ライプチッヒ音楽日記

ライプチッヒ生活を日常の身近な音の話や音楽を中心に紹介したいと思います。時にワインや絵の世界にも飛んでみたいと思います。

シラーの家

2007年04月21日 16時27分20秒 | Weblog
ゴーリス界隈にシラーの家と称する建物があります。ここは現在シラー協会が管理しているそうです。有名なシラーの家とのことで、きっと何年もここで過ごして、有名な戯曲を執筆されたのかと思いましたが、滞在したのは1785年4月から9月のほんの5ヶ月程度だったようです。それでもシラーの家と言ってしまうのは、いかにドイツ人にとってシラーが偉大で大切な存在であるかの証左でしょう。
3ユーロの入場料を右手の売店で買って入って見ることにしましょう。この建物は外壁も白く修復されており一見立派に見えますが、中に入りますと正直かなりのあばら家です。これがあの高名なシラーが滞在した家かと思うほどの貧相さです。建坪は20坪程度かもしれません。当時の農家の建物なのでそんなものなのでしょう。中は天井も低くて頭が当たりそうですし、台所とは名ばかりの小さな焚口がひとつの竈がいかにも貧しさを感じさせてくれます。この建物を見ていて日本の萩市の松下村塾や津和野の森鴎外、西周の旧家を思い浮かべました。これらも質素で貧しいつくりでしたが更に輪を掛けたレベルです。当時のシラーはパトロンのオイゲン公の下から亡命して放浪生活を送り生活は困窮していたようです。特にライプチッヒへ移動する前年は劇場との契約も解消されて収入の当てなく貧困の極みであったようです。
その生活に耐え切れずに、見ず知らずのシラーのファンであるケルトナーを頼ってライピチッヒへ移転し、はじめて滞在したのがこの建物なのだそうです。きっとこれでも往時のシラーにとっては天国に感じられたのでしょう。
ここを出発点としてドレスデン、ワイマールとそ名声を高めていくのですが、あの第9の「歓喜の歌」の歌詞はドレスデンで書かれたといわれています。(ただしこのシラーの家にはここで書かれたと記されていますが)貧しく厳しい生活の中、さぞかしケルナーとその友人の好意はシラーにとって強く、重く感じられ、感謝の気持ちを持続させたことでしょう。だからあの総ての人は兄弟になるという歌詞になったのだとこの建物を訪問して強く感じました。
Alle Menschen werden Brueder(すべての人は兄弟になる)はシラーの初稿ではBettler werden Fuersten Brueder(物乞いするものも貴族の兄弟となる)
となっているとのことですが、Bettler(物乞いする人)はシラーでFuerstenはケルトナーなのでしょう。
ここを訪れて、第九ではベートベンは友愛から神々の喜びへの昇華のプロセスだと言われる某友人の言葉より、もっと身近な歓喜の歌のイメージが自分のなかで作ることができたと思いました。