今月始めくらいから、唐沢寿明さんの「白い巨塔」を再放送していたので、
全部録画して保存用にHDDに移してあった。
私はこれを見るのは2回目で、もう何年前だったかも記憶にない。
昨日、最後の3話を続けて見たのだけど、
最終回で誰かのひと言ひと言に涙が出て、ずっと泣いていたような気がする。
特に唐沢さん演じる財前教授が自分で死期を悟り、
親友ともライバルとも思っていた江口洋介さん演じる里見先生の病院に行き、
「君に診察してもらいたいんだ」というものすごい形相の演技には、
今までの裁判の確執とかを超えた何かがあった。
「僕は君の不安を受け止めたいんだ」と里見先生が言うと、
財前教授は「僕には不安なんかないよ」と・・・
そして唇をかみしめて「ただ・・・・無念だ」という演技には号泣してしまった。
裁判で原告の証人にたった石坂浩二演じる東(前)教授とも普通ではない関係でありながら、
最後に自分の肺がんを手術してもらう人選をするときには、
「東先生しかいない」と財前教授は思い、
「呼吸器外科の専門で東教授の右に出るものはいない」とさえ言わしめる。
そこにも裁判の怨念はなく、最後まで献身的に医療行為を行う東教授が、
医師の尊厳を見せつけてくれる。
財前教授と里見助教授はどちらが医師として素晴らしいのか?
それはこの小説を読む人、映像を見る人みんなが思うことだと思う。
財前教授のように「僕が執刀すれば大丈夫です」と言い切られたら、
患者は安心するとも思うし、
里見先生のように患者の気持ちを汲んで人としても素晴らしい付き合いをしてくれる医師、
それもまた私たちが安心する材料の一つだとも思う。
この二人は両極端なところにいると思うけれど、
医師はこのような感じのどちらかに分類される気がする。
もちろん人情もあって、技術もピカイチならいう事はないけれど、
技術が世界で認められるような医師は、忙しすぎて何かを忘れるのではないか。
以前よくTVでスーパードクターという特番をやっていた。
脳腫瘍とかでも、誰もが手術を放棄する状況でもその人なら摘出するという、
まさにスーパードクターの紹介で、
番組の後にその人のいる病院の電話番号が出るようになっていた。
そのことを思い出したのは、この前読んだ闘病記で、
そのTVを見た母親が娘のために藁をもすがる思いで電話をすると、
「先生はお忙しいので、電話で予約はできませんし、この先も予定がいっぱいなので」と、
にべもなく断られたと書いてあったのだ。
TVで電話番号を紹介しておきながら、
崖っぷちの患者が電話をすると本人にもつないでもらえないという実状。
あの番組は、じゃぁ何のためだったのか?
ただの技術のコンクルールのように手技を見せびらかすためだけだったのか?
白い巨塔にも「特進患者」という言葉がよく出てくる。
これは国会議員とか、要職に就いている人の入院のことらしいが、
この人達の診察は実に丁寧に行われていることが描かれていた。
それは、一介の弁当屋の主人との差別的医療を強調するための演出だったのかもしれないけど、
大学病院でこういうことが本当に行われているのではないかと思われてならなかった。
白い巨塔では最後に愛人役の黒木瞳さんが屋上でこう言う。
「私は五郎ちゃんが好きよ・・・・ずっと忘れないわ」
「でも五郎ちゃんよりカッコいい人が見つかったら分からないけどね」
黒木さんが泣きながら、唐沢さんに抱かれながら言うセリフ。
もうすぐ大事な人が目の前からいなくなってしまう事が分かっていて、
人間とはこんな事が言えるものだろうか?
いなくなると分かっているからこそ言えるのだろうか?
号泣して見ながら、いろんな事を考えた3時間だった。
☆白い巨塔☆
くぅ
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