これから、卒論/修論/D論/学会発表の季節ですね。
みなさん、口頭発表で不特定多数に見られているというリスクを過小評価し過ぎです。
1.原稿を読みながら発表する
(透明の原稿見ながら演説していいのはアメリカ大統領だけです、ほんとに忙しいんです、たぶん)
2.パワポの発表ツールを当てにしてメモの部分の原稿に頼り切る
(発表ツールは半分以上の確率でプロジェクタ認識に失敗します)
3.外国人がいる所で日本語で発表する
(おねがいだから日本人研究者の価値を貶めるのはやめてください)
3をするなら、「これから私は日本語で発表するから、大変申し訳ないがちょうどいい休憩時間だと思って、外でお茶でも飲むか、散歩でもしてきて下さい」と言うべきです。
1、2の何が悪いのかという意見もあるでしょう。しかし、これは単に準備不足ということだと私は思います。貴重な時間を割いて聴きにきている人に対して失礼です。原稿読んでるのはバレてます。そして実際問題として、原稿は棒読みになりがちで、伝えたい内容は伝わりません。それだったら感情をこめた朗読を録音・再生して、口ぱくで発表したらいかがでしょうか。学生が学会で日本語原稿棒読みしたら、「え?っ」て思いますよね。英語でも同じです。でも英語なら許されるかもと思っている人が多いです。日本語原稿が残念ならば英語原稿でも残念です。日本語原稿が没問題なら英語原稿もまた没問題です。
スライドを見ながら考えながらしゃべりかつ時間内に終わらせるという高度な技が使えないならば、しっかり原稿を用意し、それを何回も練習して覚えるしかありません。スライドを移るときのつなぎ言葉も覚えるしかありません。特に英語の場合は、脱毛加速もしくは白髪増殖覚悟で泣きながら練習を繰り返すしかありません。しかもその努力も水の泡、本番では練習し過ぎと緊張し過ぎにより早口になり、結局内容は伝わらないという残念な感じで終わることが多いですorz(自分もずっとこれが続いています)。しかし、それは発表の「失敗」であって、「準備不足」ではありません。英語が下手とか、詰まるとか、どうでもいいです。それは発表のうまい下手の問題に過ぎません。「ちゃんと準備してきました、それでは聴いて下さい」という態度が重要だと思います。 CD音源よりも歌や楽器が下手なことがわかっていても、好きな歌手ならライブに行きますよね? それといっしょです。感動するかどうかの問題です。
すごく自己中なことを言えば、台湾の学生と日本の学会にいっしょに参加するときに、1−3みたいな発表に次々出くわしたら、他人事ですが泣きたくなります。学生たちに、「アメリカなんぞ地の果てに行かなくても日本にだってすばらしい留学先・ポスドク先はあるんだ」って言えなくなります。「だって、ぐだぐだじゃん日本人、もうオワコン」って。具体的には、なんとか生態学会となんとか陸水海洋学会ですよ。お願いしますよ、皆さん。ガツンといいとこ見せて下さいよ!! 特に宮地賞とかもらう人、集会とか企画する人。台湾(中華民国)・中華人民共和国・大韓民国からの参加者がみんな見てますよ。京都滋賀の古寺めぐり・琵琶湖博物館めぐり・草津酒蔵めぐりよりも学会会場にいてよかった、食べ物の値段2倍だけどまた日本に研究しに来ようかな、と思える感動をください。
最後ですが、同じ内容の発表を何度もするときでも、間隔が空いているならスライドの使い回しはやめたほうがいいです。とくにイントロはその度ゼロから作る方がいいと思います。とくに発表内容がまだ論文になっていないなら、発表のたびに新しいストーリー展開を考えるのは、論文のためのいいストーリー展開を見つけるよい機会です。
三木君の言うとお~り。
ストレスで白髪増える人がうらやましいです。
抜ける一方です。