二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

「出逢い」に想う(2)

2005-11-13 21:12:45 | 独り言
生きていると、思い掛けない形で人様との
            関係を、生じている


同じ電車の車両に乗り合わせていたとか、
  路上で擦れ違っただけでも、
    「仏教的な概念としては」、 ご縁
  と言うべき、なのだろう。 その様なご縁は、
  ささやかな人間の智恵では分からないことだが、
  神仏の眼からすると、 必然性が有るのだろう。

先日亡くなられた後藤田正晴氏は、私が
  尊敬する方ではあったが、直接お目に
  かかったことは無かった。 然しながら、
  あの方のお耳に、 私の名前を聞いて
  戴いたことが、一度だけ有る。
お目に掛かることが無かったとはいえ、
  一度でも、名前を聞いて頂いたことは、
    「現世でのご縁があった」
  と言うべきであろう。

(註:今は亡き、三井不動産の江戸英雄氏が、
  私の目の前で、 当時の官房長官であった
  後藤田氏が閣議中なのに、電話をして、
  私の用件を取次いで下さったことがあった。
  86年の三原山噴火の時に、後藤田氏は各省庁を
  指揮して一晩で39隻の船舶を集め、全島民を
  避難させる離れ業を見せた。 こんなことの
  出来る政治家は、その後居なくなった。)

”同じバスに乗っていたが自分では知らずに居た”、
  という程度ではなく、路上でも、 ”路を聞いて
  言葉を交わすなどの接触のあった人間”、 となると、
  「私の意識としても、ご縁」、があった、
  と感ずる

 でも、その程度のご縁ならば、
     その人と再会しても、顔を憶えてもいないし、
     「以前に会ったこと」、に気付かない。

もう少し濃密な関係、例えば講演会で私の話を
  聞いて頂いた方となると、「確実に」
  ご縁が有った、と言って良い
、と思うが、
  でも、その殆どの方は、再会しても、
  相互に顔を憶えていない、であろう。



その様にご縁のあった人の数   
再会した時に気付かない程度でも、
   または、同級生のように明確に相互に
       記憶している間柄でも良いが、
 一度はこの程度に
 「明確なご縁が有った」、と言える人の数
    は、どのくらい有るのだろう。
 私は、今迄の人生で、その数は、
    約3万人ほど、だろうと概算する。


今回の「M」さんの一件で、考える。
    {▲海外旅行(3):[C-106]、参照}
若しも、キャズさんが船に乗らなかったならば、
  その様な凄い同郷の人が居ることも、昔、幼い頃に
  多分顔を合わせたであろう、ということも、
  知らずじまいだった。
そうしてみると、他にも、昔何かのご縁があっても、
  私が覚えていない人、が多く居る筈である。

昔、ある日、ダンスホールで偶然出合って組んで
  踊っている相手が、宝塚のトップスター
  と知らずにダンスをずっと長時間踊っていた私
  は、お節介な他人の一言が無かったならば、
  そのまま知らずに、過ぎてしまった。

そうしてみると、この様なことも、
  この他にどのくらい有るか、分らない。



 振返ってみて、私は、人との出逢いには
  特別に恵まれた、幸運な人生であった

    、と思う


 ▲一億人、又は、
  60億人の中の、3万人との邂逅、の意味。
     どのような人と出会ったか、を考える。
 確率として、   [一万人に一人の
  特別に優秀な、出来の良い人物]、とも、
      一人くらいは、出会う筈であろう。
  それ以上の人数の[優れた人]との出会い
  が有ったならば幸運であったし、それが
  一人も無かったならば不運であった、という訳。

 ▲改めて考えてみると、私が仕事の上での
  ご縁で逢った人物は、歴史的な業績を残した
       とか、社会的な影響力の点で、
  非常に尊敬できる人物、が多い。


それらの人達とのご縁を思うと、人との出会いで、
  私は特別に恵まれた、僥倖な人生を持てた、と思う。
  それらのご縁のあった、優れた人物たち
  に就いては、また改めて書くことにしよう。


  ▲仕事とは関係なく、全くの偶然に出会った
    人々でも、以前の記事に書いたように
    『司馬遼太郎』氏や、 『無名の母親』など、
  素晴らしい人物、との出逢いが有った。

▲その他の旅先での出逢い等でも、私は
     随分とラッキーであった、と思う。


例えば、若い日に、コート・ダジュールで、偶然
同じホテルに泊まり合わせていた米国人M氏
と知合った。 彼は車(アルファ・ロメオ)に乗って
フランスを横断する旅行の途中だから、此処から
パリまで一緒に行こう、と誘ってくれた。
日程の都合で、その申し出は断ったが、
ニースのホテルに滞在中は毎日、彼の車で、
今日はカンヌだ、今日はモナコ・モンテカルロだ、
と連れ立って愉しく過ごしたのが、付き合いの初めで、
その後も、米国の優れた彼の友人を紹介して頂いたり、
している。


▲他にも、僥倖はあった。


しかし、是までの様な「僥倖な出会い」は、
 確率的には、滅多に無いのが当然である


 事実、リタイアしてから始めた、家内共々のツアー旅行
  などで出会う、(日本人の)旅行者には、
       うんざりすることが多い。
前記の確率的な考えでは、一人の素晴らしい人
   との出会いのためには、9999人の凡庸な出会い
   を我慢せねばならない。

あれだけ多数の、僥倖とも言うべき出会いに恵まれた
  人生を過ごせた私の老後に、「うんざり」人種
  との出会いが多いのは、自然なのだ。


普通に旅先等で逢う人というのは、
例えば、: マジョルカ島に書いた(大阪城:*)
  もそうであるし、同郷の「佐久間象川」先輩が
   「エプリルフール」に書いている (ヤボ:**)
  も、クルーズ客船の中での出来事であったという。


{註1、*:海外旅行中、買い物にしか関心が無くて、エジプトで、
  「ピラミッドなんて大騒ぎするが、大阪城に較べれば
   大したこと、ないぞ」、 と大声を出していた
   大阪の成金オジサン、
註2、**:遠藤周作・河合隼雄型ユーモアを理解できず、
   腹を立てていた法律家女性}


この辺が普通に旅先で有りそうな話の相場である。


こんな面白くも可笑しくもないことを、クダクダと
  考えるようになったのも老化現象なのだろう。
或いは、私が幼年時代に善光寺の境内で
  遊んで育って、仏教的な感性が
  染み付いているため、かも、知れない。
何にしても、 キャズ氏の帰国談を聞いてから、
   この様なことに、妙に拘るのである。


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1 コメント

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Unknown (Alps)
2010-10-22 17:07:30
「袖摺り合うも他生の縁」などと仏教では言いますが、他生の縁ではなく現世の縁に結びつくご縁にも色々あって、ピアニストさんの出会いのご経験などは、まさしく華麗な出会いとも言える出会いや、ささやかながら心温まるご縁もあるように伺って羨ましくもあります。
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