二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

久間事件・戦後を問い直す(5)

2007-07-14 05:17:11 | Weblog
久間事件・戦後を問い直す(1) 、に、この記事の話を入れたかった。
 既に話の連鎖が此処まで進行してしまった以上、仕方がない。

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仮令、「お前の親父は強盗をやって大金持ちになった」、と言われるのが嫌でも、若しもそれが事実ならば、言った人を非難するのは不当である。
悔しければ自分で頑張って、その汚名を雪ぐ以上の善行を、社会に還元すればよい。
好例がロックフェラー家である。 現在、「ロックフェラー家」の名前は、実に爽やかな響きで我々の耳に感じ取られる。
初代の{当時の大悪評}、にも関わらず、である。
{米国史上最大の財閥解体}は、今になってみると、ロックフェラー家には、幸せな出来事であった。

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今回の事件についてのシリーズ記事を書き始めた当初から、どうも何かすっきりと、上手に自分の気持を表現できなくて、私は苛立っていた。
無神経な小泉総理の振舞いを、中国政府・民衆が強く批判した時に、そしてそれに対抗して日本の戦後世代以下が反発して、為すすべも無く成行きを見守っていた私だ。
今回も歴史の現場を知らない世代に分って貰う為には、どの様な順序で話をすべきか、持て余していた

{★歴史認識(1)、★歴史認識(2)、も参照}

7/11の毎日新聞の「記者の目」欄に
『久間「しようがない」、本島・元長崎市長「仕方なかった」、の違い』
の記事が有るのを見て、私の話の運びというか、組み立て順が下手であった事に気が付いた。
第一回目に、私のように書くのでなく、この「記者の目」欄のような話から出発する方が、分り易かったのだ。

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毎日新聞7/11「記者の目」欄、の文章を要約、紹介する。
「歴史認識を欠く発言」として非難された久間氏の「しようがない」、と似た発言、「仕方なかった」を10年近く続ける人、本島等氏の話である。

本島氏は長崎市長を1979~95に努めたのだが、在任中に「天皇に戦争責任はある」、と議会で答弁した為、右翼に銃撃され、九死に一生を得た人物である。

その本島氏も最初から、「仕方なかった」、と考えていたのではなかった。
95/3に東京の外国人記者クラブで
「原爆投下は人類が犯した20世紀最大の罪」と批判した所、記者に切り返されて答えに詰まり、それが切っ掛けとなり、自身の考えを煮詰めて、
「原爆投下は仕方なかった」、という結論に達した。

「原因が有るから結果がある。
日本が戦争を始めなければ原爆投下は無かった」

また、「使ってはいけないのは核兵器でけでない。
すべて兵器を・・・」と考えるようになった経緯、が纏められている。

「記者の眼」記事には結論的に、
「日本は原爆投下や戦争責任を巡る歴史認識を曖昧にして、他国との共通認識を得る努力、を怠ってきた。


そのツケを清算しない限り、第二の久間発言が生まれ続けるだろう」
   、とある。

私はこの記事に完全に同意する。
と言うよりも、私の云いたい事を極めて適切に纏めて貰っている事を嬉しく思う。
そして、それに付け加えるならば、靖国参拝を巡って小泉の引き起こしたゴタゴタも、それが元で国内に沸き起こった反中感情も、全て同根だ、と思う。

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今回の久間発言批判騒動を見ていて思うのは、メデイアはちっとも変わっていない。
戦争中は一億玉砕を叫び、戦後は一億総懺悔を唱えた、半世紀前の姿と重なって見えた。
こんな事を思っている所に、晩秋氏の
★:[07/07/13] 「久間事件・戦後を問い直す」について
のTBを受けた。

晩秋氏の記事は、東郷幹夫氏のブログ記事を基に、書いてある。
概略を紹介すると、次のようである

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東郷氏が指摘するとおり、もしも政治家が日本への原爆投下を非難するならば、米国に向かって謝罪要求をすべきであるが、従来誰一人として、それをした者は居ない。
しかし、マスコミは更に悪質である。
米国への謝罪要求をしないだけでなく、情報を捻じ曲げて民衆を誤解させるようにしてきたのだから、政治家共よりも更に悪質である。

実は、マスコミも、真実は知っていた。
2007/06/03の毎日新聞「時代の風」、に書いてある:


『事実は、二つの原爆投下、ソ連の参戦、天皇の聖断、のうち、どの一つを欠いても本土決戦前の降伏は出来なかったろう』、と。

本土決戦になれば、硫黄島、沖縄、の例に見られるとおり、日本人は殆ど全滅したかもしれなかった。
原爆投下が無かったら、或いは日本民族は絶滅していたかも知れなかった。
{私が前々回に書いた通り、原爆投下があり、天皇が決意して尚、終戦は危うかった}:のは、私の独断偏見ではなかったのだ。


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本島氏が「仕方なかった」認識に辿り着いたのは95年だったが、実は昭和天皇は75年に既に、「原爆投下は、戦争中のことでもあり、市民には気の毒だったが、やむを得なかった」と発言されたことがあった。
現実には上記の様に、その昭和天皇の聖断が無ければ、(有ってさえ、尚且つ)、本土決戦になり、日本民族滅亡も有り得た状況なのだから、本島氏よりも昭和天皇の方が早い時点で、同一判断を持たれても当然かもしれない。
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「久間発言」というのは、政治家としては軽率であり、表現がお粗末ではあるが、一応歴史の勉強をしている発言である。
{ピアニスト註:久間氏は、同じ長崎だから、上記の本島氏の発言から影響を受けていたのかもしれない}。

それを寄ってたかって叩く連中の方が、実は本物の悪党、なのである。
北朝鮮自身が拉致を認めても尚且つ、「拉致事件など、存在しない」、と頑張るような連中である。

パレスチナだって、イランだって、右翼も居れば左翼も居る。
終戦後に日本人が、命からがら大陸から引揚げてくる時に、現地で強盗・殺人・略奪をした中国人・朝鮮人も居たが、
逆に食料や宿を提供し手助けてくれた現地人も多数居たのが事実である。

戦争末期に、日本人の被害を少なくしよう、と思って行動したグループが米国内にも居た。
ところが、自分の政治的主張にマイナスになるようなことは、一切無視するか、ひん曲げるのが、マスコミである。
それは、書きたくなかったのだ。

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終戦前の米国内にも、トルーマンのように原爆を落したい人間も居れば、一方では、出来ればそれをしないで、日本に早く降伏・終戦に持って行って欲しい、という考えのグループも居た。
ところが、日本で反米の政治主張をするのに、米国に良識派が居たと知られるのはマイナスである。
米国良識派の活動は無視したいのがマスコミである。

3ヶ月前に降伏するまでは、日本の同盟国であったドイツ、の原爆の指導的立場に居た、ハイゼンベルグを使って説得し、日本の早期降伏・終戦に持って行こう、と米国の良識派が考えた事実があった。
しかし、原爆問題を使って反米感情を煽ろうとしている日本のマスコミには、日本への原爆投下を行なわずに済ませようとした、米国内の良心的グループの行動を世間一般に知られると、米国への非難が出来難くなる。

Y氏の情報の価値が分らなかったのではなく、分り過ぎていたから、Y氏の情報を無視したのだ。
マスコミには戦後一貫して反米親ソを煽りた連中が力を持っていたから、この様な米国にプラスになる情報を潰す事は、他にも多く行なわれていた。

この辺の読みが、東郷氏も、二人のピアニストも、甘いなあ、と晩秋氏は言う。

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冒頭に書いた、ロックフェラー家に話を思い出す。
晩秋氏の指摘の様に、従来は情報つぶしをしてきた日本のメデイアの中で、毎日新聞が、ここに紹介した2本の記事:
毎日新聞2007/06/03の「時代の風」:五百旗頭真
毎日新聞2007/07/11の「記者の目」欄:横田信行{久間「しようがない」、本島「仕方なかった」、の違い}

を書いたことは、『ロックフェラー家に爽やかさ』を感じる方向に向けての、第一歩の感じで素晴らしい。

今後の挙動を見守りたい。
毎日新聞には、戦争中に日本中の新聞社の中で、唯一、「竹やりで、B-29には対処できない」を書いた新聞、の実績がある。
「久間事件・戦後を問い直す(1)」、にこの記事を、入れたかった。
既に話の連鎖が、此処まで進行してしまった以上、仕方がない。


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1 コメント

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無理して割り切らなくても (東郷 幹夫)
2007-07-20 05:23:30
二人のピアニスト様
「久間事件・戦後を問い直す(5)」を小生の記事へTBして頂き、有難うございました。
「太平洋戦争に対する歴史認識が日本人の間に確立されていないので、事あるごとに同じような過ちが犯される」という御主張の用ですが、これは本当に難しい問題だと思います。世界的に共通した歴史認識を持てと言われても、米国と日本では抜き難いギャップがあります。
日本の中国大陸への進出が悪であったと認めるように言われても、当時の日本及び中国、韓国、あるいはロシア(後にソ連)の状況からとても「そうだ」と言って割り切れるものではありません。
太平洋戦争についても同様です。戦争の必然性について、やむを得なかったとも言える面もあります。天皇に戦争責任がなかったと言えばそれは嘘になります。にもかかわらず、A級戦犯の人達は、天皇に戦争責任が及ばないように東京裁判で天皇を守り通して死んでゆきました。東京裁判は連合国による一方的なものであり、正しくは歴史の判断によるしかないなどと言う一方、日本人自身による戦争責任の追及が為されていないと言って騒ぎ立てる人が居ります。
ましてや、「終戦への過程として、原子爆弾の投下、ソ連参戦、終戦の詔勅のいずれも必要な過程であったのは事実である」と言って、それを認めるように言われても、多くの部分が勝者の立場から語られている事実が多く、同じ歴史認識を勝敗を分けた双方で共有させることは無理と言わざるを得ません。殊に原爆問題が絡んでくるとますます困難になります。原爆被害に対する日本人の後遺症は戦後1世紀を過ぎないと、回復しないと思います。
長崎前々市長の本島氏のように原爆投下は必要だったと割り切れる人は少ないと思いますね。ここのところは、無理して割り切ることは無いと思いますね。
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