臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

「言葉」ではなく「感覚」で生物多様性を理解することが大切

2009-05-21 19:41:58 | 研究
養老孟司さんのインタビュー記事

まったく納得できない自分はおかしいのだろうか。
「「言葉」ではなく「感覚」で生物多様性を理解することが大切」であることを「言葉」ではなく「感覚」で理解したい。
それに、「言葉」ではなく「感覚」で地球温暖化を理解することも大切かも。

「感覚」で理解する機会のない人に何かを伝えるのが科学者の役目じゃないだろうか? そして、理科の授業は、感覚で理解できないものを理解する方法を学ぶためにあるはずだ。
みんながみんな何百匹も何千匹も昆虫採集できる機会があるわけでもしたいわけでもないと思うのですが、どうだろう。ぼくは全然したくない。理科の課題として強制されても絶対しない。でも生物多様性は理解したい。
そもそも養老さんだって、できあがった「死んだ」生物の集合の中に生物多様性を見いだしているのではないはず。昆虫採集の過程で野山を駆け巡っているときに得た「感覚」なはずです。

それに「感覚」による類推は危険だと思う。昆虫の生物多様性が感覚で理解できたからって、土壌微生物の多様性が同じ感覚で理解できるわけではない。自分の感覚で理解できる世界とできない世界をつなぐのは何か? それが科学であり、生態学であり、理論であるはずだ。経験できる世界とできない世界をつなぐのは何か? 言葉であるはずだ。ひとはなぜ小説や漫画を読んで涙を落とすんだ?

それに、生物多様性に対する「感覚」を持っている人が減ったから、問題が生じ、そしていま解決できないのか? まさか。それはファンタジーだ。

ぼくは、小学校に上がる前から母と父に連れられて、歩いてすぐのところにあったちいさな田んぼと山に囲まれた地域に遊びによく行っていた。平日も休日も。授業でだって、なんどもドングリを拾いに行っていた気がする。海も近かったし、海岸の潮溜まりの中をよく覗き、ミクロコスムについて考えていた(うそ)。あるいは、埋め立て地の先っちょのテトラポットの上に座ってフナムシをよけながら海を観てお弁当を食べるのが好きだった。でもどうしてそんな簡単に森や海に行き来できたのか? それは都心から離れた新興ベッドタウンの、海に面した、全面森であってであろう丘の半分をつぶして造成した住宅地に住んでいたからだと思う。つぶさずにあった残りの半分のところで遊んでいた訳です。そしてそのお世話になった山も、いまではすっかり住宅地です。工事中のフェンス越しに、ならされた平らな地面を観たとき、もちろん悲しくなった。でも私個人のレベルでは、最初の破壊がなければ、山を歩く機会もなかった。だから誰も責めない。そして僕が小川で親しんだいきものはアメリカザリガニだった。テトラポットとアメリカザリガニ、これこそぼくの心の中で大切にしたい原風景。もちろんテトラポットとアメリカザリガニを大切にしたいって意味じゃないです。念のため。



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