そして、後でわかったことだが、院長の病気を発見したのはA先生だったようなのだ。
「はい、私も先生にこれからも診ていただきたいのでよろしくお願いします。」と言い、電話を切った。
4月からは、少し遠くなるが、駅前の個人病院に行くことになる。正直、今までの病院は元気な患者さんばかりで嫌だったので、なんだかホッとした。
その後、今までの病院に菓子折りを持参し、挨拶をしてお別れをし、私は新しい病院に通う事になった。
2回目の入院。A先生が回診。先生の機嫌が悪い。何だろう。不思議に思った。
以前から「○○さん、この薬は、気持ちの持ちようと、とても関連性のあるものなんだよ。だからあまり悲観的にならないで、もっと希望を持ってゆったりした気持ちで。」などと言われていた。が、私があまりにも暗く、不安感ばかりに押しつぶされそうになっているから、A先生に「余計な心配しすぎなんだよッ!」と叱られ、泣いた事もある。
また何か叱られるのかしら、と思っていたら「○○さん、前にあげた抗癌剤のパンフレットについていた注意事項、ちゃんと守っていますか!?」と言われた。
「守っています。」と言っても全然信用していない様子。これにはムカッとした。
どうやら検査数値があまり良くないらしい。自分の診療に対して結果が良くないのは私のせいだと思っているみたいなのだ。癌なんだから、仕方がないだろう、そう思った。
ようやくA医師に対し、信頼感を持ち始めていたところだったのに、何だかがっかりすると同時に、悲しい気持ちになった。
翌日、それほど傷は痛まなかったが、消毒と、用意されていたボルタレン座薬を使用した。ナースに傷をみてもらったが、驚いたように「きれいに縫われてる!」と言われた。確かに手術する前にA先生が見せてくださった他の患者さんのポートの写真(患者さんの承諾を得て)の傷よりもかなり小さい。これならブラジャーも着けられる。あと二年ぐらいの平均生存期間ではあるが、せめてもの慰めである。
抗癌剤の話をA先生とした。初抗癌剤は三日後、そして二週間ごとに三日間行う。初回は入院中に行うが、その後は外来で出来るという。だが、私は抗癌剤には全く期待していなかった。抗癌剤は一時的に効くが、治るものではないはずだ。新薬と言えども、そこまでの効果は出ていないはず。
私は思わず「抗癌剤をやっても、結局治らないんですよね。」と言ってしまった。するとやる前からそんな事を言っている私にA先生はムッとしたのか、「僕はねッ!あなたの病気を治してあげようと思っているの!だからあなたも治ってやろうと思わないとダメだよッ!!」と言われた。ごもっともなんですが、トホホ・・、という気持ちだった。
「いつか薬が手放せる日が来るんだよ!」とも言われた。「本当ですか!?」と私。
結局、二年八ヶ月経った今でも薬が手放せないが、この時の私には一筋の光が見えたかのような瞬間であった。
レントゲン室ではナースが二人とレントゲン技師とA医師だけだった。左鎖骨と乳房の間にメスが入った。局部麻酔の為、何をやっているかわからない。
「ハサミ持ってきて!」先生がナースに叫ぶ。「○○さん、強い衝撃が来ますよ。我慢してください。」ドン!と先生の手によって強い力が胸に加わる。しばらく何かやった後、「もう一度きますよ!」と先生。ドン!とまた強い力で押されるようになる。この衝撃は何度来るんだろうか。なんだか辛くて涙が出そうだった。A先生はレントゲン技師に「もっと右、とか左、とか指示を与え、私の胸にレントゲンを当て、うまく中心静脈とカテーテルを繋げていったようだ。目を開けてみた。先生の額からはかなり汗が噴出している。ナースは全然気が利かず、汗を拭きもしない。「汗!」遂に先生が催促する。ナースは慌てて拭くものを取りに行ったようだ。やはりこの病院は手術慣れしていないのだ。けれどA先生を見て、私はかなり感動した。ご自身もレントゲンの放射線を浴びながら、こんなに汗をかいて患者の為に手術をしてくれるなんて、医師とはなんという崇高な職業なのだろう。A先生の背中から後光が射しているように思えた。手術はかなり時間が掛かり、結構な出血があったようだが、うまくいったようだ。最後までピリピリしていた先生だったが、最後には「キレイに縫ってあげるからね」とおっしゃって下さった。とても有り難かった。