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日本と朝鮮半島 (倭と朝鮮半島)

2008年08月15日 22時48分38秒 | Weblog
韓国大統領、「日本との関係は維持」 竹島問題は断固対処


一般的に隣国同士は仲が悪いのはどこも一緒ですがちょっと最近また色々物騒になってきたと思います。

なんでこんなに拗れているのかを朝鮮半島と日本の歴史を通して見ていきたいと思います。


●倭王権と朝鮮半島
日本と朝鮮は昔から仲が悪かったようです。
古墳時代に成立してきた倭(やまと)王権は畿内を中心として関東~九州南部間の地方勢力の緩やかな関係の上で成り立った連合王権です。
倭王権については資料が少なくはっきりしない(倭国とヤマト王権は別勢力説等)ですが、主に農業国で交易によって朝鮮半島から鉄を買い、国内の生産力を上げていき鉄のある朝鮮半島へ軍事行動を起こしたと考えられています。
朝鮮半島南部(任那)を支配するまでになりましたが(この件に関して朝鮮の方は力強く否定していますが廣開土境平安好太王碑、マガダマの出土など確証あり)、満州が拠点の高句麗が南下、それに伴い友好関係の百済の弱体化、新羅や九州豪族の離反(磐井の乱)があり、朝鮮半島の足場を失ってきたとされています。

●白村江の戦い
この中で日本が朝鮮半島に大きく関与したのが白村江(はくすきえ)の戦いです。
倭国の友好国の百済が滅亡し、唐をバックに持った新羅が台頭してきます。
倭国はこの百済の生き残りと合わせ、新羅、唐連合軍と戦います。
戦力は倭、百済軍が5万、新羅、唐軍が1万と数では倭、百済軍が優勢に見えましたが、結果は倭、百済軍の大敗。百済難民とともに日本に戻ります。

この敗戦により倭国は九州の防衛線を強くせざるを得ませんでした。
大宰府の強化、防人がそれです。
防衛線強化は倭、新羅両国の関係がさらに悪化させる原因になります。
その間にも倭は唐に遣唐使を送り国交を回復させ、新羅に対立する北の渤海(高句麗)へ遣渤海使と外交ルートの強化をしていきます。

また、朝鮮半島の足場を失っていく過程でヤマト(倭→大和の過程の為あえてカタカナです)は内政基盤が緩かったため内政強化に乗り出します。南九州の隼人(薩摩隼人)や関東以北の蝦夷(アイヌ)と戦い平定していきます。
この頃になると大陸系の文化人の移住も増えていきました(秦氏など)。
緩やかな形ではありますが民族の同化が始まっていきます。

教科書に出てくる日本の歴史には明治維新以前は国内戦争の話が殆どですが、実際にはこのように(主に朝鮮半島で)外とも戦争を積極的に行っていたようです。

朝鮮半島との関係は暫く小康状態が続きますが、次に大きく揺らぐのが元寇です。