【今日の仏語】は『法鏡』です
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■法鏡とは仏教の言葉です。
『法』とは中国の言葉ですが、
お釈迦様はインドの方ですから
サンスクリット語では『ダルマ』
日本の言葉では『真実』
ということです。
ありのままの自己の姿を映す鏡ということです。
お釈迦様が35歳で仏の悟りを開かれてから
80歳2月15日なくなられるまで45年間あります。
この45年間の釈迦の説法は書き残されており、
これを一切経といいます。
私達が普段、お経と呼んでいるもので、葬式などに読まれますね。
全部で7千余巻という膨大な数にのぼります。
釈尊のご臨終に弟子の一人が尋ねました。
「世尊、45年間、お説きくだされた、この教えを一言で表したら
なんとお呼びしたらよろしいでしょうか。」
釈迦45年、7000冊の一切経の教えを一言で表せ
という問いに、釈尊は
「汝らに法鏡を授けるであろう」
(仏教は法鏡なり)
(お前達の本当の姿を映す鏡だぞ)
と仰ったのです。
仏教を聞くということは
ありのままの自己を映す鏡を見るということになります。
■「よもすがら
仏の道に
入りぬれば
我が心にぞ
たずね入りぬる」
(源信僧都)
平安時代の高僧、
源信僧都のお歌です。
「よもすがら」とは、夜どおしの意。
十三歳にして出家し、
比叡山天台宗の僧となられた源信僧都は、
ひたすらに仏の道を求められた。
すると見えてきたものは、不可解な「我が心」、
自己の本心であった、
と言われているのもこのことです。
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■法鏡とは仏教の言葉です。
『法』とは中国の言葉ですが、
お釈迦様はインドの方ですから
サンスクリット語では『ダルマ』
日本の言葉では『真実』
ということです。
ありのままの自己の姿を映す鏡ということです。
お釈迦様が35歳で仏の悟りを開かれてから
80歳2月15日なくなられるまで45年間あります。
この45年間の釈迦の説法は書き残されており、
これを一切経といいます。
私達が普段、お経と呼んでいるもので、葬式などに読まれますね。
全部で7千余巻という膨大な数にのぼります。
釈尊のご臨終に弟子の一人が尋ねました。
「世尊、45年間、お説きくだされた、この教えを一言で表したら
なんとお呼びしたらよろしいでしょうか。」
釈迦45年、7000冊の一切経の教えを一言で表せ
という問いに、釈尊は
「汝らに法鏡を授けるであろう」
(仏教は法鏡なり)
(お前達の本当の姿を映す鏡だぞ)
と仰ったのです。
仏教を聞くということは
ありのままの自己を映す鏡を見るということになります。
■「よもすがら
仏の道に
入りぬれば
我が心にぞ
たずね入りぬる」
(源信僧都)
平安時代の高僧、
源信僧都のお歌です。
「よもすがら」とは、夜どおしの意。
十三歳にして出家し、
比叡山天台宗の僧となられた源信僧都は、
ひたすらに仏の道を求められた。
すると見えてきたものは、不可解な「我が心」、
自己の本心であった、
と言われているのもこのことです。