この名前を聞いてお分かりになる方は、少ないのかもしれません。1970年2月14日仙台はまだまだ寒き日でした。ドイツバッハゾリステンを率いて来日した、ビンシャーマンの演奏に感激して、いわゆる出待ちをしてサインをいただいたのがこれです。サイン帖も色紙もなく、思わず差し出したのが、いわゆる有名なこの木村・相良の背革張り製独和辞書だったのです。
今回も革はぼろぼろですが、後生大事に持って来ました。この小さな活字の辞書はもう全く役に立ちませんが、捨てがたくお守りのようにして、大切にしてきました。
最近故あって、ブレーマーハウフェンの劇場に足しげく通っております。このオケの主席オーボエ奏者のSさんは日本人なのです。先日お話しをす機会がありこの話しをしたところ、なんとSさんはビンシャーマンの弟子だったのです。すっかり意気投合して、夜更けまで語りました。
大切にしてきたものに光が当たって、とても幸せな気分に浸れました。
異国の地で発見する、縁というのは異なものです。
今回も革はぼろぼろですが、後生大事に持って来ました。この小さな活字の辞書はもう全く役に立ちませんが、捨てがたくお守りのようにして、大切にしてきました。
最近故あって、ブレーマーハウフェンの劇場に足しげく通っております。このオケの主席オーボエ奏者のSさんは日本人なのです。先日お話しをす機会がありこの話しをしたところ、なんとSさんはビンシャーマンの弟子だったのです。すっかり意気投合して、夜更けまで語りました。
大切にしてきたものに光が当たって、とても幸せな気分に浸れました。
異国の地で発見する、縁というのは異なものです。