★今回、「変人キャズ」君がメキシカンリビエラ・クルーズに行って、
思いがけず、素晴らしい同行者達に恵まれたツアー旅行を
満喫してきたという。 確率的に滅多に起こり難い僥倖
に恵まれた彼のために、祝杯を挙げてやりたい気分である。
所で、彼の帰国談の中で、船上で出逢った、
ロスアンゼルス在住の女性の話があった。:
{海外旅行(3):[C-106]}
佐久間象川先輩が:「エプリルフール」 に
書いている話のなかに、我々と同郷
(それも、象川氏の地元の)松代の、
野暮な若い女性の話が出てくる。
ところが、今回のロス在住の女性も、
我々と同郷なのだが、松代嬢とは逆に、
大層な優秀な方なので嬉しく思った。
キャズ君や象川先輩など、我々と地縁が
有る女性で、海外で立派な活動をして
いる人が居るのは、私の関心を引いた。
メキシカンリビエラ・クルーズの同行者一般の話は
変人キャズ氏が記事にするであろうが、私にとっては、
この女性の話が印象が強いので、
聞いた話ではあるが一寸書きたい。
★キャズ氏の今回のクルーズ船の乗客の、
米国在住の日本人女性(M)さんが、
思いがけず、我々の同郷人であったのだという。
(M)さんの住所であるパサデナは、
ハリウッド、ビバリーヒルズと並んで、
ロス郊外の高級住宅地のである。
キャズ氏が書いている様に、私とは特に
近所で育った筈、と言う事も驚きであるが、
私にとっての更なる思いは、
我々の郷里の出身のこの様な成功者が、
田舎の人人には知られずに、
何故此処で生活をしているか、である。
★(M)さんだって望郷の気持ちは有るであろう。
それなのに、ロスに住み着いて、日本に帰国しない
のは何故か。 キャズ氏は分らない、と言う。
しかし、私なりには、理解出来るような気がする
ので、それを書いて見たいのである。
見当違いで、間違っているかも知れないのだが。
キャズ君の記事に、日本船に乗って不愉快な思い
をした人人の言う 「牢名主」、という存在の話
が出て来る。
それが日本人の民族性に本質的に繋がるものか、
どうかは分らないが、キャズ君が書いているように、
外国船ではその様なことは皆無であることからも、
日本人社会に有りそうな話。
日本では職場の人間集団とか、学校の同級生とか
の中で、その種の存在が生れ易いのは確かである。
「農耕民族と騎馬民族の差、とか個人の
自立の問題」に由来する、日本的なもの
かもしれない。 そして、私の憶測では、
(M)さんが、遂に日本に住まずに、米国に
定住したのも、その辺に理由が有るのでは
ないか、と考えるのである。
事実、キャズ氏は詳細に書いてはいないが、
同じくその船に居た(I)さんと言う在米日本人女性は、
可也明確にその様な心境を語っていたと言う。
★チンパンジー、オランウータン、などと共通の
祖先から出発して、数百万年前に人類が発生した。
類人猿と人類とのDNAの差異が
極めて小さい事は良く知られている。
▲類人猿の中で、肉食の性癖(遺伝子)
を持った種が二足歩行をし、(その性癖ゆえに)
言語を持つに至って、人類へと進化した。
言語を持てるかどうかは、たった一つの
遺伝子の成分で決まるとかである。
他の動物種に較べて、人類間の遺伝子は
非常に均質である。
チンパンジーの仲間での相違に較べて
人間同士の差異は1/4位しかない。
▲人類は、類人猿類とのDNAのほんの
些細な相違で分岐したが、しかし、その人類にも
何種類かが発生した。 それらの相違を分けた
DNA情報の差異は、更に極めて些少であった
筈である。
が、その中で、ネアンデールタール人とか、
そのほか全ての種が絶滅して、数十万年前に
アフリカで発生したホモサピエンスだけが、
現代人として生き残った。
▲そして、アフリカから全世界に拡散する
その後の歴史的経過を経て、現在の人類でも
各民族には外見的な特徴が生れた。 ということは、
ホモサピエンスの中でも、矢張り夫々の民族には、
ほんの僅かでもDNAに差があるということである。
例えば、学術・芸術の分野での実績を見る限り、
ユダヤ人の遺伝的優位は確からしい。 残念だが、
日本人には科学的独創性を生じるDNA因子が、
外国人に比べて有意に少ない、
というデータが、有るらしい。
▲民族の優劣という事で無く、この様な差異がある
ことは事実として認めなければならない。
一方、国民性のある部分は言語構造によるもので、
遺伝子とは別に、固体の発育過程で習得する
頭脳作用のある機能は非常に特異な差があって、
日本語を用いる人間の頭脳機能の動作には
他の人類には見られない機能が有るそうである。
遺伝子でも、後天的機能でも、差の在る事は事実
として認めた上で、長所を活かせば良いのである。
短距離走の選手、長距離の選手、野球の選手、
相撲の力士、夫々の分野に適した資質は別物。
それらの間に優劣は無いのである。
★所で、以上の話は統計的にその様な事実がある、
と言う話であって、同一人種の内でも
個別の人間には分布が有る。
そこで、ある人種の中に居れば高く評価される資質
が、他の人種の中では逆に扱われる、
という事がある訳である。
天才的な画家が、社会的な欠陥人間として
疎外される、という事もある。、
私の推測では、(M)さんは米国人の社会では
極めて高い評価を享受する資質を持つ
ものの、日本にあってはそれが
生かされないのではないか。
と言うよりも、寧ろ逆に嫌われ、排除されて、
(M)さんは日本の社会には生き難い
のではないか、と想像する。
農耕民族の日本人の性癖、特にその面
が強調されている信州人の性格の中で、
彼女のような一匹狼的な業績を評価
されるタイプは、排除される
のかもしれない。
善悪の問題でなく、事実関係の問題として
の話である。 そして、(I)さんの話も、
(M)さんを米国に永住させたのが
同根の事情だろう、と感じるのである。
私はこの事を、彼女の個人的な性癖の問題としてでなく、
日本の社会の一つの問題点、として感じるのである。
農耕民族を売り物にする日本人の特質は、
島国日本という地理的に恵まれた条件で
許され育まれたものである。
上述の様に、元々人類が類人猿から分岐
した時の決定因子から見ると、
マイナス要素であったものである。
島国の利点で日本民族が生き残っては
来たが、これから世界が狭くなると、
これは問題だと思う。
その様に考えると、(M)さんのような人材を
居心地良くするような配慮が、これからの
日本の社会に欲しいものと思うのである。
佐久間先輩の
★ 出逢いの問題(4)社会環境の運(続)、
★ 出逢いの問題 (8):O君の評価、
の意見を改めて見直したい。
其処に書かれているY君が、40年前に
パサデナで舞い上がっていた時、正に
その場所に(M)さんの居た事を、
今回知るのは、教訓的・暗示的である。
思いがけず、素晴らしい同行者達に恵まれたツアー旅行を
満喫してきたという。 確率的に滅多に起こり難い僥倖
に恵まれた彼のために、祝杯を挙げてやりたい気分である。
所で、彼の帰国談の中で、船上で出逢った、
ロスアンゼルス在住の女性の話があった。:
{海外旅行(3):[C-106]}
佐久間象川先輩が:「エプリルフール」 に
書いている話のなかに、我々と同郷
(それも、象川氏の地元の)松代の、
野暮な若い女性の話が出てくる。
ところが、今回のロス在住の女性も、
我々と同郷なのだが、松代嬢とは逆に、
大層な優秀な方なので嬉しく思った。
キャズ君や象川先輩など、我々と地縁が
有る女性で、海外で立派な活動をして
いる人が居るのは、私の関心を引いた。
メキシカンリビエラ・クルーズの同行者一般の話は
変人キャズ氏が記事にするであろうが、私にとっては、
この女性の話が印象が強いので、
聞いた話ではあるが一寸書きたい。
★キャズ氏の今回のクルーズ船の乗客の、
米国在住の日本人女性(M)さんが、
思いがけず、我々の同郷人であったのだという。
(M)さんの住所であるパサデナは、
ハリウッド、ビバリーヒルズと並んで、
ロス郊外の高級住宅地のである。
キャズ氏が書いている様に、私とは特に
近所で育った筈、と言う事も驚きであるが、
私にとっての更なる思いは、
我々の郷里の出身のこの様な成功者が、
田舎の人人には知られずに、
何故此処で生活をしているか、である。
★(M)さんだって望郷の気持ちは有るであろう。
それなのに、ロスに住み着いて、日本に帰国しない
のは何故か。 キャズ氏は分らない、と言う。
しかし、私なりには、理解出来るような気がする
ので、それを書いて見たいのである。
見当違いで、間違っているかも知れないのだが。
キャズ君の記事に、日本船に乗って不愉快な思い
をした人人の言う 「牢名主」、という存在の話
が出て来る。
それが日本人の民族性に本質的に繋がるものか、
どうかは分らないが、キャズ君が書いているように、
外国船ではその様なことは皆無であることからも、
日本人社会に有りそうな話。
日本では職場の人間集団とか、学校の同級生とか
の中で、その種の存在が生れ易いのは確かである。
「農耕民族と騎馬民族の差、とか個人の
自立の問題」に由来する、日本的なもの
かもしれない。 そして、私の憶測では、
(M)さんが、遂に日本に住まずに、米国に
定住したのも、その辺に理由が有るのでは
ないか、と考えるのである。
事実、キャズ氏は詳細に書いてはいないが、
同じくその船に居た(I)さんと言う在米日本人女性は、
可也明確にその様な心境を語っていたと言う。
★チンパンジー、オランウータン、などと共通の
祖先から出発して、数百万年前に人類が発生した。
類人猿と人類とのDNAの差異が
極めて小さい事は良く知られている。
▲類人猿の中で、肉食の性癖(遺伝子)
を持った種が二足歩行をし、(その性癖ゆえに)
言語を持つに至って、人類へと進化した。
言語を持てるかどうかは、たった一つの
遺伝子の成分で決まるとかである。
他の動物種に較べて、人類間の遺伝子は
非常に均質である。
チンパンジーの仲間での相違に較べて
人間同士の差異は1/4位しかない。
▲人類は、類人猿類とのDNAのほんの
些細な相違で分岐したが、しかし、その人類にも
何種類かが発生した。 それらの相違を分けた
DNA情報の差異は、更に極めて些少であった
筈である。
が、その中で、ネアンデールタール人とか、
そのほか全ての種が絶滅して、数十万年前に
アフリカで発生したホモサピエンスだけが、
現代人として生き残った。
▲そして、アフリカから全世界に拡散する
その後の歴史的経過を経て、現在の人類でも
各民族には外見的な特徴が生れた。 ということは、
ホモサピエンスの中でも、矢張り夫々の民族には、
ほんの僅かでもDNAに差があるということである。
例えば、学術・芸術の分野での実績を見る限り、
ユダヤ人の遺伝的優位は確からしい。 残念だが、
日本人には科学的独創性を生じるDNA因子が、
外国人に比べて有意に少ない、
というデータが、有るらしい。
▲民族の優劣という事で無く、この様な差異がある
ことは事実として認めなければならない。
一方、国民性のある部分は言語構造によるもので、
遺伝子とは別に、固体の発育過程で習得する
頭脳作用のある機能は非常に特異な差があって、
日本語を用いる人間の頭脳機能の動作には
他の人類には見られない機能が有るそうである。
遺伝子でも、後天的機能でも、差の在る事は事実
として認めた上で、長所を活かせば良いのである。
短距離走の選手、長距離の選手、野球の選手、
相撲の力士、夫々の分野に適した資質は別物。
それらの間に優劣は無いのである。
★所で、以上の話は統計的にその様な事実がある、
と言う話であって、同一人種の内でも
個別の人間には分布が有る。
そこで、ある人種の中に居れば高く評価される資質
が、他の人種の中では逆に扱われる、
という事がある訳である。
天才的な画家が、社会的な欠陥人間として
疎外される、という事もある。、
私の推測では、(M)さんは米国人の社会では
極めて高い評価を享受する資質を持つ
ものの、日本にあってはそれが
生かされないのではないか。
と言うよりも、寧ろ逆に嫌われ、排除されて、
(M)さんは日本の社会には生き難い
のではないか、と想像する。
農耕民族の日本人の性癖、特にその面
が強調されている信州人の性格の中で、
彼女のような一匹狼的な業績を評価
されるタイプは、排除される
のかもしれない。
善悪の問題でなく、事実関係の問題として
の話である。 そして、(I)さんの話も、
(M)さんを米国に永住させたのが
同根の事情だろう、と感じるのである。
私はこの事を、彼女の個人的な性癖の問題としてでなく、
日本の社会の一つの問題点、として感じるのである。
農耕民族を売り物にする日本人の特質は、
島国日本という地理的に恵まれた条件で
許され育まれたものである。
上述の様に、元々人類が類人猿から分岐
した時の決定因子から見ると、
マイナス要素であったものである。
島国の利点で日本民族が生き残っては
来たが、これから世界が狭くなると、
これは問題だと思う。
その様に考えると、(M)さんのような人材を
居心地良くするような配慮が、これからの
日本の社会に欲しいものと思うのである。
佐久間先輩の
★ 出逢いの問題(4)社会環境の運(続)、
★ 出逢いの問題 (8):O君の評価、
の意見を改めて見直したい。
其処に書かれているY君が、40年前に
パサデナで舞い上がっていた時、正に
その場所に(M)さんの居た事を、
今回知るのは、教訓的・暗示的である。