二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

久間事件・(8)・将棋の話

2007-07-17 05:37:21 | Weblog
前回の久間事件・(7)・私のブログ、の補足である。 前回分の記事が長くなりすぎるので、分けたものである。

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今、此処で私のブログの公開を止めてしまった場合に、非常に残念に思うのは、今迄に計画しておきながら書いてない主題、が2,3有ることである。

私自身のブログで、  
  ▲ Alpsさんの記事を見て
 ▲ 友永英夫 も書く
 ▲ 山川捨松 を書く
に約束しておきながら、未だに書けていない主題である。
何度も机に向かいながら、要するに力量の不足のために、毎回中断して公約を果たしていない。

更に、上のように記事の形で予告はしていないが、エントリーの文中で、「書きたい」と述べてきた人物に、T氏と、神田山陽氏がいる。
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高裁判事であったT氏については、同郷と言うよりも、同村の先輩であり、仲間のブログでも、何かの機会には少しずつ書いているが、まとめての記事としては誰も書いていない。
皆の記事の中には、兄貴分というよりも、仲間扱いで書かれているが、子供の縁談まで含めてお世話になっている上に、既に故人なので、矢張りキチンと書かねば申訳ないお人ではある。

以前にも書いているが、世田谷区・江東区のゴミ戦争を鎮めたのは、都知事でも総理大臣でもなく、T氏であった。そのように、人口僅か数百人の、我らのあの貧村の誇るべき、兄貴分であった。

先日、新聞(07/6/3)の書評で、「ぼくの家には、むささびが棲んでいた」、という生活記録の存在を知った。
この山村(岐阜県・徳山村)、に文芸の気風があり、昭和3年生れの著者の曽祖父、祖父、父が日記を残し、村人達の謄写版の歌集が何度も刊行され、豊かな言語生活があったこと、が書かれている、という。
我らの郷里の貧村だけでなく、各地にこうした濃密な生活があったのに、戦後の経済繁栄の中で、何故それが失われていったか、を書きたかったが、果たしてない。

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講談師、先代神田山陽師については、私等の仲間は二つの別分野でのお付き合いがあった。
一つは、将棋、である。

将棋について纏めて書いたことはないが、これも記事の中で少しずつ触れた箇所があるのでお気付きだと思うが、仲間の殆ど全員が、アマチュアとしては強豪の部である。
全員が往年の「日本一の将棋道場」の評価のあった、新宿将棋センターの4段であった。

この方面の知識のない方のために補足すると、
将棋の段位は、昔はアマチュアは最高でも4段、までしか付けなかった。
現在のインフレ段位からは想像も出来ない厳格さがあったのだ。

丁度、昔は大学生と言えば最高の知性が保証されていて、現在の分数の計算も出来ず、アルファベットも読めない者を大学生と呼称している時代の人間には想像できないようなものであった。
一円というお金の値打ちが、明治以来どれだけ変化したか、と同様で、同一の単語を用いても中味が全く違う事を気をつけなくてはならない。

世間一般でも往年の初段の値打ちは極めて高かったが、特に新宿将棋センターに厳しさは有名だった。
何かの折に上京し、立寄った地方の力自慢が、俺は地元の将棋会所で2段だ、などと言っても、此処の名物席亭である金田秀信氏は、先ず一級扱いで対戦させて、その結果で評価する事を譲らなかった。
そして実際問題として、地方で、2段、3段として扱われていた将棋指しが新宿センターに来ると、大抵は初段には認めてもらえなかった。
此処での4段と言うのは、まかり間違えば素人の全国大会優勝の可能性のあるレベルに近かったのである。

先代神田山陽師は、芸能界最強の折り紙つきの強豪で、新宿センターでも4段であったから、我々仲間、特にR君とは好敵手であった。
しかし、神田山陽師は何故か、新宿センターで誰と会っても、滅多に口を利かなかった。

例外的に、会話を交わしていたのが、私やR君であった。
それは、私等と山陽師は将棋とは全く別の接点(社交ダンス)を持ち、そのことを他の人は知らないのだが、我々の仲間の事を承知している山陽師が、全く別の顔を知る間柄という事で別格の扱いをしていたためである。

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処で、R君はある時に、プロ棋士と平手で対戦したことがある。
現在では珍しい事ではないが、当時はアマチュア強豪の,対プロのハンデは飛車落ちが常識、アマチュアトップでも角落ち戦でプロに勝つことは難しいと言うのが相場であった。
相手のプロ棋士の名誉のために、此処ではお名前を伏せるが、タイトルを持っている有名なトップ・プロSである。
R君はこの対局で勝利した。


棋士の名誉の為に断っておくが、こういうことは、昔でも有り得たことである。将棋の普及に熱心であった原田八段がアマチュア相手に戦った数百局の平手戦の中で、二局を敗れたと告白していた。

兎も角、このときにR君に敗れたS棋士は、実に立派な態度であって、私は勝敗よりも、そのことに感銘を受けた。
最後の最後までベストを尽くしたS棋士が最後に仕掛けた頓死筋は、R君だから交わす事が出来たが、並みのアマチュア強豪ならば、最後の3手で勝敗が逆転していただろう。

ところで、この日の対局を観戦していた中京地区のアマチュア強豪Q氏は、対局終了後の感想戦に口を挟んだ。
R君は、あそこで斯う指したが、そうでなく、この様にすれば、もっと楽に勝てていた、というのである。
R君もその筋は読んでいた。然し、それが駄目な事を読み切っていたから指さなかった。
この中京の強豪Q氏は、当時としては有り得ない、アマチュア5段の免状を所持していた。
だが、この発言によって、それがお金の力で、又は名士への儀礼として送られたものであることが、我々には直ちに分った。
下から上は見えないが、上から下は良く見えるのである。

でも折角、東京のホテルまで来て、観戦してくれた中京の自信家のために、「ああ、そうですか」と言っただけで済ませた。
この辺は、「ダンスホールの不良」・{cf.昔のダンスホール(3)}、には、基本的な嗜みである。
R君も、私も、そしてS棋士も、この人の理解はその程度か、と見抜いたので、それ以上の感想戦をしなかったのである。

『そうした事が分かる人間か、どうか』、が、人間を見る目を備えている人には、分るのである。
こうした部分が、神田山陽師とウマが合い、他の人とは口を利かない山陽師が我々とは、普通の会話をした理由であろう。

分かる人には分かる・・・ その場に居ても、分からぬ人には、分からぬ・・・ 下から上は見えないが、上から下は良く見える・・・ 分からぬ人に、分からせようとしても、無駄である・・・ 体験者でないと本当のことは分らない。
この辺の一連の感覚が、先日来のブログ公開を巡っての、仲間内の議論の根底にある。

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昔の吉川英治の作品、例えば、「宮本武蔵」などにはこの手の話題が多く散りばめられていて、昔の読者の若者に、教育効果があった。それが無くなり、自信過多な人間が多くなったのが現代である。

私は、ある時に新宿将棋センターの常連、某2段と一番手直り差込戦を指して、5枚落ちまで行った。
相手も新宿センターの2段であるから、プロ棋士相手でも2枚落ちならば、先ず負けない自信がある。
それが5枚落ちで負かされた時には頭に血が昇って、将棋の駒を床に叩き付けて、そこで打ち切りになった。
こういう下手指しは、プロ棋士よりも、寧ろアマの方が上手である。
我々の仲間は幼少時からの付き合いで、皆が共通の趣味として、はこの程度の棋力を持っているのだから、NHKの将棋担当のアナウンサーがバカ丸出しで喋っているのを見ると我慢がならなくて、仲間のブログにそれを書いてきた。

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然し、前回の記事にも書いたように、ことは将棋だけでなく、どの様な問題でも、共通する。

分かる人には分かる。・・・その場に居ても、分からぬ人には、分からぬ。・・・下から上は見えないが、上から下は良く見える。・・・分からぬ人に、分からせようとしても、無駄である、
という事は、将棋に限らない。


ブログで様々な経験をしてくると、ブログの公開を継続する事に、私も疑問を感じ、先日来の仲間達との意見交換となったのであった。
私のブログをどうするかは、防衛相発言問題に付いての記事草稿、をまとめに掛かった時、以来の懸案である。


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1 コメント

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ブログ公開停止には反対です (東郷 幹夫)
2007-07-19 09:40:39
二人のピアニスト様
小生の記事に、貴殿の記事 「久間事件・(8)・将棋の話」をTBして頂き、有難うございました。
貴殿が色々お書きになれる題材を豊富にお持ちの様子に、大変敬服いたします。岐阜県揖斐郡徳山村がご先祖の地とか、徳山村にまつわる話なども沢山題材をお持ちのことと思います。
余談ではありますが、来年、完成する予定の日本最大の徳山ダム建設のため徳山村は全村水没するそうで、国の産業発展のためとは言え、父祖の地を失う人びとのお気持ちはいかばかりでしょうか。

貴殿も、貴重なブログ記事の公開を止めるなどとは言わず、貴殿のお持ちになっている豊富な題材を公開していただくことを希望します。分からない連中に、くどく繰り返しら話しても無駄だということは無いと思うのですが。

なお、講談師、先代神田山陽師と貴殿及び貴殿の友人の方との間で、将棋と社交ダンスを通じて、お付き合いがあったそうで、貴殿のご趣味の深さに舌を巻きました。そのお付き合いの上で、「分かる人には分かる。・・・その場に居ても、分からぬ人には、分からぬ。・・・下から上は見えないが、上から下は良く見える。・・・分からぬ人に、分からせようとしても、無駄である」という経験をされたそうですが、貴殿はこれをブログの世界にも当てはめて考えようとされております。

「経過を聴けば分かる人には分かる。経過を聞いても、分からぬ人には、分からぬ。分からぬ人に、分からせようとしても、無駄である」とは、余りにも切り捨てすぎた言いようのように思えます。世の中の人は全て貴殿のような賢者ばかりではないのです。分かろうとする意欲がっても、なかなか理解の及ばない人が居ります。分かっている人は、分かる領域に達しようとして努力する人には、援助の手を差し伸べるべきだと思います。分かる能力があるのに、分かろうとしないで、意識的に異議を唱える人は別ですが、分かろうとする意欲がある人には理解させる援助の手を差し伸べるのが、賢者の為すべき務めではないでしょうか。

その意味で、ブログ公開を止めようとの貴殿のお考えには反対です。


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