ぴよママの直腸がん日誌

2006年、40歳で直腸癌3bと診断、開腹手術。大動脈周囲リンパ節腫大の為、抗癌剤で延命しているぴよママの身辺雑記です。

久しぶりの自宅

2009-03-23 21:34:39 | Weblog
その後、一泊二日の外泊許可をもらい、自宅へ帰った。姑は「そんな事をしたら、せっかくの入院給付金の日数が途切れてしまう!」と、帰宅を渋ったが、入院扱いの外泊なのでそんな事はないから、と説明し帰った。
久しぶりの家族団欒。子供たちは何か遠慮してじゃれついて来ないが、何か歓迎してくれているようだった。お昼、久しぶりにインスタントラーメンが食べたくなり、体に悪いと知りつつも、ラ王を主人に作ってもらい、食べた。チャーシューは怖くて食べられなかったが、私が残したものを、主人が「あ、俺食べる!」と言って食べていた。「うつるかもしれないよ。」と脅かしたが、主人は「こんな事ではうつらないんだよ。」と、どこ吹く風だった。そういうところが気持ちが大きいと言うか、何かすごいな、と思った。癌になって、嫌われると思っていたのに。ありがたくて涙が出そうだった。
夕飯は姑が作ってくれた。治療の事について、舅と姑にも食卓を囲んでいる時、意見を訊いてみたが、「自分でよく考えて、納得いく治療を。」との事だった。が、台所にいる時に舅がこっそり来て、「なるべく早く何か手を打った方がいいぞ!」と真剣な顔で言って去っていった。舅は舅なりに、心配してくれているのだな、と思った。あっという間に一泊二日が過ぎ、病院に帰る時間になった。既に私の気持ちは点滴の方に決まっていたので、脱毛を覚悟し、美容院で髪をショートカットにして病院へ帰った。

A先生の評判

2009-03-01 22:17:42 | Weblog
外泊する前に、院長に、A先生の事を訊いてみた。すると「彼は大学病院で、県外の病院の外科部長に推されていたんだよ。」という。「それを、うちの病院を手伝ってもらう事になったんだ。」と。他の患者にもA先生の評判を訊きまくった。「胃腸専門医。とても勉強熱心で努力家」「優しい」「人柄が良い」との事。けれど、ある患者は「自分で他から買って飲んでいた薬を捨てられた。」と言っていた。その薬を飲むと、病気でも検査に引っ掛らないという。それをA先生に自慢したら、「ちょっとその薬、預かりますから。」と、持って行かれ、返してくれないので催促すると、「捨てちゃった。」と言われ、ごたごたがあったそうだ。けれど、それは患者の為を思ってやった事ではないかと思われた。それらの話を聞くと、つまりA先生は「研究熱心で腕が良い」「やる気のある医師」であり、信用出来ると思われた。意外と熱血漢なところが誤解を呼ぶようなところもあるが、そこがまた人間らしい気もする。ちなみに後々、同室になった患者がA先生の事を大学病院時代から知る人で、先生は40歳位で奥様を病気で亡くされていると聞いた。その後、大学病院の給食の仕事をしていた今の奥様と結婚し、先妻の息子さんと、今の奥様との間に生まれた小さな娘さんと暮らしているのだという。ドラマティックな人生を送っていると同時に、病気を憎む気持ちを持ち合わせている先生だったのだ。私は、A先生を信じることに決めた。

手紙

2009-01-10 22:35:11 | Weblog

私はこのメモに短い手紙を添えた。これから死ぬまで何年、何○回行うかわからない治療で、それによって治るという事のない治療に飛び込もうとしているのだから、とても不安があり、とめどなく尋ねたい事があって、質問状を書いた私だが、A先生に少しでも患者側の気持ちを解ってほしかった。元上司、Sさんの事も書いた。亡くなる一週間前まで職場に通っていたSさんだったが、そんな事が出来たのは、やはり患者と先生との信頼関係があり、患者本人の「生きようとする意欲」があってこそだと思う、私も先生を信じたい、みたいな事を書いた。
一番訊きにくかった質問、病院を移った時の事についても、先生は答えてくれた。
その頃、私はかなり精神的に不安定になっていた。薬の選択に迷っていたし、病室にいるだけで不安に押しつぶされそうだった。メモと手紙を書き、返事をもらったことでかなり落ち着いたが、年配のナースが院長に自宅への外泊を勧めてくれ、私は一泊だけ自宅に帰れる事になった。薬の選択はその後に決定する事になった。


メモで質問

2009-01-10 22:05:07 | Weblog

メモの内容と、それに対する答え①点滴の場合の、治療の成果を示すデータを教えてほしい→別紙参照下さい②新薬の、日本での治療データは未知数と聞き、自分が実験材料のような気がして、不安な気持ちがある。従来使われていた薬よりも、患者の体調と新薬との調整に時間が掛かり、予想外の副作用が出る事はないか→全くないとは言えませんが、お渡ししたパンフレットに記載されている範囲内と考えられます③私と同じ病状で、ポートを使い、同じ新薬を使っている方は、こちらの病院に何名いるか→現在は3名です④その方たちにはどのような副作用があったか→2名は無症状、1名に末梢神経障害が軽度出現しました⑤ポート埋め込み術に危険は伴わないか?保険は適用になるか?→保険診療です。(当院では保険外診療は基本的に行っておりません。)もちろんリスクはあるので同意書をいただきます⑥ポートから針を刺す時はA先生がして下さるそうですが、必ずお願い出来るのか?→もちろんです。現在、当院の抗がん剤治療は外来を含め全て私が点滴を行っております。⑦先生はこの病院にいつまでおられるかわからない、とおっしゃっていましたが、他の病院に移られたら、後任の方に任せる事になるのか→○○さんの御希望通りにします。仮に私が大学か他の病院に移ったとしても、通院していただけるのでしたら、私が継続します。


メモ

2009-01-10 21:25:22 | Weblog

 翌朝、副院長とA先生が回診に来た。昨日の話し合いを不服に思っていた私は、A先生に「昨日の話の、三日間点滴のパンフレットをコピーして私に下さい。」と言った。「見ても解らないよ。」とちょっといらいらして答える先生。「飲み薬にするのか、点滴にするのか、あなたが決めていいです。けれど一番効くのが点滴で、それをやるにはポートを造らなければならない。パンフレットは後でお渡しします。」とおっしゃった。何故私はそんなにごねたのか。実はポートを造るという事にも、とても違和感があった。体の中に丸いボタンのようなものと、カテーテルのようなものを手術で入れられるのだ。外目にもはっきりわかる。温泉にも行けないし、と、余命が少ないくせに、そう思ったりした。それよりも・・・、そんなモノを入れられたら、もう人間の女じゃなくなるような気がした。
その後も、回診の時に先生に噛み付いて、逆ギレされたりした。A先生はまだ若干若いせいか、噛み付くとキレる。院長のようにやんわりとごまかしたりすることは、なかった。
結果、訊きたい事をメモに書いて、A先生に渡す事にした。医学に疎く、口下手な私は、口頭でいろいろ訊く事が出来ないからだ。

 


病期

2008-12-22 21:50:23 | Weblog

「私の病期は、どの位なのですか?」と尋ねた。A先生は「○○さんの腫瘍は腸壁を突き破って深く入っていっていて、SE,N2です。従ってステージⅢのbになります。」とおっしゃった。本を渡して下さったのでそれを見たら、ステージⅢの次はステージ4。ステージⅢCというのは存在していなかった。つまり完全な末期の手前という事になる。「抗ガン剤治療をしなくて良くて、切っただけでOKというのは、ステージⅢaなんだけど、実は結構再発するんだよね。」ともおっしゃる。私はいらいらした。こんなに私は元気なのに、本当にステージⅢbなのか。誤診ではないのか。この医者は信用できる医者なのか。この病院は・・・?旦那は早く仕事に戻りたいらしく、時間を気にしているし、「はいはい。」と言う事をききすぎてムカつくし。私は声を荒げた。「ステージⅢ!?しかもb!?本当なんですか!?」「先生、私、仕事の人間関係のことですごくストレスを抱えていたんですが、もう何もなくなったんです。だからこれからは楽しく生きちゃいけないんですか?」と無茶苦茶な事を言った。すると「抗ガン剤は必要です。○○さんは、手術のときに血管を、もっと上から切れば良かったんだけど、ぎりぎりの所で切ったから、そこからまだがんが血液中に飛んでいってしまった。」ともおっしゃる。「だから○○さんは、大いに危ない。」と。本によれば、1994年の数字で、五年生存率47%だという。信じられない私と、A先生の話し合いは凍りついた。

 


A先生の事

2008-11-16 22:30:16 | Weblog
A先生に「飲み薬はないのですか?」と訊いてみた。「あるが、点滴の方が効くと思いますよ。」との事。飲み薬だと月4万~5万円位だという。夫は「お金の方は何とかなるよ。点滴でやってもらおうよ。」と言う。院長から言われた事を知らない夫は即決しようとしている。が、私はA先生をすっかり警戒してしまっていた。以前から、「この先生は何故、その年齢で大学病院からこんな町医者に派遣されているのかな。」と思っていて、多分A先生に対する態度にも出てしまっていたと思う。先生もそれを感じ取ったのか、「自分は大学病院に居たが、ここの院長から、うちの看護師にいろいろ教えてくれと言われて手伝いに来た。」とかおっしゃる。その上、「この薬は日本に一年前から入ってきた新薬なんです。」とか「大学病院ではなかなか使わない薬。何かあったら、と。」とか「もはやこの病院は国立ガンセンターと同じレベルの治療が出来るんです。」とか力説する。私が「そんな、大学病院でなかなか使いたがらない薬をこの病院で使えるのですか?」と尋ねると「だって、院長先生に言えば何でも許可してくれるんだもん。」とまで、おっしゃるのだ。これには驚いた。即座に私の頭の中には「この先生は、シバリの多い大学病院を去って、この個人病院に来て、院長に何でも許可してもらって、新薬を試したり、最先端の手術をしたい人なんだ!」と思い込んでしまった。自分の病期をまだ知らされていなかった事もある

今後の療養方針

2008-11-16 21:36:32 | Weblog
午後、かなり遅くなってからA先生が部屋に入ってきた。A先生は夫に尋ねた。「抗ガン剤にはいろんなものがあるが、どういう薬が希望か。」と。夫は答えた。「一番効く薬にして下さい。」と。するとA先生は「一番効くのは点滴です。ポートという、薬の注入口を鎖骨の下に埋め込んで、そこから針を刺して48時間点滴します。二週間ごとに三日間。初回は入院中にやるけれど、次回からは外来で針を刺して、いろんな薬を入れて、最後にフューザーという小さな入れ物に入った抗がん剤を専用バッグに入れて、○○さんは自宅に帰る。三日目の朝、薬がなくなったら自分で針を抜き、完了です。○○さんは車を運転するから、ポートは左側に作った方がいいかなあ。シートベルトが当たらないように・・・。」とおっしゃる。外科医としての腕がうずくのか、A先生は何だか嬉しそうで、もう次々と話が発展していく。院長から「多分飲み薬と点滴でやっていくと思うから。」とか、「点滴はあまりにも・・・危険だ。」とか聞いていた私は聞いていたら卒倒しそうだった。48時間点滴というのだけでもショックなのに、また体にメスを入れられるのか・・。「あの、ポートというのは・・・。」と私が訊くと、夫が先生に「ペースメーカーみたいなものなんですよね。」と言う。「そうそう。それよりもっと小さいものなんだけど。」と先生。「3割負担で一回25万位なので月50万位になりますが、高額療養費を使えば。」とおっしゃる。費用を聞いただけでも卒倒しそうだった。

手術後の説明2

2008-11-15 20:00:13 | Weblog
その日は午後から、夫と私の両方に、改めて手術後の説明今後の療養方針があるという事だった。夫は仕事内容が変わった為に多忙で、全然見舞いに来ない。でももともと、私がお産で入院している時もろくに見舞いに来ない人だったのだ。ここぞという時にしっかりしていない、頼りない人で。そして私も、「もっとそばに居て」とか相手に甘える事が出来ない人なのだ。なので、夫婦仲も何となくただの空気のような感じになってしまっていた。けれど今、こんな病気になってしまったもので、たまらなく誰かにすがりたくなっていた。そして、その相手は夫以外にはいなかった
やっと午後に夫が仕事を抜け出してやってきた。しかし、院長による、改めての手術後の説明はごく簡単なものであった。切り取った腫瘍の写真を見せられ、「5cm位の大きさの腫瘍があり、切り取った。5年位経ったものであると思われる。がんは腸壁を突き破ってリンパ節に及んでいたので、それも取ったが、命に関わる部分に及んでいたものは、取れなかった。リンパ節は第二群にまで及んでいたが、一応第三群まで取った。だからもう仕事をしても何をしてもいいが、今後抗癌剤をやる事になると思う。薬の話はA先生の方が詳しいからその話はA先生の方からあるので。今は飲み薬で、あまり髪の毛の抜けない、いいのがあるらしいよ。」と言われた。言い方で、やはり私の手術はA先生がやったのでは、と感じた。

手術したのは誰!?

2008-11-14 22:33:43 | Weblog

時々「おかしいな。」と思うことがあった。院長が名医だと評判だったので、院長に手術をお願いしていたし、院長も自分がやったような事を言うのに、どうも違うようなのだ。院長が「腸はゆるく縫ってあるので、手術から10日位は、お腹に力を入れないで。」というのに、」私の剃毛をしたナースが、「○○さんの手術は、肛門から筒のような物を入れて、切った腸を金属製のホッチキスで止めたので、頑丈に縫ってあるんです。」と言ったりするのだ。そのナースは大学病院から派遣されているA先生と組んで仕事をしているようなので、実際に手術をしたのはA先生なのでは!?と思うようになった。別に隠さなくてもいいのに、と思ったし、それなら最初から「手術はA先生がやるから。」と言ってくれれば良かったのに。しかし、麻酔後にそんな格好をさせられてそんな最先端な手術をされていたとは、と、驚いた。そのホッチキスの針はどうなるのだろう、とも思った。