元寇以降、東シナ海周辺は倭寇によって無法地帯と変わりました。
●倭寇
元寇で壊滅的なダメージを負った対馬、壱岐、松浦党の生き残りは恨み、捕虜となった家族の奪還、経済的回復等のため朝鮮、中国沿岸部などにゲリラ的な略奪行為にでます。
世に言う倭寇です。
この倭寇、最初は沿岸部の略奪行為(海賊)でしたが、次第に力を強め、高麗の城に対して攻城戦を行うまで強力になってきます。
高麗は2度の日本侵攻失敗に続き、この倭寇の出現、元への貢物により急速に疲弊、結果李氏朝鮮へと変わります。
結果的な話からいえば高麗は元とともに日本に戦争を仕掛け、負け、日本の国民から反感をかい、ゲリラ攻撃を受け、国を滅ぼしてしまったことになります。
日本では褒章をもらえない人たちが旧体制の反発し悪党(現代の悪者って意味ではありません。当時の政府に反旗を翻す人たち、また当時の悪は強さのみを追い求める人たちの事をいいました)となり、鎌倉幕府が没落していきます。
元寇のカウンターとして正規軍ではない海賊が動いていた事は日本にとっては最初は都合が良かったのですが、それがエスカレートしていき、また天皇が二人存在するといった南北朝時代で内政混乱時期だったため倭寇の取り締まりが遅れました。
前期の倭寇が元寇に対する私怨によるものが大きいのに対し、後期(勘合貿易以後)は朝鮮人や中国人が指導者となり名前は倭寇、でも本当は中国の海賊といった不思議な倭寇(海賊)が出来てきます。
これは交易ルートが中国ルートから南蛮、つまり東南アジアルートに変わるまで続きました。
元は内部分裂を起こし、中国はモンゴル民族の元から明(明朝体のアレです)に変わります。
その後、戚継光という武将が倭寇退治に成功します。
戚継光は後に北方の守り(騎馬民族の襲来)のために屯所も兼ねた万里の長城の改修に着手します。
結果この万里の長城の改築が慢性的な明の財政難に陥ることになります。
財政難が続き、結果がんばって作った万里の長城の門を自分で開け、清(満州民族)を受け入れた事は皮肉としか言い様がないですが。
●応永の外冦
倭寇の荒らし行為があまりにも凄かったため、李氏朝鮮は対馬に侵攻、応永の外冦が起こります。
当時対馬では代替わりがあり、沈静化していた倭寇が息を吹き返した事が事の発端です。
李氏朝鮮の奇襲戦で始まりましたが成功せず、日本軍と膠着状態に陥り(死者日本123名、朝鮮2500名)、結果和解案に調印、収束するに至りました。
ちなみにこの倭寇、応永の外冦が後の秀吉の朝鮮出兵に繋がっていきます。
●韓国との領土問題
この時李氏朝鮮は「対馬は慶南(朝鮮半島の南東地方)だ」と根拠が薄い大儀を挙げたため、現在の竹島を含めた対馬の領土権問題に繋がっています。
しかしこれは一方的な侵略行動のため(それも倭寇警備問題から発した)、対馬を韓国領土と本当に思っているのは朝鮮半島のひとしか思っていません。
これに対し対馬を日本の領土とする根拠は魏志倭人伝ですでに対馬国があり、邪馬台国に属していたという記載があります。
実質的支配から見ても日本の領土と見てとらえ、GHQも「対馬問題は韓国の領土とする根拠がない」としています。
竹島(独島)問題は現在韓国軍の占拠しており、日本側は国際法廷で話し合おうとしていますが、韓国側は「自国の領土なので出る必要がない」と拒否しています。
竹島(独島)はグレーゾーンなので他国では島としておらず、リアンクール岩礁として扱われています。
領土問題は主に韓国併合に伴う事が多いですがそちらは近代史にて
●倭寇
元寇で壊滅的なダメージを負った対馬、壱岐、松浦党の生き残りは恨み、捕虜となった家族の奪還、経済的回復等のため朝鮮、中国沿岸部などにゲリラ的な略奪行為にでます。
世に言う倭寇です。
この倭寇、最初は沿岸部の略奪行為(海賊)でしたが、次第に力を強め、高麗の城に対して攻城戦を行うまで強力になってきます。
高麗は2度の日本侵攻失敗に続き、この倭寇の出現、元への貢物により急速に疲弊、結果李氏朝鮮へと変わります。
結果的な話からいえば高麗は元とともに日本に戦争を仕掛け、負け、日本の国民から反感をかい、ゲリラ攻撃を受け、国を滅ぼしてしまったことになります。
日本では褒章をもらえない人たちが旧体制の反発し悪党(現代の悪者って意味ではありません。当時の政府に反旗を翻す人たち、また当時の悪は強さのみを追い求める人たちの事をいいました)となり、鎌倉幕府が没落していきます。
元寇のカウンターとして正規軍ではない海賊が動いていた事は日本にとっては最初は都合が良かったのですが、それがエスカレートしていき、また天皇が二人存在するといった南北朝時代で内政混乱時期だったため倭寇の取り締まりが遅れました。
前期の倭寇が元寇に対する私怨によるものが大きいのに対し、後期(勘合貿易以後)は朝鮮人や中国人が指導者となり名前は倭寇、でも本当は中国の海賊といった不思議な倭寇(海賊)が出来てきます。
これは交易ルートが中国ルートから南蛮、つまり東南アジアルートに変わるまで続きました。
元は内部分裂を起こし、中国はモンゴル民族の元から明(明朝体のアレです)に変わります。
その後、戚継光という武将が倭寇退治に成功します。
戚継光は後に北方の守り(騎馬民族の襲来)のために屯所も兼ねた万里の長城の改修に着手します。
結果この万里の長城の改築が慢性的な明の財政難に陥ることになります。
財政難が続き、結果がんばって作った万里の長城の門を自分で開け、清(満州民族)を受け入れた事は皮肉としか言い様がないですが。
●応永の外冦
倭寇の荒らし行為があまりにも凄かったため、李氏朝鮮は対馬に侵攻、応永の外冦が起こります。
当時対馬では代替わりがあり、沈静化していた倭寇が息を吹き返した事が事の発端です。
李氏朝鮮の奇襲戦で始まりましたが成功せず、日本軍と膠着状態に陥り(死者日本123名、朝鮮2500名)、結果和解案に調印、収束するに至りました。
ちなみにこの倭寇、応永の外冦が後の秀吉の朝鮮出兵に繋がっていきます。
●韓国との領土問題
この時李氏朝鮮は「対馬は慶南(朝鮮半島の南東地方)だ」と根拠が薄い大儀を挙げたため、現在の竹島を含めた対馬の領土権問題に繋がっています。
しかしこれは一方的な侵略行動のため(それも倭寇警備問題から発した)、対馬を韓国領土と本当に思っているのは朝鮮半島のひとしか思っていません。
これに対し対馬を日本の領土とする根拠は魏志倭人伝ですでに対馬国があり、邪馬台国に属していたという記載があります。
実質的支配から見ても日本の領土と見てとらえ、GHQも「対馬問題は韓国の領土とする根拠がない」としています。
竹島(独島)問題は現在韓国軍の占拠しており、日本側は国際法廷で話し合おうとしていますが、韓国側は「自国の領土なので出る必要がない」と拒否しています。
竹島(独島)はグレーゾーンなので他国では島としておらず、リアンクール岩礁として扱われています。
領土問題は主に韓国併合に伴う事が多いですがそちらは近代史にて