ライプチッヒ音楽日記

ライプチッヒ生活を日常の身近な音の話や音楽を中心に紹介したいと思います。時にワインや絵の世界にも飛んでみたいと思います。

ワグナーガラコンサート

2007年04月30日 05時54分08秒 | ワーグナー
29日は楽しみにしていたゲバントハウスのワグナーガラコンサートを聞きました。
せっかくここドイツはライピチッヒに住んでいるので、今年はこの町で生まれ育ったワグナーを一年を通して理解を深める年にしたいと思っています。その第一歩と位置付けるのが今夜のコンサートだったのです。Paul Daniel指揮ゲバントハウス交響楽団でVioleta Urmanaの歌声を堪能できライピチッヒオペラのコーラスの豊かな声量に身を任せた3時間はあっと言う間に過ぎました。Paul Danielの指揮は誠実そのもので、直立不動での指揮ぶりはそうですね「指揮界の東海林太郎」とでも名づけましょう。
2部の「最後の護民官」のFFはオケが頑張りすぎて金管と弦の音が食い違って壊れそうになりましたが、ガラコンサートというお祭りですからご愛嬌でしょう。UrmanaもバスのMoellenhoff、テナーのVinkeもいずれも楽しませてくれました。オペラのコーラスの声量は素晴らしいですね。
ところで終演後ロビーでライピチッヒワグナー協会のやり手おばさんに捕まって、
しっかりワグナーの12ユーロのセラミックメダルを売りつけられました。やり手おばさんに要注意。
ゲバントハウス地下には巨大な市営駐車場があります。コンサート当日は公演時間プラスアルファで3ユーロで駐車できます。ただしゲバントハウス内の精算機で
支払う必要があります。マメ知識でした。

幕間の飲み物も楽しみの一つですが、ここゲバントハウスは頂けません。
暖かい飲み物はないし、ビールも生がない。なんとビール会社もスポンサーに入っていたけどなーー。しかもぬるいし、価格も4.5ユーロもして高いのです。おまけに食べ物は何も置いていない。とてもシンプルなCAFEなのです。残念。

ペトリューシュカ・火の鳥 in Bremerhaven

2007年04月29日 23時07分53秒 | Weblog
28日はBremen特別州の飛び地であるbremerhavenの州立劇場に出かけてバレエ「ペトリューシュカ・火の鳥」の初演を見ることができました。ストラビンスキの音楽にVanaevが新演出したもので、超満員の盛況でした。Bremerhavenまで片道450km、3時間半のドライブはすがすがしい天気にも助けらて快適。今回のプルミエ公演にはBremerhaven在住のピアニスト スエマツ ユミコも出演。ご主人はちなみにオケのオーボエのスエマツ ケイジ。実は公演の横の席にスエマツさんのお嬢さんお二人が座られたので教えていただきました。今回の公演のハイライトは火の鳥役のプリマタケタ マキの演技と今年この劇場に採用された新人Yが主役としてペトリューシュカをどのように演じるかですが、
溌剌としたエネルギーあふれるYの演技は終始観客を圧倒。技のキレ、テクニックも出演者の中で群を抜いており、今後この劇場のプリンシパルとしての地位をいきなり今回の公演で確立した感があります。カーテンコールは5度。暖かい住民の暑き拍手がまだうっすらと夕日を残した町にいつまでも響きわたっていました。火の鳥の父役は権威、伝統、格式の象徴でありペトリューシカは反対に自由、奔放に生きている。その舞台設定のためにVanaevは日本文化からいくつかのヒントを取り入れているかのごとく見えます。火の鳥の父のその髪の毛は武士のちょん髷を模しているのではないか?ペトリューシカの出だしはボストンバックを下げたフーテンの寅さんではないのか?いつかVanaev氏と語り合える機会があれば確認したいところです。(ごらんになっていない方には何のことか理解できないと思います、すいません)
ところで、コンサートの後で小腹がすいたのでこの町の漁港にあるレストラン「A.Hennersdorf」で食事をしました。北ドイツの漁港ですから、お魚は抜群でした。カツオのステーキもタラのソテーも新鮮で絶品。ワインのストックも多くサービスも気持ちよく、二人で50ユーロはリーズナブルといえます。

また、bremerhaven州立劇場にはオケ3人専属コーラス2人、バレエ2人の7人もの日本人が居られます。これほどの日本人の集積度の高い劇場はドイツの中でもないのでは?この町は海洋学のメッカのようで研究所には多くの日本人の方も居られ、また水産関係者方もおれらる様でした。しっかりしたコミュニテイーを日本人の方々が維持しておられる様でうらやましい限りでした。

ゲバントハウス 大ホール

2007年04月29日 21時57分48秒 | Weblog
金曜日の朝知り合いのピアニストのXさんから突然のお誘いがあり、27日夜に急遽ゲバントハウス大ホールでの演奏会に出かけました。ゲバントハウスの大ホールでのコンサートは今回が初めてです。PerleのAdagioに続いてRadu Lupuのピアノでベートーベンのピアノ協奏曲4番そして、シェーンベルクのペレアスとメリサンデというなんとも盛りだくさんで、意欲的なプログラムでした。Radu Lupuは今回初めて聴く機会を得たのですが、素晴らしい演奏でした。なにせピアニシモがすばらしい。
新雪の上にそっと真珠を乗せるようなタッチ。歌うかのごとく流れるフレーズ。
あっというまに演奏が終わってしまったという印象でした。
髪の毛はもさもさ、ひげはボサボサの一見寝起きのブラームスのごとき外見とは全く異なる繊細緻密な言葉に表せないレベルの演奏でした。たくさんのファンがつめかけ前半に設定のプログラムにかかわらず、カーテンコールが数えられないほど続き、前半のプログラムでは異例のアンコール演奏をしてくれました。
ところでゲバントハウスのピアノは舞台中央からせり上がりで出てきますから。移動による調律の狂いにピアニストが神経質になる必要もなく、素晴らしいしシステムと感心しました。(ピアノはスタンウェーでした)日本にもこんな劇場ありましたっけ。ご存知の方教えてください。サントリーは残念ながら袖からガラガラ押してピアノを出します。
ゲバントハウスの弦は荒馬の集団のごとき荒っぽい面もありますが、今日に限っては繊細で素晴らしかったです。特にシエーンベルクは現代音楽特有の弦の音が
ハーモニーに包まれることなく生で出て行く箇所が随所にありますから丁寧に引いてもらわないと聴けません、ずいぶん練習して揃えてきたなと感じました。指揮Zinmanの丁寧な指揮は秋山さんを思い出しました。
素晴らしい演奏会の後の夜風はまた格別です。

ライプチッヒの楽譜屋さん

2007年04月27日 03時14分15秒 | Weblog
BACH CHORでの練習参加は昨日でGP(ゲネプロ)を除いて4回目になりました。
楽譜は貸与で有難いのですが、後から参加するものにとっては、在庫がなく、コピーもままならず、毎回横の人の楽譜を見て歌うと言うことになります。これはたまらんと、市内の楽譜屋さんを探して自分で購入することにしました。
相変わらず営業時間が普通に働くと行けない時間に設定されていて苦労します。
木曜日は7時まで営業と言うことでようやく今日楽譜を手に入れました。
メンデスルゾーンとブルックナーのモテット集三冊で46ユーロでした。
この楽譜屋さんはM.OELSNERという名前でなんと創業1860年だそうです。でも楽譜で有名なPETERS社(表紙が薄緑なのです、これがなぜか重要です)がここライプチッヒで創業したのは1800年だそうですからもっと古いわけです。
しかし大学はドイツで2番目に古いそうですし、大学前の薬局は創業600年だそうで、この程度はほんの序の口ということでしょう。
お店でひょっとしたら日本人の音楽学生さんかなという女性を見かけましたが、声を掛けそびれました。
楽譜屋さんは、ライプチッヒには私が探した範囲では、トマス教会の前にもう一軒あったくらいかと思います。どなたか楽譜屋さん情報あれば教えてください。
昔はドイツのあらゆる出版物の8割がここで印刷されていたと言われる印刷王国も、
いまや春のBUCHMESSE(本の展示会)に名残を残す程度です。

菜の花畑

2007年04月27日 02時42分48秒 | Weblog
会社への途中あまりの美しさに車を止めて写真をとりました。
実物はもっと鮮やかで美しかったのです。花が咲き乱れるライプチッヒ。ライラックも藤も皆満開です。今日はただそれだけ。なぜか「菜の花畑に入日うすれーーーー」のメロデイーがよぎります。

フランケンワイン

2007年04月26日 03時07分23秒 | Weblog
欧州でのコンサートの楽しみの一つは、幕間あるいは開演前の一杯というのは私だけでしょうか?美味しいケーキとコーヒーも大賛成なのですが、やはり左党の私としてはゼクトやワインあるいはビールについ手が出てしまいます。劇場によって併設されているCAFEのスタイルも千差万別。しかしサービスはどんなに込んでいようが、並んでいようが悠然とサービスしますから、くれぐれも早めに並ばれることをお勧めします。ゼンパーオペラでは頼んだビールが手に入ったころにベルがなり、危うく飲み残すところでした。ちなみにゼンパーのビールはスポンサーがラーデベルガーですからこれのみでした。
ところでここに写真を出しましたワインはワイン通の方はよくご存知のドイツのフランケンワインです(びんの色は緑色です。なぜかこれが重要なのです)最初フランケンなどという名前にほんとにドイツ産?と疑問を感じましたが、正真正銘のドイツのドイツワインです。大規模に生産するワインではもっとも東に位置するするもので、19世紀には最大の生産量を誇っていたそうですが、いまはドイツの生産量の6%程度です。
ビンがまた特徴的で羊の睾丸袋をかの昔は飲み物入れに使用したらしく、その名残で、ボックスボイテルと称するようです。何といってもシルバナー種のワインが最高で日本人の辛口好みにはドイツワインの中では一番ぴったりくるワインとしてお勧めします。辛口ですが芳醇で後口もさわやかです。ただし生産量が比較的少ないので日本にはあまり多くは輸入されていないとおもいます。たしか銀座の裏通りに専門店がありすごく高価なのでびっくりした記憶があります。こちらでは日本の店頭価格の1/3ほどで入手でき普段楽しむのには最高です。
ただしあまり若いものや、若干お手ごろの価格のものは味わいはいまひとつかな。

じゃ乾杯。

モツレクとエリザベス

2007年04月25日 05時48分47秒 | Weblog
ライプチッヒで英語版の映画を探すのは難しいのですが、昨晩は1998年に公開されあらゆる映画賞を総なめにした映画「エリザベス」をクリスタルパレスで見ることができました。とはいえ英語ならドイツ語と違って、十分理解できたかといいますと、宮廷の特殊な言葉遣いもさりながら、やはりあまりわからず、事前に予習したインターネットの日本語の粗筋が大活躍でした。ケイト・ブランシェット主演の歴史劇で、25歳で即位したエリザベス女王が生命の危険を潜り抜け、女王としての地位を確立するまでを描いた名作です。恋も政略とはいえ結婚も捨て「私はENGLANDと結婚します」と強く言い切って映画はフィナーレを迎えます。結婚をあきらめて永い髪を切り、決意を新たにしてフィナーレにつながるところから流れるのがモツレク(モーツアルト レクイエム)なのです。主よ救いため、われを救い給えと流れるメロデイーがなんとも切なく胸を打ちました。
実はモツレクは私のもっとも愛する曲なのです。合唱に目覚めたのも、この曲を歌ってからですし、人生の節目では必ずこの曲と出会ってきました。
昨年もドイツでこの曲を歌う機会がありました。ぜひ、近いうちにまた歌いたいとおもっています。

ライプチッヒ「博物館無料開放日

2007年04月23日 06時41分32秒 | Weblog
昨日は某会社主催のレセプションが旧証券取引所で17時から開催され参加しました。この建物は特別な行事以外は中々中に入る機会がないようです。300年の歴史を持つ建物が、第二次大戦では外壁をわずかに残すのみでほぼ廃墟となり、これを修復したもので、ライプチッヒ市内でもっとも優美で瀟洒な建物と思います。レセプションではハレ、ドレスデン、ライプチッヒの各音楽大学の生徒3人によるファゴット合奏が披露され、あまり聴くことのない組み合わせを楽しむことができました。このレセプション会場でいただいたチケットで市内のあらゆる博物館、美術館が無料で18時以降入場出来るとのことで、我々もMUSEUMの梯子をさせていただきました。どこかの会場で入場券を一度購入すれば後は無料で入場できるシステムであると聞いております。レセプションで用意された、オープンサンドはとても美味しくていくつもおかわりしてしまいました。いつも感じる事ですが、不思議にケータリングの方がレストランの食事よりもレベルが高いような気がしてなりません。ケータリングでこんなに美味しく出来るのにどうして私の勤務する会社の食堂はあんなレベルなのか?不思議です。来る6月に開催されるBACHFESTでもここで演奏会が予定されておりぜひ再訪したいと思います。


シラーの家

2007年04月21日 16時27分20秒 | Weblog
ゴーリス界隈にシラーの家と称する建物があります。ここは現在シラー協会が管理しているそうです。有名なシラーの家とのことで、きっと何年もここで過ごして、有名な戯曲を執筆されたのかと思いましたが、滞在したのは1785年4月から9月のほんの5ヶ月程度だったようです。それでもシラーの家と言ってしまうのは、いかにドイツ人にとってシラーが偉大で大切な存在であるかの証左でしょう。
3ユーロの入場料を右手の売店で買って入って見ることにしましょう。この建物は外壁も白く修復されており一見立派に見えますが、中に入りますと正直かなりのあばら家です。これがあの高名なシラーが滞在した家かと思うほどの貧相さです。建坪は20坪程度かもしれません。当時の農家の建物なのでそんなものなのでしょう。中は天井も低くて頭が当たりそうですし、台所とは名ばかりの小さな焚口がひとつの竈がいかにも貧しさを感じさせてくれます。この建物を見ていて日本の萩市の松下村塾や津和野の森鴎外、西周の旧家を思い浮かべました。これらも質素で貧しいつくりでしたが更に輪を掛けたレベルです。当時のシラーはパトロンのオイゲン公の下から亡命して放浪生活を送り生活は困窮していたようです。特にライプチッヒへ移動する前年は劇場との契約も解消されて収入の当てなく貧困の極みであったようです。
その生活に耐え切れずに、見ず知らずのシラーのファンであるケルトナーを頼ってライピチッヒへ移転し、はじめて滞在したのがこの建物なのだそうです。きっとこれでも往時のシラーにとっては天国に感じられたのでしょう。
ここを出発点としてドレスデン、ワイマールとそ名声を高めていくのですが、あの第9の「歓喜の歌」の歌詞はドレスデンで書かれたといわれています。(ただしこのシラーの家にはここで書かれたと記されていますが)貧しく厳しい生活の中、さぞかしケルナーとその友人の好意はシラーにとって強く、重く感じられ、感謝の気持ちを持続させたことでしょう。だからあの総ての人は兄弟になるという歌詞になったのだとこの建物を訪問して強く感じました。
Alle Menschen werden Brueder(すべての人は兄弟になる)はシラーの初稿ではBettler werden Fuersten Brueder(物乞いするものも貴族の兄弟となる)
となっているとのことですが、Bettler(物乞いする人)はシラーでFuerstenはケルトナーなのでしょう。
ここを訪れて、第九ではベートベンは友愛から神々の喜びへの昇華のプロセスだと言われる某友人の言葉より、もっと身近な歓喜の歌のイメージが自分のなかで作ることができたと思いました。

ベートーベン 第九 その2

2007年04月20日 05時43分58秒 | Weblog
直接第九に関係はないのですが、ライプチッヒの町にもBEETVOHEN STR(ベートーベン通り)があります。旧ドイツ帝国最高裁判所の素晴らしい建物(とはいえ馬鹿でかい建物ですが)の横の通りがBEETVOHEN STRで、大きな通りHARKORT STRにぶつかるところがなんとBEETVOHEN bruecke(ベートーベン橋)なのです。ただそれだけで由来はよく分かりません。ただこの界隈は音楽家の名前の通りばかりで、ここから一本南がMOZART STR、さらにHAYDON STR、ROBERT SCHUMANN STR,TELEMANN STRとつづき西には、F,SCHUBERT pl、R,STRAUSS PL、 ANTON BRUCKNER STRと名前を見ているだけで楽しくなる地区です。ただし住宅街で名前のほかには特に変わったものはありません。ただしBEETVOHEN STRをで出たところは昔は地ビールの醸造所が、ありそのあとが演劇の練習所になったり、ミュンツガッセという居酒屋が何軒が集った界隈などがあり、気軽に散歩ができるところではあります。

ベートーベン 第九

2007年04月18日 06時18分24秒 | Weblog
BACH CHORでの第九の練習が始まりました。ニコライ教会の横の建物の2階で7時からの練習でまず、ストレッチと発声を15分ほどおこなってから練習が始まります。発声練習時間は総じて日本のコーラスよりも短いように感じました。新しい曲の最初の練習日に、前に借りた楽譜を返却し新たな楽譜を借用します。すなわち初日は知らない曲の場合は常に初見で練習することになります。ほとんどが3回ほどの練習で本番に近い状態に持っていくスケジュールが組まれており、驚きの連続です。この第九も日本のコーラスとことなり、ほぼ全員初めてうたうという今日の雰囲気でした。さて演奏会までにどこまでいけるのか?この合唱団は誰にでも門戸を開いているよいうです。マタイでご一緒した目の不自由な女性が今回も練習に参加しています。会費も楽譜代もたぶんかからないのではないでしょうか。
6月3日にむけそれぞれがかなりの努力をするのでしょう。今日の練習はまずつぎの演奏会のためのバッハとメンデルスゾーンのモッテットの練習がほとんどで
第九はほんの15分程度でした。この合唱団は演奏会でも並びは適当ですし、男声の並びがテノールが最後列というのもとても面白いことだと思います。今回はブライトコップ版です。
21時15分までの練習が終わると日本とは違って、ビールを飲みに行くと言う雰囲気はなく(わたくしが新参者でまだ誘われないだけかも知れませんが)三々五々
解散と言う感じです。
では、これからビールタイムです。

フィガロの結婚

2007年04月16日 03時27分20秒 | Weblog
結局昨日につづいて、ケムニッツのオペラに1時間半のドライブでまたまた出かけてしまいました。素晴らしいお天気にも誘われて、フィガロを聴きにいってきました。昨日同様当日券を購入して3階のバルコン席から聞きました。ちなみに価格は17ユーロほどでした。本日は8割の入りですがこれだけの聴衆が入ればドイツでは今日は客が入ったと言うレベルではないでしょうか。
バルコン席から見るとオケピットがとてもよく見えますが、このオケはネクタイは自由なようで、色とりどりで自由な感じでこれもおもしろいと感じました。スザンナはじめケルビーノ、伯爵、夫人皆さん役にすっぽりはまり込んで、皆が当たり役という感じがしました。2幕終わりのケルビーノ以外の7人での重唱は絶品。この劇場のオペラの完成度はかなり高いのではないでしょうか。オケの歌手も素晴らしいと思います。機会がお有りのかたは是非お出かけになってはいかがでしょうか?お勧めします。
最上階のロビーにはCAFEがあり席数も多いのでゆったり休憩時にはくつろげます。
ここで出ているオープンサンドイッチはまた美味です。サーモンの品質もよくて最高でした。ただし、coffeeはマシンがなくまたビールもびんのみなのが若干残念か
。今日は最高の日曜の午後でした。3時からのオペラで自宅には8時に帰ってビールをいただいております。

ローエングリーン

2007年04月15日 16時25分39秒 | Weblog
人口25万人のドイツの中堅都市ケムニッツのOpera劇場で14日上演のローエングリーンを見る機会を得ました。ケムニッツは都市としては、観光と言う面からはほとんど見るものがなく、旧東ドイツ時代にカールマルクスシュタットという名前で呼ばれていた名残の巨大な頭像が目立つくらいでしょうか。
劇場は新装なってまだそれほど時間が経っていないと思われ、700席ほどの席数ではありますが設備は最新式でセンスもよく、椅子も座り心地がよく各席に傾斜が程よく配置されていて、後ろの席でも音響も含めて遜色なく聴くことができる素晴らしいホールかと思います。
この劇場での初めてのOperaを見させていただいたわけですが、この都市の規模にしてはと言ったら失礼かもしれませんが、とても質の高い聴衆で満席。当たり前のことですが、劇場は聴衆が作るもの、センスがよく質のよい、音楽に理解の深い暖かいこの聴衆をもつ劇場だからこの劇場の新装も実現したことでしょう。
ローエングリーンの演出はなんと表現するのでしょう。ネオクラシックとでも「言うのでしょうか。衣装は完全に現代風でもなくまたクラシックでもない。
私の趣味ではアクセプタブルなアレンジでした。ただしこのオペラの煌びやかな
部分は少し不足していましたか。回り舞台と立体的な舞台装置をうまく組み合わせて歌手が浮遊するかのような面白い感覚を感じさせていました。ただし2階部分での演奏が後半多くて前の聴衆の方は首が痛くなったのではないでしょうか。
しかし白鳥の騎士らしさがあまり装置、演出から見えなくてすこしがっかりですか。でもローエングリーンのCharles PIERCEは身長も高くとても優雅で雄雄しく素晴らしかった。その他出演者総てよかったのですが、特に大人数の男声合唱は素晴らしかったあれだけの人数をそろえるだけでも大変だと思いますが、素晴らしい歌声をありがとうと言いたいです。
Barezaの棒も生き生きとしていてバンダのフォルテとピアノのコントロールは素晴らしかった。弦の響きも繊細ではないが伸びやかな響きはすがすがしく、魅了してくれました。素晴らしい演奏にカーテンコールがつづき、スタンデイングで聴衆も
またこたえ、帰りの車の中でもまだその残響が頭の中で響き渡り、家に帰りくまでの1時間まったくラジオやCDをつける気にならないほどでした。
また近いうちにぜひこの劇場を訪れようと誓いました。

復活祭

2007年04月13日 03時28分11秒 | Weblog
復活祭初日の金曜日にはマタイを演奏することができましたが、復活祭の4連休の最終日月曜日はライピチッヒ郊外の本当に小さな村のこれまた小さな教会での音楽礼拝(MUSIK im GOTTESDIENST)に朝10時から参加しました。LEIPZIG郊外のTAUCHAという村のまた先の小さな村DEWITZの50人も入れば満員と言う小さな教会です。10時からのミサに道を間違えなどして少し遅れてたどり着き、そっと2階のオルガンの前から聞かせていただきました。こんな小さなといったら失礼ですが、ちゃんとした立派な(ただしかなり年代ものでしたが)パイプオルガンがありました。
オルガンとバイオリン、チェロ各1の伴奏でTELEMANNのDie ehre des herrlichen schepfers zu meldenが演奏されました。お子さんの合唱数曲と2人の小学生低学年のお子さんのソロ2曲が演奏され、とくにソロは難しいメリスマも交えて清らかで美しい演奏でした。聴衆も身内の方と言うことでミサにもかかわらず途中で拍手があるなど楽しい時間が過ごせました。

マタイ受難曲

2007年04月07日 15時58分43秒 | Weblog
第一号の記事です。

ライプチッヒに引っ越しましてから、初めて合唱で昨日マタイ受難曲を歌うことができました。ニコライ教会で行なわれたJUERGEN WOLF指揮Bach Chorに参加しました。うちの奥さんの評価では中々素晴らしかったとの評価をいただきました。
教会の祭壇からオルガンに向かって合唱、オケが並んで演奏しました。先日トーマス教会で聞くことができたマタイは2階のオルガンの前での演奏でしたから、演奏が後方か側面からと言う聴衆からすると、不安定な状況での3時間でしたので、硬い椅子とあいまってマタイ全曲を聴くのにも信仰の力が必要だなと感じたしだいです。
今回もほぼ満員の聴衆で、お年寄りばかりでなく、若い方も多く、なかには多くの目の不自由な方も聴衆のなかに見受けられました。
またコーラスの中にもお一人目の不自由なかたが居られました。私たちは譜もちの演奏ですが、その方は当然のこととなりますが、全曲暗譜で歌って居られました。欧州ではじめて全曲の演奏に参加しましたが、抜粋で演奏することの多い日本と比べて全曲演奏が当たり前のようです。オケは古楽器が使われてその響きと素晴らしいソロの美しい演奏に、しばし聴衆の立場で楽しませてもらえました。とくにアルトを歌われた:男性:のGorbatennko氏の声は素晴らしかったです。
ただし2部の前にほんの5分間の休憩のほか全曲立ちっぱなしの演奏には、正直疲れました、途中若干集中が欠けたところがありました。ごめんなさい。

こちらで教会での演奏に参加したり、演奏会を聞いて思うことですが、いつもなのかは定かではありませんが、演奏終了後の拍手はないのですね。
なにか日本での習慣になれているものとしては、最後に拍手のない演奏会はいまひとつ締りがないような感じがします。