日本の歴史上、
彼ほど成功した人はいない、
と言われる豊臣秀吉。
歴史家は、16世紀当時、
当時世界一の金持ちは
フェリペ2世か秀吉であったろう
と分析しています。
フェリペ2世といえば、沈まぬ国スペインの王であり、
南北のアメリカ大陸の黄金を手中にした人ですが、
秀吉はそれ以上だったかもしれないと言うのだから驚きです。
当時、日本はゴールドラッシュで、
金銀がザクザク採れ、
そのすべてを牛耳っていたのが
秀吉だったからです。
さらに当時日本は
世界最大の陸軍国であったとも聞けば、
明を占領するという秀吉の構想も
あながちに誇大妄想とはいえません。
絢爛豪華な大阪城や聚楽第に、
そんな秀吉の権勢をみることができます。
黄金の瓦葺の屋根に、黄金の茶室に、黄金の風呂!!
大阪城のトイレは、何と八畳敷きの広さ!
(おれの寝起きしてる部屋より広いやないか(`ε´))
しかしトイレをこのように広くしたのは、
壁越しに長槍で突かれないようにするためだったそうです。
風呂にも周りに隠し堀を掘って、
刺客がきたら、すぐに逃げられるようにしていたといいます。
トイレや風呂といえば、
多くの人にとって、人目を気にせず、
一番リラックスできるところのはず。
(私の場合、下手な鼻歌歌ったりする(^▽^;))
秀吉は、そんな時でも、
殺される危険性があり、おびえていたのです。
秀吉の幼名は日吉丸といい、
尾張中村の水飲み百姓だった時は、
田んぼのあぜ道で人目を気にせず
心ゆくまで日なたぼっこできた。
「ああ、あの時の方がよかった。」
と思ったかも知れません。
しかし同時に考えてください。
もしタイムマシンでもあって、
日なたぼっこの日吉丸にマイク突きつけて
「お前幸せか?」とインタビューしてみたら
なんて言ったと思われますか?
「幸せで幸せでたまりません。大満足です♪」
とは言わないでしょう。
「欲しい物も買えず、人からはアゴで使われる立場はいやだ。
人をアゴで使う立場になりたい。
男として生まれたからには立身出世したい!!」
とでも言ったのではないでしょうか。
足軽だった時は
「早く出世したい、もし天下人にでもなれたら」とあこがれ、
人一倍必死に駆け上った秀吉。
ところが天下を取ってみれば、
その立場を守るのに汲々とし、
老いと死を恐れ、
「あのころはよかった」と懐かしむ
釈迦はこれを『有無同然』と喝破されました。
パナソニックを一代で築いた、あの松下幸之助も
早稲田大学での講演の際に、
学生諸氏に向って
「私の全財産を君達に差し出してもいいから、君達の若さがほしい。」
と言いました。
これも『有無同然』
ソ連から独立した東欧の国家は
共産主義だったときは、「民主化さえすれば」と願い、
民主国家となった今は、経済の荒廃が続き、
自殺率は世界中でトップです。
独身時代は「早く結婚したい。そして安心したい。」
結婚したら「あーあ、独身時代は気楽だった、自由だった。」
夏ならば「冬が良かった。」
冬ならば「夏が良かった。」
『有無同然』の結論を7回にわたって
様々な具体例を通して話をしてきましたが、
何を言わんとしているか
分かられましたでしょうか。
『有無同然』の教説は
【幸せになれない原因は「外」にあるのではない、
「内」にあるのですよ】
とのお釈迦様のメッセージなのです。