実は今回行った中で一番良かったところです。
誰もいないし手も荒らせてないし、そしてなにより原型を留めている点で。
歩いてみると分かるのですが当たり前ですが両側が高い。高さは10mはありそうです。
写真を見ると簡単に見えそうですが登るのは非常に困難に思われます。
土もやわらかいし、枯葉も多く足をとられそうです。
道も意外に細く、横並びは三人ぐらいですね?
多分鎧に槍装備したら2列ぐらいで進むことになりそうです。
意図的ににクランクが作られています。
こういうところで左側から長槍や弓や投石すると部隊は混乱しそうです。
南側に出てくだり障子堀にいけると思いましたがダメでした。
見てみたかったのですが。
しょんぼりして下っていったらマンションでもめたところにこんなのが。
アレだけ壊されて名前だけあっても意味ないのですが。
●まとめ
小田原市はもっと郷土を大切にしたほうが良いですよ。
確かに箱根前の重要な拠点なのは分かりますが、小田原城のコンテンツの無さ、逆に重要なものを取り壊していたということは、郷土の歴史と見ても観光としてもダメなところです。
先人の残してきた物を上手く伝えて行き大きな遺産とするかは今いる人にしか出来ません。
例えば北条氏も結局は秀吉に負けましたが単なる凡将ではなかった事もアピールして欲しいですね。
最大版図は群馬全域、栃木半分、茨城半分、千葉全域、埼玉全域、東京、神奈川全域、伊豆となり、石高は210万石。
関が原直後の伊達でも60万石→幕末で漸く100万石、加賀の前田でも100万石とすればこの巨大さは実感できると思います。
何故そこまでなり得たのか?
そういったところも掘り下げて欲しいですね。
前述した二宮尊徳も「へー、小田原出身だったんだ」って思われているのではダメだと思います。
もっとアピールして小田原には報徳二宮神社だってありますってぐらいいえるぐらいになってほしいものです。
なにを伝えていかなければならないのか?
その部分を大切にして欲しいと思います。
結局小田原では色々見ましたが、お金かけた動物園やコンテンツが分散して逆に金かけてないように見える小田原城や色々取り壊されている先人の遺功といったものより、道端に咲く一輪の梅の花の方がはるかに綺麗に見れたのは自分だけでしょうか?