なぜこんな気持ちになるかというと、
妬んでいるからだ。嫉妬しているからだ。
みんなの前で奉仕している姿を見てもらえていいなぁと、
ただうらやんでいるだけだからだ。
親友は携帯のメール画面で笑っていた。
桜のアイコンと共に笑顔が返ってきた。
私がこんなにイライラしているのに・・・!とぶち切れた。
でも、彼女は落ち着いて話してくれた。
賛美はピアノが無くても、誰に聴かせるのでなくても賛美だよ。
あなたはもう私の「信仰の友」だよ。
だから祈ってほしいことを、
どんなに深く難しいことでも話してきたんだよ。
そう言ってくれた。
私は、彼女は今でも「信仰の師」だと思っている。
ありがとうね。
私は隠れたところで祈ろう。
街角に立って祈ってはいけないと教えられたから。
それでいい・・・ただ祈ろう。
くぅ
今日、教会に行くと、
私と同じ日に洗礼を受けた子が奏楽に入っていた。
私は「もう少ししたらね」「もう少し待ってね」と言われ続けているのに、
なぜその子は気楽そうに奏楽をしているのだろう。
神さまを賛美できるだけの信仰を持っているから?
純粋な心で賛美できるから?
私にはそれだけの信仰が育ってないから?
そんなことで信仰の深さを計られたらとんでもない!!
私は、教会の中であるけれど、悔しくて賛美できなかった。
その子の奏楽で歌うなんてとてもできなかった。
悲しいこと。
くぅ