さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

愛なき解の凝集と、愛ある解の霧散

2009年09月28日 04時11分16秒 | 勝利条件論
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■

 Ep5当時に執筆されました]

     ☆

(引用開始)
 昨日のうみねこチャットで出た話で「愛ある解の発散」という言葉がありました。
 敵が愛なく「解」を凝集……「夏妃を犯人と決め付ける」ことから、戦人は「愛」をもって「そうともいいきれない。他の可能性もある」と別の仮説を提示する。そうすることで夏妃の名誉を守るわけです。解を発散して、一つに定めさせない。
 このことから、EP6では「非現実的解釈により特定の人物が犯人として決定されかかると、戦人が愛をもって現実的解釈により別の可能性を提示する」というお話になるかもしれません。
(引用終了)
【うみねこのなく頃にEP5プレイメモ:02】[ネタバレ] ゲーム開始前 1985年親族会議/雛見沢研究メモ(仮)
http://irimadonna.blog63.fc2.com/blog-entry-673.html



『ヱリカの「愛のない解の凝集」に対して、戦人の「愛ある解の霧散」』という発言をしたのは、じつはわたしなんですが(http://digicha.jp/erlkonig/chat_s_log.html?o=18&l=50)、これは作中の事象だけでなくて、ユーザーの推理空間のことも、少し念頭に置いていました。

「ひとつの解があり、それは明かされなければならない」
 というミステリーの約束事は、ひょっとして、狭いのではないか。
 時としてそれは暴力性なのではないか。

 現状、たくさんのうみねこユーザーが、それぞれの、無数の「解」を提示しています。そして、それは絶え間なく増え続けています。
 つまり、解は絶え間なく「発散」方向にむかっている。一個に収束することなく、たえず広がり、散らばっていっている。
「うみねこ」の物語は、そのことこそを良しとしているように思えるのです。

 いったい、誰の推理が正しく、誰の推理が間違っているのかを、決める必要があるのか?
「間違っている」とされたら、その推理は捨てねばならないのか?
 月にはうさぎの文明がある、という美しい夢を、捨てなければならなかった戦人みたいに?

 ep5で、戦人がすごく良いことをいっていて、わたしはこのセリフが大好きなのです。
「あぁ、そうだ。俺の真実に関係なく、お前の真実も同時に存在する。……それが、この世界だ」
「ここでは、想像の数だけ真実があっていいんだ。それを、誰も一方的に否定してはならない…!」


 さて……。
 この話は「作者」のアクションを大幅に制限しそうな予感がします。
 作者が、「解答編」といって、「答え」を出したら、解がひとつに凝集(収束)し、結果的にそれ以外が否定されるかたちになります。
 わたしみたいに「作者の答えより、わたしが描いた夢のほうが美しいに決まってる」とかいうあつかましい人は別ですが、そうでない大部分の人は、「ああ、これが正解か、自分のは間違ってた」と素直に思ってしまうにちがいありません。

 でも、この物語って、そういう解の収束を良しとはしていないと思うのです。
「想像の数だけ真実があっていい」「誰も一方的に否定してはならない」という世界です。
「誰も」というのは、もちろん作者も含むはずです。
 ユーザーが組んださまざまな推理は、その人が描いた美しい夢です。
 ひとつの強力な解よりも、いろんな人のたくさんの夢が、星空みたいにカラフルに散らばっている状態のほうを、尊いと思う。そういう思想があるようにも感じられるのです。

 ひょっとして、この「うみねこのなく頃に」という物語は、決定的な解答を、あえて明かさないまま終わるかもしれないですね。
 ある程度、みんなが納得するような説明は出しつつ、核心だけは伏せられるとか。
 たとえば、ベアトリーチェが誰なのか、といったことは、もしかして明かされないんじゃないか……という予感です。ちょっと、こわい予感ですが。


 どうして、「うみねこのなく頃に解」というタイトルは選ばれず、「うみねこのなく頃に散」が選ばれたのか。その理由もひょっとしたら、ここにあるのかもしれません。
「解」も「散」も、「ほどける」という意味であって、つまり謎がほどけてゆく物語なのですが、
「ひとつの解」
 という言い方はできても、
「ひとつの散」
 という言い方はできないのです。



■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■


■関連記事
●勝利条件論
 プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
 作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
 愛なき解の凝集と、愛ある解の霧散
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 碑文解読ep5・台湾説でFA | トップ | 朱志香の喘息・鎮守の祠と鏡... »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2009-09-29 03:46:52
やっと気づいたか・・・
なかなかいい推理の割に、まだ根本的な事を理解してなくて、惜しい!と思ってた。
真実を暴くという事は、竜騎士の答えを待つ事と等しいわけだ。
つまりあなたが推理してる「本当は朱志香が犯人かもしれない・・」とか碑文も黄金郷もEP5の真相も、最後の最後で竜騎士が「犯人は朱志香でしたー」「碑文は○○でしたー」とか、明かすのを待っているわけだ。
それはクイズと同じ。
まあ碑文や黄金郷については明かされるかもしれんけど、犯人やベアトの正体、本当にあった現実についてはわからない。
つまりは猫箱で、自分の答え、真実は自分だけで作れということ。
ここらへんは理解してるみたいだけど、まだ完全にわかってはいないみたいだね。
赤字や黄金字の解釈は俺と似てるってか、ほぼ同じ。てか普通わかると思うけど、なんか絶対の真実で現実!と勘違いしてる人が多いなあ
返信する
Unknown (Townmemory)
2009-09-29 04:45:55
自分では、以前から一貫して同じことを主張してきたつもりでした。
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/7e33a9aa8c743916f9cf92507a54b684
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/d289d6af1b438aabf7c43607825109dc
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/4e3589905dba3c2579c4141e229bce4d
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/c16acc419278605eb501823f377c76f8
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/e7e0cbe60c3395870c0698b7f0fc2dbf
http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/8c8e6972155727d5e3cd8b299b3ac936
返信する
Unknown (通行民)
2009-09-29 16:49:34
「俺と似てる」で「普通わかる」かあ
人の後に付いていって俺も同じこと考えてたっていうのは楽でいいなうらやましい
俺も真似したいけどできんわプライドあるし

unkownが前にしたコメント(推定だがほとんど確定だろ)探してみたが
urlに2chのスレを打ち込んであるんだよな
やめてくれんかなあ
自分も2chのうみねこスレ常駐だが
こいつと同類とは思われたくない

townmemory氏へ
騒がしてすみません
返信する
Unknown (aaa)
2009-09-30 19:35:02
俺は一番上の名無しは雛見沢メモの人じゃないかと思った。勘だが
返信する
Unknown (a)
2009-10-07 16:38:15
雛見沢研究の人かどうかは知らんが、Unknown(最初の)は自分で思いつきたかったことをいろいろ先に言われたんで負け惜しみ言いたかったんだろうなーとは思う

それよか2chくせえ書き込みが続いててワラタw
みんな読みに来てるんじゃねーかw
返信する
Unknown (EGOIST)
2012-02-03 07:47:45
ん?
これと同じこと、講談社ボックスのひぐらし解の後書きで竜騎士さんが言っていたような・・・・・・?
確か、これが自分のひぐらしの完結編だと言うのは自由に作っていい、それも認めましょう、だったような。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

勝利条件論」カテゴリの最新記事