ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

31.ちび猫が見付けた『時事問題』の自由議論(1)

2011-10-06 | 現代病理
第0031号


*****(制作終了)*****


『ちび猫のつぶやき』のホーム ページ





~~~第0031号の続きは第0055号へ移りました~~~







平成25年度版(1)







・現代社会とは、檻(オリ)の中に篭もる、飼い犬の集団【7月9日・火】


真正な『自然法則』の『E=mc²の法則の普遍化』や『生命と生命群の意義』などの“全容”が『封印』され、【E=mc²の変換式】や【遺伝子の意義】などの“部分解禁”が《魔法》のように扱(アツカ)われ、最先端の科学技術に携(タズサワ)るエリートが【魔法使い気取り】で悦(エツ)に入り、人々は【旧態依然の科学レベル】で災(ワザワ)いの渦中でさ迷う。

真正な『価値』の『決済からの自由な入退場』という“全容”が『封印』され、【お金の決済】という“部分解禁”が《魔法》のように扱われ、高度で巨大な世界経済に携(タズサワ)るエリートが【大賢者気取り】で悦(エツ)に入り、人々は【一律なお金の決済】に追われる渦中でさ迷う。

真正な『天の恩恵』の『様々な自然の恵み』という“全容”が『封印』され、【神仏の加護】という“部分解禁”が《魔法》のように扱われ、国や民族をまたいだ世界宗教に携(タズサワ)るエリートが【預言者気取り】で悦(エツ)に入り、人々は【神仏の加護の義務】に明け暮れる渦中でさ迷う。


単に《エリート科学者》や《自由市場経済》や《既存の宗教》を非難し排除しただけでは、別の《エリート》による新たな災いを増やすだけである。

人間の一人一人が、真正な物事の“全容”を掘り起こし、“部分解禁”を《魔法》のように扱う幻覚から目覚め、エリートの特権行使に振り回されない自覚を持つ事が大切となる。


現代社会とは、檻(オリ)の中に引き篭(コ)もって、外界の“全容”から目をそらしている、飼い犬の集団である。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・経済活動の為に働き、自分を見失うマヌケ【6月29日・土】

たとえば、車をただ速く走らせているだけでは、車メーカーの宣伝をしているだけである。

ゆっくり走って、色々な所へ行き、様々な経験をするだけで、自分らしさの確立と発揮になる。


そして、お金を使うのも、ただ高価なだけのブランド品を購入して身に着けているのであれば、メーカーの広告塔になっているだけである。

金額やメーカーに拘(コダワ)らず、手に入ったモノで、【時間】を掛け、【労力】を費(ツイ)やし、惜(オ)しみなく【考えるコト】をつぎ込んで、何かをするという事で、自分らしさの確立と発揮になる。


乗っている車のイメージに縛(シバ)られて、スピードを出すのはバカだが、メーカーの宣伝におだてられて、高価なブランド品を買いあさるのは、大バカだ。

高級車に乗っているからといって、自分が偉(エラ)くなった気になるのはマヌケだが、経済活動は人間の高度な知性の産物(サンブツ)だと聞かされて、使役されているのに悦(エツ)に入るのは、大マヌケである。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・人間を喰らう《経済》【6月26日・水】


『お金』とは、賭博場(トバクジョウ)やゲームセンターなどで使える『チップ』と同じである。

人間は、【自分の時間】や【自分の労働】や【自分の思考】を“担保”に『お金』を得ている。

どれほど『大金』を持っていようと、どれほどの『大金』を使おうとも、一度“担保”に差し出して失った【自分】を取り戻す事は出来ない。


世界中の人々が、『お金』のために、毎日欠かさず【自分】を“担保”に差し出す行為によって、《世界経済》が維持されている。

《世界経済》の拡大のために、世界中の隅々(スミズミ)で、より大量の人間が、【自分】を“担保”として差し出される事を求められている。

『お金』により人の夢が叶(カナ)うとか、《経済》によって人々の生活が潤(ウルオ)うと言うのは、人間を唆(ソソノカ)して《経済》に喰らわせる、人類への裏切りである。


俺が《極悪人》になればいいんだろ(!)、《極悪人》に(!)。・・・クソ(!)、俺は必ず死んでやる(!)、フン(!!)。





・「足して2で割ったら、ちょうど良い」だと(!)【6月24日・月】


世間では、『右派』も『左派』も、「足して2で割ったら、ちょうど良い」と言って、過激な事ばかりを言う。

両方の溝(ミゾ)はどんどん深まり、対立も深まって、言動は乱暴になるばかりだ。

どちらが主導権を握(ニギ)っても、日本をおかしくするだけだ。

もはやこの日本に、まともな主張をする勢力は、存在しない。

まともな事を考える、日本人も、存在しない。

俺が《極悪人》になればいいんだろ(!)、《極悪人》に。・・・クソ(!)、必ず俺は死んでやる(!)。





・ガタガタ言うな(!)【6月21日・金】


日本人は、世界の平和と繁栄のために、一生懸命に頑張っているんだ(!)。中国や韓国よ、ガタガタ言うな(!)。

中国や韓国にとっては、日本人が悪徳であるコトが、望ましい姿であるようだ、クソ(!)・・・。

俺が《極悪人》になったらいいんだろ(!)、《極悪人》に(!)。





・焦る人類の失敗【6月18日・火】


昨晩のNHKの『クローズアップ現代』という番組で、《人工光合成》について【夢の技術】として紹介されていました。『『E=mc²の普遍化』と『自然のバクテリア群』を踏(フ)まえてねの≪『質量』と『力量エネルギー』と『放射エネルギー』と『原子時計』の問題≫がまったく手つかずのまま謎だらけで、≪生物にとっての『地球環境』と『太陽光』と『二酸化炭素』の関係≫や≪宇宙にとっての『核エネルギー』と『放射能』と『物質の時間』の関係≫についての人々の関心も薄く、≪過剰消毒により病原体が薬品耐性化している問題≫や、≪原子力発電によって高放射性物質が量産されている問題≫に科学技術者たちが手を焼いている状況であります。このまま《人工光合成》の研究を焦って続ければ何が起こるか分かりません(!)。





・『自由市場経済』という賭博【6月16日・日】


「緩やかな進歩が長く続いた後に、段を上がるような進歩の飛躍(ヒヤク)が起こる」とする『科学革命』を“隠れ蓑”にして、『見掛けの進歩』を緩やかな進歩だとして肯定し、『見掛けの進歩』を賭(カ)けレースにした賭博(トバク)を行い、世界中の人々が身を削って獲得したお金を投資という名目で集めて、最後まで資金を投入し続けられた所が総取りして一人勝ちするのが、『自由市場経済』のシステムであります。

『ips細胞』や『ヒッグス粒子』や『核エネルギー』などの先陣争いは、『見掛けの進歩』の賭けレースでしかなく、日本を始(ハジメ)とする色々な国の様々な研究チームが新発見や新開発を競い合っているが、最後に資金を大量投入できる『胴締め』が、結局は全ての利権を独占してしまうのです。


そして、日本には、「この『自由市場経済』という賭博の胴元は、戦後の日本に『日本国憲法』を押し付けた、『世界戦略を企むユダヤ財閥』であり、この陰謀に打ち勝つには、武力を厭(イト)わない戦前のような帝国主義が欠かせない」と考える人たちがいて、

「こういった『人種差別と宗教への偏見』や『戦争肯定論』が嫌(イヤ)なら、ムザムザと賭博にお金をつぎ込んでしまうだけだが、もし勝ち組に加わりたいのなら、真剣に『人種差別』や『戦争肯定論』を容認し、同じ思想の仲間を増やし、資金の拡充に協力する必要がある」と大袈裟(オオゲサ)に言いふらしているモノだから、

身動きの取れなくなった一部の一般庶民が焦(アセ)って投機に走り、その多くが大損(オオゾン)して破綻(ハタン)に陥(オチイ)っているのです。


しかも、自国の期待を背負って研究の先陣争いに明け暮れるエリート科学者・技術者たちが陥っている、『見掛けの進歩』の賭けレースを続行するための巨額な浪費は、エリートの名誉がかかっている問題なので、到底改善・解消されそうもありませんから。

結局は、明るい未来を提示している『自由市場経済』の幻想から一般庶民自身が目を覚まして、数百年に一度の『科学革命』を反面教師に、『パラダイムシフトのシフトチェンジ』を用いた『他力本願』や『自己正当化の言い訳』から脱却し、『自然のバクテリア群』や『E=mc²の普遍化』のような“埋もれた真実”の存在と向き合って、『進歩のやり直し』を現状と並行して行う『進歩の多軌道化』を受け入れる苦労を引き受けてくれる事に、今は期待するしかないのです。


『人種差別と宗教への偏見』や『戦争肯定論』を公然と主張しての日本の賭場からの退場や、『人種差別と宗教への偏見』や『戦争肯定論』を容認できない者たちによる投機経済への楽観的な参入や、『ips細胞』や『ヒッグス粒子』や『核エネルギー』などの『見掛けの進歩』の賭けレースの先陣争いをするエリートたちの名誉を賭けた研究・開発などをいくら頑張ってやったところで、『自由市場経済』という世界的賭博システム内での日本の《安易な逃げ》や《逃げ切り勝利》など、決して許されるモノではないのですからね。





・『神』と『天』と『宇宙人』の存在【6月9日・日】

みんなで『一本の道』をやって来て、これからも『一本の道』をみんなで進んで行く時に、以前なら『神』の審判や、『天』の裁定の事を言えば、以前ならみんなは我慢して協力し合ってくれたものなのだが。

近代化以降の人たちは、『神は死んだ』とか、『雲の上には宇宙が広がっている』とか言って、『神』や『天』への畏敬の念を抱かなくなってしまったので。

今時は、『宇宙人』の存在による地球や人類の監視を言って、人類に理性的な行動を促(ウナ)がそうとする新たな試(ココロ)みが、色々と行われているようなのですが。

「みんなで『一本の道』をやって来て、これからも『一本の道』をみんなで進んで行く」という『一本道信仰』の課題に、人間が真面目に一生懸命取り組んでいるうちは、理性が仇(アダ)になって、人類が本当の意味での進歩を遂(ト)げる事は決して出来ないでしょう。





・生真面目な『一本道信仰』の困った人々【6月7日・金】


この世の中の人々の多くはけっこう生真面目(キマジメ)で、「今までが『一本の道』で、今後も大勢の人間が『一本の道』で進んで行かなくてはならない」と考え過ぎてしまい、イジメが横行(オウコウ)していても我慢したり、ちょっとした事でも過敏に反応して騒ぎ立てたり、何でもない事で悲観してしまいすぐに逃避してしまったりするようなのです。


しかし、もっと困った人たちもまだまだ沢山居て。日本の新聞業界において、「右派の考えが、戦争を企む他国への〝唯一の”抑止力になる」と主張する産経新聞や読売新聞と、「左派勢力という名の下での関係の構築が〝唯一の”平和の礎になる」と主張する朝日新聞や毎日新聞とが対峙し。歴史認識の問題や、今後の日本の未来像などの違いで、相容れない対立関係にあるようなのですが。

もっと根本的な歴史認識をフレキシブルにやり直して、今の日本の在り様を客観的に批評し、もっと幅を持たせた日本と世界との関係の未来像を多軌道で想起して、今後の日本の在り様を柔軟性に富んだ多方向なモノにして行くという適当さと曖昧さが、生真面目すぎて容認できないようなのです。





・『一本道信仰』の落とし穴【6月6日・木】


「今までも、沢山の分かれ道や曲がり角で悩みながら、頑張って『一本の道』を作ってやって来たのです。これからも、色々な事があるかもしれないが、当然『一本の道』を作って進んで行くのです」といった『一本道信仰』とも言える無自覚な自己確信が、人類のあらゆる過(アヤマ)ちの大元である。


「今の積み重ねの先に未来があり、頑張った分だけの未来が誰の所にも平等にやって来る」や、「進歩はやり直しの効かない先頭争いである。やり直しを繰り返して思い通りの未来がやって来るのを待っていたら、原始時代から何時までも進歩しない」などの多くの『言葉の道理』に、

どれ程の意義や正当性があるのかを、人間はもっと自分の理性を疑いながら、客観的に“今”の物事の在り様を検証する必要があるのに。

「『勝てば官軍、負ければ賊軍』は、逃れようの無い不正義の真理」だと言い広められ、『言葉の道理』に無抵抗降伏した文明が形成され、カルト宗教集団のような『先進的文明社会』が構築されて。

『言葉の道理』に合致する事に勤(イソ)しむばかりで、自分の傍(カタワ)らの真実に気が付きながら、「賊軍の残党狩りにあうのはゴメンだ!」と言わんばかりに見向きもしない、『先進的文明社会』に寄生する社会学者や科学者が堂々とのさばっていて。

この世の中は、とんでもなく可笑しな状況に陥(オチイ)りながら、誰も『進歩のやり直し』や、『進歩の多軌道化』の必用性に触れず。多くの有用な真実が、無造作に『言葉の道理』の真理の影に放置され、誰の目にも見えたままで埋もれているのです。


来た道も『一本の道』であり、この先も『一本の道』をみんなで進まなくてはならないのだと、誠実に考え過ぎてしまうと。

優秀な学生ほど、社会に有用な人間になろうと、学歴を高めるべく勉学に勤(イソ)しみ、真面目な社会人ほど、社会に貢献しようと、キャリアアップを目指して仕事に励(ハゲ)むばかりで。

学問そのモノの成り立ちが間違っていて、社会の進む先が可笑しな所だと分かっていながら、その過(アヤマ)ちを誰も正せなくなってしまうのです。





・『反日との戦い』は何時まで続く【3月1日・金】~【3月2日・土】



*敵は『反日』であって、国家でも人民・民衆でもない


『反日との戦い』には『テロとの戦い』や『犯罪の取締り』と同じ“三つの覚悟”が必要となります。

1つ目が、「テロリストとの交渉はしない」や、「犯罪者との取引はしない」と同じ理屈の、「反日活動に譲歩・妥協はしない」で。毅然(キゼン)とした態度を取る事で、≪反日活動を不当に行っても何も得するコトは無い≫と反日を煽動(センドウ)する活動家に思い知らせる必要があるのです。

二つ目が、「地元社会と良好な関係を築く」や、「地域住民と信頼関係を築く」と同じ理屈の、「アジア緒国の人民・民衆と親密な関係を築く」で。一般住民を親日に取込む事で、≪反日活動の『不利益』・『非道さ』・『違法性』は常識である≫と周知(シュウチ)されて、反日活動家の存在・活動が浮き上がり、反日煽動の抑止となるのです。

三つ目が、「安定して継続した支援」や、「一過性で終わらない取組み」と同じ理屈の、「一貫性を失わない日本国・日本人のアジアを軸足にした姿勢」で。

損得や情勢や欧米の意向などに右往左往しない事で、≪日本は信用できる≫と承認されれば、反日煽動の効果が薄まり、反日活動家も減少していくのです。



*島国ならではの道理である『日本ナチズム』は、大陸では非常識


とかく日本人は、【平家の滅亡は源氏を根絶(ネダ)やしにしなかった為】だとか、【徳川幕府の安泰は豊臣の血筋を根絶(コンゼツ)したから】だともっともらしく理屈を披露するのですが。

『コンラート・ローレンツ』の著書である『攻撃』を読んだ人なら解かると思うのですが、動物の【攻撃性】は同種類の動物の個体や集団が、住み分けを確保して生きて行くのに発揮されるモノであり、自分(自分達)だけが繁栄しようとして、他を根絶してしまうような性質のモノでは決してなく。

世界の歴史においても、大帝国と言われた国家は、多様な民族や宗教の独立と権利をある程度認めていて、特定の民族と宗教だけを守ろうとして他の民族や宗教を一方的に弾圧した国家で繁栄を長続きさせた方が{島国などでの}例外であり。

日本的な道理である「根絶やしは賢い勝者の証」と言うのは、世界的に言えば“非常識”極まりないモノであります。



*“神国の民”という誇り失った理性無き日本国・日本人


今の多くの日本人の歴史観は、『ヒットラー』の掲(カカ)げた『ナチズム』と同じ道理のモノであり、そのような『日本ナチズム』を堂々と『正論』と称してアジア緒国(人民・民衆)と対峙していて、反日活動が無くならないと不満を漏らしているのです。

さらには、最近は≪有事を予見した際の敵基地への先制攻撃も防衛の範疇(ハンチュウ)だ≫と堂々と新聞の一面に掲載されるようになり、日米安保を持ち出して有事の際にはアメリカは日本側を支援してくれるとアジア緒国(人民・民衆)に対し恫喝(ドウカツ)を繰り返しているのです。

これが『攻撃』で出てくる住み分けを確保する為の【攻撃性】の発揮であり、戦争抑止の為の【ハッタリ(核抑止力と同類のモノ)】であったとしても、

≪どこかの『漁夫の利』を狙うやからに、理性の裏付けとなる“神国の民”という誇りをこっそり傷つけられ(失い)、剥奪(ハクダツ)された天(神仏)の恩恵・加護を取り戻すしか回復の手立ては無いと{言われるがままに}思い込んでしまい、アジア緒国(人民・民衆)との神経戦(消耗戦)へとそそのかされてしまって≫

このような下策の潰し合いを何時までも続けるしか日本国・日本人に出来ないのであるなら、『反日との戦い』の泥沼化は改善されず、日本側(理性無き国家・国民)の損失は計り知れないモノとなるでしょう。





・『反日との戦い』を泥沼化させた日本人【2月28日・木】


産経新聞に限らず、どこの新聞もテレビでも、『テロとの戦い』が国際社会の主要課題の一つだと必ず上げますし。

欧米のメディアが「テロ活動は社会生活に付き物の犯罪組織と同じで、完全に無くそうとしても絶対に不可能だが。

上手に民衆と付き合いながら≪貧困を無くしていき庶民の生活を豊かにして、テロ組織に流れる人材を減らし。市民生活に根ざした支援を積み上げて、テロ活動が反社会活動だと市民レベルで認識されるように努め。

地域文化に溶け込んだ付き合いを心がけて、テロ活動の摘発への協力を自主的に行ってもらえるようにする≫という事を目指せば、テロ活動の減少と防止に大きな効果が有ると期待できる」と発信すれば、力尽(チカラズ)くだけでは何も解決出来ない難しい時代がやって来ているが、やり方を間違えなければたとえイスラム世界のどの国であっても、相応の効果が期待できるだろうと、日本人の多くが共感する事と思うのです。

≪例外も少なからずいるかと思いますが、そういう方たちは、下記の強硬なアメリカ国民の共感者だと理解して下さい≫



しかし、日本と日本周辺に目を向けると、そんな悠長(ユウチョウ)な事をアジア緒国(韓国・中国・北朝鮮)を相手に言っている人間は完全に少数派でしかなくなり、信義を持って付き合うに値しない非国民・売国奴であるとさえ言われかねない状況であります。

北朝鮮の国民がどれだけ貧困に苦しみ何万人も餓死者が出ていようと、経済制裁で貿易を制限している事に異論を唱える事は不可能ですし。

中国で直接的に中国人民に支援を継続して行い、中国政府と日本が事を構えても中国人民は日本を支持してもらえるようにしようと言っても、敵に塩を送っても敵を付け上がらせてしまい、敵対行為を煽(アオ)る効果しかないと一笑に付されるし。

韓国文化を日本で尊重の対象として丁重に取り扱い、何があっても日本は朝鮮文化の支持者だと認知してもらって、歴史認識問題や領土問題が友好的に解決される事を目指したらどうだろうかなどと言おうものなら、それこそ非国民・売国奴などとして糾弾(キュウダン)されてしまい兼ねません。



欧米から『テロとの戦い』と『反日との戦い』は同じようなモノで、民衆を敵に回しているから反日運動が何時までも減少できないのだと指摘されていると知ると、いわれの無い反日運動のために日本国・日本国民が侮辱されるのは我慢なら無い(!)と叫び、続いて大陸のヤツラ(人間以下の存在)は皆殺しだ(!)と叫ぶ人たちばかりです。


アメリカが『テロとの戦い』で力尽(チカラズ)くな所が無くならない理由でもある、『イスラム原理主義』を相手にした『テロとの戦い』で「『キリスト教世界・キリスト教徒』の優位を知らしめて『イスラム世界・イスラム教徒』を平伏(ヒレフ)せてしまえばいい」といった強硬姿勢を主張するアメリカ国民が少なからずいる事(過半数を超えるかもしれない)が大きくて、結局アメリカは何時までもズルズルと『テロとの戦い』で苦戦を強いられ、泥沼化させてしまっているのです。


日本国もアジア緒国(国民)を見下し敵視する事が{日本人の圧倒的多数で}止められないようですから、『反日との戦い』ではまだまだ苦戦をしいられるでしょうし、泥沼化も当分は収(オサ)まりそうにそありません。





平成25年度版【宣言】『時事問題』(心の痛みを忘れた日本人)


産経新聞を読んでいると何時も心が痛むのですが、中国や北朝鮮や韓国・台湾といった日本を取り巻く東アジアの国々について、ひどい事を平気で起こしていながら他国の支援を干渉と突っぱねる国だとか、国際支援を文化的侵略と言って拒んでいて臨戦態勢を崩さない国だとか、国家や大企業の国際戦略を見越した論理ばかりが先行していて普通に生きている庶民の本音がかき消されている国だとか、大国の脅威に脅えながら手探りで対応策を模索していて庶民に政治的自由が無い国だとか言い、善良な日本国と日本人が食い物にされようとしていると危機感を煽るばかりで。

相手の国の中で国民がどれほど苦しみ我慢を強いられているのかをさして取り上げず、日本の強行姿勢や冷たい対応が相手国で国民が国家によって縛られる原因となり、自由を求める相手国の国民の切実な思いを無残に裏切っている事については一切触れようとはしないのです。


しかもこういった姿勢は、原発の賛否をめぐる問題やスポーツ教育における暴力の問題などでも、産経新聞は容赦なく徹底していて。原発の稼動は国家存亡の高度な問題であり国民の議論に委(ユダ)ねられて良い問題ではな

いと言うばかりで、福島の原発事故で苦しみ我慢を強いられている人たちの状況や言葉には一切触れようとしていませんし。

スポーツ教育における暴力はスポーツで成功をおさめたい個人の為に国家が擁護してあげなくてはならない仕組みであるという理屈を論理立てて、暴力が横行する中での差別や挫折に苦しみ我慢を強いられている子供たちやスポーツ選手の切実な思いについても一切触れようとはしないのです。

(表面的に取り繕う記事も時々は見受けられますが、何時も一過性のモノばかりで、逆に不愉快になるばかりです)
しかしこういった傾向は、多かれ少なかれ日本のどのマスメディアにもあって、朝日新聞の記事やNHKのニュースの中にもチョクチョク見うけられますので、この傾向は残念ながら日本人の民族性であると言えるでしょう。

今後は良い悪いをいくら言っても、日本人の民族的な限界もあるだろうから、気長に問題点の告発だけを続けて行こうと思っていますので、どうかご了承下さい。





愚痴①【2月6日・水】~【2月7日・木】(軍国化への道を模索する日本)


大阪での高校生の自殺や女子柔道日本代表での告発によって体罰問題が過剰に取り上げられているが、最近の“軟弱”な若者に昔の“古き良き時代”のスパルタ教育の“愛情”が理解されなくなってしまったという問題で、《オリンピック招致への悪影響》や、《熱血指導者への“魔女狩りみたいな”過剰処分》や、《大相撲で日本人が横綱になれないばかりか優勝も出来ないような状況が日本のスポーツ界に加速して広まって行く事》が懸念されると嘆(ナゲ)く人が巷(チマタ)にあふれています。


これと似た発想で《内部の引き締め》と《外部への排他的実力行使》を実施している組織が『イスラム教原理主義組織』で、日本社会の典型的な縮図である相撲界の

≪日本人同士で力比べをしていた形式的儀式で勝者を選出し横綱を決定していた大相撲界に{勝つことに貪欲なバイタリティの有る}外国人が入って来て{形式美の優先が求められる枷(カセ)を嵌(ハ)められた哀(アワ)れな}日本人が圧倒されているのに腹を立てて、《稽古での体罰・暴言》が黙認され《外国人の人数制限》を設ける事が当たり前とされている≫

という状況が奇妙なほど酷似しているのですから、スポーツ界に限らず他の分野でも気お付けないと『イスラム教原理主義』みたいな発想がまかり通る可能性が日本にはかなり高くあると思うのです。



尖閣諸島をめぐる中国との関係悪化や憲法改正の現実味を正当なナショナリズムだと公言して円安に陥(オチイ)っているだけの事を『安部ノミクス』が功を奏している(!)と{経済政策はまだ何もしていないのに}喜び、尖閣諸島の領有権をめぐる問題で{日本による尖閣諸島周辺での巡視艇・護衛艦の増強をあまり言わずに}中国の艦船の事ばかりを言い立ててナショナリズムを日本国民に焚き付けて{黙って円高を容認してきた日本を“食い物”にしてきた国際社会をあわてさせて}経済再生と領有権確立を目指す自民党への支持率が上がっています。


なんか“きな臭い”情況へと日本人の精神が{ついに}大きく振れてしまったような気がするのですが、{日本を馬鹿にしてきた国際社会も確かに悪いが}本当の戦争になる前に{中国や韓国ではなく}日本人自身が“ほどほどの所”で冷静に戻れないと取り返しのつかない事に為りかねません。





産経新聞を読んでいて②【1月19日・土】(最悪の情報統制をする日本)


産経新聞に限らず各社の新聞紙面や民法・NHKのニュースなどでも同じなのですが、


「中国の共産党政権が人民を支配するのに悪戦苦闘していて、そんな状況の打開策として日本や米国との関係悪化が{巧妙に}利用されていると{日本人の多くが}薄々は感じていながら、尖閣諸島の日本の国有化や日米安保を持ち出しての{中国共産党の挑発に呼応した}中国へのけん制を繰り広げて来たが。

その結果、中国という国それ自体を{表面的にでも}危機に追いやってしまい、共産党政権による人民への非人道的な圧制に対して{国内安定を大義名分にした}正当性を与え続けてきて、中国人民から米国以上に日本が怨(ウラ)まれているという状況にあって。

中国共産党を苦境に追い込む中国人民の民主化が進んで政権交代でも起ころうものなら、日米安保があろうとも中国と日本との開戦も現実的に起こりうると恐怖してしまって。

中国の共産党政権の{計画的な}挑発に乗らされ、中国を{見せ掛けで}追い詰めるような{中国共産党と結託(ケッタク)しての}けん制を日本が{今さら}止められなくなっていて、{中国人民の民主化を阻(ハバ)む圧政の支援になるだけの}尖閣諸島をめぐっての中国の船舶やプロペラ機と日本の巡視船やジェット戦闘機とが対峙する領域騒動や、{中国人民の民主化と戦前からの反日活動を同じモノと結び付けて、日本が中国の民主化への支援に思いが至らないようにする為の}尖閣諸島をめぐる中国人による反日デモなどの反日騒動の日本での報道が無くならない」

とか、

「韓国が北朝鮮を助けて朝鮮半島の平和的な統合を目指しているのに、米国が将来の国家的な台頭を恐れ、日本も将来の経済的な台頭を恐れて。北朝鮮をめぐって、日米がチョクチョク{極秘裏に}結託(ケッタク)して、韓国を{北朝鮮が安易に近づけないように}窮地に追い込むような《情報操作》や《裏工作》を繰り返していて。

韓国および韓国国民が、米国と{さらに強く}日本に対して【抗議の怒り】を表しているのに。日本では、慰安婦問題や、靖国神社問題や、竹島問題などにすり替えられ、戦前戦中の【反日感情の亡霊】のように報道されていて。

朝鮮半島をめぐる『日米の陰謀』の正しい報道が日本でされる事が無く、朝鮮半島の平和的な統合を望む韓国や北朝鮮の人たちの純粋な願いが踏みにじられている」

といった、

東アジアをめぐっての日米両政府の結託と陰謀に“無為”に加担し、知らん顔して正義漢面(セイギカンヅラ)していて、情けない話しではあるのですが。

しかし、非難する事ばかりを挙げて誰かの責任追及をしたり、良い子ぶって理想を言い誰かを見下げたりしても、今の私には何の意味もありませんから。なんとかそれらを『市民陶芸活動』の『作陶展』で見られる色々な陶器のように、平等に展示さる事を考えたいモノです。

≪ここで言う『作陶展』とは、千葉県君津市の『長石工房』さんが開催している『庭師の雨ふり作陶展』の事です。≫





産経新聞を読んでいて①【1月15日・火】(イジメが蔓延する理由)


これは産経新聞に限った話しではないのでしょうが、新聞の見出しや記事の中で使われている言葉の言い回しにおける『ニュアンス』や『語感』によって、{紙面の内容以上に}中国・韓国・北朝鮮などの{日本以外の東アジア諸国の}国家ランクを低いというよりも悪く印象付け、ヨーロッパ諸国やアメリカなどは良好な国家関係を築いていて国家ランクも高いと印象付けられるように{あからさまに違う表現を露骨に“使い分け”て}書き分けが行われているのです。


そしてさらには、国内の問題である原発の推進派と反対派の記事などでも、同じように{言葉の“使い分け”による}書き分けが行われていて、そのどれもが疑いようもなく“子供のイジメ”の構造と同じに見えてしかたがないのです。



単に「日本が、発展する東アジア諸国から是非(ゼヒ)の判断を求められている」という毅然(キゼン)とした態度を取ればいい【大人の対応が子供から見られている】という問題のハズが、「日本のこれまでの配慮が、拡大を求める卑劣な東アジア諸国をつけあがらせてしまい、日本の国益や国土が今まさに食い荒らされようとしている」と読み手が想像を膨らませてしまうように{辛らつな言葉の使い方で}書かれていて。

それが東アジア諸国に対する日本人の嫌悪感を煽(アオ)り、さらには「国際社会の中でも、日本が{人の良さにつけ込まれて狙い撃ちされ}追い落とされようとしている」という日本人の危機感を増幅させているのです。


それに対して、EU欧州連合やNATO北大西洋条約機構などについての記事は、とても穏やかな言葉使いで{上品に表現されて}書かれていて。

無意識のうちに「粗暴な東アジア諸国とは比べようもなく、欧米における国家間の関係は良好で、経済危機にあっても助け合っていて羨(ウラヤ)ましいかぎりだ」と日本人が感じてしまうように、紙面の表現に{巧妙(コウミョウ)な}工夫がなされているのです。


ハッキリ言って、日本の新聞・雑誌・テレビ・ラジオ等のマスメディアにおける、中国・韓国・北朝鮮などの東アジア諸国への、言葉の『ニュアンス』や『語感』を使っての{欧米諸国と比較しての}差別は陰湿であり、≪学校でイジメっ子達が、イジメを正当化して先生への告げ口を“卑怯(ヒキョウ)な裏切り”であると思わせるのに、言葉の“使い分け”で{黙認してくれる生徒を誉(ホ)めて}格差を作り、巧(タクミ)に一般生徒を『仲間』に取り込んでいく≫のと同じで、{内容以上に}その手段がとても容認出来るモノではないのです。



ハッキリ言って、日本社会における【マスコミによる陰湿な格差の巧妙な形成】が作り出す様々な差別を{子供のイジメの延長だと}告発しようとすると、「日本を裏切る“卑劣な売国行為(卑怯な売名行為)だ!」と騒ぎ立てられ。

しかしその反面で、日本は中立で良い国で「原発事故の後も責任を放棄せずにIAEA国際原子力機関に協力して、《原発の安全運用》と《事故処理》のお手本を世界に最後まで示(シメ)そうとしている」とか、「レベルの低いアジア諸国の中にあって、欧米諸国と粗暴なアジア諸国との橋渡しで孤軍奮闘し、領土問題でも苦労させられている」と言えば、打って変わって「常識が有って物事が解かっている」と称讃(ショウサン)され、褒(ホ)めたたえられるのですが。

それは、学校でイジメが蔓延(マンエン)していても、アメとムチの言葉が巧に“使い分け”られているために、それを告発したとしても、新たなイジメの標的にされてしまう構造とまったく同じで、気持ち悪くなります。


日本人の多くが「日本が民主主義であるお陰で繁栄したというのに、どうして中国や北朝鮮は一党独裁を止めないのか不思議だ」とか

「日本は韓国との世界戦略の為の協力がいつでも出来るように用意しているというのに、どうして韓国は日本を拒絶して無謀な単独攻勢をしたがるのか不思議だ」とか

「日本はIAEA国際原子力機関に対しての《原発の安全運用》と《事故処理》の責任と、産業界への安定した電力供給の責任を果たしているというのに、どうして原発反対派は{放射能は確かに怖いかも知れないが、その怖い放射能を出さない懸命の努力をしている沢山の人たちの想いを無視して}無責任に原発廃止を口に出来るのか不思議だ」と

{イジメが蔓延している学校でイジメをする側が、イジメの黙認をしてくれる一般生徒を引き込んで、共同で自己正当を主張するように}躍起(ヤッキ)になって言っているが、誰もそれが≪物事の是非(ゼヒ)をキチンと推考(スイコウ)し、大人としての毅然(キゼン)とした対応をするコト≫の期待を裏切っているだけだという事に、まったく気が付いていないのです。







平成24年度版



“ダーティー・ヒーロー”について


今の日本人を見て【10月20日・土】

ブログや『ホームページ』で人の行為や思考を振り分けるのによく用いている≪『下心』で合理的に有効なコトを選択して《世の中の進展》を効率的に支える『理性派』≫と≪『対抗心』で原理原則の厳守を唱えて《人の理性が発揮されて物事が進捗(シンチョク)する》コトを妨害する『原則派』≫を、『徳川 家康』と『石田 三成』に当てはめようとして普通に考えてみると、『徳川 家康』が《戦乱から幕府による平和へと》世の中を進展さて泰平の世の基礎を築いた『理性派』で、『石田 三成』が《『徳川 家康』を蹴落(ケオ)とそうと》原則論を振りかざして世情を見誤った『原則派』だという結論にしかならないのですが。
しかしそれは、歴史の進行や英雄の行為は世の中が良い方向に進む為に選ばれたモノだと思いたがる人間の悪い癖(クセ)によるモノでしかなく、人物を客観的分析を踏(フ)まえて評価してみると、『石田 三成』は先見性が高く《世の中の進展》を合理的に考えて効率的に実践していた“現実的”な『理性派』であり、『徳川 家康』の方が身勝手な論理を形振り構わずふりまわして《『豊臣家』を何が何でも滅亡させようと》無理難題を吹っ掛けていた“狂気”の『原則派』である事は間違いないのです。
ただそうすると、『関が原の戦い』や『大阪の陣』は“狂気”の『徳川 家康』による大虐殺(ギャクサツ)であった訳で、なぜそんな殺戮(サツリク)者が日本史に於ける偉人ナンバーワンと言われているのに誰も異論を唱えようとしないのかが疑問になるトコロなのですが、逆に言うと日本においては誰が何を言おうとも『徳川 家康』は不動の偉人ナンバーワンであるので、そういう状況下では一切の異論や疑問の声が圧倒的多数の{歴史の進行や英雄の行為を選ばれたモノだと思いたがる妄想が働いている}みんなによってもみ消されてしまうだけだと言う事なのです。
そしてこの異論や疑問を差し挟めない{歴史の進行や英雄の行為を選ばれたモノだと思いたがる妄想が支配する}事態の最大の問題は、現在進行形の世情に於(オ)いても同じような{妄想が支配する}事態が発生すると、誰も異論や疑問を刺し差し挟めない状況になってしまうというコトであります。それは具体的に言うと、今まさに歴史が進行していて英雄のごとき行為がなされていると思いたい状況の時であり、現在の日本で言うならば対中問題で決して弱腰にならず妥協する必要は無いと勇んでいる多くの日本人がその状況下にあると言えて、今どんな異論や疑問を投げかけられたとしてもたぶん全て突っぱねてしまい、それが日本を救うのだと凄むだけだからなのです。
このままでは多くの日本人が中国に対して虐殺もいとわない“狂気”の『原則派』となってしまって、対中戦争を言い出しかねない状況にあると真剣に用心した方がいいでしょう。さもないと対中戦争が現実の話しとなる日がそう遠くない内に訪れてしまう可能性が相当に高まってきていると考えられるからです。


今日は【5月30日】

今年のNHKの大河ドラマの主人公である『平 清盛』には、『平家物語』などでダーティーなイメージが元々あるのに、1972年の『新・平家物語』での憎まれ役の主人公とは違って、今回は苦労人からのサクセスストーリーとして描かれている為に、大河ドラマの視聴率が伸び悩んでいると言われているのですが。私的には『平 清盛』は紛れもない偉人であって、大河ドラマで人間的に描かれている事には好感を抱いていて、視聴率が低いのが残念でなりません。これで、『平 清盛』ほどの偉人であっても、少しのダーティーなイメージで視聴率が下がると思われたので、『石田 三成』を憎まれ役ではない正統な主人公として大河ドラマが制作される事は当分なくなり。『石田 三成』から見た《徳川家》や《朝鮮出兵》や《関が原の戦い》の不合理さや、『石田 三成』に味方してくれる《『大谷 吉継』や『安国寺 恵瓊』や『直江 兼続』たち》と配下の《『島 左近』や『杉江 勘兵衛』や『前野 忠康』や『蒲生 頼郷』など》の生き様を、大スペクタルなモノとして映像化してもらう事は夢となってしまいそうです。
しかし、『平 清盛』役の『松山 ケンイチ』が{『信長』に献身的に仕える若い頃の『秀吉』のように}清純であるのに、ライバルとされる『源 義朝』役の『玉木 宏』が{覇権を狙う『信長』のように}ギラギラしすぎていて、「このドラマが戦国時代だったら良かったのに・・・」という違和感が不満となり、視聴率を引き下げているだけであって、「『平 清盛』が特に敬遠されている訳ではない」という声もありますし。近年の大河ドラマの中で、『石田 三成』がそう悪くは描かれていないという事も、“周知の事実”でありますから。もしかしたら、20年後ぐらいには大河ドラマ『石田 三成』という事も、有り得るかも知れません。
ただし、知名度の高い『石田 三成』でさえこの有様なのですから、知名度の低い『平 宗盛』が主人公として描かれるドラマに至っては、“現実的な話し”として、2時間ドラマとして制作される事さえマズ無いでしょうね。



~~~記入順序変更以前~~~



・『戦国武将“石田 三成”』とは何なのか


現代にまで引き継がれている一般的な見方の{幕藩体制の正統性のために、江戸時代に作られたであろう嫌われ者としての}『石田 三成』像とは、“勝手な理想”をワザとらしく掲(カカ)げ、それを{理屈をこねて表面上は}厳格に貫く姿勢を示すコトで、{命を掛けて戦場で戦う}武功派の武将達を{『豊臣 秀吉』の威を借りて}戒(イマシ)めて、【誰が見ても私的で一方的な{朝鮮出兵の時の『豊臣 秀吉』への取り次ぎや進言で、明との偽りの講和に邪魔だった『加藤 清正』は一時謹慎となり、蔚山城の戦いでは『蜂須賀 家政』は即謹慎となり『黒田 長政』も叱責されてしまったような}秩序作り】を愚直に推し進める{配下の武将達との信頼関係を重んじ、武功派に襲撃された『石田 三成』を助けた『徳川 家康』とは対照的な}思い上がった冷血漢だというモノであり。その{独善的な}理想主義のために有利だったはずの『関が原の戦い』では、多くの裏切りにあって負けてしまって、一日でその西軍はバラバラと成り、洞窟に逃げ込んでいた所を見つかり捕らえられて斬首となった『石田 三成』の事を、{人間関係で苦労している}現代人の多くは自分の周囲に居る『嫌な上司や取引先など』になぞらえて{八つ当たりだろう何だろうとかまわずに、仲間と人前で思いっきり}“悪く”言い、それによって、憂さ晴らしをして{ストレスを発散して}“スッキリ”する事が出来ているようなのです。実際の『石田 三成』という戦国武将は{有能な『島 左近』・『杉江 勘兵衛』・『前野 忠康』・『蒲生 頼郷』などの配下や『大谷 吉継』・『安国寺 恵瓊』・『直江 兼続』などの親友がおり、朝鮮出兵の時も褒美を固辞していて}相当に優秀な人物であったらしいのですが、そんな事をいくら言っても大半の日本人が耳を貸す事は無いはずで、それは《日本人にとっての最高の“ダーティー・ヒーロー”が『石田 三成』である》からなのです。


『処刑される石田 三成』





『島 左近』





『大谷 吉継』





『石田 三成』は「歴史上の【単なる“ヒール”】であり、江戸時代の【哀れな“スケープゴート”】であって、{自由と情報公開が保証されているハズの}現代社会の歪(ヒズミ)が生み出した【日本人にとっての最高の“ダーティー・ヒーロー”】などという{謎の多い}カッコイイ人物などであるはずがない」と言う人も多いかと思いますが、それだからこそ「『石田 三成』は【最高の“ダーティー・ヒーロー”】だ」と言えるのではないかと思うのです。また、現在も生存している人物では、『小沢 一郎』がダントツの“ダーティー・ヒーロー”であり、中国(人)や韓国(人)・北朝鮮(人)にとっての“ダーティー・ヒーロー”が{我々の住む日本国とその日本文化と}我々日本人そのモノであるのは、たぶん間違いない事だと思うのです。

日本で最初の“ダーティー・ヒーロー”は、たぶん『平 宗盛(タイラ ノ ムネモリ)』であったと思うのですが、その嫌われ者のパイオニアである{平家物語で愚鈍で傲慢と蔑(サゲス)まれた}『平 宗盛』でさえ本当の姿はいまだに不明であり。『源 頼朝』によって逗子に軟禁されていた時に地元の子供と戯(タワム)れるなどしていて、当時の武士には欠けていた人間的な情愛が感じられると領民から心を許されていて、そのために、処刑された『宗盛』の死を悼(イタ)む者が多かったのだが、『頼朝』はその報告を受けながら不問に付したというのです。また、『石田 三成』が処刑される前に『徳川 家康』と会った際に「このように戦に敗れることは、古今良くあることで少しも恥では無い」と言い、『家康』がそれに「三成はさすがに大将の道を知るものだ、『平 宗盛』などとは大いに異なる」と嘆(タン)じたという話しが【常山紀談】にあり、『石田 三成』という歴史的“ダーティー・ヒーロー”の真の姿の謎かけを、『徳川 家康』自身が『平 宗盛』という最初の“ダーティー・ヒーロー”を持ち出して発言しているというのも、面白いめぐり合わせと言えるのかもしれません。


『平 宗盛』





2011年も12月22日となり、クリスマスの直前という事もあって街中はウキウキした雰囲気が漂っていて、買い物やお金の支払いなどで走り回っていた私も何だか嬉しい気分になっていたのですが。その時、車のラジオで「今年の話題」を聞いていてフッと思ったのですが、そういえば{11月16日に赤穂浪士討ち入りから約8年後に書かれた浮世草子の 自筆本「播磨椙原」が300年ぶりに発見されたせいもあってか}今年は忠臣蔵の大石内蔵助や赤穂浪士四十七士の事が例年以上に話題になっていたように{12月に入ってからは特に}感じていて。そのためもあってか、忠臣蔵の赤穂浪士が徳川という権力に反抗した【誰もが認める永遠の“ヒーロー”】であると強く確信出来るのですが。その反面で、同じ徳川に挑んだ石田三成が何時まで経っても【誰もが感じる愚かな“ダーティ・ヒーロー”】であるのが不思議でなりません。



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