ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

75.ちび猫が見付けた『場面緘黙症』の自由議論(3)

2014-05-28 | 現代病理
第0075号


*****(制作進行中)*****


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第0010号第0011号第0012号第0047号参照

~~~第0053号からの続きです~~~







令和6年度版







*「水が満杯のコップが頭の中に在るイメージ」が自分には合っている。【5月23日・木】


自分に合っているだけの話しで、

他の人は各々(オノオノ)に合ったやり方を見つけた方が良いのかもしれませんが、

とりあえず「水が満杯のコップが頭の中に在るイメージ」を作り、

そして「そのコップの水を零さないように首や顔を静止(変に歪んだまま、硬直)させ、体を{変に歪んだまま}ゆっくり動かすコトに思考や感覚を集中させる」というコトを何時も(書類仕事やドライブ中などでも)やっていて、

会話をする時には自然に「水が満杯のコップが頭の中に在るイメージ」が作れて、

発声の時には淡々と「そのコップの水を零さないように首や顔を静止(変に歪んだまま、硬直)させ、体を{変に歪んだまま}ゆっくり動かすコトに思考や感覚を集中させる」というコトで、

私は{変に歪んだまま、ですが}話しをする事が出来ています。







令和4年度版







*頑張っている時に、上から目線で「ダメダメじゃんか、もう止めておいたら」と言われたとして【1月17日・月】



精神世界での処世術である闇魔法の【勝手な想い】・2


・もっと“笑っても良いですよ”、元々俺には頑張る資格が無いんです。

・元々俺には無理な事なんですよ、“嘲られてもかまわないんです”。

・“見捨てられても良いんです”、元々俺には高望みだったんですから。







*頑張っている時に、耳障りだからと「目障りなんですよ、ムカつくから目の前から消えてくれませんか」と言われたとして【1月16日・日】



精神世界での処世術である闇魔法の【勝手な想い】


・とっとと“殺してくれませんか”、元々俺はマトモに生きて来ていないんです。

・元々俺はブタ野郎なんですよ、“無駄死にしたって別にかまわないんです”。

・“無様な死に様を晒しても良いんです”、元々俺はクズだったんですから。







*失敗して、迷惑で良い。怒られて良い。莫迦にされて良い!!【1月15日・土】



闇魔法の呪文・3


・失敗して、【莫迦にされて】OK!

・失敗して、【怒られて】OK!

・失敗して、【迷惑で】OK!







*浮かれていて良い。慢心していて良い。傲慢で良い!!【1月14日・金】



闇魔法の呪文・2


・【傲慢で】OK!

・【慢心していて】OK!

・【浮かれていて】OK!







*【ノドが硬直】して、【惹きつけ】を起こす、【緊急事態】で良い!!【1月11日・火】



闇魔法の呪文


・【緊急事態】OK!

・【惹きつけ】OK!

・【ノドが硬直】OK!







令和3年度版







*NHKのドラマ『きよしこ』のを観て【12月18日・土】


今日の夕方に、たまたまNHKの{再放送の}ドラマ『きよしこ』を見たのですが、ハッキリ言って『喋れる健常者が作った、偏見の固まり』でしかなくて、ただただ腹が立ちました。

【ちび猫】は{何とかしようとすればするほど、どんどん何ともならなくなって行く}言い逃れの出来ない『場面緘黙症』ですが、朝の挨拶では「おはようございます」がまったく言えないものだから「わようっございます」と言って誤魔化し、電話では自分の苗字である「スズキ」が直ぐには言えないものだから「すみません」を{「スズキ」を言おうとしながら}繰り返してから{「スズキ」が言えるようになった時に}「スズキ」と言い、みんなの前でスピーチをしないといけない時などでは『一言ずつ音量を下げる『右下がりのマーク』と、連続発声をしない『。』を{意識しながら}付けて、{意識して}拙く喋る』という{ヘタレな}自分を「それでOKだ」と想いながら喋り、『誤魔化し』や『珍工夫』や『ヘタレで良い』をする自分の勝手を肯定していまして、{ダメダメなヤツだと思われているのは確かであっても}周囲(家族や友人や仕事関係者)が『場面緘黙症』を否定的なモノとして認識しているか如何(ドウ)かは{自分の勝手を優先して}気にしないようにして来ました。

「ダメダメでも良いのです」と{喋るのが下手で、苦手でも}想えて、{喋る為の}解決策の範囲を安心して{各個が個々に}広げて行ける事が、{『喋れない人』の周囲の環境として}大切になるのに、このドラマからは、『喋れない人』を『喋れない』と{一律に}決め付けてしまって、喋れる可能性を個別に探る対応をする事によって生じるハズの希望を{一様に}踏み躙る、健常者の{画一的な}傲慢さ(どうしようもない共存を許容して慢心している姿)しか見えてこなかったのです。







平成30年度版







*高音で立ち向かい、逃げだすという低音が出来ない『場面緘黙症』。【7月22日・日】

声の音程を高くするというのは、【事(試練)】に対して『立ち向かう』というコトであり、『優越感に浸れる』というだけの安易(無自覚)な自傷行為(蛮行:自覚の無いまま不平不満(反感)に押しつぶされる)であるが。声の音程を低くするというのは、【事(試練)】に対して『自由に逃げだす』というコトであり、『見栄やプライドばかりが高くて、どうしても踏み切れない』という自意識過剰の弊害を乗り越えて、テリトリー(組み体操的社会の妄想)を放棄する事(組み体操的思考からの解放)でありまして。『場面緘黙症』に於ける『高音になってしまい、低音が出せなくなる』という症状とは、『優越感に浸りたくて、【事(試練)】に対して安易に立ち向かい、それに伴う不平不満(反感)に{無自覚なまま}押しつぶされてしまっていて。テリトリー(組み体操的社会の妄想)を放棄する事(組み体操的思考からの解放)に至れず、【事(試練)】から逃げ出そうにも、{自意識過剰な}見栄やプライドばかりが高くて、どうしても踏み切れない』という精神状態であったのです。

しかしまあ、理屈はどうあれ、低音の声が出せない事には、『場面緘黙症』からの回復は始まりませんから。まずは、低音発声の特訓(低音を想像した思考、超低音での音読、異常低音でのカラオケ)あるのみです。







*『音程を下げながら喋る』という事が苦痛な『場面緘黙症』。【5月29日・火】


最近は、朝の「おはようございます」や、仕事の終わりの「お疲れ様でした」や、電話での『自分の名字』が言えないという事が、{苦痛ではあるが}無くなってきたようなのです。理由は簡単で、『音程を下げながら喋る』という{苦痛な}事をしているからなのです。

『音程を下げながら喋る』という{苦痛な}事を始めたキッカケは、{ハッキリ覚えている訳ではないのですが}数週間前に夢で自分が『場面緘黙症』の誰かと喋っている時に「無理をしてでも『音程を下げながら喋る』と良いよ」と言った事で、その日の朝に出勤した時に音程を下げながら「おはようございます」と言うと{声が裏返りそうになった事に驚いて無声音になってしまう事もなく}スッと言えて、電話でも『自分の名字』を音程を下げながら言うと{声が裏返りそうになるのを押さえて無声音になってしまう事もなく}スッと言えたのです。ただ、『音程を下げながら喋る』というのは、脳に{相当な}負担がかかるのか、{一人でいる時に}喋る練習で『音程を下げながら喋る』という事を始めると、すぐに頭痛が起こって、{苦痛で}そう長くは続けていられないのです。また、好きなアニソンのカラオケで、『音程を下げながら歌う』という事にもチャレンジしてみたのですが、{客観的には面白い歌い方をしていて楽しいハズなのに}途端に頭痛が起こって、{苦しいばかりで}そう長くは続けていられないのです。

『場面緘黙症』は、「喋る時に声が{裏声に}裏返り始める事に驚き、声の裏返りを{テンパって}押さえようとして無声音になってしまう」という現象である事は{なんとなく}解っていたのですが。まさかその原因が、「『音程を下げながら喋る』という事が苦痛で、チャレンジもしないで敬遠していたから」であったというのには、ちょっと驚いてしまいました。







平成29年度版







*勉強が苦手な人と、『場面緘黙症』の対策。【3月4日・土】


『場面緘黙症』の対策に於いて、{「早く(速く)言った時に上手くしゃべれた」というような、それまでの多くの成功体験の幻影(縛り)から解放されて}ゆっくり(よりゆっくり)しゃべるコトが{偶然に}心がけられた{奇跡的な}時にだけ、ほんの少しだけですが効果が現れる(持続される)ものの、他の{全てと言っていい}対策(努力や工夫)では成功体験が裏目に出るばかりであり、{努力すればするほど}ドンドンしゃべれなくなる一方でありまして、{日常生活では有効であった}成功体験がまったく活用できないのでありますが。それはもう、勉強の時に≪意識しての『知識のネットワーク化』や『パラダイム変換』によって、強引な[でっち上げ]や[切り捨て]を成功体験として何度も行ってしまい、勉強が進むにつれて理解がドンドン難しくなって行き、覚えにくいだけではなくて覚えてもすぐに忘れてしまう≫という事態に陥ってしまう{50歳になってから始めた『工事担任者』の試験勉強で手子摺(梃子摺)っている【ちび猫】と同じ}勉強が苦手な人や、ジストニアで苦しむミュージシャンやイップスで苦しむゴルファーと、そっくりなのであります。







*成功体験が活用できない。【3月2日・木】


『場面緘黙症』の対策を色々やってきたが、{その対策が徒労に終始した}その一番の特徴は「成功体験が活用できない」という事であり、まるで『パラダイム変換』を繰り返しても破綻がすぐに始まってしまう{文明の}末期症状であるのです。

一般論で言えば、『ロール紙の世界観』を持って多様性を培い、『パラダイム変換』に頼(タヨ)らない{『【“大”全体】の概念』を踏まえた}道を模索(モサク)すれば良いのですが。『場面緘黙症』では、それが解らず、困ってしまっているのです。







*「今日はゆっくり行こう」・「みんながそこに居るな」。【2月14日・火】


電話を掛けた時に、今までにほとんど自分の名前(苗字)が言えなかった相手に、昨日は{珍しく}ハッキリと名前(苗字)が言えたのです。

電話をする前に、車を運転している時の≪アクセルを緩めて前の車との車間距離を広げてゆき、最後は止まってしまって{追い抜いてゆく車を含めて}車を見送る感覚≫を一旦イメージし、「今日は{安全運転で}ゆっくり行こう」と意識し。電話を掛けてからは、≪イヤダイヤダとダダをこねる{もう一人の}自分を連れていて「しかたないな、ハハハ・・・」と呟き、「しょうがないな、お先にどうぞ」という“想い”で全ての車を見送ってしまった自分≫をイメージしながら周囲を見渡し、《「みんながそこに居るな」という安全確認》を終えてからゆっくり再発進をするように言葉(自分の名前(苗字))を発したのです。

自分としては、「今日はゆっくり行こう」と明確に意識した事と、周囲を見た時に《「みんながそこに居るな」という安全確認》が出来た事が良かったと思うので、今度は挨拶をする時にも実践してみようと考えています。







平成28年度版







*無愛想で良い、最低限で良い。【11月6日・日】


「言葉の便利屋になんかならないでね」・「言葉の便利屋になんかなりませんよ」。この『幸せの想い・想い合い』をする自由を、{怖がって}拒絶して来たコトが、『場面緘黙症』の原因であったのです。

「言葉の便利屋にされたくない」と他人に対して『自分』は不信感(警戒心)を抱いているのに、そんな『自分』の思いを{『古典的な倫理』や『近代的な道徳』と照らし合わせて}悪いコト(劣ったコト)だと《自分》が判断してしまって、「上手に話しが出来るように努力をしなくてはなりませんよね」・「上手に話しが出来るように精一杯の努力をしますよ」という『試練の想い・想い合い』にハマリ込んでしまい。さらには、{拒絶反応によって}上手く話しが出来ないでいる『自分』を罵倒してまで、《自分》で『自分』に無理強いをするものだから、『場面緘黙症』の悪夢から{訳が分からないまま}抜け出せなくなってしまったのです。

言葉の便利屋になろうとしている《自分》に、『自分』が警戒して『場面緘黙症』に陥ってしまっているだけなので、そんな《自分》に「言葉の便利屋になんかならないでね」と語りかけ、その《自分》から「言葉の便利屋になんかなりませんよ」という返事をもらい。そして、他人を前にしても「無愛想で良くて、最低限の話しだけをすれば良いんだ」と《自分》が{本心から}思うようになれば、『自分』も{警戒を解いて}安心できて、悪夢のような『場面緘黙症』から{ようやく}抜け出せるのです。







*自分で自分の意識反応を畏縮させている事に気付く。【11月5日・土】


追い詰められた{『場面緘黙症』に於けるその場面の}時に{強迫観念による《喋(シャベ)れない自分》への罪悪感や嫌悪感によって}テンパってしまわないように、日頃から{《心の傷からの悲鳴》を拒絶せず、労(イタ)わってあげて}自分を褒めたり、自分を勇気づけたりしながら言葉を発する所作を{習慣化するように}練習しておく事が{事後対処ではあるのですが}大切だと思うのです。そうでないと、{どうしても}突発的に{反抗する自分を}従(シタガ)わせようとして手っ取り早く罵倒してしまい、意識反応を畏縮させてしまって、{『場面緘黙症』に於けるその場面に於いて}すぐに『場面緘黙症』の症状に{自分で自分を}陥らせてしまうからです。

本当ならば、『幸せの想い・想い合い』のように{強迫観念による《喋れない自分》への罪悪感や嫌悪感の発生を許さない}自由意識の解放を目指すのが一番良いのでしょうが、『場面緘黙症』に於いてはそれが難しく、どうしても事後対処的な対応しか出来ないものですから、{その為に}どうしても『場面緘黙症』の解決が難しいモノとなってしまっているのです。







*《心の傷からの悲鳴》を拒むコトにより生じた『場面緘黙症』。【11月3日・木】


完全な無意識のうちに、【ちび猫】も【“大”全体】を見失ってしまい、『型枠』にハマった強迫観念に取り憑かれたまま自由を恐れてしまって、『多様性のベース』を縮小させてきていて、それによって『場面緘黙症』に陥っていたようであり。多くの人間が『幸せの想い・想い合い』の自由を恐れてしまい、『試練の想い・想い合い』の『型枠』に縛られてしまうように、【ちび猫】も自由に想うコトを恐れてしまい、{意識の暴走が止まらないだけの}自意識過剰状態に陥ってしまっていて。『場面緘黙症』を悪化させるような、{特定の方向性を持った『型枠』を取り替えるだけの}対策を繰り返していた事に、まったく気が付かないまま、万策が尽(ツ)きたような閉塞感に陥っていたようなのであります。

『多様性のベース拡大』という事を日頃から{曖昧にぜず明確に}意識し、『“想い”の自由』という事を普段から{恐れに立ち向かって}目指して、他者と対した時に相手の事にばかり気を取られてしまうコトなく、{慢心せずヤケになる事も無く、自分の心に耳をすまして}自分の《心の傷からの悲鳴》を{罵倒したり拒否したり、罪悪感を抱いたりするコトなく}許容し、いたわってあげられれば、『場面緘黙症』からだって回復できるのだと思うのです。







平成27年度版







*『泳げない先』の道を、胸を張って堂々と。【11月28日・土】


朝食を食べながらテレビを見ているとNHKで『あさが来た』が始まり、その中で主人公の【白岡 あさ】が「胸を張って堂々と」という言葉を色々な場面と一緒に回想していたのですが。その時、この「胸を張って堂々と」こそが、今日の早朝に書き込んだ【『泳げない先』の道と、溺れる自分への“救助”】を補完するのにピッタリだと気付いたのです。

『泳げない先』の道(希望)を{自分に}示し、溺れる自分への“救助”を行ったとしても、{『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化が、一時的な改善を繰り返しながら、ドンドン重症化して来た事からも判るように}すぐに又、次の道でも溺れてしまい、万策尽きてしまって八方塞がりに陥ってしまうだけではないかと、不安であったのです。結局、何をやっても不安でビクビクしていては、気持ちが萎縮して『鬱病(ウツビョウ)』となり、体(ノド)が萎縮して『場面緘黙症』となってしまいますから、如何(ドウ)してもこの「胸を張って堂々と」が必要不可欠であるのです。





*『泳げない先』の道と、溺れる自分への“救助”。【11月28日・土】


先日、鬱病(ウツビョウ)になってみて気付いたのですが。溺れている自分に対して「泳げば溺れない」と考えてしまって、突き放すだけに止(トド)まらず余計な負荷まで背負わせてしまい、溺死する度に「まだ対策(特訓)が足りなかったのか・・・」と反省してしまって、何度でも溺れる自分への新たな対策(仕打ち)を考えてしまうから、『場面緘黙症』の発症(溺れて溺死する自分)や『発声困難』の悪化(溺死させられてしまう自分)が改善される事が無かったのです。やはり、溺れたままからでは何も始まりませんから、先ずは“救助”する方法を考えるべきであったのです。

鬱病になって感じた事は≪持つモノが、いくら重くても、それが動く(動かせる)のであれば、頑張りようもあるが。{喪失感(ソウシツカン)が起因(キイン)なのだろうが}持つモノが、床や天井のような{イメージの}モノで、まったく動かない(動かせない)のでは、頑張りようがない。≫という『歯がゆさ』であって、決して『嫌(イヤ)だ』とか『怠けたい』とか『逃げたい』とかの{喪失感に流されてしまった}負の感情ではなかったのです。そして、{『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化からも判るように}動かないモノはどう足掻(アガ)いても動かせないのですから、動かないモノが動かせないコト(自分)はそのままにして、『その先』での動かせるモノを動かす道(希望)を見つけてきて、無限努力のスパイラルの中で途方に暮れる自分を“救助“する事の必要性を、あらためて痛感したのです。





*『場面緘黙症』と酷似している鬱病。【11月26日・木】


先日まで{早朝から深夜まで一ヶ月間以上に渡って}頑張っていた『AI・DD総合種』の試験の出来が悪くて、その後は気分が塞いでしまい、目前に迫っている次の『第二種電気工事士技能試験』の試験勉強に身が入らず、ついに鬱病(ウツビョウ)になってしまったようなのです。仕方なく、今の自分の{精神の具体的な}情況を分析してみると、それ以前までは、重いモノ(バーベルや鉄アレーなどの動かせるモノ)を持ち上げて頑張って動き回っていた感じであったモノが、鬱病になると、動かないモノ(床や天井などの動かせないモノ)を持ち上げようとして持ち上がらず、頑張り過ぎて力尽きてしまい、{逃げ出すのではなくて}アップアップして動けなくなってしまうという感じに陥ってしまっているようなのです。

『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化というのは、その言葉の発声が嫌だとかいうのではなくて、ノドが石の様に固まってしまってどんなに頑張ってもその言葉を発声させる事がどうしても出来ないのですが。この『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化と、鬱病の動かないモノを持ち上げようとしてアップアップしてしまう感じとが、とてもよく似ているのです。

観光地の駐車場で料金をいただくアルバイトでは結局、『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化を{完全に}防ぐには至らなかったのですが。この鬱病の自己分析から、『場面緘黙症』の発症や『発声困難』の悪化を防ぐ為の、何か有効なヒントが得られるのではないかと、期待しています。





*本当の黒幕は“上唇”か(!?)。【9月21日・月】

アルバイトで数百人の接客をしながら首の“筋膜”のマッサージをしていたのですが、やらないよりもマシというレベルの効果しかないですし、忙しくなるとやっているヒマがなくなって、期待した程の効果はありませんでした。そこで、昨日からは、“上唇”の『力』を抜いて発声をする練習を始めたので、今度はこっちに期待を寄せています。





*首の“筋膜”が黒幕か(!?)。【9月12日・土】


9月9日(水)のNHKで放送された『ためしてガッテン』を見ていると、肩コリの{全てではないが}主な原因は“筋膜”であると言っていたので、『場面緘黙症』の発生と『発声困難』の悪化の原因も“筋膜”にあるかもしれないと思い、首の“筋膜”を柔らかくしようと考えて、放送内容から少しヒントをもらって簡単な首の運動を始めたところ、ノドの具合がとっても快調なのです。まだ本当に『場面緘黙症』の発生と『発声困難』の悪化が防げるかは不透明なのですが、接客の多いアルバイトを続けながら様子を見ようと思います。

ちなみに首の運動は簡単なモノで、首を横に倒してからその方向の斜め下と反対方向の斜め上を交互に見る動きを4~5回繰り返すのを、左右でそれぞれ4~5回するのを1セットにして、暇を見つけては日に何回かすだけです。肩コリや発声にも効果がありそうなので、試してみて下さい。ただし、首が軋(キシ)むのか、ゴリゴリと嫌な音が聞こえるのが不気味なので、速く動かす事よりも、ゆっくり大きく動かす事を心掛けた方が良いかもしれませんね






*頑張りすぎた結末。【8月30日・日】


8月の集中アルバイトも昨日で終ったのですが、特定の言葉が人前ではまったく発声できない『場面緘黙症』は、{やはり}まったく解消しませんでしたし。挨拶などの形式的な言葉が『可笑しな外国人』になってしまう『発声困難』の軽減も、{結局は}かえって悪化させてしまい、散々な結果(失敗)しか残せませんでした。

人間とは、状況が少し良くなると{欲張って}ついつい頑張り過ぎてしまう為に、{かえって}全てを失ってしまうモノであり。家庭の崩壊から、戦争までもが、同じ理屈が作用しているのですが。『場面緘黙症』の発生と、『発声困難』の悪化にも、同じ理屈が作用していて、{【ちび猫】が変に頑張り過ぎて}今回のような失敗を{何時もと同様に}招いてしまった様なのです。

何事も、頑張りすぎは禁物(キンモツ)ですね。





*怒らず、笑って暮れたら幸いです。【8月22日・土】


アルバイトで数百人を相手にしての挨拶(接客)をしていると、やはりどうしても脳が疲れるのか、『発声困難』がドンドン悪化して、『場面緘黙症』の解消に{近付きそうでいて}なかなか到達できません。[眉間(ミケン)]や[鼻先]や[下アゴ]を叩いてマッサージをしても、脳の疲労回復の効果があまり持続せず、引っ切り無しに挨拶(接客)が連続する状況ではかえって『焼け石に水』で、『可笑しな外人さん』の程度が高まるのをどうしても止められないのです。最後は、開き直って「怒らず、笑って暮れたら幸いです。」と思うのが、今の【ちび猫】の精一杯です。





*奇跡の始まりは“眉間”から(?)。【8月15日・土】


8月に入ってからアルバイトのペースが週に4回になると、一日の接客数が百人を越えただけで、{力を抜(ヌ)こうと}頑張れば頑張るほど『発声困難』が重症化するようになり、『可笑しな外人さん状態』に{頻繫(ヒンパン)に}陥ってしまう様になったので。これは「頭が疲れているのだろう」と思って、[オデコ]や[顳顬(コメカミ)]や[上部]や[後頭部]などの頭を{叩(タタ)くなどして}マッサージしたのですが、{やはり}ほとんど改善されず困り果てていたのですが。先日、『2個の乾電池』を使って[オデコ]より下の“眉間(ミケン)”から“下アゴ”までを{叩いて}マッサージしたところ、頭の疲れが取れて『発声困難』が{部分的にですが}改善されたのです。

本格的な活用はこれからなので、まだ何とも言えないのですが、『発声困難』が少しでも良くなれば幸いです。





*奇跡の始まりか(!?)。【7月21日・火】


週に2回ほどのアルバイトのペースの中で、多い時で数百人のお客を相手に《挨拶と少しの会話》をして来て{ついに}実感できたのは、見るモノを変えて視点を“ずらす”時に出来るだけ【ゆっくり】と【直線的】にする事を心がければ、{『おはようございます』や『お疲れ様です』などのようなまったくの発声困難な言葉は、まだ完全ではないにしろ}日常的な会話での発声困難が、ほぼ完全に解消したという{奇跡的な}充実感であります。そして何よりも、{これまでの【場面緘黙症対策】では味わう事の出来なかった}慣(ナ)れるにしたがって確実性が高まりながら改善されて行く様子が自分で認識できるので、とても楽しいのであります。次回はもっと良い報告が出来ればですね。





*『待つ事』と『如何(ドウ)待つか』。【6月10日・水】


昨日のアルバイトは雨天の為に閑(ヒマ)であったので、『場面緘黙症』による《ハタ迷惑な沈黙》という発声困難を生み出す、[興奮]とその[反射]によるノドの微細動(ケイレン)について色々と考えてみたのですが。結果を言ってしまえば、一番大切なのは、『待つ事』に尽きるのです。


そして、本当に問題なのは、次の『如何(ドウ)待つか』でありまして。あせってアレコレとやってもかえって逆効果ですし、何もしなければただの《ハタ迷惑な沈黙》になってしまいますからね。

願うのならば、目を瞑(ツム)り、畏(カシコ)まって、各自の《信仰の対象》にお願いをすればいいでしょうし。

発声練習をするなら、腹を引き、アゴを引き、[奥歯]と[唇]の『力』を抜いて、小声ですればいいですし。

マッサージをするなら、耳の下(アゴの付け根)から『喉仏(ノドボトケ)』のあたりまでを{頭を前後左右にゆっくりと振って}広く揉(モン)んだり、左右から軽く叩(タタ)いたりするのが効果的だと思います。


しかし、『待つ事』が一番大切なのですから、それを見失って《するコト》に夢中になりすぎると、何をやっても逆効果となってしまいますから、注意しないといけません。





*[吉]と出るか[凶]と出るか。【6月8日・月】


昨日はアルバイトで、{総数にして}700人ほどの人と《挨拶と少しの会話》をする仕事をしたのですが。「おはようございます」と「おつかれさまです」は{まったくの}発声困難な状態ではあったものの、それ以外の[単語]や[語句]を上手に組み合わせる事で、500人くらいまでは順調に発声が出来たので、「今日は好調だな」と喜んでいると。その後{急速に}ほとんど総ての[単語]や[語句]で発声困難に陥(オチイ)ってしまい『可笑しな外人さん』以下の“哀れ”な状態に陥ってしまったのです。そして、普段ならばこのまま{最低でもその日一日は}まったくノドが使い物にならなくなってしまうハズであったので、「今日はもうこのままダメだろうな(!)、このアルバイトも続けられるかな(?)」などと諦(アキラ)めていると。何故か昨日は不思議な事に、{その発声困難は50人ほどの間だけで}ある時点から回復が始まって、その後は《挨拶と少しの会話》の発声を最後までする事が出来てしまったのです。

発声困難に陥ってしまった時には、『ノド』や『舌』だけではなくて『唇』までもが、脳からの指示が{何らかの[興奮]と[反射]によって}歪められたかのような微細動(ケイレン)を{逃れ様も無く}起こしていたのですが。それがしばらくすると、徐々に{その[興奮]と[反射]が緩(ユル)んで}脳からの指示が正しく伝わり始めたかのように微細動(ケイレン)が沈静化していって、発声の『自己回復(!)』が{奇跡的に}起こったのです。

今までは、一旦発声困難に陥ると、その日はもう回復するコトはなく、ドンドン泥沼に沈み込んでいくように声が出せなくなって行くしかなかったのはもちろん。頑張りすぎて、{無理な挨拶を続けた代償の「おはようございます」と「おつかれさまです」の発声困難がそうであるように}それ以後は人前での発生がまったく出来なくなる[単語]や[語句]を、不用意に増やしてしまった事もあったので。昨日は、本当に不思議な{人生初めての}体験をしたと思っているのです。

ただし、これが[吉]と出るか[凶]と出るかは、まだ分からないのですがね。





*セクシー【ちび猫】=奮闘記【4月日28・火】


観光地でのアルバイトでは、数百人もの来客者への[挨拶]や[説明]や、本部との『トランシーバー』での遣り取りをしていて。『アニソン』や『朗読』をどんなに頑張っても、ノドが嗄(カ)れるばかりで『場面緘黙症』の《発声困難》は“当初”解消しませんでしたが。{日替わりで変わった}指導役の諸先輩達からの{𠮟責(シッセキ)や嘲笑(チョウショウ)などのほとんどない}多くの[励まし]や[助言]と、多い時で1000人近い来客者と会話をするという{今までに経験した事のない}良い機会に恵まれた事により、≪当ブログに「セクシー【ちび猫】=奮闘記」という副題を{新たに}付け、セクシー【ちび猫】として{その名に恥じぬよう}それなりに頑張るコトによる、『場面緘黙症』の《発声困難》の克服策≫の実践がスムーズに行なえていて。今の所は【ハタ迷惑な沈黙】も激減し、『可笑しな中国人』と揶揄(ヤユ)される事があるぐらいで、無難にアルバイトがこなせています。

セクシー【ちび猫】、頑張ります。





*《口を“タテ”にすぼめる発声》でアニソンを熱唱。【4月日15・水】


最近また{週二日ほどの}観光地でのアルバイトを始めたのですが、一日に{なんと!}1000人程のお客さんに挨拶をする仕事で、初日から《可笑しな人》になってしまいました。なので、当然辞めようと思っていたのですが、なんと辞められそうにないのです。仕方ないので、アニソンの熱唱を一日に数時間以上して、《口を“タテ”すぼめる発声》のマスターを目指しています。

当初は、ノド元の緊張を無くすのを目指して、一日に10時間もアニソンを歌っていたのですが、なかなか効果が現れなかったので。今は、《口を“タテ”すぼめる発声》のマスターに焦点を絞ってアニソンをうたっていて、少しずつ効果が現れてきたような気がしています。

《口を“タテ”すぼめる発声》で、本当に『場面緘黙症』の《発声困難》が克服できるとはまだ言い切れませんが、皆さんに良い報告が出来たら幸いです。





*好い緊張は、好い興奮と同じ。【4月5日・日】


性的な興奮には、直ぐに終らせたい《嫌な興奮》と、何時までも続く《好い興奮》があり。本などによると、女性が『クリトリス』で感じる〔イク興奮〕は、直接的で激しいモノだが、『ポルチオ』で感じる〔快楽な興奮〕は、体内的で幸福感に満ちたモノだといいますし。男性にしても、『勃起』から始まる〔イク興奮〕は、感情的で猛々しいモノだが、『好感』が高まる〔快楽な興奮〕は、官能的で喜びが持続するモノです。

そして、《嫌な興奮》と感じてしまうのは、たいていが〔イク興奮〕であり、性的嗜好が成熟している女性に比べて、男性は未成熟であって。多くの男性が、〔快楽な興奮〕にまでは思いが至らず、〔イク興奮〕にはまり込んでいて、早くそれを済ませてしまいたいという{衝動的な}欲求に日々駆り立てられるモノだから。何時まで経っても、性犯罪に走る男性が、後を絶ちません。

しかし、よくよく考えると、『場面緘黙症』によるハタ迷惑な《発声困難》も、単に《嫌な緊張》から早く脱け出したくて起こっている現象で、{その昔、野球の【長島 茂雄】が、「バッターボックスでの緊張感が大好きだ」と言ったように}《好い緊張》が出来るようになれたら、『場面緘黙症』などスッと消えてしまうかもしれません。





*消費と自賛と八つ当たり【3月27日・金】


相手(他者)は、私のエネルギー消耗者ではなくて、エネルギー供給者だと{明確に}認識し。自分の[スタミナ]や[可能性]や[才能]を信じて、相手(他者)のポテンシャルも{強く}確信し。自分を、相手(他者)の為に、[晒(サラ)す事]や[提供する事]や[気づかう事]を、恐れず、惜(オ)しまず、{油断なく}甘えずに。自分を素晴らしいモノとして、ドンドン消費しようと思います。

だだ、自分で自分を自賛したいが為に、悪魔との取引を安易にしてしまい。それが上手く行かなかった時などに、相手(他者)に八つ当たり的な(ストーカー犯罪や通り魔犯罪などの)行為をしてしまうのだけは、止めておこうと思っています。

こんな事で、『場面緘黙症』によるハタ迷惑な《発声困難》が、すんなりと解消しますかね。





*ポジティブに人を見て、今を楽しむ【3月24日・火】


仕事を辞めてからもう直ぐ二月になるのですが、まだ『場面緘黙症』が解消せず、ハタ迷惑な《発声困難》に陥る事が時々あるので、困っています。

仕事での不安から来るモノであったら、先月から取り組んでいる『資格試験』の勉強で、『電気』と『電気通信』の資格が取得できれば、少しは解消されるかも知れないので、少しは期待しています。


また、車の運転に例えると。表面的には、自分が{仕事などに追われて}事故を起こすのが嫌で、{文句を言われても謝るばかりで}《ノロノロ運転》をしていながら、「みんなにも、{仕事に追われるのから開放されるような}《ノロノロ運転》を勧めているのだ」と自分に言い聞かせていて、{一律に物事を認識していて}個人的な楽しみで車を運転している人を不愉快にさせるような《ノロノロ運転》を、{優等生と自惚(ウヌボ)れて}自分がしてしまっている事には、まったく無自覚であり。

内面の深層部では、「仕事では迷惑な事なのかもしれないが、これでみんなも《ノロノロ運転》が出来、仕事から解放されて、安心して車の運転をしている事だろう」と自慢し、追い越されるのには、「どうしても仕事を優先したいのでしょうから、しょうがないですね」と同情していて。

≪ハタ迷惑な《ノロノロ運転》のために文句を言われ、謝ってばかりでも、どうしても《ノロノロ運転》が止められない≫の『ノロノロ運転症』と、≪ハタ迷惑な《発声困難》がどうしても止められないが、特定の誰かを恨むような事がない≫の『場面緘黙症』とが、同じであるなら。

物事を一律に認識してしまわずに、個人の違いを尊び、自分も{一様な事に拘(コダワ)らず}個性を大切にして行けば、『場面緘黙症』も少しは解消するかもしれません。


とりあえずは、物事を多彩にポジティブに認識して、今の状況を悪いモノと見たり、被害者として他者に同情したりするのはやめて。今を楽しんでいる人を応援し、自分も今を楽しみたいと思います。





*・・・【2月17日・火】(未完成)


「負けるか 下がるか 下を向くか」と唱え、動揺しながらも発声する。





*《高慢チキ》と馴れと『駄目だし』【2月14日・土】


【ちび猫】が、【場面緘黙症】を発症し、《発声困難》に陥ってしまうのは。どうやら無意識のうちに、{相手に馴れて、その状況にも馴染(ナジ)んできて}空自信(カラジシン)を付けてしまい、《高慢チキ》にも「勝っているんだろ、楽をしようよ」と{無意識な慢心によって}意識してしまって。瞬(マタタ)く間に『集中力』が緩(ユル)み、瞬時に『体の力』が抜けてしまい、瞬間的に『発声力』が消失してしまった為に起こっている事(症状)ではないかと思えてきたので。

『瞬間的』に“スパッ”と意識を再集中しながら、瞬時に“カッ!”と体に力を入れなおしてつつ、間髪を入れずに「おはようございます」や「お疲れ様でした」や「よろしくお願いします」などの{繰り返し何度も使う、《発声困難》に陥りやすい}言葉を{慎重に、丁寧に、仰々(ギョウギョウ)しく}喝(カツ)を入れるように発声するように心掛けているのですが。

しかし、{無意識の馴れによって}勝手に脱力してしまう事による{瞬間的に緩んでしまう『集中力』や『体の力』などに足を引っ張られてしまっての}『発声力』の低下(消失)を防くために、意識や体への『力』の{瞬時の}再投入を目指している訳ではありますが。《発声困難》に陥ると、体は硬直してしまい、ノドも変に固まってしまって、息は出ても声は出ない状態に感じられてきて。どうにか頑張って声を出そうと焦り、脱力するのに期待してしまい、{これがダメなのだろうが}《緊張が緩む》のを{ついつい}待ってしまって。結局は、《発声努力》が出来ないまま(しないまま)、《発声困難》による『ハタ迷惑な沈黙』が{またぞろ}持続してしまうのです。


今後は、{《高慢チキ》で『横着(オウチャク)』な}【ちび猫】はどうしても、《操り人形の糸が切れてしまったのを、ただボーっとして、自然回服するのを{じっと}待ってしまう》ようであり。どうしても、《糸を結ぶ方法が解らずに、呆(ホウケ)けてしまう》ように、一度消失した『発声力』の回復を、ただ待ってしまうのですが。

何とか『緊張の糸』を切らさずに(切れてもすぐに繋(ツナ)いで)、『駄目だし』の「ダメ!」を{何度}連発してでも、『発声力』を維持しようと思っています。





*『大丈夫』や『耳ツーン』よりも“再硬直化”がポイント【2月6日・金】


1月まで8ヶ月間通(カヨ)っていた以前の職場でも、やはり「おはようございます」や「お疲れ様でした」や「よろしくお願いします」などの言葉が《発声困難》に陥ってしまい、けっこう苦労していたのですが。『大丈夫』大丈夫・・・!と唱(トナ)えながら体を一旦“硬直”させたり、鼻を抓(ツマ)んでの『耳ツーン』の後に顔を意識して“硬直”させたりしながら、《耳の裏側》の頭の中を{強く、長く}意識して“再硬直”させる事によって、完全克服とはホド遠いものの、上手く【場面緘黙症】を誤魔化(ゴマカ)す事が出来て、何とかやり過ごして来(コ)られました。

【場面緘黙症】による《発声困難》への特効薬を、{リラックスなどではなく}“硬直”だと決めて。{瞬間的に}“柔軟化”を求めてしまう《耳の裏側》の頭の中を、いかに早く“再硬直化”に向かわせられて。それを、どれだけ持続させられるのかという事を、{割り切って}追求できた事によって。{“柔軟化”を意識した分だけ《発声困難》が持続してしまった}以前のような【ハタ迷惑な沈黙】が、激減したからなのです。

【場面緘黙症】のみな様、体や頭の“柔軟化”意識に、ご注意あれ。







平成26年度版







*“夢”の中で【つま先上げ】をしていると・・・【8月6日・水】


二日前に足がつる“夢”を見たのですが、急いで【つま先上げ】をしていると、不思議と『発声困難』にまったく陥(オチイ)らなかったのです。

そこで、目が覚めてから他人と話しをしていて、『場面緘黙症』や{『ドモリ』や『舌足らず』などの}他の全ての『発声困難』的症状に陥りそうになった時に、急いでこの【つま先上げ】をしてみると、驚くほど劇的に{違和感などもまったく無く}ピタリと『発声困難』的症状が治まったのです。

まだ半信半疑の気分ですが、また経過報告をしますので、その時にも良い知らせが出来たら幸いです。





*まだまだ“沈黙”してしまいます【8月3日・日】


『腹式呼吸・腹式発声』の練習と、『発声困難』を“待たず”に直ぐに発声する【場面緘黙症対策】とで、表面的には《ハタ迷惑な沈黙》が無くなったように見えるのですが、不用意に身構えてしまうとすぐにまた”沈黙”が襲ってきて、《ハタ迷惑な沈黙》の『発声困難』に陥ってしまいます。

身構えて”沈黙”に襲われてからでは手遅れだと分かってはいても、とっさに身構えてしまうのが、【場面緘黙症】の最大の問題点ですね。





*『場面緘黙症』の経過報告【6月25日・水】


日頃のアニソンでの『腹式呼吸・腹式発声』の練習と、『発声困難』を“待たず”に直ぐに発声する【場面緘黙症対策】とで、確かに重大な《ハタ迷惑な沈黙》に陥(オチイ)る事は無くなったのですが、

やはりどうしても発声に“違和感”を抱いてしまいますし、発声が一瞬だけとはいえ止まってしまう事がまだ時々あります。


5月の後半からアルバイトを始めて、挨拶をする機会も増えましたから、もし【場面緘黙症】が悪化すると大変なので、まだ当分は経過報告をしていこうと思います。





*『場面緘黙症』の経過報告について【5月28日・水】


日頃からの『腹式呼吸・腹式発声』の練習や、『発声困難』を“待たない”で直ぐに発声する【場面緘黙症対策】が、そこそこ有効に機能しているせいか、

発声する時に少し“違和感”はあるものの特に重大な《ハタ迷惑な沈黙》に陥(オチイ)る事も無く、日常の挨拶や会話は上手く出来ているのではないかと【ちび猫】自身は思っていて、

特に電話応対に於(オ)いて、掛かって来た電話に出た時に“自分の名前”がスッと言えるようになったのには、自分でもちょっと驚いています。


このまま『場面緘黙症』が解消されれば良いのですが、発声する時の“違和感”がどうしても消えないのが少し引っ掛かりますので、これからも経過報告は続けていきます。





~~~第0075号先頭へ~~~







・・・参照・・・



*『場面緘黙症』と現代社会の歪み【5月8日・木】


【ちび猫】は、〔『リセット』という『発声困難』状態〕と〔『データ集積』という『場面緘黙症』対策〕を必死になって繰り返して来た為に、深刻な『発声困難』から抜け出せなくなる『場面緘黙症』に陥(オチイ)って、30年あまりになるのですが、

日々の生活に於(オ)いて、〔『腹式発声』の『継続実施』〕をするコトで、〔『発声』の【更新】〕を進めておき、これまで『発声困難』に陥(オチイ)っていた状況に於いては、『発声困難』状態を待ったり『場面緘黙症』対策をあれこれ考えたりせずに、「この時点での『最高の発声』をする」という気持ちで「【更新】済みの『発声』を躊躇(チュウチョ)せずに行う」という事を心がけるコトで、最近になって『場面緘黙症』が解消するメドがようやく立ってきました。


この事により、『場面緘黙症』という現象が、【この世界全体の更新】を否定する『非神秘主義』に依拠(イキョ)した精神状態に人間が無自覚で長年に亘(ワタ)って陥る事によって起こってしまうモノだという事が解かり、

こういった『場面緘黙症』のような〔『非神秘主義』的現象〕は、実は現代人の生活の色々な場面で多々発生していて、近代社会に様々な歪(ユガ)みを生じさせている原因だと考えられるのです。


{特に『日本国』・『日本人』に向けて}以前から【ちび猫】が言ってきた、≪〔『殺菌・消毒』による『リセット』〕と〔《単独の生物に於ける生態調査や実験》による『データ集積』〕の繰り返しに陥り、『生きた水』や【薬品耐性水】を作り出す【微生物群の更新機能】に目が向かなくなって、『生物群』の構成から切り離された『新型ウイルス』の【単独生命体の更新機能】による『パンデミック』の危機を{病院や保健衛生機関が積極的に働いて}招き寄せている≫という事や、

≪〔『既存の物理学』の一般常識化による『リセット』〕と〔『核エネルギーの技術開発』や『量子力学の証明実験』による『データ集積』〕の繰り返しが称賛され、『E=mc²』を根幹にした【物理学の更新】による科学の【全容解禁】に一般庶民の目が向かなくなって、科学を【部分解禁】する『技術革進』によって{人類の存続を脅(オビヤ)かす『核の脅威』を招き寄せていると知りながら}科学技術者が[既得権益]を独占している≫という事や、

≪〔他国を威嚇(イカク)する『右傾した言動』による『リセット』〕と〔他国に譲歩(ジョウホ)する『左傾した言動』による『データ集積』〕の繰り返しの{自家中毒な}悪循環に陥り、今積み上げている『成功教訓』に捉(トラ)われて歴史上の『失敗教訓』に目が向かなくなって、{物事の真理に捉われて時代の流れを読めなかった【明智 光秀】や危機意識に捉われて危機管理を怠(オコタ)ってしまった【石田 三成】のような}視野狭窄(シヤキョウサク)に陥っていく自家中毒のままでの「『集団的自衛権』が宣戦布告の理由となる」という論点への{独り善がりでの}執着(シュウチャク)によって「【『集団的自衛権』の同盟拡大』による{世界中の}多様な[国家]や[民族]や[宗教]の『絆』作り」を台無しにしている≫という事や、

≪〔【『火事場の馬鹿力』の活力】のレベルで序列(ジョレツ)が形成されている日本的『サル山』の序列社会を維持するための{「下位者が用いるとされる【『他人の為に働く』活力】や【『合理性を追究する』活力】による序列社会の不安定化」を防ぐ大義名分が掲(カカ)げられた『STAP細胞』を巡る議論で、論文の[手続き]や[手順]の問題が最優先され、研究の[成果]や[真偽]が危機対応の名目で完全に無視されて、【小保方 晴子】さんが上位者の[権力]と[権威]によって断罪されたような}現代の『魔女裁判』による『リセット』〕と〔日本的『サル山』の序列社会の中での【『火事場の馬鹿力』の活力】の発揮によって上がる成果を追うだけの『データ集積』〕の繰り返しに陥り、全体のレベルアップに目が向かなくなって、{大相撲で日本人力士が日本の国技の危機を背負い、【『火事場の馬鹿力』の活力】を発揮して挑みながら、モンゴル人力士による、【『他人の為に働く』活力】や【『合理性を追究する』活力】を発揮して育み向上させた〔豊な人間性〕や〔高度な人間性〕の相撲に、まったく歯が立たない状況と同じような}グローバル社会の中での『置いてきぼり』になりつつある≫という事が、『場面緘黙症』のような〔『非神秘主義』的現象〕であるのは元より、

≪〔個人資産や運用資金を『円建て』のモノにドンドン変換(ヘンカン)してしまう事による『リセット』〕と〔個人資産や運用資金を『円建て』で何でもかんでも換算(カンザン)してしまう事による『データ集積』〕の繰り返しに陥り、個人資産と運用資金のバランスや自分自身の価値や『円建て』の国際価格に目が向かなくなって、個人資産に対して{生活や商用の}運用資金の割合が高く『業務独占資格』などを持たず『円建て』での『資産管理』や『資金運用』を固定観念でしてしまう為に多くの人が貧富の格差から抜け出せないでいる≫という事も、大きな目で見れば、『場面緘黙症』のような〔『非神秘主義』的現象〕であると言えるのです。





*『発声困難』を待たない発声法【4月29日・火】


最近は、《『発声困難』を待たない発声法》で極端な『発声困難』に陥(オチイ)る事も稀(マレ)となり、『場面緘黙症』はほぼ解消したようなのですが、

早口で舌足らずな所は、《アゴをグッと引いて固定させての腹式発声》で徐々に解消しつつあるという状況で、まだ不自由に感じる事が時々あるので、アニソンによる〔腹式発声〕と〔アゴの引き固定〕の練習で精進を続ける毎日であります。


皆さんの参考になったなら幸いです。





*『場面緘黙症』対策という『発声困難』【4月20日・日】


今日、地域の区費の集金をしている時に、突然また{ノドや頭が痺(シビ)れる}極端な『発声困難』に陥(オチイ)ってしまい、{一時的にではあったのですが}訪問先の玄関の前でまったく声が出なくなってしまったのですが、

その時に【ちび猫】は、{ついつい}必死になってしまっていて、『発生困難』な状況からの脱出に{データ集積の為に、ワザワザ}チャレンジしては、「声が出ずに挫折してしまう」という事態を{盲目的に、勇んで}繰り返していたのです。


しかしその後、発声できる自分の在り様を{思い出して}取り戻(モド)し、『発生困難』な状況に陥る前に発声するコトを{『場面緘黙症』対策を残念がらずに一時『棚上げ』して}心掛け始めてからは、極端な『発声困難』に陥るコトが無くなったのです。


この事から、{『腹式呼吸』や『腹式発声』を日々心掛けるなどして}『発生困難』に陥らない自分を確立し、{『場面緘黙症』対策に未練など抱かずに}とっとと発声してしまうコトで、『発生困難』に陥らないで済み、

『場面緘黙症』対策に固執(コシツ)し、『発生困難』な状況に陥るのを{ワザワザ}待ってから、{ノドや頭の痺れについてのデータ集積をしながら}声を出そうとして、とたんに『発生困難』に陥ってしまうというのは、{よくよく考えてみれば}当たり前の事であったのだと、【ちび猫】は結論を出すコトが出来たのですが、皆さんは如何(ドウ)思われますか(?)。



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