※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■
「作者」に屈服しない方法
筆者-初出●Townmemory -(2009/05/22(Fri) 21:16:09)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=25465&no=0 (ミラー)
[Ep4当時に執筆されました]
●再掲にあたっての筆者注
他の方の書き込みへのレスポンスです。推理に感心してくださり、「あなたは神ですか」とまで言ってくださったので、それに関連して、「プレイヤーの勝利条件」「作者殺し」についての追補を書くことにしました。挨拶部分は削除しています。
クローン説とは、登場人物全員に同じ姿のクローンが存在し、それらは「島には17人しかいない」に含まれない、というダイナミックな説です。素晴らしいと思いました。
以下が本文です。
☆
私もときどき思うことがありますよ。
「竜騎士07さんは神ではないか」
って。
でも、そんなふうに思うのは、「魔女に屈服する」ことですから、
「いいや、作者は神などではない!」
「ユーザーと同位に存在する、無限に並列する仮説のひとつにすぎない!」
と、呪文のように唱えて、心が屈服しないように気をつけています(笑)。
神ですかって言われるより、「あなたは魔女ですか?」と言われるほうが嬉しいな。私の黄金郷へようこそ。歓迎します。ウチんとこの黄金郷にはおっかないヤギとかいませんので大丈夫です(笑)。
読んで下さって、感激して下さって、ありがとうございます。
そうだ、茶菓子がわりに、こんな話をしましょうか。
クローン説。
私、おもしろいと思います。
たとえば、こうです。
「クローン人間は、台所かどっかで手軽に作れる」
「そのクローンは、生まれた瞬間から、大人の姿である」
悪魔の証明により、否定できませんから、クローン説有効です。えーっ。
他にも私、同時にこんな説も持ってましたよ。
「犯人はドラえもん。タイムマシンで未来からやって来て、どこでもドアと通り抜けフープを駆使して犯行に及んだ。人間ではないから17人に含まれない」
エヴァ・ベアトリーチェが「人間以外の要素はこのゲーム盤に関係ない」と赤字で言ってしまいましたから、ドラえもん説は無効になっちゃいましたが、それでも、
「私は赤字を真実とは認めない!」
という立場を取るのなら、いまだに有効です。
もちろん、こんなことを言い出したら、すぐにこんな声が聞こえてきそうです。
「クローンやドラえもんは、『人間には不可能』という意味で、魔法と変わらない。つまりクローン説やドラえもん説を認めることは、魔法を認めることであり、魔女に屈服することじゃないのか」
ウム。もっともな意見ですよね。
でも、私はこういう仮説を持ってるんです。仮説っていうか、信念なんですが。
「煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めても、『我々プレイヤー』は、魔女に屈したことにはならない」
これ、きちんと言った人って、どのくらいいるのかなあ。
煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めたくない、認めたら負けだ、というのは、作中の「戦人」の勝利条件なんですよ。
我々はべつに戦人ではない。
だから戦人の勝利条件は私たちには適用されない。かってに、「私は適用されたい」っていう人はべつにそれでもいいですよ。でも、「適用されない」でもいい。
だから、煉獄七姉妹の同人マンガとか書いて即売会で頒布しても、魔女に屈したことにはぜんぜんなりません。「煉獄七姉妹って、“い”るよねー」って言っても、ぜんぜんかまわない。
さらに極端なこというと、
「密室殺人は、魔法で行われました」
と、私たちは、べつに認めたっていい。それを認めても、魔女に屈したことには「ならない」!
なぜ、そんな極端なことがいえるのか。
「うみねこのなく頃に」作品紹介、というページに、こんなことが書いてありますね。
「つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」
と。
さあ、ここにもう、トリックが仕掛けられていますよ。
ここでいう「魔女」が、ベアトリーチェのことだと、誰がいつ定義しました?
そう思い込んでるだけでしょう?
私はすでに、no25344 で、言いました。
作品の中に魔女がいるようだが、作品の外にも魔女がいるのだと。
「作品の外の魔女」は、何人もいるのだけど、ひとり、とんでもない大物がいる。
その大魔女の正体は、「作者」と呼ばれていたり、「竜騎士07」と呼ばれていたりするのだと。
戦人は、ベアトリーチェの魔法犯行説を認めたら、負けになってしまいます。
同じように、
「私たちプレイヤー」は、作者がこれから書く人間犯行説を認めたら、負けになってしまうのです。
考えてみれば、そりゃそうですよ。
たとえばね、これから、「解答編」が公開されていくでしょう?
そこには、たぶん、「人間で犯行が可能になるトリック」が、きっと明かされてますよね。
それを読んで、うのみにして、
「なるほどそうか、やっぱり人間のしわざだった」
そんなふうにうなずいたとしましょう。
それって、「魔女が敗北した。人間が勝利した」と言えるんでしょうか。
与えられたものを、ただ口に入れて飲み込んだだけじゃないですか。
それは、戦っていない。
戦っていないものが勝利することはないんです。
でも、いったい誰と戦うのか?
ベアトリーチェでしょうか。
ベアトリーチェは、戦人が戦ってくれています。
でも、戦人は、作品の「外側」にいる魔女とは、戦うことができない。
じゃあ、作品の外にいる魔女とは、誰が戦えばいいのか。
それは、私たちじゃないのか。
ベアトリーチェは、自分の説を戦人に認めさせようとします。
作者は、自分の説を私たちに認めさせようとします。
認めてはだめです。
作品紹介のページに書かれています。
「私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。」と。
これは、こういう意味です。
「ユーザーの勝利条件は、作者がこうだと考える正解を言い当てることじゃない」
ユーザーの勝利条件はこうです。
「作者がこうだと考える正解」以外の解答を、無数に織り上げ、並べ立てること。
「作者がこうだと考える正解」を、「無数にある確証のない説のひとつ」にしてしまうこと。
こんなことも書いてあります。
「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。」
ここでいう魔女とは、「常人にはありえない能力をそなえた特別な存在」というくらいの意味です。
ここでいう人間とは、「常識的な能力しか持っていない我々と同じ存在」というくらいの意味です。
私たちは、無意識のうちに、
「作者とは特別な存在で、彼が言ったことはそのまま真実になる」
と思っていないでしょうか。
それって、
「魔女は特別な存在で、彼女が言ったことはそのまま真実だ」
というのと、どこがちがうのでしょうか。
だから、「特別な存在」を否定して、「我々と同じ存在」にしないといけないのです。
その立場をとりつづけなければならない。
それができなくなったとき、私たちの負けです。
推理スレッドでは、たくさんの人が、意見を戦わせています。
「こうこうこういう理由で、あなたの推理は間違っていると思う。この点については、私の推理のほうが正しいと思う」
「いや、違う。それはあなたの読み違いで、こう考えれば私の推理は成り立つ。逆にあなたのは成り立たない」
とてもスリリングですよね。
そう。
私たちは、これと同じことを、「作者の推理」に対しておこなわねばならないんです。
それを放棄したら、負けです。
ということは。逆に言うならば。
「作者の推理」を認めないかぎり、ユーザーは負けにはならない。
ということは、
「作者の人間犯行説」を否定するための「手段」として、「魔法犯行説」を採用したってよいということになるんです!
どうでしょう。
面白くないですか。
そして、「作者の推理」と戦うためには、それ以外の推理がたくさんあればあるほどいい。
ユーザーの説が10個あったなら、作者の説は11分の1になります。
100個あれば、101分の1。
1000個あったら、1001人が好き勝手なことを言っているうちの、たった1個でしかなくなるんです。
これが、作者との戦い方です。
ということは、自分とはちがう誰か他の人の説がそこにあったとしたら、「穴があるよ」と指摘するよりは、「この穴はこうすれば埋まります」と言った方が、かえって戦いやすいんです。
なぜなら、穴が埋まったことで、その「誰かの説」はそれだけ強くなる。
強い説は、作者の説を撃退してくれるからです。
そんな感じ。
お茶菓子がわりの座興でした。
■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
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●勝利条件論
プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
「作者」に屈服しない方法
筆者-初出●Townmemory -(2009/05/22(Fri) 21:16:09)
http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=25465&no=0 (ミラー)
[Ep4当時に執筆されました]
●再掲にあたっての筆者注
他の方の書き込みへのレスポンスです。推理に感心してくださり、「あなたは神ですか」とまで言ってくださったので、それに関連して、「プレイヤーの勝利条件」「作者殺し」についての追補を書くことにしました。挨拶部分は削除しています。
クローン説とは、登場人物全員に同じ姿のクローンが存在し、それらは「島には17人しかいない」に含まれない、というダイナミックな説です。素晴らしいと思いました。
以下が本文です。
☆
私もときどき思うことがありますよ。
「竜騎士07さんは神ではないか」
って。
でも、そんなふうに思うのは、「魔女に屈服する」ことですから、
「いいや、作者は神などではない!」
「ユーザーと同位に存在する、無限に並列する仮説のひとつにすぎない!」
と、呪文のように唱えて、心が屈服しないように気をつけています(笑)。
神ですかって言われるより、「あなたは魔女ですか?」と言われるほうが嬉しいな。私の黄金郷へようこそ。歓迎します。ウチんとこの黄金郷にはおっかないヤギとかいませんので大丈夫です(笑)。
読んで下さって、感激して下さって、ありがとうございます。
そうだ、茶菓子がわりに、こんな話をしましょうか。
クローン説。
私、おもしろいと思います。
たとえば、こうです。
「クローン人間は、台所かどっかで手軽に作れる」
「そのクローンは、生まれた瞬間から、大人の姿である」
悪魔の証明により、否定できませんから、クローン説有効です。えーっ。
他にも私、同時にこんな説も持ってましたよ。
「犯人はドラえもん。タイムマシンで未来からやって来て、どこでもドアと通り抜けフープを駆使して犯行に及んだ。人間ではないから17人に含まれない」
エヴァ・ベアトリーチェが「人間以外の要素はこのゲーム盤に関係ない」と赤字で言ってしまいましたから、ドラえもん説は無効になっちゃいましたが、それでも、
「私は赤字を真実とは認めない!」
という立場を取るのなら、いまだに有効です。
もちろん、こんなことを言い出したら、すぐにこんな声が聞こえてきそうです。
「クローンやドラえもんは、『人間には不可能』という意味で、魔法と変わらない。つまりクローン説やドラえもん説を認めることは、魔法を認めることであり、魔女に屈服することじゃないのか」
ウム。もっともな意見ですよね。
でも、私はこういう仮説を持ってるんです。仮説っていうか、信念なんですが。
「煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めても、『我々プレイヤー』は、魔女に屈したことにはならない」
これ、きちんと言った人って、どのくらいいるのかなあ。
煉獄七姉妹やシエスタ姉妹の存在を認めたくない、認めたら負けだ、というのは、作中の「戦人」の勝利条件なんですよ。
我々はべつに戦人ではない。
だから戦人の勝利条件は私たちには適用されない。かってに、「私は適用されたい」っていう人はべつにそれでもいいですよ。でも、「適用されない」でもいい。
だから、煉獄七姉妹の同人マンガとか書いて即売会で頒布しても、魔女に屈したことにはぜんぜんなりません。「煉獄七姉妹って、“い”るよねー」って言っても、ぜんぜんかまわない。
さらに極端なこというと、
「密室殺人は、魔法で行われました」
と、私たちは、べつに認めたっていい。それを認めても、魔女に屈したことには「ならない」!
なぜ、そんな極端なことがいえるのか。
「うみねこのなく頃に」作品紹介、というページに、こんなことが書いてありますね。
「つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」
と。
さあ、ここにもう、トリックが仕掛けられていますよ。
ここでいう「魔女」が、ベアトリーチェのことだと、誰がいつ定義しました?
そう思い込んでるだけでしょう?
私はすでに、no25344 で、言いました。
作品の中に魔女がいるようだが、作品の外にも魔女がいるのだと。
「作品の外の魔女」は、何人もいるのだけど、ひとり、とんでもない大物がいる。
その大魔女の正体は、「作者」と呼ばれていたり、「竜騎士07」と呼ばれていたりするのだと。
戦人は、ベアトリーチェの魔法犯行説を認めたら、負けになってしまいます。
同じように、
「私たちプレイヤー」は、作者がこれから書く人間犯行説を認めたら、負けになってしまうのです。
考えてみれば、そりゃそうですよ。
たとえばね、これから、「解答編」が公開されていくでしょう?
そこには、たぶん、「人間で犯行が可能になるトリック」が、きっと明かされてますよね。
それを読んで、うのみにして、
「なるほどそうか、やっぱり人間のしわざだった」
そんなふうにうなずいたとしましょう。
それって、「魔女が敗北した。人間が勝利した」と言えるんでしょうか。
与えられたものを、ただ口に入れて飲み込んだだけじゃないですか。
それは、戦っていない。
戦っていないものが勝利することはないんです。
でも、いったい誰と戦うのか?
ベアトリーチェでしょうか。
ベアトリーチェは、戦人が戦ってくれています。
でも、戦人は、作品の「外側」にいる魔女とは、戦うことができない。
じゃあ、作品の外にいる魔女とは、誰が戦えばいいのか。
それは、私たちじゃないのか。
ベアトリーチェは、自分の説を戦人に認めさせようとします。
作者は、自分の説を私たちに認めさせようとします。
認めてはだめです。
作品紹介のページに書かれています。
「私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。」と。
これは、こういう意味です。
「ユーザーの勝利条件は、作者がこうだと考える正解を言い当てることじゃない」
ユーザーの勝利条件はこうです。
「作者がこうだと考える正解」以外の解答を、無数に織り上げ、並べ立てること。
「作者がこうだと考える正解」を、「無数にある確証のない説のひとつ」にしてしまうこと。
こんなことも書いてあります。
「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。」
ここでいう魔女とは、「常人にはありえない能力をそなえた特別な存在」というくらいの意味です。
ここでいう人間とは、「常識的な能力しか持っていない我々と同じ存在」というくらいの意味です。
私たちは、無意識のうちに、
「作者とは特別な存在で、彼が言ったことはそのまま真実になる」
と思っていないでしょうか。
それって、
「魔女は特別な存在で、彼女が言ったことはそのまま真実だ」
というのと、どこがちがうのでしょうか。
だから、「特別な存在」を否定して、「我々と同じ存在」にしないといけないのです。
その立場をとりつづけなければならない。
それができなくなったとき、私たちの負けです。
推理スレッドでは、たくさんの人が、意見を戦わせています。
「こうこうこういう理由で、あなたの推理は間違っていると思う。この点については、私の推理のほうが正しいと思う」
「いや、違う。それはあなたの読み違いで、こう考えれば私の推理は成り立つ。逆にあなたのは成り立たない」
とてもスリリングですよね。
そう。
私たちは、これと同じことを、「作者の推理」に対しておこなわねばならないんです。
それを放棄したら、負けです。
ということは。逆に言うならば。
「作者の推理」を認めないかぎり、ユーザーは負けにはならない。
ということは、
「作者の人間犯行説」を否定するための「手段」として、「魔法犯行説」を採用したってよいということになるんです!
どうでしょう。
面白くないですか。
そして、「作者の推理」と戦うためには、それ以外の推理がたくさんあればあるほどいい。
ユーザーの説が10個あったなら、作者の説は11分の1になります。
100個あれば、101分の1。
1000個あったら、1001人が好き勝手なことを言っているうちの、たった1個でしかなくなるんです。
これが、作者との戦い方です。
ということは、自分とはちがう誰か他の人の説がそこにあったとしたら、「穴があるよ」と指摘するよりは、「この穴はこうすれば埋まります」と言った方が、かえって戦いやすいんです。
なぜなら、穴が埋まったことで、その「誰かの説」はそれだけ強くなる。
強い説は、作者の説を撃退してくれるからです。
そんな感じ。
お茶菓子がわりの座興でした。
■目次1(犯人・ルール・各Ep)■
■目次2(カケラ世界・赤字・勝利条件)■
■目次(全記事)■
■関連記事
●勝利条件論
プレイヤーの勝利条件は大魔女「作者」を否定することだ
「作者」に屈服しない方法
作者も二次創作者も「後期クイーン問題」に直面する
ところで、突然ですが私は原始の魔女です。正確には、伴侶が昔から持っているぬいぐるみの熊が、さくたろうのような存在で、私と伴侶はマリアージュ・ソルシエール同盟なので、熊が動いたりしゃべったり、お菓子を欲しがるのが見えます。
(第三者的には、伴侶が手で熊を持ち動かして「くー!!お菓子ほしい!!」とか声を変えてしゃべっているように見えると思いますが)
うみねこを読む前からこうでした。熊は普通に生きてます。魔法でもなんでもありません。
私は小説では本格推理が好きですが、うみねこを読んで、この作品は作者との勝ち負けを競ったり、犯人やトリックを推理するものなのかなあと思いました。
だって、とにかく面白いのです。本格だろうとなかろうと、なんとか十条にあてはまろうがそうでなかろうが、書き物として優れていると言える一番の条件は、個人的には「読んで面白いか」ですから。
そういう意味では、貴方のこのブロクもとっても面白いです。ジェシカ=ベアトじゃなくたって、面白かった。
うみねこも、展開がすごく面白い。整合性だのなんだのより、読んで面白ければ、読者と作者が勝っても負けてもどうでもいいなあって私は思います。
隣にいる熊もうなづいてます。
貴方はこの作品を作者と読者の黄金郷と解釈して、それはとても素敵だなと想ったんです。だからちょっと、勝ち負けを語っているところだけが残念だったかなあというのが個人的感想です。
ただ、面白さは、やっぱりゲームだから発生しているもので、ゲームには勝ち負けがつきものです。ジャンケンは何も賭けなくても楽しいですが、ジャンケンには勝ち負けがあります。人がチェスをするのは、面白いからですが、それはそれとしてチェスには勝ち負けがあります。そして、両方が勝ちを目指してプレーしないと、チェスって面白くありません。
べつに勝ち誇るために勝ち負けを語っているのではないのです。面白さを手に入れるために勝ち負けを語っているのです。最終的に、作者が勝とうとも、読者が勝とうとも、「良い勝負だった、面白い戦いだった」という実感が得られれば良い。でも、良い勝負にするには、手抜きをしてはなりません。そういった考えです。
ぬいぐるみと話せる人は、わたしの周りにもたくさんいます。それはやっぱり、わたしは魔法だと思います。「魔法って、人が思っているよりも案外普通にある」ということだと思います。
>両方が勝ちを目指してプレーしないと、チェスって面白くありません。
私の解釈はこうです。両方が全力を尽くしていないとチェスって面白くありません。
たとえば、勝負事やゲームであれば面白いなら、ラムダのゲームは普通にありなんですよね。でもロノウェは言います。「愛がない」
ドラノールが言う「全力」に近いものが、そういう姿勢が一番大事かなと思うのです。結果ではなく。
ただ、これは矛盾しちゃいますが全力を尽くすという事は必然的に「勝利を目指す」事です。そうでなければ、全力ではない(ドラノールVSバトラ)。
ベアトじゃないんですが、目的と手段が逆で、「動機としては正しい」のかなって。
勝つためだけだったら、最後さえ勝てばいいんなら、卑怯でも全力を出さなくとも、どうでもいいし。
>良い勝負にするには、手抜きをしてはなりません
そう、手抜きをしてはいけない=全力
勝たなくてもいいから、全力を出す勝負が好きです。というか、全力を出した人は勝負に負けても自分に勝ってると想うんですよね。どっちも勝ちもこう考えればあるかなと。
負けってなんだろう?真実は猫箱を開けたら本当に一つなの?貴方も書いてますものね。見たって、それを信じなければその人にとってそれは真実じゃないと。だったら、猫箱を開けても真実は実は一つにならない。
ベアトが誰だかわからないけれど、猫箱理論を信じているから怖くなるのかなとふと思っています。
自分さえ信じれば、それは自分の真実で、猫箱の中の猫が死んでると他の人に見えたって、「いや、私にとっては生きているから」と言えるんだから。
思い出をはんこんとするなら、まさにそうだし、大切さという定義を存在とすれば、別に誰も死なないんですもの。
依り代がないと成立しない魔法は信じる力が弱い。依り代が壊されても、信じる力で存在は保てると想うんですよねえ。むしろ、それがもともと「重量をもつもの」でないからこそ、ここが強みになって。
最後にベアトがそれに気づいてループから抜け出してくれたらいいなあとか考えてます。
勝ち負けは、どうでもいい。負けても幸せはあるし。負けても、勝てるし。
相手を殺さなくたって、変わらない相手を自分の理想に変えなくたって、幸せになれる魔法はあると想うんですよね。
*****************************************
随分話ずれちゃいましたが、今後の考察も楽しみにしています。
まずは長文と、考察を投げかけるような知的なレスでないことをお許しください。
偶然こちらのブログを拝見して、目どころか脳から鱗が落ちました。
全記事一気読みしても興奮覚めやらず、とにかく何か訴えなければ気が済まない、まで来てしまったのでコメントを叩いている次第です。
自分はどうにも「推理」と言う行為が苦手で(うみねこ風に言えば「私は推理が苦手」という魔法、でしょうか)、
「うみねこ」もろくに考えることなくep5まで進めてしまったのですが…
何となく靄がかかったようだった部分(特に金文字…赤禁止=証明要求、と思っていたのに色を変えただけでOKとはこれ如何に、等)がカッチリ嵌ったのはもちろん、
赤文字論や勝利条件を見ていて、
「真実は信じればこそ」「真実は1つにあらず」…と、今更気付いたと申しますか、
「自分の真実」は「作者の真実」と共存していい、死ななくていいんだよ、と、
言ってもらった途端に、自分も土俵に上がってみたくなりました。
なるほど自分の推理苦手はこういう理由だったのかと…まるきり「推理小説と読者」です(笑)
新作が出るまでは何も出来ることないなあ、なんて思っていましたが…
私の魔法を解いて下さったこと、新しい「うみねこ」の楽しみ方を教えて下さったこと、本当にありがとうございます。
これからも更新、楽しみにしております。
ではいつか、自分も並行世界の魔女へ成り上がれることを夢見て。
余談ですが、盗作疑惑の記事、失礼ながら笑ってしまいました。
「うみねこ」の考察ブログに、何てぴったりの挑戦でしょうか…なんて。
(もちろんTownmemoryさんが、そんな悠長な気分でいらっしゃらなかったのは重々承知です…不快に思われましたら申し訳ありません)
確かにコメントを削除されていたら、「なぜ削除したか」の猫箱がもう1つ出来あがってしまうだけでしたよね。素晴らしいです。
こんにちは。
考察を投げかけてくる知的でないレスも(理論上)あります。というか、これだけの文章量を一気読みする言語能力があって、これだけの立派な感想コメントをお書きになるあなたのレスが知的でないとしたら、辞書に書いてある「知性」の項目を書き換える必要がありますね。この分量を一気読み……一晩くらいかかったのではないでしょうか? その熱心に読んで下さったことに、ほんとにありがとうございます。
これはわたし自身の話なのですが、やはり、他人に認められないというのはこわいことなのです。このゲームでいうと、「作者に認められないこと」「作者から、あなたの答えは不正解です」と言われることは、おそろしい。だからそのおそれに直面しないための一番の方法は、ゲームに参加しないことなのです。
けれども、それは言い換えれば、作者という他人に、全部の主導権をにぎられている、ということなのですね。認めるも認めないも作者という他人しだい。すべてが彼にゆだねられ、自分はそれに従うしかない。
でも、そんな境遇にあまんじるよりも、「自分で自分を認める力」を手に入れれば良い。そのことによって、「何が正しいか」「何が大切か」を自分できめることができます。他人の裁定を待つ必要は、これでなくなります。
それは言い換えれば、そのぶんだけ「自由になれる」ということなんだと思うのです。
自由を手に入れ、それを喜ぶ人が、もっと増えればよい。自分の自由をたいせつに思う結果、他人の自由をもたいせつに思う人が、たくさん生まれればいい……。
わりとそんなことを願って、ネットにことばを送り出しています。竜騎士さんも同じようなこと考えてうみねこを書いてると、わたしは勝手に思っているんですけど、そのへんはどうなのかしら……。
盗作関係については、「ブラウン管の中に、グレムリンはいなかった」で良さそうな雰囲気ですね。ひとまずほっとしています。