Urocyon cinereoargenteus

musicとかの紹介

ASIAN KUNG-FU GENERATION ソルファ

2008年08月25日 20時30分31秒 | music
ソルファ
後藤正文
キューンレコード

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久しぶりの音楽の紹介でも。

アジアン・カンフー・ジェネレーション。
略してアジカン。

最近のワールドワールドワールドも良いのですがここは基本に戻ってソルファです。
一作目が勢いの棘があるようなな感じですが、この2作目のソルファはその角が丸くなったような感じになりましたね。
このソルファでアジカンは初のオリコン1位になりました。

このCDアメリカでも発売されていますが、アジカン好きな人のネット運動によってリリースされました。

基本的にオアシス大好きな人なのでオマージュも入ってます。
ソルファは1曲目の振動覚がそうですね。


●リライト


2曲目のリライトは「鋼の錬金術師」主題歌だったらしいです。ごめん、見てないので分からんです。


●RE:RE:




●ループ&ループ


ライブの定番ループ&ループ。

しかし、今聞いても勢いあるなぁ。

Googleストリートビューが凄い件について

2008年08月23日 11時24分31秒 | 旅、風景
グーグルのストリートビューが凄いです。
↑の画像は仙台の某所を取ってみました。
現在日本では東京近辺を初め、大阪、淡路、仙台、函館、札幌の一部が見れます。
私道は基本的に撮っていないようです。
グーグルマップとグーグルアースどちらでも使えますが意外とマップの方が使いやすいですね。


本場アメリカでは色々と問題になっているようですね。
車体ナンバーとか顔が見られたなど。


基本的にそれらはモザイクかかっていますが↓このサイトでも事故現場の画像があったり、、
Google マップ ストリートビューのまとめ
まぁ、、、これはモザイクかけてもどうしようもないですね。

自分も色々見てみましたがある民家でパンツが干されているのを見るとプライベート的にどうなのかなと思いました。

この手の情報ってずっと残る訳ですし、消すにしても基本的にオプトアウトな訳で、PCもっていない人やグーグルにアクセスしない人はずっと知らない事になります。


個人的には駅前の商店街や観光地辺りが分かればその町の雰囲気が分かるので住宅街まで撮る必要が無いと思っていますが、、

確かに住宅街を撮っていると不動産購入検討時などに役立ちそうですがどうなんでしょうか?


ちなみに日本でストリートビューを撮っている車はグーグルマークのついたプリウスです。
たまにガラスに反射して車が見えてますね。

機能的には面白いものですがずっと残るのを考えるとまだまだ改善の余地はありそうです。

空手の型

2008年08月19日 23時39分17秒 | Weblog
自分、ガキの頃空手をしていたのですが、今更になって空手の型を見てみて改めて格好いいと思っちゃいました。


●空手の構成
空手の基本構成は組手(二人以上でやる練習、練習試合も含みます)と型(一人で行う決められた行動)があります。

●型
型は仮想的に実践の動きを取り入れています。
そのため一般的な空手のイメージ(かわら割りやバット折りなど一撃必殺な直線攻撃)とはちょっと違います。

型は流派によって採用されている型も呼び方も動きも違うため一つの型でも知らない人によっては別の型にも見えてしまいます。

空手の型で有名なのは平安(ピンアン、ヘイアン)で、空手の基礎的な体裁きや攻撃、防御が入っています。これと鉄騎(ナイファンチ)、観空大(クーサンクー・ダイ、カンクウダイ)あたりは大体どの流派も取り入れているようです。

●平安初段



●平安五段



平安です。
基礎的なものなので部分レクチャーしてます。
演舞としては短めかな。


●観空大(クーサンクー・ダイ、カンクウダイ)



観空大、抜塞大は流派によっては大、小があったり無かったりしてます。
首里手と言われる系統ではこれらや下のジオンなどを習います。


●抜塞大(バッサイ・ダイ)



個人的に一番好きな型。
両腕を上げ、脇ががら空きになるところがありますが、あそこは両脇からの攻撃を二の腕で受け、そのまま上に押し上げ、逆に脇ががら空きになったところにこちらの攻撃を叩き込む、、らしいです。


●慈恩(ジオン)



それにしても型の練習していたのは大分昔ですが、今見ても思い出せるのはやっぱり昔作った杵柄ってやつですかね。

ハムナプトラ3 「呪われた皇帝の秘宝」

2008年08月19日 00時50分35秒 | move
ハムナプトラ3 「呪われた皇帝の秘宝」を見てきました。







理由は冒険映画のインディージョーンズ4が予想以上に消化不良だったので。

●インディとハムナプトラ
正直このシリーズも最初が面白くて2作目は1作目をリスペクトな感じで、3作目の外伝はあくまで「ロック様大好き!」な方たち専用のオナニー話だったしあまり期待してなかったのですが、、

結果はインディージョーンズ4より面白かったです。
話の盛り上げ方や繋げ方(←特にこの部分)、話の中心のブレの少なさ、ギャグの笑えるポイントがはっきりしていたところなどどれをとってもインディージョーンズより上でした。

当然、史実とかそんなの関係ねぇだったり、ミイラを起こすのも倒すのも主人公たちといった黄金パターンだったり、胡散臭い設定だったりしますがまぁ、そこは空っぽにして見るとそんなに気にならない部分ですよ。

●ミイラとエジプト
ハムナプトラ自体往年のモンスター映画「ミイラ再生」のリメイク作品(一作目のインタビュー時に既にオコーネル役のブレンダンがインディの話をしているのでインディジョーンズも強く影響されています)。
だから洋題は「The Mummy」。

今回エジプトから抜けた話になったことについて賛否両論はありますが、自分的にはOKです。
エジプトネタで3回撮ったのでいい加減真新しさもないし。
2作目で既にエジプトネタ切れな所があったので今回の3も同じように作っていたら相当厳しい事書かれていたことでしょう。


●気になる点
・2であんなにがんばってた息子のアレックスが大学生とは思えない老け顔で無理がある
・親子(家族)で立ち向かうのがインディと被る
・1では牢屋に繋がっていた人が3の初めでは超貴族的な生活をしているギャップのありすぎな点
・ミイラ兵とオコーネルが兵馬俑と皇帝を倒した後の砂と帰るシーンで砂に顔があるところがもういいよと思ってしまう
・同じように兵馬俑とミイラのぶつかり合いも2であったのでもういいのかなと。
・イエティやミイラがなぜオコーネル側にいたのかが全く持って不明だったこと

どおでもいい点。
・オコーネルさんショットガン使わないよ
・エヴィリンさん配役変わってる?
・ジェットリーの皇帝格好いい。リンかわいい。アレックス影超薄い。
・旧作に出ていた人+エヴィリンさんのの皺が気になる。
・実はイエティ最強?


以上から点数つけるとなると75点です。


最後にスタッフロールの漢字が普通にデザインとして格好良いなぁ。
漢字の良さを再発見。

日本と朝鮮半島 (倭寇)

2008年08月16日 17時17分02秒 | Weblog
元寇以降、東シナ海周辺は倭寇によって無法地帯と変わりました。

●倭寇
元寇で壊滅的なダメージを負った対馬、壱岐、松浦党の生き残りは恨み、捕虜となった家族の奪還、経済的回復等のため朝鮮、中国沿岸部などにゲリラ的な略奪行為にでます。
世に言う倭寇です。
この倭寇、最初は沿岸部の略奪行為(海賊)でしたが、次第に力を強め、高麗の城に対して攻城戦を行うまで強力になってきます。

高麗は2度の日本侵攻失敗に続き、この倭寇の出現、元への貢物により急速に疲弊、結果李氏朝鮮へと変わります。
結果的な話からいえば高麗は元とともに日本に戦争を仕掛け、負け、日本の国民から反感をかい、ゲリラ攻撃を受け、国を滅ぼしてしまったことになります。

日本では褒章をもらえない人たちが旧体制の反発し悪党(現代の悪者って意味ではありません。当時の政府に反旗を翻す人たち、また当時の悪は強さのみを追い求める人たちの事をいいました)となり、鎌倉幕府が没落していきます。

元寇のカウンターとして正規軍ではない海賊が動いていた事は日本にとっては最初は都合が良かったのですが、それがエスカレートしていき、また天皇が二人存在するといった南北朝時代で内政混乱時期だったため倭寇の取り締まりが遅れました。

前期の倭寇が元寇に対する私怨によるものが大きいのに対し、後期(勘合貿易以後)は朝鮮人や中国人が指導者となり名前は倭寇、でも本当は中国の海賊といった不思議な倭寇(海賊)が出来てきます。

これは交易ルートが中国ルートから南蛮、つまり東南アジアルートに変わるまで続きました。

元は内部分裂を起こし、中国はモンゴル民族の元から明(明朝体のアレです)に変わります。
その後、戚継光という武将が倭寇退治に成功します。
戚継光は後に北方の守り(騎馬民族の襲来)のために屯所も兼ねた万里の長城の改修に着手します。
結果この万里の長城の改築が慢性的な明の財政難に陥ることになります。
財政難が続き、結果がんばって作った万里の長城の門を自分で開け、清(満州民族)を受け入れた事は皮肉としか言い様がないですが。

●応永の外冦
倭寇の荒らし行為があまりにも凄かったため、李氏朝鮮は対馬に侵攻、応永の外冦が起こります。
当時対馬では代替わりがあり、沈静化していた倭寇が息を吹き返した事が事の発端です。
李氏朝鮮の奇襲戦で始まりましたが成功せず、日本軍と膠着状態に陥り(死者日本123名、朝鮮2500名)、結果和解案に調印、収束するに至りました。

ちなみにこの倭寇、応永の外冦が後の秀吉の朝鮮出兵に繋がっていきます。


●韓国との領土問題
この時李氏朝鮮は「対馬は慶南(朝鮮半島の南東地方)だ」と根拠が薄い大儀を挙げたため、現在の竹島を含めた対馬の領土権問題に繋がっています。

しかしこれは一方的な侵略行動のため(それも倭寇警備問題から発した)、対馬を韓国領土と本当に思っているのは朝鮮半島のひとしか思っていません。

これに対し対馬を日本の領土とする根拠は魏志倭人伝ですでに対馬国があり、邪馬台国に属していたという記載があります。
実質的支配から見ても日本の領土と見てとらえ、GHQも「対馬問題は韓国の領土とする根拠がない」としています。


竹島(独島)問題は現在韓国軍の占拠しており、日本側は国際法廷で話し合おうとしていますが、韓国側は「自国の領土なので出る必要がない」と拒否しています。
竹島(独島)はグレーゾーンなので他国では島としておらず、リアンクール岩礁として扱われています。


領土問題は主に韓国併合に伴う事が多いですがそちらは近代史にて

日本と朝鮮半島 (元寇)

2008年08月16日 16時31分44秒 | Weblog
元寇と言えば日本の歴史教科書では良く出てくる部分です。
外敵相手のまるで歯が立たない戦闘にひたすら防戦していたら神風が吹いて助かったみたいな風にかかれていますが実際には違います。


●元と日本の関係
元(モンゴル帝国)は当時南宋と戦っていました。
日本はこの南宋と交流のある国でした。
この事から元は南宋の後ろを絶つ意味でも日本に属国になる書状を何回も送りつけてきますが朝廷、鎌倉幕府はこれを無視し続けます。

元はフビライの建国以来、南宋攻略を重視していため、日本侵攻はさほど重要視していませんでしたが属国である高麗(コリア)の忠烈王が再三に渡り元に日本侵攻を進言しています。
これは日本に恨みと言うよりは内政基盤の強化(元軍の駐留による治安維持)と元への忠義により元属国の地位向上、領土拡大のためと思われます。

●文永の役
こうして元軍は日本に侵攻していきます。
最初元軍は対馬、壱岐、九州松浦地方などに侵攻し、一般人も大量虐殺されました。
日本のそれまでの戦闘では戦闘は武士がするもので一般人は搾取があっても一つの地域の人全てが虐殺されることはありませんでした。
捕虜は両手に穴を空けられ、船につるされたという記録もあります。
この大量虐殺が後の明、李氏朝鮮を悩ませる海賊集団、倭寇につながります。

鎌倉幕府は古来からの軍事拠点の太宰府に終結し、海岸での戦闘をしますが日本は名乗りをあげて一騎撃ちが基本だった(両軍の被害を最小限に留める為の日本内での戦いのルール)ため集団で殲滅作戦をとる元軍に次々と負けていきます。また、てつはう(爆弾)などの新兵器の攻撃もあり、ついには上陸を許してしまいます。
元軍は博多を制圧するも太宰府を本営とする幕府軍が博多から撤退した際、執拗に追撃し、結果戦線が長くなりすぎ、武将が逆に討ち取られ、また矢も底をつき士気も落ちたところで日本から撤退を決意します。
火を放ち撤退する最中、幕府軍が箱崎で矢を放つと元軍は壊走し、朝鮮に戻る最中に玄界灘で遭難しました。

よく言われる元寇→神風と言うのは間違いです。


●弘安の役
文永の役以降から鎌倉幕府は九州の海岸線沿いに防塁を作りました。
そして南宋が落ちたころ、日本に送った使者が殺された事を知ったフビライは激怒し、14万の兵(元、朝鮮、そして士気の低い南宋兵)を用い再度日本に攻めてきました。
対する幕府軍は4万。数に差がありますが今回は水際で防衛、小舟で単騎突入(船などの狭いところでは一騎打ちに慣れている幕府軍が優勢だった)などにより3カ月本隊を海上に停留させます。
元軍は後詰めで船を新たに送り込もうとしますが季節は台風シーズン。補給もできない状況に陥りました。
本軍も長い停留により疲弊、食糧資材不足の上にこの台風をもろに食らいます。
結果14万の兵の8割を失いこの戦いは終結します。
このときの損害は元(モンゴル帝国)の全水軍の2/3にまでのぼったと伝えられています。

捕虜の中で交流があった南宋人以外は処刑され、その南宋人の作った街が今の博多の唐人町といわれています。

この後にもう1度日本侵攻計画が立てられますがこのとき既に元内部では相続争い、内乱などが起こり、弱体化、とても戦争する余裕がなくなったため計画は立ち消えました。
疫病もかさなり元は弱体化し南京を拠点とした明によって押し上げられ、万里の長城より南は明となりました。


●元寇の不思議な点
文永、弘安どちらとも言えることは元軍本体の背後連絡線の消失、本体の補給物資の枯渇ですが、文永の役に出てくる「矢がなくなった」とはどういうことなのでしょうか?
一般的には文永の役は元の威嚇行動だったとする説が有力です。
そのため元はこの時点は日本攻略は本気ではなかったと思われます。
高麗の忠烈王があまり強硬に進言したため「じゃ、やってみな」的な意味が大きかったのではないでしょうか?
韓国の歴史では元からの強い要請で行ったとありますが、元から日本への書状、南宋との戦闘などを考えると文永の役の時点での攻撃をしかけるのは時期としては尚早としか言えません。

実際の戦争の準備は船を建造、人員、補給物資など殆どが高麗から出資されたため高麗の急激な財政難があったのではと考えられます。

戦争をするにも物資が足りず、本国からの補給連絡線も海路で確実ではなかったため攻撃側なのに篭城戦の体になったものと思われます。

これは弘安の役にも言え、神風という突発的な神がかり的な奇跡が発生したのではく、3ヶ月間も海上に停留させることによって起きた兵糧攻めの効果、加えて水計といった軍略によるものと判断できます。

まぁ、この計略があまりに鮮やか過ぎて太平洋戦争では普通に考えたらありえないと思える神国思想が普通にまかり通る事になるのですが、、、

日本と朝鮮半島 (倭と朝鮮半島)

2008年08月15日 22時48分38秒 | Weblog
韓国大統領、「日本との関係は維持」 竹島問題は断固対処


一般的に隣国同士は仲が悪いのはどこも一緒ですがちょっと最近また色々物騒になってきたと思います。

なんでこんなに拗れているのかを朝鮮半島と日本の歴史を通して見ていきたいと思います。


●倭王権と朝鮮半島
日本と朝鮮は昔から仲が悪かったようです。
古墳時代に成立してきた倭(やまと)王権は畿内を中心として関東~九州南部間の地方勢力の緩やかな関係の上で成り立った連合王権です。
倭王権については資料が少なくはっきりしない(倭国とヤマト王権は別勢力説等)ですが、主に農業国で交易によって朝鮮半島から鉄を買い、国内の生産力を上げていき鉄のある朝鮮半島へ軍事行動を起こしたと考えられています。
朝鮮半島南部(任那)を支配するまでになりましたが(この件に関して朝鮮の方は力強く否定していますが廣開土境平安好太王碑、マガダマの出土など確証あり)、満州が拠点の高句麗が南下、それに伴い友好関係の百済の弱体化、新羅や九州豪族の離反(磐井の乱)があり、朝鮮半島の足場を失ってきたとされています。

●白村江の戦い
この中で日本が朝鮮半島に大きく関与したのが白村江(はくすきえ)の戦いです。
倭国の友好国の百済が滅亡し、唐をバックに持った新羅が台頭してきます。
倭国はこの百済の生き残りと合わせ、新羅、唐連合軍と戦います。
戦力は倭、百済軍が5万、新羅、唐軍が1万と数では倭、百済軍が優勢に見えましたが、結果は倭、百済軍の大敗。百済難民とともに日本に戻ります。

この敗戦により倭国は九州の防衛線を強くせざるを得ませんでした。
大宰府の強化、防人がそれです。
防衛線強化は倭、新羅両国の関係がさらに悪化させる原因になります。
その間にも倭は唐に遣唐使を送り国交を回復させ、新羅に対立する北の渤海(高句麗)へ遣渤海使と外交ルートの強化をしていきます。

また、朝鮮半島の足場を失っていく過程でヤマト(倭→大和の過程の為あえてカタカナです)は内政基盤が緩かったため内政強化に乗り出します。南九州の隼人(薩摩隼人)や関東以北の蝦夷(アイヌ)と戦い平定していきます。
この頃になると大陸系の文化人の移住も増えていきました(秦氏など)。
緩やかな形ではありますが民族の同化が始まっていきます。

教科書に出てくる日本の歴史には明治維新以前は国内戦争の話が殆どですが、実際にはこのように(主に朝鮮半島で)外とも戦争を積極的に行っていたようです。

朝鮮半島との関係は暫く小康状態が続きますが、次に大きく揺らぐのが元寇です。

SHUZOMix

2008年08月05日 21時56分59秒 | Weblog



暑い夏、逆に暑いお茶を飲んで涼をとるというのがありますが、暑い夏には暑苦しい画像でもみて気分を和ませるのはどうでしょうか?

暑苦しいで有名な松岡修造さんのサイトのビデオレターを編集したもののようです。


・・・しかし脇にスプレーの時の顔、満面の笑みだな。