Urocyon cinereoargenteus

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鶴ヶ城

2007年06月29日 21時33分41秒 | 旅、風景


鶴ヶ城は黒川城と呼ばれ、蘆名直盛が東黒川館を造ったのが始まりとされています。
その蘆名氏は磐梯山ふもとの摺上原で伊達政宗に大敗したことにより滅ぼされてしまいます。

その後、黒川城は伊達家の所有になりますが、豊臣秀吉の奥州仕置きにより伊達は旧蘆名領を没収されてしまいます。その後の城主は蒲生氏郷に代わり、上杉景勝に代わり、江戸時代には会津松平氏の居城として使われ、戊辰戦争の一つ、会津戦争まで続きました。


何時まで待てる?

2007年06月19日 00時06分49秒 | 旅、風景

新宿で有名なドーナツ屋の話でも。

新宿サザンテラスにある「クリスピー・クリーム・ドーナツ」。

あまりに有名でデイリーポータルの記事にもなっていました。
http://portal.nifty.com/2007/05/29/c/

休日は橋を超えてタイムズスクウェアまで並んでいるのを見かけますが平日の昼に行った同僚がいたので聞いてみました。
夜勤後なので並び始めた10時近くだったらしいのですが、11時になっても全然進まなく、待っている間に小さいドーナツの切れ端をもらったらしいのですが、このまま待っても12時を越えると言われたため結局諦めたようです。

夜勤明けにはさすがにきついですね。



別の人の話。

ここのドーナツは夜の12時でも並んでいるようです。

終電ないじゃん。
・・・ネズミーのアトラクションでもそんなに待たないよ。


朝は若干空いているらしいのですが7時、8時でも並んでいるようです。

列は3時間待ちもあるとの事。


しかしそんなに美味いのかと前者の同僚に聞いてみたら「甘い」の一言。

これは好き嫌いがはっきりしそうですね。


ただここに来る人はカップルが多いようです。

一人で来ると居た堪れなくなるとか。。。


自分ですか?

自分待つの本当に嫌いなんで絶対行かないと思います。


写真:今年の3月に並びがあまりに凄いので撮ったもの。


東西戦

2007年06月16日 14時09分12秒 | 信on
毎年恒例の東西戦に行って来ました。

さっそく大将に挨拶しに行きました。
当然負けているほうから。

去年までは忍者でしたが、今年は似たようなスタイルの傾奇ができたのこちらで取り付き試してみました。

・・・意外と楽でした。

といいますかNが少ないですね。
大将取り付いた後で行進していないことに気がつきました。

今回の合戦は武将とPメインって事なんでしょうか?
あまり真新しいものは無いようにみえます。

今回の新しいところとして出てきた兵站。
英語で言うとロジスティクス。
さらに日本語に訳すと物流。

まぁこんなのはどうでもいいのですが、やっている人って全くといっていいほどいませんね。
自分もやってみましたが正直割に合わないです。

もらえる武勲が

固定大筒 1
逆茂木 5

これでは誰もやらないのは納得できます。
しかも合計100回往復するとなるともうやる前から萎えますね。

去年もそうでしたが間接的な武勲があまりにも低すぎるような気がします。

せめて武勲は5倍以上で大筒は半分~1/10ぐらいじゃないと誰もやらないような気がします。
作りやすいが壊れやすい。
そのくらいで皆やると思うのですが。

二ヶ領用水

2007年06月11日 00時17分46秒 | 旅、風景
中野島付近の二ヶ領用水の写真です。

元は農業用、工業用の用水だったのですが今は住宅街の間を縫うように流れてます。
ドブ川とは違い、ちゃんと底も見えますし、魚もいます。
なんとも不思議ですね。


江戸時代の東京近郊は当時世界で尤も進んだ灌漑設備を擁し、それによって栄えたのは言うまでもありません。
元々関東地域は関東ローム層で左手を横にしたような台地ばっかりの土地だったため、灌漑設備は必要だったようです。


用水路で有名なのは玉川上水ですね。

四谷まで流れている川が実は人の手に作られたものであることは意外と知られていません。
ちなみに玉川上水の玉川は人の名前で、玉川兄弟が私財を投げ打って作ったのが始まりです。
今でも玉川は地名に沢山残っています。
また、この玉川上水が現在の東京都の多摩地区が編入された理由でもあります。


話はそれましたが二ヶ領用水は徳川家康の治水、新田開発で作られました。

また二ヶ領用水は桜がたくさん植えられてて春先は見事な花を咲かせます。
宴会できるスペースは無いけど花を愛でるには丁度いいのかもしれません。
自分的には宿河原、中野島辺りの夜桜は最高だと思います。


●まとめ
東京近郊でも守られている自然がある

二ヶ領用水の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%B6%E9%A0%98%E7%94%A8%E6%B0%B4

玉川兄弟の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E5%85%84%E5%BC%9F

狛江の思い出

2007年06月10日 01時27分15秒 | 旅、風景
今日一日信長ばっかりやってましたが、午後3時ぐらいに落ち着いたので折角の休日、元住んでいた狛江へ足を運んでみました。

久しぶりに商店街やら元住んでいたところやら狛江駅すぐの泉龍寺や多摩川の河川敷やら自転車で走ってました。

昔と殆ど変わってないのがうれしいですね。


今思うことは狛江って自然が多いなということと、都市計画がいいのか全体的にバランスがいいことです。

多摩川土手を走ると休日にシートをひいて寝転んで外で本を読んでいた事を思い出します。

あと買ってきたブーメラン二回目で多摩川に落ちた事とか。


正直小田急線は使いづらいと思いますが、一応小田急で新宿、バスで渋谷に行けますし、閑静な住宅街ですし、多摩川土手など自然が多いですし、今更ながらそんなに悪くも無い所だったなと感じます。


なんだか今の所も飽きてきたのでそろそろ引っ越そうかなと思った一日でした。


写真:世田谷通りの橋(名前忘れた)を通りかかったらロマンスカーが丁度通過したときの一枚。

イリエワニの話でも

2007年06月02日 02時41分04秒 | 信on
最近海1の乱射徒党しか呼ばれてないのでその中の敵キャラの話でも。


イリエワニは実在します。


http://members.at.infoseek.co.jp/big_game/crocodile/croco1.html

特徴は6Mぐらいの体。
最大だと10Mいくのもあるようです。

現在発見されている最大の爬虫類としても有名です。
もはや恐竜と言っても過言じゃないですね。

人食いワニとしても有名で、主に汽水域に住んでいます。
このワニは耐海水性が高く海でも泳げます。
それも1000kmとか半端じゃないくらい。


被害事件で有名なのは日本兵でしょう。
ワニの襲撃にあい一晩で1000人→20人なったといった事件です。

http://scrapbook.ameba.jp/rekisi_book/entry-10029495398.html


分布は東南アジア、オセアニア北部で八丈島に流れ着いたという記録もあるようです。


非常に怖い生き物ですが、現在の日本には生息していません。
変温動物のワニには日本の四季は辛いのかもしれません。

一般的な解釈では日本にはワニがいなく(化石ではマチカネワニ、ヨウスコウアリゲーター等の発見はある)、古事記に出てくる因幡の白兎に出てくるのも和邇=鰐=鰐鮫=鮫と解釈されています。この説は山陰地方では鮫を鰐と言うのも理由の一つです。

ただ、豊玉媛命のくだり部分等の鰐の表現は現在のワニに非常に似ています。
また、後漢代の中国では人畜以外にも虎を殺すワニがいたと記録があります。
凶暴さからイリエワニと同じクロコダイル種の物と思われます。
もしかしたらこの時代のワニは生息域は現在よりもっと北だったのかもしれません。
そのワニを古代日本人が流れ着いたのを見て次第に神聖化したものとも解釈できます。

どちらにせよ後者が本当なら古代日本人はワニを知っていたことになります。
現在だと信じられない話ですが。