Cogito, ergo sum ブログの3月10日に、教師、生徒とその父、という記事がある。
このブロガーAlps氏の住む浜松の地にあった農経高校という農業高校が廃校になり、元あった校舎は取り払われ更地となってしまったが、跡地である三方原台地の一角に、記念碑と5本の河津桜が残っている。
実は、その桜は、其処にあった高校の、ある卒業生が、「家業を継いで立派な農家になっていたが、不幸にも夭折してしまったので、そのお父さんが、学校の同意を得て、息子の思い出に河津桜を校舎の周囲に植えたもので、今は立派に花を咲かせている」、
という事情をAlps氏が知った経緯を、この記事は綴っている。
その父親や高校の校長先生の気持ちに感動しながら、その記事を読んで、2週間後の3月22日の毎日新聞の「発信箱」というコラムに、「イマジン」という題で社会部の記者、花谷寿人氏が書いた一文が目に付いた。
少子化や公立離れの影響で生徒が激減して、来春、近隣の学校と統合され、その地を離れる東京都文京区立第五中学校の校庭にある桜の木の物語である。
その学校で生徒会長としてリーダーシップを発揮し、阪神大震災での体験を基にボランテイア活動を広めた山田聡君が、卒業後不慮の事故で亡くなったのを偲ぶ記念樹である。
「イマジン」は、この校舎での最後の卒業生となる生徒達が、この学校の元校長の書き下ろした劇を「卒業を祝う会」で演じた劇のタイトルであり、劇中にはそれを演じる生徒達の知らない山田先輩も登場する。
こちらも、校舎が無くなった後、何時までその思いは伝承されるのだろうか。
それを読んでいて、私はAlpsさんの記事を思い出し、全宇宙の歴史に較べれば本当に短い、この人生でご縁のあった人を想う切ない気持ちの尊さを噛み締めていた。
そして、そのような人の気持ちの分かるAlps氏とか、この「イマジン」コラムを書いた社会部の記者、花谷寿人氏の感性を素晴らしいものと思った。
私は出来れば、花谷寿人記者にAlps氏のブログ記事を教えるため、連絡を取ろうかと思った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
此処で私は、心地よい夢が醒めて、現実に戻った。
今回と同様な想いで毎日新聞の記者へのコンタクトを図って新聞社に連絡したが、沈没した事が此処二年ほどの間に3回有った。
また同じ思いを繰返すのは嫌だから止めておこう。
キャズ君が警察や消防署の窓口で味わった不愉快な体験
(▲「美しい国」を作るための提案(6) )、
と同様で、我々の年配の者の善意は今の現役の世代には通じない。
現に、毎日新聞紙上の、「ご意見を・・」とか、書いたメールアドレスで記者に連絡をしようとして沈没したことを、既に3回それを経験しているのだから、もう止めよう、と決めた。
▲[A-16] 広島原爆60周年(3)
に書いたY君の知り合いの大物記者Kとは、実は毎日新聞の記者だった人である。 (実名を出しても何も支障はないのだが、そして、頭文字を出している以上は、当時の所属が毎日新聞であったと漏らせば、その方面の人には直ぐに誰の事か分るのだが、あえて実名は伏せておこう)。
兎も角、昔は、あれ程の記者が、夜討ち、朝駆けを仕掛けて情報を求めてきたのが、今はこちらから情報を提供すると申し出ても沈没する。
新聞紙面には、「ご意見を・・」とか、書いて、メールアドレスやファックスなどを印刷してあるが、それを頼りに記者に情報を送っても、連絡を取ろうとしても、現在では全く駄目で、相手にされない。
こんな状況になったのも、キャズ君が
▲荒川沖駅殺傷事件
で言うように現場マンの幼稚化の故で、新聞社だけでない現象でしょうね。
このブロガーAlps氏の住む浜松の地にあった農経高校という農業高校が廃校になり、元あった校舎は取り払われ更地となってしまったが、跡地である三方原台地の一角に、記念碑と5本の河津桜が残っている。
実は、その桜は、其処にあった高校の、ある卒業生が、「家業を継いで立派な農家になっていたが、不幸にも夭折してしまったので、そのお父さんが、学校の同意を得て、息子の思い出に河津桜を校舎の周囲に植えたもので、今は立派に花を咲かせている」、
という事情をAlps氏が知った経緯を、この記事は綴っている。
その父親や高校の校長先生の気持ちに感動しながら、その記事を読んで、2週間後の3月22日の毎日新聞の「発信箱」というコラムに、「イマジン」という題で社会部の記者、花谷寿人氏が書いた一文が目に付いた。
少子化や公立離れの影響で生徒が激減して、来春、近隣の学校と統合され、その地を離れる東京都文京区立第五中学校の校庭にある桜の木の物語である。
その学校で生徒会長としてリーダーシップを発揮し、阪神大震災での体験を基にボランテイア活動を広めた山田聡君が、卒業後不慮の事故で亡くなったのを偲ぶ記念樹である。
「イマジン」は、この校舎での最後の卒業生となる生徒達が、この学校の元校長の書き下ろした劇を「卒業を祝う会」で演じた劇のタイトルであり、劇中にはそれを演じる生徒達の知らない山田先輩も登場する。
こちらも、校舎が無くなった後、何時までその思いは伝承されるのだろうか。
それを読んでいて、私はAlpsさんの記事を思い出し、全宇宙の歴史に較べれば本当に短い、この人生でご縁のあった人を想う切ない気持ちの尊さを噛み締めていた。
そして、そのような人の気持ちの分かるAlps氏とか、この「イマジン」コラムを書いた社会部の記者、花谷寿人氏の感性を素晴らしいものと思った。
私は出来れば、花谷寿人記者にAlps氏のブログ記事を教えるため、連絡を取ろうかと思った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
此処で私は、心地よい夢が醒めて、現実に戻った。
今回と同様な想いで毎日新聞の記者へのコンタクトを図って新聞社に連絡したが、沈没した事が此処二年ほどの間に3回有った。
また同じ思いを繰返すのは嫌だから止めておこう。
キャズ君が警察や消防署の窓口で味わった不愉快な体験
(▲「美しい国」を作るための提案(6) )、
と同様で、我々の年配の者の善意は今の現役の世代には通じない。
現に、毎日新聞紙上の、「ご意見を・・」とか、書いたメールアドレスで記者に連絡をしようとして沈没したことを、既に3回それを経験しているのだから、もう止めよう、と決めた。
▲[A-16] 広島原爆60周年(3)
に書いたY君の知り合いの大物記者Kとは、実は毎日新聞の記者だった人である。 (実名を出しても何も支障はないのだが、そして、頭文字を出している以上は、当時の所属が毎日新聞であったと漏らせば、その方面の人には直ぐに誰の事か分るのだが、あえて実名は伏せておこう)。
兎も角、昔は、あれ程の記者が、夜討ち、朝駆けを仕掛けて情報を求めてきたのが、今はこちらから情報を提供すると申し出ても沈没する。
新聞紙面には、「ご意見を・・」とか、書いて、メールアドレスやファックスなどを印刷してあるが、それを頼りに記者に情報を送っても、連絡を取ろうとしても、現在では全く駄目で、相手にされない。
こんな状況になったのも、キャズ君が
▲荒川沖駅殺傷事件
で言うように現場マンの幼稚化の故で、新聞社だけでない現象でしょうね。
毎日新聞のコラムに有った話と、私の経験した話とは余りにも似ていて、世の中にはこのような事象があり、このような真摯な人たちが居るという事を改めて認識し感動しました。御知らせいただいて有難う御座いました。
話は違いますが、日経新聞に「交友抄」という欄があり、ある地位にある人たちの交遊録で、嘗て私の従兄弟が登場した事がある。彼とは長い間音信不通であったが、早速新聞社に連絡して彼の住所等を聞き出し、以来年賀状の交換を通じて消息を交換している。
ところが今はそのようなことを依頼しても拒否される。例の個人情報保護法案である。此方の個人的な関係を話しても或いは調べていただいても結構ですと言っても全く不可である。
確かに、このような申し出が多ければ対応が大変なことは判るが、対応に誠意があるかどうかは話していても直ぐ判る。法律なども血の通った運営がなければこのような不便さや不快感を押し付ける事になる。