臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

眼が曇る

2012-03-24 23:53:00 | 研究

科学には「認識科学」と「設計科学」があるそうです。

たとえば、

http://www.chikyu.ac.jp/rihn/mezasumono/index.html

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-18-t995-60-2.pdf

この二つが織物のように組み合わさって文明を豊かにすることでしょう。

文明を豊かにすることとは、より多くの欲を満たすということかもしれない。

認識科学と設計科学はそれぞれ、世界を知りたい、世界を変えたい、という人の持つ根本的な共通した欲を満たすもの(であるべき)。

しかし、別の種類の欲もある。CNSに論文を載せたい。賞をとりたい。ほめられたい。最先端にいきたい。有名になりたい。勢力を拡大させたい。ボーナスがほしい。研究費がほしい。もてたい。このように科学という手段を使って自分のためだけの欲をみたす、自分のための科学とも言えそうな「利己科学」は、周りの科学者も道連れに欲の連鎖を招いて美しい織物を蝕み、やがて糸くずへと戻してします。

自分が「利己科学」全開にならないよう、そして周りからのそういう空気にあてられないよう、心して生きていこうと思うこのごろです。

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生態学会でシンポジウムします | トップ | ワコム、練習 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるー (mk)
2012-03-27 17:13:42
いいこと言うな。まったく同感です。
返信する

コメントを投稿

研究」カテゴリの最新記事