★生きていると、思い掛けない形で人様との
関係を、生じている
同じ電車の車両に乗り合わせていたとか、
路上で擦れ違っただけでも、
「仏教的な概念としては」、 ご縁、
と言うべき、なのだろう。 その様なご縁は、
ささやかな人間の智恵では分からないことだが、
神仏の眼からすると、 必然性が有るのだろう。
先日亡くなられた後藤田正晴氏は、私が
尊敬する方ではあったが、直接お目に
かかったことは無かった。 然しながら、
あの方のお耳に、 私の名前を聞いて
戴いたことが、一度だけ有る。
お目に掛かることが無かったとはいえ、
一度でも、名前を聞いて頂いたことは、
「現世でのご縁があった」、
と言うべきであろう。
(註:今は亡き、三井不動産の江戸英雄氏が、
私の目の前で、 当時の官房長官であった
後藤田氏が閣議中なのに、電話をして、
私の用件を取次いで下さったことがあった。
86年の三原山噴火の時に、後藤田氏は各省庁を
指揮して一晩で39隻の船舶を集め、全島民を
避難させる離れ業を見せた。 こんなことの
出来る政治家は、その後居なくなった。)
”同じバスに乗っていたが自分では知らずに居た”、
という程度ではなく、路上でも、 ”路を聞いて
言葉を交わすなどの接触のあった人間”、 となると、
「私の意識としても、ご縁」、があった、
と感ずる。
でも、その程度のご縁ならば、
その人と再会しても、顔を憶えてもいないし、
「以前に会ったこと」、に気付かない。
もう少し濃密な関係、例えば講演会で私の話を
聞いて頂いた方となると、「確実に」
ご縁が有った、と言って良い、と思うが、
でも、その殆どの方は、再会しても、
相互に顔を憶えていない、であろう。
★その様にご縁のあった人の数
再会した時に気付かない程度でも、
または、同級生のように明確に相互に
記憶している間柄でも良いが、
一度はこの程度に
「明確なご縁が有った」、と言える人の数
は、どのくらい有るのだろう。
私は、今迄の人生で、その数は、
約3万人ほど、だろうと概算する。
今回の「M」さんの一件で、考える。
{▲海外旅行(3):[C-106]、参照}
若しも、キャズさんが船に乗らなかったならば、
その様な凄い同郷の人が居ることも、昔、幼い頃に
多分顔を合わせたであろう、ということも、
知らずじまいだった。
そうしてみると、他にも、昔何かのご縁があっても、
私が覚えていない人、が多く居る筈である。
昔、ある日、ダンスホールで偶然出合って組んで
踊っている相手が、宝塚のトップスター
と知らずにダンスをずっと長時間踊っていた私
は、お節介な他人の一言が無かったならば、
そのまま知らずに、過ぎてしまった。
そうしてみると、この様なことも、
この他にどのくらい有るか、分らない。
★振返ってみて、私は、人との出逢いには
特別に恵まれた、幸運な人生であった
、と思う
▲一億人、又は、
60億人の中の、3万人との邂逅、の意味。
どのような人と出会ったか、を考える。
確率として、 [一万人に一人の
特別に優秀な、出来の良い人物]、とも、
一人くらいは、出会う筈であろう。
それ以上の人数の[優れた人]との出会い
が有ったならば幸運であったし、それが
一人も無かったならば不運であった、という訳。
▲改めて考えてみると、私が仕事の上での
ご縁で逢った人物は、歴史的な業績を残した
とか、社会的な影響力の点で、
非常に尊敬できる人物、が多い。
それらの人達とのご縁を思うと、人との出会いで、
私は特別に恵まれた、僥倖な人生を持てた、と思う。
それらのご縁のあった、優れた人物たち
に就いては、また改めて書くことにしよう。
▲仕事とは関係なく、全くの偶然に出会った
人々でも、以前の記事に書いたように
『司馬遼太郎』氏や、 『無名の母親』など、
素晴らしい人物、との出逢いが有った。
▲その他の旅先での出逢い等でも、私は
随分とラッキーであった、と思う。
例えば、若い日に、コート・ダジュールで、偶然
同じホテルに泊まり合わせていた米国人M氏
と知合った。 彼は車(アルファ・ロメオ)に乗って
フランスを横断する旅行の途中だから、此処から
パリまで一緒に行こう、と誘ってくれた。
日程の都合で、その申し出は断ったが、
ニースのホテルに滞在中は毎日、彼の車で、
今日はカンヌだ、今日はモナコ・モンテカルロだ、
と連れ立って愉しく過ごしたのが、付き合いの初めで、
その後も、米国の優れた彼の友人を紹介して頂いたり、
している。
▲他にも、僥倖はあった。
★しかし、是までの様な「僥倖な出会い」は、
確率的には、滅多に無いのが当然である
事実、リタイアしてから始めた、家内共々のツアー旅行
などで出会う、(日本人の)旅行者には、
うんざりすることが多い。
前記の確率的な考えでは、一人の素晴らしい人
との出会いのためには、9999人の凡庸な出会い
を我慢せねばならない。
あれだけ多数の、僥倖とも言うべき出会いに恵まれた
人生を過ごせた私の老後に、「うんざり」人種
との出会いが多いのは、自然なのだ。
普通に旅先等で逢う人というのは、
例えば、: マジョルカ島に書いた(大阪城:*)
もそうであるし、同郷の「佐久間象川」先輩が
「エプリルフール」に書いている (ヤボ:**)
も、クルーズ客船の中での出来事であったという。
{註1、*:海外旅行中、買い物にしか関心が無くて、エジプトで、
「ピラミッドなんて大騒ぎするが、大阪城に較べれば
大したこと、ないぞ」、 と大声を出していた
大阪の成金オジサン、
註2、**:遠藤周作・河合隼雄型ユーモアを理解できず、
腹を立てていた法律家女性}
この辺が普通に旅先で有りそうな話の相場である。
こんな面白くも可笑しくもないことを、クダクダと
考えるようになったのも老化現象なのだろう。
或いは、私が幼年時代に善光寺の境内で
遊んで育って、仏教的な感性が
染み付いているため、かも、知れない。
何にしても、 キャズ氏の帰国談を聞いてから、
この様なことに、妙に拘るのである。
関係を、生じている
同じ電車の車両に乗り合わせていたとか、
路上で擦れ違っただけでも、
「仏教的な概念としては」、 ご縁、
と言うべき、なのだろう。 その様なご縁は、
ささやかな人間の智恵では分からないことだが、
神仏の眼からすると、 必然性が有るのだろう。
先日亡くなられた後藤田正晴氏は、私が
尊敬する方ではあったが、直接お目に
かかったことは無かった。 然しながら、
あの方のお耳に、 私の名前を聞いて
戴いたことが、一度だけ有る。
お目に掛かることが無かったとはいえ、
一度でも、名前を聞いて頂いたことは、
「現世でのご縁があった」、
と言うべきであろう。
(註:今は亡き、三井不動産の江戸英雄氏が、
私の目の前で、 当時の官房長官であった
後藤田氏が閣議中なのに、電話をして、
私の用件を取次いで下さったことがあった。
86年の三原山噴火の時に、後藤田氏は各省庁を
指揮して一晩で39隻の船舶を集め、全島民を
避難させる離れ業を見せた。 こんなことの
出来る政治家は、その後居なくなった。)
”同じバスに乗っていたが自分では知らずに居た”、
という程度ではなく、路上でも、 ”路を聞いて
言葉を交わすなどの接触のあった人間”、 となると、
「私の意識としても、ご縁」、があった、
と感ずる。
でも、その程度のご縁ならば、
その人と再会しても、顔を憶えてもいないし、
「以前に会ったこと」、に気付かない。
もう少し濃密な関係、例えば講演会で私の話を
聞いて頂いた方となると、「確実に」
ご縁が有った、と言って良い、と思うが、
でも、その殆どの方は、再会しても、
相互に顔を憶えていない、であろう。
★その様にご縁のあった人の数
再会した時に気付かない程度でも、
または、同級生のように明確に相互に
記憶している間柄でも良いが、
一度はこの程度に
「明確なご縁が有った」、と言える人の数
は、どのくらい有るのだろう。
私は、今迄の人生で、その数は、
約3万人ほど、だろうと概算する。
今回の「M」さんの一件で、考える。
{▲海外旅行(3):[C-106]、参照}
若しも、キャズさんが船に乗らなかったならば、
その様な凄い同郷の人が居ることも、昔、幼い頃に
多分顔を合わせたであろう、ということも、
知らずじまいだった。
そうしてみると、他にも、昔何かのご縁があっても、
私が覚えていない人、が多く居る筈である。
昔、ある日、ダンスホールで偶然出合って組んで
踊っている相手が、宝塚のトップスター
と知らずにダンスをずっと長時間踊っていた私
は、お節介な他人の一言が無かったならば、
そのまま知らずに、過ぎてしまった。
そうしてみると、この様なことも、
この他にどのくらい有るか、分らない。
★振返ってみて、私は、人との出逢いには
特別に恵まれた、幸運な人生であった
、と思う
▲一億人、又は、
60億人の中の、3万人との邂逅、の意味。
どのような人と出会ったか、を考える。
確率として、 [一万人に一人の
特別に優秀な、出来の良い人物]、とも、
一人くらいは、出会う筈であろう。
それ以上の人数の[優れた人]との出会い
が有ったならば幸運であったし、それが
一人も無かったならば不運であった、という訳。
▲改めて考えてみると、私が仕事の上での
ご縁で逢った人物は、歴史的な業績を残した
とか、社会的な影響力の点で、
非常に尊敬できる人物、が多い。
それらの人達とのご縁を思うと、人との出会いで、
私は特別に恵まれた、僥倖な人生を持てた、と思う。
それらのご縁のあった、優れた人物たち
に就いては、また改めて書くことにしよう。
▲仕事とは関係なく、全くの偶然に出会った
人々でも、以前の記事に書いたように
『司馬遼太郎』氏や、 『無名の母親』など、
素晴らしい人物、との出逢いが有った。
▲その他の旅先での出逢い等でも、私は
随分とラッキーであった、と思う。
例えば、若い日に、コート・ダジュールで、偶然
同じホテルに泊まり合わせていた米国人M氏
と知合った。 彼は車(アルファ・ロメオ)に乗って
フランスを横断する旅行の途中だから、此処から
パリまで一緒に行こう、と誘ってくれた。
日程の都合で、その申し出は断ったが、
ニースのホテルに滞在中は毎日、彼の車で、
今日はカンヌだ、今日はモナコ・モンテカルロだ、
と連れ立って愉しく過ごしたのが、付き合いの初めで、
その後も、米国の優れた彼の友人を紹介して頂いたり、
している。
▲他にも、僥倖はあった。
★しかし、是までの様な「僥倖な出会い」は、
確率的には、滅多に無いのが当然である
事実、リタイアしてから始めた、家内共々のツアー旅行
などで出会う、(日本人の)旅行者には、
うんざりすることが多い。
前記の確率的な考えでは、一人の素晴らしい人
との出会いのためには、9999人の凡庸な出会い
を我慢せねばならない。
あれだけ多数の、僥倖とも言うべき出会いに恵まれた
人生を過ごせた私の老後に、「うんざり」人種
との出会いが多いのは、自然なのだ。
普通に旅先等で逢う人というのは、
例えば、: マジョルカ島に書いた(大阪城:*)
もそうであるし、同郷の「佐久間象川」先輩が
「エプリルフール」に書いている (ヤボ:**)
も、クルーズ客船の中での出来事であったという。
{註1、*:海外旅行中、買い物にしか関心が無くて、エジプトで、
「ピラミッドなんて大騒ぎするが、大阪城に較べれば
大したこと、ないぞ」、 と大声を出していた
大阪の成金オジサン、
註2、**:遠藤周作・河合隼雄型ユーモアを理解できず、
腹を立てていた法律家女性}
この辺が普通に旅先で有りそうな話の相場である。
こんな面白くも可笑しくもないことを、クダクダと
考えるようになったのも老化現象なのだろう。
或いは、私が幼年時代に善光寺の境内で
遊んで育って、仏教的な感性が
染み付いているため、かも、知れない。
何にしても、 キャズ氏の帰国談を聞いてから、
この様なことに、妙に拘るのである。
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