二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

遠藤周作氏

2005-09-28 14:39:47 | 独り言
イタズラ好きの人物、と言うと先ず頭に浮かぶのが、故・遠藤周作氏の名前であろう。 「電話魔」の異名を持つ氏の犠牲者は死屍累で、吉行淳之介、三浦朱門、佐藤愛子、など数多の著名人が、如何に、してやられたかの物語は、聞いていて抱腹絶倒する。
あの生真面目な作風からは想像し難いが、4月1日に限らずイタズラを愉しんでいて、月に一度「人を騙す会」を開いていたそうである。

特に「電話魔ぶり」が多くの被害者を産んだ。  留守の息子にガールフレンドから掛かってきた電話に出て、恰も息子が居留守を使っているかの様に、相手に思わせるように応対した。
銀座で友人と一緒に食事をしている最中に、トイレに立って、相手の自宅に電話し、それを受けた細君が帰宅した亭主に、今日は何処に行っていたのかと、悶着を起こさせた。  その発想が生半でない。

遠藤氏は、「生活と人生は別物」、という持論の持ち主で、病弱にも拘わらずダンスを愛し、イタズラを愉しんだが、本質は悪気の無い優しい人物であった。 ローマ法王庁から騎士勲章を受章した本物のカトリック信者であることは知られているが、「ぐーたら人生論」の氏が、実は猛烈な勉強家であったという。

そう云えば、河合隼雄氏(臨床心理学者。元文化庁長官)も、「日本うそつきくらぶ会長」の肩書きの持ち主である。
日本人に限らず、ショックレイがMITの学生時代にスレーター教授に仕掛けたエレベーターの悪戯など、登場人物が歴史に残る超有名人物で、聞いていて人生が愉しくなる。 
この様に、頭脳が柔軟で、人間的には本質的に誠実な方の方が、この手の遊びをする事は面白い。

明日、 9/29 は遠藤氏が亡くなって9年目の命日である。
その5年と二日前に、同様に冗談好きだった私の弟が亡くなった。
遠藤氏は確か、私の尊敬する司馬遼太郎氏と同年に生まれ、同年 (1996)に亡くなった。

先日(2005/9/19)TVで遠藤氏の順子夫人の対話番組が放映された。  周作氏と共に敬虔な本物のカトリック信者で、社会的に表面にしゃしゃり出る事をなさらない方で、私は画面でもお姿を拝見するのは初めてであったが、その面立ち、姿・体形が余りに私の亡母に良く似て、そっくりなのを見て吃驚した。
勿論、田舎者の私の母と、この育ちの良いご夫人とは血縁的には何の繋がりも無いのだが、容姿の他に文学的な資質でも、共通する部分が有るかも知れない。

明治生まれの亡母が、女学校(現在の中学校)時代に市の図書館から「若きヴェルテルの悩み」を借り出してきて、こっそりと夜中に読んでいたとか、また、新聞歌壇の選者であった若山牧水に評価されて上京を強く勧められたとかの、 私自身は本人から聞いた事の無い話を、母の没後に叔母に聞いた。
遠藤未亡人のお話に、容姿だけでなく、何か亡母の生き様を想起させる部分を感じ取り衝撃を受けた。

先日の、このTV番組では聴き手が導傳アナで、最近のTVに登場する程度の悪い(アナ、司会者、評論家、ゲスト、天気予報士、全ての)連中と違って、シッカリと遠藤未亡人の話を引き出しているのが有難かった。 上の様な次第で、私は亡母の話を聞く様な思いで、感動を持って聴いた。

順子夫人の話は、死と病が何時も身近であった家庭内の生活の話が中心であるから、良く知られる遠藤氏の「イタズラ好き」や、「強烈な勉強家ぶり」、の話題は無かった。

遠藤氏の代表作「沈黙」は私自身は正直の所、今までは読んでも充分に理解出来なかった。  私の娘が高校の学園祭で、この劇を演じた時には、娘の仲間達が一体どれだけの理解と根拠を持ってこの難しい作品に決めたのか甚だ不審であった。
今回、この尊敬できるご夫人の話を伺っても未だ、霧の中である。  宗教とはこういうものかも知れない。

「近頃は中学生も漫画を読む」と新聞に書かれて、数年すると高校生もマンガを見るようになり、次は「大学生も漫画を」になり、やがて、それらは新聞記事にもならなくなった。
通勤の車内でサラリーマンが漫画を読み耽るのは、日常の風景でニュースで無くなったし、話題にもならなくなって久しい。
今回の選挙で現れた小泉チルドレンと総称される代議士達もそうなのだから、いずれ遠からず、(或いは、既に)漫画代議士も話題性が無くなるであろう。

遠藤夫妻を「本物のカトリック信者」と書いたのは、世の中には「本物でないカトリック信者」が居ることは、割合と良く知られているからである。
「私は日曜日に教会に行きます」というのを、何か、ステータスとして語る人達が居る。 その種の人達の間の会話で「教会」という言葉を使う時の語感は、恐らく、昔文明開化の導入の時代に生じた、一種、ブランド好きに通じる気分があるのだと思う。

何にしても、この様に、「マンガ」が蔓延し、「本物でないカトリック」が居座るお国柄の中で、遠藤順子夫人のような、「本物のカトリック信者」のお話が、どれだけの人に理解されたのかが気になった。

弟と遠藤氏の命日の中日に、二人のイタズラ好きを偲びながら、この記事を書いている。


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3 コメント

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Unknown (Aips)
2005-10-01 19:16:43
私の読書記録の中には、

遠藤周作氏の「ぐーたら」シリーズが在って、佐藤愛子氏の作品などと並んで泪が出てくるようなコミカルで且つ繊細な神経の持ち主である事に何時も感心しています。
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TBありがとうございました (mugi)
2007-02-20 21:30:21
こんばんは、TBありがとうございました。

遠藤周作氏といえば、狐狸庵先生と呼ばれてましたね。かなり昔、ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMに出ていたのを憶えてます。
遠藤氏はカトリックなので、私はどうも彼の小説を敬遠してましたが、「海と毒薬」は映画で見ました。
私には空襲したアメリカ兵を殺害したことに、主人公が悩むのが理解出来ませんでした。
私が戦争、殺人共に未経験者だからかもしれませんが。
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migiさんのコメントを拝見して (二人のピアニスト)
2007-02-21 04:25:55
この記事の本題とは関係 ないが、migiさんのコメントを拝見して、忘れていた、あの日のことを思い出しました。
昭和20年の名古屋の大空襲の時に、珍しく撃墜された米軍爆撃機から飛び出した米国兵が落下傘で降下してくるのが見えた。 剣道有段者である私は、その落下傘が自分の居る位置に来たら、叩き殺してやろうと思っていたが、幸いにも遥か遠方に行ってしまった。
お陰で、私は戦争犯罪人にならずに済んだ。
現在の平穏な老後を齎したのは、私の人間性の問題でなく、運の問題であった。
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