臺灣と瀬田で數理生態學と妄想

翹首望東天, 神馳奈良邊. 三笠山頂上, 想又皎月圓(阿倍仲麻呂). 明日できることは今日しない

公募をめぐる議論に対するいろいろな思い

2020-01-29 21:14:10 | 研究

ツイッター中毒のため、数か月ごとに繰り返される公募に関する議論を見ていてモヤモヤしています。今思っていることを、応募側の主張、採用側の主張に分けて羅列します。自分の具体的な経験も吐露したいです。こういうのを飲み屋の与太話ではなく活字で残すのって怖いのですが、でも酔っ払った勢いで面白おかしく話して終わりというわけにはいかないと思うのでブログに残します。

注意1:応募側から採用側になって意見が変わったものも多くあります。採用側の実状を知ったからという要因と、身分が安定したあとの変節や保身・自己正当化という要因は自分では区別できません。このブログを読んでくれるのはほとんど知り合いだと思いますが、適宜ディスカウントして読んでもらえれば嬉しいです。

注意2:また、基本ネガティブなトーンの文章のため、ほとんど建設的な意見が含まれていません。建設的な文章を書くのがうまい人に読んでもらって、有用なところだけ参考にして、建設的な制度改正の提言などに役立ててもらえると嬉しいです。


自分の経歴と就職活動・採用活動は以下の通り。

フェーズ0:2004年からDC1、2006年3月に学位取得(京都大学)[特に公募に出すこと無し、当然採用側になること無し]

フェーズ1:2006年4月から2008年7月までJSPS特別研究員PD(京都大学)[任期無しの公募に出し続ける、当然採用側になること無し]

フェーズ2:2008年8月から国立台湾大学で助理教授で採用される(3年間は異動しないと口約束)[公募に出すのを中断、だんだん採用側になるが内情がまだわからない]

フェーズ3:2012年くらいから2018年初めまで、順調に昇進する[日本の公募に出し続ける、台湾大学での採用側としてかかわる=投票権がある状態]

フェーズ4:2018年8月から現職(龍谷大学):台湾大学で教授に昇進してこれからどんどん運営業務をすることを期待されている中一年足らずで異動する[異動予定はないので公募に出すのは終了、採用側だが新規採用の機会には出会っていない]


応募側の主張

(1)自分が応募側だった時から採用側に回った現在まで一貫して正当だと思う主張

*応募書類は簡略化すべきだ。郵送しか受け付けないのは不合理だ

*面接の旅費は採用側が出すべきだ

(2)自分が応募する側の時には正当だと思っていたが採用側に回った現在では、誤解または不当だと思う主張

*採用側は業績に対する評価を最優先に採用者を選定すべきだ 

→業績は面接に呼ぶ若干名の選定にしか使いませんし、インタビューに呼ばれた最終候補者のスタートラインは同じになると思ったほうがいいです。

*業績は論文本数や掲載雑誌のIFが大事

→採用する側は、時には「代表論文」を外部審査に回して真剣に中身を審査する場合もあるでしょう。本数が多いとかIFが高い雑誌に載っているとかは決定打にはなりません。ある程度以上そういうわかりやすい業績があるなら、別のベクトルの努力をしたほうが良いと思います。

*採用側は、もっとも”実力”のある応募者を採用すればよい

→実力って何ですか? ”実力”を客観的に判断するのは難しいです。かつ、応募者が「実力」だと思っていることと採用側が「実力」だと思っていることの間には大きなギャップがありえます。すべて「実力」で論文業績を上げてきた、と考えるのは単純すぎで、潜在的にいろいろ存在する「下駄」の中でも外に見えてくるもの(有力な指導教員、共同研究者の存在など)は当然脱がされます。

*業績数が自分より少ない応募者が採用されたのはデキ公募だったのだ 

→業績が最優先ではないので出来公募かどうかは採用者と落選した自分の業績比較では判断不能です。

*デキ公募の最有力候補の当て馬として面接に呼ばれてひどい 

→実際には最有力候補がインタビューを失敗することはよくあるので、チャンスだと思って全力を出すべきです。でも当て馬にも(にこそ)旅費を出してほしい。むしろ、セミナー講演料をもらいたいくらいです。

*個人的に声をかけられて面接に呼ばれた”デキ”公募で落ちることはない

→そういう油断が命取りです。選考側が一枚岩ではなく対抗馬がいるかもしれません。また、声をかけてくれた人だけが投票権を持っているとは限りません。ときどきドラマとかでありますが、廊下やトイレでですれ違うひと全員に投票権があるかもしれない、という緊張感が必要です。全力を出しましょう。

(3)自分が応募する側だったときから現在まで一貫して応募側の誤解または不当だと思う主張

*過去の男性優位の社会で得をしてきたシニア研究者が、その解消を若手男性に押し付けてアファーマティブアクション(女性限定公募)をするのは不当だ

→日本においてヘテロセクシュアルな男性はここ何世代かにわたって社会のマジョリティーであり続け、したがって社会の仕組みはこのマジョリティーが生きやすいようにできています。したがって、意識しようがしまいが現時点で成人している男性で少なくとも博士号をとろうなどという高学歴な層に限って言えば男性としての下駄をはいていると考えざるを得ません。ここでは男性内部での権力構造やマイノリティーの問題には立ち入りません。

→そもそも採用側は世代の離れた「シニア」だけではありません。応募側と同世代の教員すらアファーマティブアクションに賛同する人が少なくないことが何を意味するか考えてほしいです。

→”実力”(って客観的に測れると思いませんが、CVに書かれている内容と仮定)が同一であれば、男性候補者の方に対して、より優秀・独立性が高い等、高い評価を無意識に与える傾向があります(無意識のバイアス)。

→男性がほぼすべてを占める採用側がバイアスなく選考できるはずがなく、その補正のためにはアファーマティブアクションは合理的であると考えます。

→応募者の方も”実力”が同一であれば、男性のほうが女性よりも自己評価や自己肯定感が高く、これも他人への評価に影響するでしょう。研究者個人の自己評価やその外への投射・プレゼン能力とは独立に「研究の質」だけを客観的に評価できるほど、研究者の見る目は肥えていないでしょう。

→採用側としては、「選考の公平性」はたくさんの方に応募してもらうために常に高く保つ必要があります。しかしながら最優先事項ではないのです。採用側は組織にとって有用な候補者を採用したいのであって、百万歩譲って若手男性に不利だとしても、アファーマティブアクションが組織の多様化にとってプラスであれば公平性よりも組織への利益が優先されることには合理性があります。したがって、自分が組織にとってどう有益かを書類や面接でアピールするのが大事です。

 →ツイッター等で躊躇なく女性限定公募や女性限定入試を批判する方がたくさんいます。これは差別の歴史や現状や多様性の重要性について少しでも勉強した上での意見表明ですか? 知識だけでは人の意識は変わらないという現実を思い知ると同時に、情報検索能力に秀でているべき博士課程の学生や博士持ちがそういう発言をしているのを見ると科学者としての能力や品格を疑いたくなります。「大学進学率」「男女平均給与」等でggrks

*業界が腐っていて今更正論を並べられても全く信じられない

→私は強運の持ち主というかそういう業界に所属したことがありませんが、おっしゃるとおりかもしれません。しかし、応募側の立場にいる限り抜本的な改革はできません。安全地帯に早く逃げて生温かく見守るか、外から改革しましょう。本当に若い人たち(学部生や収支学生)は自分がやりたいことを盲信するのではなく、ヤバいシグナルを漏らさないようにしましょう。講義担当の教員が偉そう、学会で口頭発表するのは教員ばかり、研究室の業績リストで著者リストの長い有名雑誌にしか論文掲載がない、等々の観察をすれば、その分野での権力構造や研究における自由度、労働集約度などが何となくわかるはずです。先輩からの噂話も重要な情報元となります。気づくのが早ければ早いほど、他の分野への移動が容易になると思います。腐っているところからは逃げましょう。

これは公募の問題というかアカハラの問題ですね。私はすべての分野あるいは研究室が等しく(もしくはランダムに)腐っているとは思いません。研究費の多寡も一様でもランダムでもありません。そしてこの二つの間に何ら関係がないとも思いません。研究がキラキラしている、研究費がたくさんあるという理由を最優先にした選択は、ランダムな選択に比べても危険性が高いと思います。お金は低賃金長時間労働のような理不尽を解決してくれる素晴らしいものですが、度が過ぎれば個人の欲望の増幅装置として牙を剥くと思います。


 採用側の主張(事情)

(1)自分が応募側の時には不当だと思っていたが採用側に回った現在では正当だと思う主張

*選考委員会の中で個人的に誰も知らない候補者は怖くて採用できない

→大学は研究と全く関係ない業務がたくさんあります。そういう業務を人並みにやらない人はほんとに他の教員や学生に負の影響が大きいです。それは、仮にそうした人が何億も外部資金を持って来てもベクトルが違うので(その資金を教育や業務に回せるわけではないから)、負の影響は全く補完されません。

(2)自分が応募する側だった時から現在まで一貫して正当だと思う主張

*論文リストだけでは応募者を評価することはない

→学会活動等、組織のために働く能力があるかも重要です。学会内の小規模なシンポジウムも開催したことが無い、非常勤講師の経験が無いなどは、マイナス評価から始まります。ただ同時に、シニア側がそういう脅し文句で若手に無償労働や低賃金労働をさせるのには断固反対です。

(3)自分が応募する側だった時から現在まで一貫して不当だと思う主張

*組織が財政難なので面接の旅費や応募書類の印刷費用がない

→少なくとも定年によって空くポジションの応募は何年も前から分かっているのだから、予算を確保しておくべきだと思います。

*業績よりも人物が大事

→「人物が大事」はその通りだが、それをこれまでの個人的関係や面接での言動から、赴任後のふるまいを正確に推定するのは不可能だと思うので、そういう理由で業績が著しく低い応募者を高く評価するのは説得力がありません。

*女性は子育てが大変だから採用後にパフォーマンスが下がったり業務が全うできないんじゃないか

→そういうこと言う人、思っている人、、確実にいます。これもアファーマティブアクションが必要な理由の一つです。かつ、子育てや介護等を邪魔するような時間に会議を開かないようにしましょうよ。弊学部、今年度から私用でも教授会を欠席(退席)できるようになりました。自慢です!

*採用になっても引っ越し費用が出さないのは当然

→出すのが当然ですよ。現職地は出ました。

*4月1日からしか採用しないのは当然

→いや、なんとかしましょうよ。採用側が絶対、みたいな組織は滅べば良いです。

*最初の給与が不明

→引越しにいくらかけていいのか、家賃をどの程度にすればいいのか、新たに買う家具や電化製品にどれだけお金をかけれるのか等の人生設計が全くできません

(4)自分が応募側の時には正当だと思っていたが採用側に回った現在では不当だと思う主張

*採用は業績に基づいて行うべきだ

→応募側にはなんて耳心地のいい言葉でしょうか。しかしこれには二つの問題があります。第一に、応募者側の若手が、研究(だけ)を頑張ればいいのだという誤解をして有効ではないベクトルへの努力を再生産させる危険性があります。第二に、この発言をする教員は暗に自分は業績で選ばれたというアピールが含まれていますよね(自分もこういうアピールしますけど、、、)。本当にそうでしょうか? 自己評価が高すぎませんか? 分野のマッチングは関係ないのですか? コネや偶然は全く関係ないんですか? 


フェーズ3(応募側でありかつ採用側であったとき)で伝聞したこと・体験したこと・感じたこと(ほぼ私怨のため客観性は皆無です)

(1)業績でも人柄でも事務能力でも、どんな基準であれ「よい」応募者に来てもらわないと組織が生き残れないという緊張感の薄い組織が日本には少なくないです。

(2)一方的に採用側が応募側を値踏みしていると思ったら大間違いです。採用側もその一挙手一投足を観察されています。

→応募側は、「この組織と自分はマッチングしているか」、「この組織のパフォーマンスは(他学科等に負けない程度に)高いかどうか」「自分はここで活躍させてもらえるだろうか(=自分の能力を正当に評価してもらえるだろうか)」等の視点から採用側を観察しています。したがって「この組織は何を目指してあるか」を明確に説明可能で(これができない組織は滅びます)かつ実際説明すること、「組織の一員になったら何ができるか(どんな環境を提供できるか)」を説明する事が、よい人にきてもらうためには重要だと思います。そしてこういう期待通りの情報をくれる組織は組織全体のパフォーマンスに心配なく生き残っていける、と安心してもらえると思います。

不当な理由なく不採用にした場合でも、応募者にはいろんなところで悪口を言われるかもしれないし、もうその組織の人間とは一緒に仕事をしてもらえないかもしれない。採用「してあげる」場合でも、逃げられるかもしれない。申し訳ないですがヤバそうな組織とは心中できません。

(3)旅費自腹で面接に赴いたら、開口一番「スカイプでもよかったのに」と言われて脱力。

(4)面接開始時間になっても何か議論していたため別室に(事務職員の方に)案内してもらった後、もう入ってもよいといわれて面接室に入ったのにまだ議論が終わっておらず、「まだに決まってるでしょ」的な乱暴な言葉で追い出される。間に入った事務職員の方に申し訳なかったです。

(5)面接が終わった直後、発表に使ったPCを片付ける間もなく同じ部屋で選考の議論が始まり、早く出ていけと追い出された(その後、事務の方が門のところまで丁寧に見送ってくれました)。事務職員の方に申し訳なかったです。

(6)午前中に面接があり、その後応募先の他の組織の知り合いと昼食のためレストランに入ったところ、声の聞こえる距離の机に選考委員があとからやってきて、「あれじゃないんだよね」というダメ出しの会話が聞こえてきた。これは一方的には非難できず、自分も同じことを将来やりそうで怖いです。

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 臺灣最後の日々 | トップ | K値プレプリント原稿について... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名希望)
2020-05-24 17:24:40
このような記事を残してくださってありがとうございました。
最近公募書類の作成作業(とオンライン授業)に不毛に時間とエネルギーを吸い取られる毎日だったので、拝読してちょっと気が楽になりました。業績のショボさと、それを増やす余裕のなさばかり気になって、公募書類はほんとに億劫だったのですが、もちろん業績を疎かにしていいわけではないにしろ、採用側はそればかり見ているわけでもないとのお言葉に救われました。生活のために大学の外でも色々なことをやってきましたから、それなら少しアピールできることがあります。
そして専門分野は恐らく全く異なりますが、ご所属先では私も非常勤をしており、比較的非常勤の待遇がしっかりしているところだなと感じております。
さて、気を取り直して、公募書類作成に戻ります。
ありがとうございました。
返信する
Unknown (三木健)
2020-06-21 09:33:01
Unknownさん、コメントありがとうございました。
弊学で非常勤講師をいただいているとのこと、オンライン教材の準備や通常時以上の学生のフォローアップなど、多大な(過大な)貢献をなさっていることと思います。くれぐれもご自愛ください。
また、弊学では複数の公募が出ました。何か分野が重なるものがあれば是非ご検討ください(私の所属先の課程ではメール応募がついに実現しましたが全学的にはまだまだであるのは申し訳ありません)。

https://www.ryukoku.ac.jp/employment/
返信する

コメントを投稿

研究」カテゴリの最新記事