kosunki

韓国と日本について

上達よりも大切なこと

2009年09月03日 | 光に向って

 今日は、お釈迦様の教えてくださったことを一つ紹介します。

 (光に向かって100の花束より)


  釈迦の十大弟子の一人、シュリハンドクは、

  自分の名前も覚えられぬ 生来の馬鹿だった。

  さすがの兄も愛想をつかし、家を追い出した。

  門の外で泣いているシュリハンドクに、

  「なぜ、そんなに悲しむのか」

  釈迦は、親切にお尋ねになった。

  正直に一切を告白し、

  「どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか」

  さめざめとハンドクは泣いた。

  「悲しむ必要はない。お前は自分の愚かさを知っている。
 
  世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。

  愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」

  釈迦はやさしくなだめられて、一本のほうきと

  『ちりを払わん、あかを除かん』の 言葉を授けられた。

  シュリハンドクは清掃しながら、

  与えられた聖語を必死に覚えようとした。

  『ちりを払わん』を覚えると『あかを除かん』を忘れ、

  『あかを除かん』を覚えると 『ちりを払わん』を忘れる。

  しかし彼はそれを二十年間続けた。

  その間、一度だけ釈迦からほめられたことがあった。

  「お前は何年掃除しても上達しないが、

  上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。

  上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは

  もっと大事だ。

  これは他の弟子にみられぬ殊勝なことだ」

  釈迦は彼の、ひたむきな精進を評価せられたのである。

  やがて彼は、"ちり"や"ほこり"は、あると思っているところ
 
  ばかりにあるのではなく、 こんなところにあるものかと思っている

  ところに、意外にあるものだということを知った。

  そして、

  「オレは愚かだと思っていたが、オレの気付かないところに
  
  どれだけオレの愚かな ところがあるか、分かったものではない」

  と驚いた。

  ついに彼に、阿羅漢(アラカン)のさとりが開けたのである。

  
  よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結実にほかならない。


  ※私も見習いたいと思います。

                      


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1 コメント

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잘 봤습니다. (KimHyunKYo)
2009-09-07 16:23:32
하하 글 잘 봤습니다. ^^ 불교의 세계는 심오하네요.
저는 무교이지만 글 잘 읽었습니다.
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