショナブルで、女性として作られていながら女性の色気が無い為、男の私でもファッション性を純粋に堪能出来る作りになっていて、着せ替えの服をオークションでついつい買ってしまうのです。
【プチブライス スパンキーパンキー】

この『スパンキーパンキー』はプチブライスの傑作ですね!【深夜】
*今日は(1月30日・月)
@自律神経の昂(タカ)ぶりの緩和
このブログを制作しているそもそもの動機は、私が『場面緘黙症』であり、それによる仕事への障害も少なくはなくて、それを{少しでも}減少させて社会参加を目差すコトは困難の連続(!)ではあったが。それでも{少しでも}『場面緘黙症』の緩和に有効(?)だった工夫を広く公表して、私の様な『場面緘黙症』の人の助けに{少しでも}なれば嬉しいと考えたからなので。この機会に『場面緘黙症』の緩和に役立つであろう工夫を一度まとめてみました。
一つ目は発声出来ない言葉を避ける『代替え言葉の使用』であり、二つ目は『間』を意識して作り落ち着く事であり、三つ目は《『かつお節:3gや5gのパック』と『生姜:砂糖漬けや生姜湯』と『ビタミンC:タブレットやドリンク』の適量を3回に分けて毎日摂取》する事であり。どれも健常者にしたら{苦になりそうには感じられない}あたり前の事なのかもしれないのですが。しかし、発声出来ない言葉を避けられない状況で発声困難に陥ってしまうから『場面緘黙症』であるのだし、『間』を作ったらそのまま5秒~10秒間は“しかめっ面のだんまり”状態で固まってしまうし、何かを食べたからといって発声困難が解消するなら{確かに}苦労は無いのである。
ならばいったい何が言いたいのかというと、私があげた三つの事は一つ一つでは確かに効果が薄いのですが、三つの事を一緒にやってみると{私的には}そこそこの効果が期待出来たという事なのです。《全ての『場面緘黙症』の緩和に役立とは限りませんが、まったくの無駄骨であるという事もないと思います》
そして、私が今回特に紹介したいのは三つ目の《『かつお節』と『生姜』と『ビタミンC』の摂取》なのですが、私はこれによって《自律神経の昂(タカ)ぶりの緩和》がうまく出来る様になったみたいで。『場面緘黙症』の症状の緩和だけにおさまらず、自動車の運転が正確になったり、部屋の掃除が効率的に出来るようになったり、他人への嫌悪感が激減したりしているのです。《毎日食べてこまめに摂取するだけなので、皆さんにもお勧めです》【深夜】
*今日は(2月4日・土)
私は夜寝ていてチョクチョク『金縛り』になるのですが(昨晩も『金縛り』なったが)、そういう夜はインド・ネパールの《古典的》な民族音楽を集めたCDを《一晩中リピートのまま》掛けっ放しにして寝る事にしていますし、『金縛り』になりそうな気がした晩は寝付く前からCDを掛けっ放しにして寝ていますが、インド・ネパールの音楽CDを掛かっている時に『金縛り』になった事は一度もありません。
インド・ネパールの音楽CDは全て『TIRAKITA:ティラキタ』のインターネット通販で購入していて、種類が多くて助かっていますし。この『TIRAKITA』で『お香』もたいていは購入しているのですが、種類は多いものの値段が若干(ジャッカン)高いので、特に大量に購入する場合は{一部ですが}『楽天市場』で安い所を探して購入しています。【10時半すぎ】
*今日は(2月7日・火)
最近少し風邪ぎみなので、『生きた水』のスプレー(第0013号参照)を鼻に吹き込んでから鼻をかんでいますが、鼻がすっきりして気持ち良く、鼻詰まりや鼻水が解消して助かっています。みなさんもお試しあれ。【早朝】
*今日は(2月12日・日)
今朝、目が覚めて昨日の「『星野富弘』さんの『花の詩画展』」の事を思い出しながら、『まつたけ』や『すずめ』や『豚』といった“意味の濃い”詩画の事や、『ペンペン草』や『菊』や「母親の描いた『二匹の魚』の墨江」などの“母子”(キリスト教の“五つのパンと二匹の魚”?)がテーマの詩画の事を、色々想像して考えていたのですが。そうしていると、ふと変な“違和感”が会場にあった事が思い出されてきたので、少し問題提起してみます。
それは、この『詩画展』が“紳士淑女たちの社交場”になっていて、「障害者の事を考える」というお題目は掲げられていたものの、大半の来場者であった“高学歴のお金持ち風”の人達からは、『詩画鑑賞』を“教養”と位置づけて“感傷的”に賞讃(ショウサン)している声ばかりが聞こえてきましたし。『詩画展』自体のセッティングもそんな紳士淑女たちの“虚栄心”を満たすためか、「世界へ羽ばたく『星野富弘の詩画』に触れる」を強調した上品な構成になっていて。心身の障害で一方的に差別される障害者たちや、偏見の中で貧困にあえぐ社会的弱者たちの“希望の光り”であり、彼らの《多くの不安や不満と『小さな幸せ』を代弁している》という、「『星野富弘』の詩画の存在意義」の本当の価値がまるで見えてこなかったのです。しかし、だからと言って『星野富弘さんの詩画』の価値が下がるワケではなくて、逆にそういうふうに{光り輝いて}在るコトが「『星野富弘』の詩画の存在意義」の大事な部分である事に間違いはないのです。奥が深いですね(!)
【まつたけ】

【すずめ】

【豚】

【ペンペン草】

【菊】

【八時半】
*今日は(2月22日・水)
去年の年末に犬の散歩の途中の山道で偶然に拾った、握りコブシ程の大きさの軟体でほぼ無色透明な『バクテリア体』を、植木鉢の中で今も飼育しています。私の『生きた水』を大量にかけると一時的に溶けて消えてしまうのですが、数日でまた枯葉の下で塊になって再生していて、なかなかに面白い生き物です。変形菌の一種ではないかと思ってチョクチョク調べてはいるものの、この『バクテリア体』が何モノなのかは未だに分かりませんが、人間の毒になりそうではないので今は静観している状況です。暖かくなってきたらどうなるのかが楽しみです。【昼すぎ】
*今日は(2月24日・金)
アニメ『夏目友人帳』の中の“妖”(あやかし)のように、私の『生きた水』は私の周囲の生活環境を劇的に改善してくれていて、『生きた水』抜きの生活は考えられないぐらいなのに。『生きた水』の【バクテリア群】は誰にも見えず、私以外の誰も『生きた水』とその【バクテリア群】の活躍にまったく気が付かず、誰も関心を抱く事がありません。不思議!不思議!【お昼】
*今日は(2月25日・日)
よくあるアニメの設定で、妖精とかが主人公などの主要登場人物にしか見えないというモノがあり、『夏目友人帳』や『ちっちゃな雪使いシュガー』そして『カスミン』や{言葉を話す猫}の『みかん・絵日記』もそうなのですが、自分(達)だけが承知しているという事が大問題になったりしていて、それがそういうアニメの面白い所だったりするのですが。私も、自分が振り撒(マ)いている『生きた水』が惜しくて、台所の“流し”にいらなくなったポットのお湯を捨てるのを躊躇(タメラ)って、外に捨てに行って不思議がられたり。かつお節の3gパックを持ち歩き、薬を服用するように袋からそのまま食べてから、ニコニコしながらみんなの後始末や掃除を一人でやっていて不思議がられたり。簡易の個包装されているペーパードリップコーヒーを飲む時に、お湯を始めに注(ソソ)いだ後の蒸らし時間より、お湯を注ぎ終わってからのペーパードリップの部分をお湯に浸(ヒタ)しておく時間のほうが長くて不思議がられたり。下ネタが苦手で堅物に見えるのに、自分の車に『フレンチカンカン』のスカートを捲り上げてお尻を突き出している絵を4枚も貼り付けていて不思議がられたり。軽自動車の荷台後部に全部で100kgにはなる重量ブロックを何時も敷き詰めて、危険だし燃費も悪いからと指摘されているのに無視していて不思議がられたり。パソコンをやってブログも書いているのに、自分のケイタイでメールも出来ないし、カメラも使えないでいて不思議がられたりしていて。自分で{そんなに不思議がられている}自分が面白いと思っているのですが。
自分の『場面緘黙症』だけは如何(イカン)ともし難くて。突然声をかけられて『場面緘黙症』対策を思い出せなかったり、大勢人数を相手に挨拶をしていて『場面緘黙症』対策の効果が無くなってしまったり、突然かかって来た電話に応対しないといけないハメになったり、ワンパターンの定時連絡のような電話報告を立て続けにしたりした時に、どうしても数秒ほどの発声困難な状態に陥(オチイ)ってしまいますし。そういった時の“不思議がられよう”はどうしても面白いとは思えないのですが。ただ不思議な事にその瞬間は、腹を立てたり悔(クヤ)しがったりする事が出来ず、ただただ『後ろめたく』そしてひたすら『気がとがめて』しまって、《躊躇(タメラ)い》の気持ちのせいなのかどうしても口から声が出せないのです。
皆さんにも「『後ろめたく』そして『気がとがめて』しまって、その《躊躇(タメラ)い》の気持ちのせいで口から声が出てこないという状況」が解ってもらえたなら、『場面緘黙症』の人も気が楽になって、少しは発声困難が緩(ユル)むかもしれません。【20時】
*今日は(3月6日・火)
一昨日の日曜日に《以前から“夕食抜き”にしていて、それが原因で母親と言い争いが絶えなかったので》その“気分転換”をしに宮城県へ日帰りで行って来ました{被災地のレポートは別のテーマでブログ第0042号を新規開設した時に記入するつもりにしています}。
その道中では愛車『プチ フランソワーズ』を運転ながら、気晴らしに持ってきていた{『天地無用』や『万能文化猫娘』や『デジキャラット』や『おジャ魔女どれみ』などの}お気に入りのアニメ関係のオリジナルCDを何枚も聴いていて。その帰り道でも渋滞の仙台をやっと抜けて東北自動車道を東京方面へと向かいながら福島県に入ったぐらいの頃に、『サクラ大戦』関係のCDからチェンジして、アニメ『カードキャプターさくら』に関する曲を集めてあった{10年近く以前に作ったオリジナルの}CDを聴こうとしたところ、そのCDの一曲目に主人公の『木之本 桜』の声優である『丹下 桜』さんのアニメとは無関係のアルバム『Alice』から{作詞:丹下桜、作曲:宮島律子、編曲:吉田潔}の『ハッピーアプローチ』が“なぜか”チョイスされていて、あのハッキリとした歌声と明快な歌詞のリズミカルな曲が心地よく流れてきたのです。
『丹下 桜』さんのアルバムは3枚持っていて、昔からよく聴いたので、『カードキャプターさくら』のオリジナルCDを作るときに《主人公の声優が誰なのかが分かるようにと昔は考えたのか、『カードキャプターさくら』関係のCDを8枚も買って持っていたのに、『丹下 桜』さんのアルバムから“わざわざ”この1曲だけを選んで》思い切って1曲目にしたようなのですが。その時の《鬱々(ウツウツ)》としていた私にとってはまさに【奇跡のチョイス】であり、そのままこの1曲だけを少なくとも3時間はリピートして聞いていて、千葉の家に帰りつく頃には問題となっていた『夕食抜き』への拘(コダワ)りも薄れていたため。心配して私の帰りを待っていた母親に「明日から『夕食抜き』は中止しますね」とスッと言えてしまって、{長引いて拗(コジ)れる可能性の高かった}個人的に意地を張っていた『夕食抜き』騒動であったが、思ったより《あっけなく》一段落(イチダンラク)がついてしまいました。
昨日の朝に急いで『丹下 桜』さんのアルバムから『ハッピーアプローチ』を含む{昔からよく聴いていた、『Little Wing』や『tick away the landscape...』や『女神たちの夜明け』や『Journey Into Myseif』や『Brand-new everyday』や『未来からのエアメール』や『Neo-Generation』や『MAKE YOU SMILE』や『Be Myself』などの}15曲と、『カードキャプターさくら』のサントラ盤から『しあわせの魔法』と{大道寺知世:岩男潤子と一緒に歌う}『あなたといれば』の2曲から成るオリジナルCDを作って、{昨日、今日と}愛車『プチ フランソワーズ』での仕事の行き帰りで早速(サッソク)聴き、幸せ気分を満喫(マンキツ)するコトが出来ましたが。「歌で幸せになれる」って聞くと安っぽい人間の戯言(ザレゴト:タワゴト)か商業主義の宣伝文句と感じる人も多いかと思いますが、「自分が幸せに成ってみないと、それがどれほど困難で可能性の低いモノであるのかというコトも分からず、そしてそれがチョットした偶然で手にするコトが出来てしまう【奇跡】が起こる事もあるのだというコトを知る事も出来ない」というのも事実で。それが《人が幸せに成るコトの難しさ》を端的に言い表わしているのだと思うのです。


~~~第0038号先頭へ~~~
*****(制作終了)*****
全ての紹介分はこちらから。
新トップ画面
トップ画面
旧トップ画面
旧々トップ画面
(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
ちび猫が描く『夢の話し』第0007号参照
あだち漫画『虹色とうがらし』第0009号参照
~~~『タッチ』予告~~~第0014号参照
ちび猫が描く『タッチ』の感想・第0016号参照
ちび猫が描く『タッチ』の感想(2)・第0024号参照
第0038号の続きは第0044号へ移りました。
・記入順序逆転開始
*今日は(5月13日・日)・(後日編集)
ボヤキの続きです。昨日の夜にNHKで、『サンリオ』が“ハローキティ”の《ライセンス ビジネス》を世界で展開して、国内の損失を埋めて余りある利益を出しているが。他の『クールジャパン』と呼ばれる『サブカルチャー』などの『新・ニッポンブランド』は、人気や知名度が高い割りに、世界を相手にしての《コンテンツビジネス》では思いのほか苦戦していて。「せっかく良いモノを持っていながら売込みが下手で、勿体(モッタイ)ないコトをしている。『サンリオ』の自由な《ライセンス ビジネス》の成功を、これからの《コンテンツビジネス》の“雛形”に出来ないか」と安易に話を展開させていました。
しかし、先日も少し書いたが、TVアニメの【アクション】や【飛行シーン】などの映像は『ドラゴンボール』や『スレイヤーズ』や『交響詩篇エウレカセブン』などで“完成”してしまったみたいですし、作品の【設定】や【ストーリー】の面白さは『MASTERキートン』や『犬夜叉』や『ケロロ軍曹』や『けいおん!』などがこれまでの“集大成”になったみたいですし、音楽的な【BGM】や【挿入歌】においては『宇宙戦艦ヤマト』や『カードキャプターさくら』や『ARIA』や『のだめカンタービレ』など以上のモノはそうそう出ないでしょうし、日本アニメの【傾向】や【イメージ】が『未来少年コナン』や『めぞん一刻』や『タッチ』や『美少女戦士セーラームーン』や『天地無用』などで出来上がってしまいましたし、なにより日本そのものの【文化】や【感性】の表現が『ムーミン』や『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』や『母をたずねて三千里』や『あらいぐまラスカル』や『ペリーヌ物語』や『赤毛のアン』などから始まる『世界名作劇場』でやり尽(ツ)くされてしまっていて、あとはやたらと【色気・性描写】や【暴力・殺戮】や【童顔・幼児体型】を“リアル”に付加しているだけに見えてしまうのです。なので、最近作られるアニメを見ていても新鮮味が感じられず、まるで何かの伝統芸能を見ているかのような錯覚に陥(オチイ)ってしまうので、売込みの上手下手をとやかく言う前に、停滞気味の製作現場に《量より質》で頑張るように“カツ”を入れていただきたいモノです。
ただ、NHK自身が、以前に制作したアニメの『未来少年コナン』や『ふしぎの海のナディア』や『学園戦記ムリョウ』や『おばけのホーリー』や『スージーちゃんとマービー』や『飛べ!イサミ』や『あずきちゃん』や『カスミン』や『だぁ! だぁ! だぁ!』や『YAT安心!宇宙旅行』や『コレクター・ユイ』や『カードキャプターさくら』や『電脳コイル』や『獣の奏者 エリン』や『十二国記』や『彩雲国物語』などの面白さや有用性が分かっていないようで。最近の『十二国記』や『彩雲国物語』はすでに忘れかけられているみたいですし、ファンの多いの『未来少年コナン』や『カードキャプターさくら』ですらマニアの中だけで評価されていて。歴史的な大作の『ふしぎの海のナディア』や『学園戦記ムリョウ』や、短編傑作の『スージーちゃんとマービー』や『おばけのホーリー』や、少女向けアニメの“鏡”となる秀作の『カスミン』や『だぁ! だぁ! だぁ!』にいたっては、見たコトも無ければ聞いたコトも無い人がほとんどなのが現状であり。NHKが自分の保有している膨大なアニメなどの《コンテンツ》ですら埋もれさせたままにして、何の“アクション”も起こさずに≪宝の持ち腐れ≫にしているのに、日本の《コンテンツビジネス》の行方を心配して、『サンリオ』の《ライセンス ビジネス》を一つの“雛形”にしてはどうかと提案するなど、“愚の骨頂”であると言うほかはないと思うのです。
グダグダと言ってしまいましたが。ようは昔のような、『無敵鋼人ダイターン3』や『機動戦士ガンダム』や『YAWARA!』や『赤ずきんチャチャ』などを見て、《ユーモア》や《ヤル気》や《新鮮味》が「わーっスゲー!」と感じられた瞬間を、また味わってみたい“中年オタク”のたわ言なのです。
そうそう、『タッチ』が世界に受け入れられる為に必要なるから色々考えようと思っていた{日本のアニメ表現の多くがが世界の非常識で、文化圏ごとに柔軟な変更が必要になるという}諸条件が、『サンリオ』の“ハローキティ”では{簡単に}クリアー出来ている見たいで、ちょっと悔しかったですね。【昼前】
*今日は(5月12日・土)
チョット時間が空いたので、ボヤキを言おうと思います。最近、漫画本は『ああっ女神さまっ』の43巻の単行本を読んで、アニメはその43巻に付いてきたDVDのOVAを見ただけで、それ以外はまったく読んでいませんし、TVアニメもまったく見ていません。深夜にテレビチャンネルを回していると、アニメの番組がちょくちょく遣っているのですが、映像的には以前見たアニメの良い所取りに見えるし、何より作品の設定やテーマやストーリーが既存の物のコピーで、新鮮味に欠けるのです。・・・すみません買い物に行く時間になりました、ボヤキの続きはまた別の機会にいたします。【夕方】
*今日は(3月24日・土)
親友の『S』さんに刺激を受けて、絵はダメなので『詩』を作ってみました。
作品一『水仙の花』
僕の鉢植えに花が咲いた
白い小さな花だった
可愛い花だったが、すぐにしおれてしまった
来年も咲くだろうか
毎年咲いたら嬉しいが。
作品二『被災地へ』
東北へ行った
三月に入ってすぐだった
一年前に大津波が襲って来た漁港で
とても寂しかった
次に行く時は花の種を、イッパイ持って行こう。
作品三『心配事』
おかしな雲が出た
初めて見るような雲だった
地震雲と思い、家にも電話をしておくと
翌日に震度五の地震が起きた
今日の雲はどうだろう。
作品四『愛車』
車が走る
白い車が疾走する
僕の愛車だ
可愛くて、『プチ フランソワーズ』と名付けた
何所へだって一緒です。
作品五『青空』
トンビが飛んでいた
ゆっくり飛んでいた
木の枝にも止まっていて
ピ~ヒョロロと鳴いている
僕の気分も上々だ。
作品六『雨の日』
カエルが出た
ケロケロ鳴いていた
ベッドの下から、ロッカーの裏から、聞こえてくる
パニック、パニック
カエルパニック。
作品七『仕事』
空が暗い
雲が厚い
雨は降ってこないが、なんか憂鬱
頑張れガンバレ
僕もみんなも。
作品八『寝不足』
風が冷たい
日差しが弱い
今日も仕事で、朝からずっと立っている
コーヒーぐらいでは
眠くてしょうがない。
作品九『飛行機銀座』
ゴーっと音がする
飛行機が飛んで行く
また、ゴーっと音がして
飛行機が飛んで来た
みんな羽田へ、行くのかな。
作品十『昼下がり』
カラスが来た
カーカー鳴いている
森の中を飛んで来て
大空へと飛んで行った
ランチタイムかな。
作品十一『ドライブ』
夜中にそっと家を抜け出した
まだ午前二時だった
あっちコッチ車で走っていたら
ずいぶん遠くへ来てしまった
家に帰ると、もう午後十一時。
作品十二『球根フェチ』
山や庭先で草を採取している
お気に入りの草で、鉢植えを作るのだ
球根は特に気に入り
太った所がとても可愛くて
花は二の次、三の次。
作品十三『メディア』
テレビをあまり見ない
ラジオをまったく聴かない
雑誌は読まなくなって、ひさしいし
インターネットは、マンネリだ
僕の楽しみは、新聞ぐらいか。
作品十四『今時の車』
知り合いが車でやって来た
ハイブリット車だった
スッと来て、スーッと行ってしまった
ん~ン、あれも車か
エキゾーストノイズが懐かしい。
作品十五『何年前?』
雨降りの日のテレビ
ブロックノイズばかりの、地デジ放送
午後九時以降のインターネット
フリーズしてばかりの、光通信
アナログ放送や、ADSLが懐かしい。
作品十六『携帯電話』
知り合いに
携帯電話の設定を頼まれる
写真や、メールの仕方も説明する
自分の携帯電話では
写真も、メールも出来ないのに。
作品十七『走る鳥』
ガサガサ音がする
何かが茂みの中を走てる
ツグミと思い、探してみるが、見つからない
ガサガサと、音だけが続てる
そのうちパッと飛び去った。
作品十八『鳥の案内』
駐車場を歩いていると
目の前を、小さな鳥が走てる
ハクセキレイと思い、眺めながら歩いていると
何処までも目の前を走てる
車の所まで案内してくれた。
作品十九『イバラの香り』
バラの花が咲いた
赤いの、白いの、黄色いの
でも、イバラの花が、咲いていない
とても良い香りなのに
あの香りが僕の庭に欲しいのに。
作品二十『ガン付けられる』
仕事へは車で行く
時々猫が飛び出してきて、危険だ
でも、その日は少し違っていて
猫が道の真ん中に居座って、ガン付けている
仕方なしに僕の方が、猫をよけて行った。
【早朝】
*今日は(3月15日・木)
先日、母親が油がラードのようになってお皿にこびり付いた汚れを、ティッシュで拭いてから洗おうとしていて、何枚もティッシュを使っていたので。私の『生きた水』のスプレーをお皿に吹きかけてあげると、母親が「何で水で油が溶けるの!?」と驚嘆していました。『生きた水』を吹きかけた私も、これほど油が溶けるとは思っていなくて。『生きた水』の効能の新発見でした。
あと、親友の『S』さんが手書きの手紙をくれていた件についてですが。字が下手な私は、結局またワードで書いてプリンターで印刷したモノを返事に送るだけしか出来ませんでした。以前にも書いたが、この斉藤さんは筆まめな上に手書きの絵葉書を書いてくれるお方で、さらには『星野富弘』さんのフアンで、赤毛のアンの空想が大好きという既得な人物なのですが。出しゃばりな私と違って奥ゆかしくて、なかなか自分から才能を活かして何かをしようと考えてくれず。私が色々お節介を焼くのですが、自分の才能を否定するばかりで、何時も煙たがられてしまいます。残念でなりません。【?】
~~~第0038号先頭へ~~~
・記入順序変更以前
*今日は(1月17日・火)
第0016号と第0024号で、『タッチ』の原作漫画とTVアニメを対比さてストーリーを説明する試みをしていたのですが、今までは途中で頓挫していて記入がまったく進んでいませんでした。今後は、この第0038号で『タッチ』と色々な漫画とアニメについての想いを時々でも記入しながら、第0024号の続きも少しずつ記入していこう考えています。【朝】
第0024号でも書いたとうり、『タッチ』の男女合わせたキャラクターの中では『新田 由加』と『佐々木くん』がお気に入りなのですが。私が今までに見てきたアニメや漫画の中でのお気に入りは、スージーちゃんとマービーの『スージーちゃん』・『郵便屋さん』や、ARIAの『アリスちゃん』・『暁さん』や、カードキャプターさくらの『リ・メイリン』・『リ・シャオラン』や、赤ずきんチャチャの『やっこちゃん』・『まやちょん先生』・『ミケネコ博士』・『ポピィくん』や、スレイヤーズの『白蛇のナーガ』・『マルチナ』・『ゼロス』・『魔竜王ガーヴ』や、カスミンの『春野 カスミ』・『ハニワ夫人』・『あらいさん』・『ぬれぞうきん』や、やじきた学園道中記の『ハマのクイーン』・『ハーディ・レニアートン』といった面々です。そんなの知るか(!)と言う人も居るかと思いますが、知らない人はぜひアニメを見るか漫画を読むかしてみてください。【昼】
作品紹介画像《キャラクターとは無関係です》

文字だけでは分かりにくいと思ったので、少し画像を貼り付けてみました。【夕】
*今日は(1月19日・木)
@「ちっちゃな雪使いシュガー」
あともう一つお気に入りのキャラクターが居るアニメがあって、それは「ちっちゃな雪使いシュガー」というアニメなのですが、それに登場する『グレタ』と『長老さま』がお気に入りなのです。この『グレタ』というのが、人間側の主人公である『サガ・ベルイマン』にライバル心をむき出しにして、何時もちょっと変な事で挑戦してくる“パワフル”な{少し前に転校してきた、お金持ちの家の}女の子で、『タッチ』の物語の中での{『浅倉 南』に対抗心を抱く}『新田 由加』や、「赤ずきんチャチャ」の{『チャチャ』に対抗心を抱く}『やっこちゃん』や、「カードキャプターさくら」の{『木之本 桜』に対抗心を抱く}『リ・メイリン』などのポジションに近いキャラクターなのです。しかも、本当は心の優しい可愛い女の子だという所も{4人とも}よく似ていますしね。
そして、もう一人の{季節使いの長である}『長老さま』なのですが、雨使いの『ジンジャー』という一人前の女性季節使いに思いを寄せて、妖精界から人間界にほぼストーカーのようにしてやって来た“トボけた”御老人で、『タッチ』の中で『新田 由加』のパンちら(?)を見てしまい進学校を明青学園に変更してしまった『佐々木くん』と少しダブル所があると思うんです。特に、『長老さま』は妄想の入ったトボけた発言を連発しますし、『佐々木くん』は夏合宿でのクッキング大戦争で『新田 由加』におかしな肩入れをして、『浅倉 南』が下ごしらえした野球部の晩御飯の材料をみんな捨ててしまうしで、変な純愛主義者という意味では二人とも同じ部類に入るのは確かです。

@「スレイヤーズ」
沢山の私のお気に入りのキャラクター達には、それぞれにまつわる名言・名場面が沢山あるのですが。その中でも特に忘れられないシーンが一つあって、それは
【TVアニメの『スレイヤーズ』シリーズにおける第3部作目にあたる『スレイヤーズ・TRY』という作品中で、敵役の『ヴァルガーヴ』という古代竜(エンシェント・ドラゴン)の最後の生き残りが、{第8話「用意周到! 計画は動き出した!」の中で、火竜王の神殿にいる『アルメイス』と『リナ=インバース』を探しながら}自分が黄金竜(ゴールド・ドラゴン)に殺されようとしていた所を『魔竜王ガーヴ』に救われた時の事を順次回想していくシーンがあり、その中の《投げやりな言葉を放つ『ヴァルガーヴ』とやり取りをしながら『魔竜王ガーヴ』が「そうだな、とりあえずは“生き残る”ためだ」~~~「そうでもねえだろ、“俺たちを殺そうとする奴らにとっちゃ、それが一番頭にくる事”だろうからな」と言う》名言の有る場面】
なのですが。私は生きている限りこの場面のこの名言を一生忘れそうにありません。

良い画像がなくてすみません【深夜】
*今日は(1月22日・日)
@「新田 由加」
漫画とアニメの『タッチ』の双方に、沢山の名言や名場面は有るのですが、私にとっては“とっておきの忘れられない”シーンと言える瞬間が一つ有って。それは、
【{アニメの第86話「負けてたまるか三回戦!エースの力を見せてやる!」・漫画の第19巻(10話目「悪いな、吉田」)のラストシーンの}明青学園が夏の甲子園予選大会3回戦で以前のチームメイトだった{『新田 由加』をめぐって『上杉 達也』とエースの座を争っていた}『吉田 剛』が投げる『佐田商』に勝った直後の、《敗れた『吉田 剛』が野球場から帰ろうとして球場の通路を独りで歩いている時に、そこに偶然(?)一人で通りかかった『新田 由加』が、すれ違った直後に『吉田 剛』の後ろから、声をかけるように通路に張られたポスターに書かれた(アニメでは自分で書いた?)文字を読む形で「ファイト!」と言って立ち去る》場面】
なのですが、「イヤ~。小心者の私にはとてもマネの出来ない芸当(!)」で、本物の優しさとはどんなモノなのかを教えられた瞬間でした。
@「風の谷のナウシカ」
最近テレビのCMで、『スティーブン・スピルバーグ』監督の『戦火の馬』をチョクチョク見るのですが。あれを見て『宮崎 駿』先生の漫画『風の谷のナウシカ』を思い出した人も少なくはないと思うのです。
『ナウシカ』が先生と呼んで慕(シタ)う『ユパ』から、{第一巻78ページで}初陣の戦場へ出発する時に贈られたトリウマの『カイ』を、「サパタの都城」をめぐる攻防{第三巻の後半}の中で死なせてしまって悲しむ『ナウシカ』を、トルメキアの兵士達が瀕死で走って来た『カイ』を称(タタ)えて慰めている時に、{私のお気に入りの}鉄の女(!)『クシャナ皇女』が立ち去りながら「あの馬、食糧にせず丁重に埋葬してやれ」と“自分から”部下に言う{小さなコマ割りの}名言のシーンが有るのですが。
たぶん第三巻が、漫画『風の谷のナウシカ』の最大の見せ場であり。『カイ』の死は、戦闘の惨(ムゴ)さと『ナウシカ』や『クシャナ』とその兵士達の想いを象徴した特別のモノであったと私は思うのです。
ただし、この『カイ』は、『ナウシカ』を乗せて「サパタの都城」へ帰ってくる途中で一度銃で打たれて倒れていて、その時に落馬した『ナウシカ』が{『ユパ』から譲ってもらった}キツネリスの『テト』をめぐって土鬼(ドルク)の僧兵と小競り合いになっていた最中に息を吹き返す事が出来て、『ナウシカ』と『テト』を乗せてそのまま「サパタの都城」まで走り切ってしまうのですが。この、『カイ』が復活するキッカケを作った『テト』が、『タッチ』の中で監督代行の弟『柏葉 英二郎』に唯一なつく『ノラの子犬』とだぶって見えると言うのは、私の{無茶な}穿(ウガ)った勘ぐりなのでしょうかね。

@「柏葉 英一郎」
話が『タッチ』の監督代行の件に触れたので、そこから話しを始めさせていただきますと、以前から少し気になっていた事なのですが。兄『柏葉 英一郎』の描かれ方が先行の漫画と追う形で作られたアニメで少し違っている理由がハッキリしないままであり、アニメの制作者側のテレビ局が業界の諸事情で「話しを単にやんわりとまとめてしまいたかっただけだ」というのが有力な理由ではあると聞いていたのですが。どうにも腑に落ちなくて、自分で色々考えてみて、
【『あだち 充』先生も当初から、漫画の中では伝説の名キャプテン『柏葉 英一郎』そのモノを虚像であると設定していた可能性が有り。兄『柏葉 英一郎』の後輩で弟『柏葉 英二郎』の先輩にあたる元野球部員達が{漫画の第22巻(5話目「幼なじみになろうね」)の中で}執拗に『柏葉 英二郎』監督代行の事を病気療養中の『西尾 茂則』野球部監督に告げ口していたのは、『柏葉 英一郎』が野球部キャプテンとして本当の意味での人望が有った訳ではなくて。『柏葉 英一郎』は強権的に野球部を統率していた俗物で、他の部員達からは{漫画の第18巻(5話目「兄弟なんてものは」と、6話目「だけど」の中で)実の弟の事を“クズ”と罵(ノノシ)り、『ノラの子犬』から吠えられる『柏葉 英一郎』に『浅倉 南』が不信感と嫌悪感を抱いたように}嫌悪されていた為に、『柏葉 英一郎』と入れ替わりに入学してきた弟『柏葉 英二郎』に対して執拗なイジメが行われたのだと想定していたからだとも考えられ。{漫画の第21巻(8羽目「あいつといっしょに」)や、第22巻(5話目「幼なじみになろうね」)の中に}『西尾 茂則』野球部監督が『柏葉 英一郎』や元野球部員達に「自分の“人”を見る目の無さ」を告白している場面が有り、ここで言う“人”の範疇には兄『柏葉 英一郎』は直接的の文言では含まれてはいないものの、入ってはいないと断言する事も出来ない深い表現が使われていて。私見ではありますが、『柏葉 英二郎』は俗物であった兄『柏葉 英一郎』の間接的な被害者であったと漫画では初期設定されていたはずなのです。
とこらが、テレビのアニメが漫画の連載中に始り、漫画へのモノとは少し違う意味合いでのアニメへの人気と期待が盛り上がってきて、兄弟愛を大事に描いている作品だと勝手に評論されてしまっていて。原則的にアニメが漫画と同一と言っても言い設定で作られていたモノであったために、先行する漫画で『柏葉兄弟』の仲が険悪なまま終わってしまうのはアニメの制作に不適切ではないかと、『あだち 充』先生自身が感じてしまい、閉塞感に苛(サイナ)まれたのか。漫画では苦肉の策で、『浅倉 南』が『柏葉 英一郎』に遭遇した{漫画の第18巻(6話目「だけど」)の中での}一件を最後に、それ以降の『柏葉 英一郎』の{回想は除いての}直接的・間接的な出番は意図的に一度も描かなかった様に思われるのです。
そしてそのおかげで、TVアニメでは{アニメの第87話「意外!?柏葉ロマンス!南に似ている恋心」の中で}『柏葉 英一郎』の奥さんであり『柏葉 英二郎』が思いを寄せていた『柏葉令子』が『浅倉 南』と出会い。{アニメの第93話「出た!?監督命令!心に傷持つ柏葉采配!」の中では}兄『柏葉 英一郎』は弟『柏葉 英二郎』のことを誤解していただけで、その誤解も解けた今では弟『柏葉 英二郎』が甲子園出場を果たす事に期待を寄せていると『柏葉令子』が『浅倉 南』に話しをしていて、{アニメの第82話「見えたぞ!柏葉兄弟のふか〜い謎」の中での}『浅倉 南』の『柏葉 英一郎』への不信感も誤解であったいう事であっけなく決着してしまったのですから。
私の想像が正しかったとするなら、漫画が連載中にテレビでアニメ化されるのも考え物だという事ですかね】
という結果に至ったのですが。これも私お得意の{無茶な}穿(ウガ)った勘ぐりなのでしょうかね。
@「夏目友人帳」
また最近の話しなりますが、新年早々から『夏目友人帳 肆(四)』がスタートして、私も毎週楽しんで見られる唯一のアニメがまた始まったと喜んでいて。その主人公の『夏目 貴志』は、普通の人には見えない「妖(あやかし)」が見えるという設定で描かれているのですが、私は特にその「“妖”(あやかし)という存在」の描かれ方に大変な興味があるのです。
それは、「普通は見えていないモノが私には見えている」と言えるモノが有って、それは第0013号にも詳しく書いた「多目的用途の『生きた水』や土壌改良用の『EM菌』などの“バクテリア群”」なのですが。この“バクテリア群”の活用方法や有用性についての具体的な話しは第0013号を読んでいただくとして、この場で私が何を言いたいのかというと、この人の目には見えない“バクテリア群”は、使い方によっては人間にとって、とても有用な働きをしてくれる性質のモノであるのと同時に、人間の制御の利かないモノの中にはとても危険な性質のモノも在るという事と。人の目に見えないために無用な警戒心を抱かれてしまっていて、一般にはほとんど全ての“バクテリア群”が雑菌と一括(クク)りで呼ばれていて、消毒の対象になっているという事と。一部の人間が“バクテリア群”の有用性の{秘密の(?)}恩恵を独占していて、それを元に金儲けをしたり、宗教を立ち上げたり、医療機関を名乗ったりと好き勝手に利用していながら、人間に仇なすモノには容赦をせずに、それが自然界でどんな役割を果たすモノなのかを斟酌(シンシャク)されずに人間の周辺から消滅させられているという事と。そして、この三つから分かるように「私が見えていると言っている“バクテリア群”」と「『夏目 貴志』が見えている“妖”(あやかし)という存在」がとてもそっくりであるという事なのです。
しかも、この“バクテリア群”の問題には、一筋縄では解決しない色々な要因も絡んでいるみたいで。過去に『風の谷のナウシカ』の作品中で、『森』とか『粘菌』とかを使って『宮崎 駿』先生が自然界における“バクテリア群”による{有害物質の}分解のサイクルと、無知な人間や身勝手な人間による「有用な“バクテリア群”への攻撃」や「“バクテリア群”への強引な干渉」の危険性を訴えた時に。欧米の{過激な『グリーンピース』などの}環境保護団体が支援金目当てに過激なパフォーマンスをしているのと同じで、売名行為や金儲けの為に環境保護を利用しているだけだと、露骨に非難された事もあり(私の周囲からも“虫唾が走る”という非難の声があたり前に聞こえた)。『夏目 貴志』が“妖”の事で、多くの一般人に理解されず、能力を独占する『祓い屋』と衝突する姿が、『宮崎 駿』先生が『風の谷のナウシカ』以降『スタジオジブリ』を立ち上げて、数々の名作アニメを世に送り出しながらも孤軍奮闘を続ける姿と、どうしても重なって見えてしまうのです。

さらには、我らが『あだち 充』先生の環境保護問題に対する独自の認識である、「環境問題に関わる豊富な知識や高度な技術を駆使してヘタな画策する事よりも、江戸時代のような『良質な日本的感性』が世の中に溢れている状況であれば、それ以上に環境に良い対策は他に無い」という文明への挑戦的な考え方が、漫画『虹色とうがらし』の中にハッキリ見られると第0009号でも書いたのですが。
『あだち 充』先生がそういった考えにいたったのも。「安定している“バクテリア群”に対してワザワザ“強引に干渉”する」ような“高度な環境技術”などよりも。日本の古い時代の“伝承や工夫”である「“バクテリア群”と“共存”する」という事の方が、環境問題の“真の解決方法”に近いのだと、早くから気付いていたからだと思うのです。

本日も、長々とお付き合いいただき有り難う御座いました。【深夜】
*今日は(1月28日・土)
@愛車『プチ フランソワーズ』
私は、現在自分が乗っている軽バンSUZUKIエブリイに、敬意を込めて愛車『プチ フランソワーズ』という愛称を付けているのですが。以前は4輪(自動車)ではなく2輪(バイク)にばかり乗っていて、{当時から}免許証が以前の中型限定であった事から、HONDANS400Rに{専門学校に通(カヨ)っていた}東京の新宿と、その後{地震が起こるまで}神戸に移り住んでいた時機に{10年間近く}乗っていて。当時は特にバイクに愛称を付けるという意識は無かったものの、カラーリングがロスマンズカラーだった事から、他人(ひと)に自分の乗っているオートバイを説明するのに漫画『バリバリ伝説』と同じ『NS400Rのロスマンズ』だと言っていました。その時は私もまだ20代と若かったので、ほぼ毎晩のように峠道へ走りに行っていて、一晩で走る距離は少ない時でも200km程で、多いときは300km以上走ることもざらに有った程でした。走りに行く先は、東京に居た時はほとんど奥多摩でしたし、神戸に居た時は六甲山か生駒山でしたが、今思うと{二度事故って救急車で運ばれたが}よく事故死しなかったものだと感心(寒心?)してしまいます。
【HONDA NS400R ロスマンズカラー】

その後は、神戸の大地震以後も同じ兵庫県の{被災地の}西宮に移り住み、年齢が30代以降になってからは『HONDAGB250クラブマン』などに乗り継いで、平成17年の夏まで2輪(バイク)一筋で『走り屋』人生を楽しんでいましたが。実家の都合で千葉県へ引っ越して来てからは、病気の親を病院へ連れて行く都合から4輪(自動車)を初めて購入し、去年の8月からは今の愛車『プチ フランソワーズ』に乗っています(軽四輪でしかも、“走りの練習の為に最近になってからですが”荷台の最後部に重量ブロックを100kg程{意図的に}敷いて負荷を掛けているのですが、この愛車『プチ フランソワーズ』はそれでも“速い”です。『フレンチカンカン』の絵が貼られた{ふざけた}白の軽バンを千葉(南房総周辺)で見かけたら、試しに煽って下さい、{昼間は通勤か親を乗せているのでダメですが、夜であれば}大歓迎です)。
【フレンチカンカンの絵】

【YAMAHA XJ650 スペシャル】

もう少しだけ2輪(バイク)の話しをしますが、『タッチ』でも須見工の『新田 明男』がYAMAHAの黒いオートバイ《漫画の12巻(2話目「勝って当然なんだよ」)でYAMAHAのロゴが確認出来る:XJ650スペシャル?》に何時も乗っていますし、私の仕事先でよく話しをする大学生達もみんなではないにしろ、そこそこの割合で2輪(バイク:原付含む)に乗ってはいるのですが、それでも最近は街中でも(山道でも)2輪(バイク)を見る事がほとんど無くて、{自分が4輪(自動車)に乗っていて言うのも変なのですが}なんか寂(サミ)しい気分です。また、木更津の友達が一人100ccのスクーターに乗っていて、「私もまた2輪(バイク)を買いたいと思っているので、その時は一緒にツーリングに行こう」と言ってもう3年位は経つのですが、まだまだ当分の間は買えそうになくて、すまないとは思っているのです。しかし、最近は『ブライス』のドール(プチブライスを8体購入)にまで興味が広がってしまい、それやこれやに結構な金額を注ぎ込んでいるせいもあって経済的に大変で、しかもこのブログの記入に相当な精力を費(ツイ)やしているので、まだしばらくの間は2輪(バイク)にまでは手を出せそうにありません。
【プチブライス フランソワーズ ファム】

【ネオブライス カンカンキャット】

最近感心を寄せている『ブライス』のドールシリーズには、愛車『プチ フランソワーズ』の由来となった『フランソワーズ・アルヌール』が主演した『フレンチカンカン』をモチーフにしたドールが2体有って、それがキッカケとなって『ブライス』のドールに興味を持ち始めたのですが、{ブログ第0033号にも書いたように}いつの間にかその『ドールの世界』にのめり込んでしまい掛けていて、愛車『プチ フランソワーズ』に何時も8体のドールを乗せて走っていますし。この『ブライス』のドールシリーズにはサイズで「ネオブライス・ミディブライス・プチブライス」の3種類に別れ、さらにはそれぞれのサイズごとに特有の種類のドールが沢山有り、そして着せ替えなどが自分の手作りで出来るのも魅力らしいのですが。私はこの《『ブライス』のドールシリーズ》がかもし出している人間臭さに引かれた様で、顔は種類ごとに人間の様に違っていて個性豊かですし、オリジナルの服が妙に顔とマッチするコトで世界中の人間の雰囲気をリアルに漂わせていて、一体一体がとても素敵でついつい“ドール達”と呼んでしまうくらいなのです。しかも、その反面としてこの“ドール達”は髪型や帽子や靴・小物に至るまで総てが純粋にファッショナブルで、女性として作られていながら女性の色気が無い為、男の私でもファッション性を純粋に堪能出来る作りになっていて、着せ替えの服をオークションでついつい買ってしまうのです。
【プチブライス スパンキーパンキー】

この『スパンキーパンキー』はプチブライスの傑作ですね!【深夜】
*今日は(1月30日・月)
@自律神経の昂(タカ)ぶりの緩和
このブログを制作しているそもそもの動機は、私が『場面緘黙症』であり、それによる仕事への障害も少なくはなくて、それを{少しでも}減少させて社会参加を目差すコトは困難の連続(!)ではあったが。それでも{少しでも}『場面緘黙症』の緩和に有効(?)だった工夫を広く公表して、私の様な『場面緘黙症』の人の助けに{少しでも}なれば嬉しいと考えたからなので。この機会に『場面緘黙症』の緩和に役立つであろう工夫を一度まとめてみました。
一つ目は発声出来ない言葉を避ける『代替え言葉の使用』であり、二つ目は『間』を意識して作り落ち着く事であり、三つ目は《『かつお節:3gや5gのパック』と『生姜:砂糖漬けや生姜湯』と『ビタミンC:タブレットやドリンク』の適量を3回に分けて毎日摂取》する事であり。どれも健常者にしたら{苦になりそうには感じられない}あたり前の事なのかもしれないのですが。しかし、発声出来ない言葉を避けられない状況で発声困難に陥ってしまうから『場面緘黙症』であるのだし、『間』を作ったらそのまま5秒~10秒間は“しかめっ面のだんまり”状態で固まってしまうし、何かを食べたからといって発声困難が解消するなら{確かに}苦労は無いのである。
ならばいったい何が言いたいのかというと、私があげた三つの事は一つ一つでは確かに効果が薄いのですが、三つの事を一緒にやってみると{私的には}そこそこの効果が期待出来たという事なのです。《全ての『場面緘黙症』の緩和に役立とは限りませんが、まったくの無駄骨であるという事もないと思います》
そして、私が今回特に紹介したいのは三つ目の《『かつお節』と『生姜』と『ビタミンC』の摂取》なのですが、私はこれによって《自律神経の昂(タカ)ぶりの緩和》がうまく出来る様になったみたいで。『場面緘黙症』の症状の緩和だけにおさまらず、自動車の運転が正確になったり、部屋の掃除が効率的に出来るようになったり、他人への嫌悪感が激減したりしているのです。《毎日食べてこまめに摂取するだけなので、皆さんにもお勧めです》【深夜】
*今日は(2月4日・土)
私は夜寝ていてチョクチョク『金縛り』になるのですが(昨晩も『金縛り』なったが)、そういう夜はインド・ネパールの《古典的》な民族音楽を集めたCDを《一晩中リピートのまま》掛けっ放しにして寝る事にしていますし、『金縛り』になりそうな気がした晩は寝付く前からCDを掛けっ放しにして寝ていますが、インド・ネパールの音楽CDを掛かっている時に『金縛り』になった事は一度もありません。
インド・ネパールの音楽CDは全て『TIRAKITA:ティラキタ』のインターネット通販で購入していて、種類が多くて助かっていますし。この『TIRAKITA』で『お香』もたいていは購入しているのですが、種類は多いものの値段が若干(ジャッカン)高いので、特に大量に購入する場合は{一部ですが}『楽天市場』で安い所を探して購入しています。【10時半すぎ】
*今日は(2月7日・火)
最近少し風邪ぎみなので、『生きた水』のスプレー(第0013号参照)を鼻に吹き込んでから鼻をかんでいますが、鼻がすっきりして気持ち良く、鼻詰まりや鼻水が解消して助かっています。みなさんもお試しあれ。【早朝】
*今日は(2月12日・日)
今朝、目が覚めて昨日の「『星野富弘』さんの『花の詩画展』」の事を思い出しながら、『まつたけ』や『すずめ』や『豚』といった“意味の濃い”詩画の事や、『ペンペン草』や『菊』や「母親の描いた『二匹の魚』の墨江」などの“母子”(キリスト教の“五つのパンと二匹の魚”?)がテーマの詩画の事を、色々想像して考えていたのですが。そうしていると、ふと変な“違和感”が会場にあった事が思い出されてきたので、少し問題提起してみます。
それは、この『詩画展』が“紳士淑女たちの社交場”になっていて、「障害者の事を考える」というお題目は掲げられていたものの、大半の来場者であった“高学歴のお金持ち風”の人達からは、『詩画鑑賞』を“教養”と位置づけて“感傷的”に賞讃(ショウサン)している声ばかりが聞こえてきましたし。『詩画展』自体のセッティングもそんな紳士淑女たちの“虚栄心”を満たすためか、「世界へ羽ばたく『星野富弘の詩画』に触れる」を強調した上品な構成になっていて。心身の障害で一方的に差別される障害者たちや、偏見の中で貧困にあえぐ社会的弱者たちの“希望の光り”であり、彼らの《多くの不安や不満と『小さな幸せ』を代弁している》という、「『星野富弘』の詩画の存在意義」の本当の価値がまるで見えてこなかったのです。しかし、だからと言って『星野富弘さんの詩画』の価値が下がるワケではなくて、逆にそういうふうに{光り輝いて}在るコトが「『星野富弘』の詩画の存在意義」の大事な部分である事に間違いはないのです。奥が深いですね(!)
【まつたけ】

【すずめ】

【豚】

【ペンペン草】

【菊】

【八時半】
*今日は(2月22日・水)
去年の年末に犬の散歩の途中の山道で偶然に拾った、握りコブシ程の大きさの軟体でほぼ無色透明な『バクテリア体』を、植木鉢の中で今も飼育しています。私の『生きた水』を大量にかけると一時的に溶けて消えてしまうのですが、数日でまた枯葉の下で塊になって再生していて、なかなかに面白い生き物です。変形菌の一種ではないかと思ってチョクチョク調べてはいるものの、この『バクテリア体』が何モノなのかは未だに分かりませんが、人間の毒になりそうではないので今は静観している状況です。暖かくなってきたらどうなるのかが楽しみです。【昼すぎ】
*今日は(2月24日・金)
アニメ『夏目友人帳』の中の“妖”(あやかし)のように、私の『生きた水』は私の周囲の生活環境を劇的に改善してくれていて、『生きた水』抜きの生活は考えられないぐらいなのに。『生きた水』の【バクテリア群】は誰にも見えず、私以外の誰も『生きた水』とその【バクテリア群】の活躍にまったく気が付かず、誰も関心を抱く事がありません。不思議!不思議!【お昼】
*今日は(2月25日・日)
よくあるアニメの設定で、妖精とかが主人公などの主要登場人物にしか見えないというモノがあり、『夏目友人帳』や『ちっちゃな雪使いシュガー』そして『カスミン』や{言葉を話す猫}の『みかん・絵日記』もそうなのですが、自分(達)だけが承知しているという事が大問題になったりしていて、それがそういうアニメの面白い所だったりするのですが。私も、自分が振り撒(マ)いている『生きた水』が惜しくて、台所の“流し”にいらなくなったポットのお湯を捨てるのを躊躇(タメラ)って、外に捨てに行って不思議がられたり。かつお節の3gパックを持ち歩き、薬を服用するように袋からそのまま食べてから、ニコニコしながらみんなの後始末や掃除を一人でやっていて不思議がられたり。簡易の個包装されているペーパードリップコーヒーを飲む時に、お湯を始めに注(ソソ)いだ後の蒸らし時間より、お湯を注ぎ終わってからのペーパードリップの部分をお湯に浸(ヒタ)しておく時間のほうが長くて不思議がられたり。下ネタが苦手で堅物に見えるのに、自分の車に『フレンチカンカン』のスカートを捲り上げてお尻を突き出している絵を4枚も貼り付けていて不思議がられたり。軽自動車の荷台後部に全部で100kgにはなる重量ブロックを何時も敷き詰めて、危険だし燃費も悪いからと指摘されているのに無視していて不思議がられたり。パソコンをやってブログも書いているのに、自分のケイタイでメールも出来ないし、カメラも使えないでいて不思議がられたりしていて。自分で{そんなに不思議がられている}自分が面白いと思っているのですが。
自分の『場面緘黙症』だけは如何(イカン)ともし難くて。突然声をかけられて『場面緘黙症』対策を思い出せなかったり、大勢人数を相手に挨拶をしていて『場面緘黙症』対策の効果が無くなってしまったり、突然かかって来た電話に応対しないといけないハメになったり、ワンパターンの定時連絡のような電話報告を立て続けにしたりした時に、どうしても数秒ほどの発声困難な状態に陥(オチイ)ってしまいますし。そういった時の“不思議がられよう”はどうしても面白いとは思えないのですが。ただ不思議な事にその瞬間は、腹を立てたり悔(クヤ)しがったりする事が出来ず、ただただ『後ろめたく』そしてひたすら『気がとがめて』しまって、《躊躇(タメラ)い》の気持ちのせいなのかどうしても口から声が出せないのです。
皆さんにも「『後ろめたく』そして『気がとがめて』しまって、その《躊躇(タメラ)い》の気持ちのせいで口から声が出てこないという状況」が解ってもらえたなら、『場面緘黙症』の人も気が楽になって、少しは発声困難が緩(ユル)むかもしれません。【20時】
*今日は(3月6日・火)
一昨日の日曜日に《以前から“夕食抜き”にしていて、それが原因で母親と言い争いが絶えなかったので》その“気分転換”をしに宮城県へ日帰りで行って来ました{被災地のレポートは別のテーマでブログ第0042号を新規開設した時に記入するつもりにしています}。
その道中では愛車『プチ フランソワーズ』を運転ながら、気晴らしに持ってきていた{『天地無用』や『万能文化猫娘』や『デジキャラット』や『おジャ魔女どれみ』などの}お気に入りのアニメ関係のオリジナルCDを何枚も聴いていて。その帰り道でも渋滞の仙台をやっと抜けて東北自動車道を東京方面へと向かいながら福島県に入ったぐらいの頃に、『サクラ大戦』関係のCDからチェンジして、アニメ『カードキャプターさくら』に関する曲を集めてあった{10年近く以前に作ったオリジナルの}CDを聴こうとしたところ、そのCDの一曲目に主人公の『木之本 桜』の声優である『丹下 桜』さんのアニメとは無関係のアルバム『Alice』から{作詞:丹下桜、作曲:宮島律子、編曲:吉田潔}の『ハッピーアプローチ』が“なぜか”チョイスされていて、あのハッキリとした歌声と明快な歌詞のリズミカルな曲が心地よく流れてきたのです。
『丹下 桜』さんのアルバムは3枚持っていて、昔からよく聴いたので、『カードキャプターさくら』のオリジナルCDを作るときに《主人公の声優が誰なのかが分かるようにと昔は考えたのか、『カードキャプターさくら』関係のCDを8枚も買って持っていたのに、『丹下 桜』さんのアルバムから“わざわざ”この1曲だけを選んで》思い切って1曲目にしたようなのですが。その時の《鬱々(ウツウツ)》としていた私にとってはまさに【奇跡のチョイス】であり、そのままこの1曲だけを少なくとも3時間はリピートして聞いていて、千葉の家に帰りつく頃には問題となっていた『夕食抜き』への拘(コダワ)りも薄れていたため。心配して私の帰りを待っていた母親に「明日から『夕食抜き』は中止しますね」とスッと言えてしまって、{長引いて拗(コジ)れる可能性の高かった}個人的に意地を張っていた『夕食抜き』騒動であったが、思ったより《あっけなく》一段落(イチダンラク)がついてしまいました。
昨日の朝に急いで『丹下 桜』さんのアルバムから『ハッピーアプローチ』を含む{昔からよく聴いていた、『Little Wing』や『tick away the landscape...』や『女神たちの夜明け』や『Journey Into Myseif』や『Brand-new everyday』や『未来からのエアメール』や『Neo-Generation』や『MAKE YOU SMILE』や『Be Myself』などの}15曲と、『カードキャプターさくら』のサントラ盤から『しあわせの魔法』と{大道寺知世:岩男潤子と一緒に歌う}『あなたといれば』の2曲から成るオリジナルCDを作って、{昨日、今日と}愛車『プチ フランソワーズ』での仕事の行き帰りで早速(サッソク)聴き、幸せ気分を満喫(マンキツ)するコトが出来ましたが。「歌で幸せになれる」って聞くと安っぽい人間の戯言(ザレゴト:タワゴト)か商業主義の宣伝文句と感じる人も多いかと思いますが、「自分が幸せに成ってみないと、それがどれほど困難で可能性の低いモノであるのかというコトも分からず、そしてそれがチョットした偶然で手にするコトが出来てしまう【奇跡】が起こる事もあるのだというコトを知る事も出来ない」というのも事実で。それが《人が幸せに成るコトの難しさ》を端的に言い表わしているのだと思うのです。


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