ぴよママの直腸がん日誌

2006年、40歳で直腸癌3bと診断、開腹手術。大動脈周囲リンパ節腫大の為、抗癌剤で延命しているぴよママの身辺雑記です。

母との入浴

2008-10-24 22:17:09 | Weblog

手術後初めて、オプサイトを貼ったままの入浴が許された。
母が一緒に入って、髪と体を洗ってくれた。
この年齢で母に介護されるなんて、思ってもみなかった。
数年前、母が膝の手術で一時的に入院した時に、入浴介助を頼まれてやったことがある。
その時に母の年齢と、介護の必要性を感じたものだったが、今回は反対になってしまった。仕事を休んで遠い母の病院に行っていたので、あの時はとても迷惑でいやいややっていて、母にもつんけんしてしまっていたのだが、逆の立場になってしまった今、それはしてはいけない事だったと思う。
誰にでも、迷惑を掛けてしまう時はあるんだ、と痛感した。
母は私の背中を流しながら言った。「○○、病気になった事は、あきらめな。お母さんはね、事故じゃなくて良かったと思っている。事故だったらもう会えなかっただろう。気力だけは負けるな。」と。
オプサイト、A先生は入浴前に貼りなおすようにとナースに言っていたのに、あるナースの「入浴後に貼ったほうがいいんじゃない?」とのひと言で風呂上りに貼りなおす事に。後日、CTを撮った時に腹水ではない水が腹部に溜まっていた。先生は首を傾げていたが、私はその時のナースの不手際だったと思う。防水の為に先生は貼り直せと言っていたと思うのに、それをしなかったナースに不信感を覚えてしまった。


Sさんとの再会・そしてお別れ

2008-10-24 21:54:29 | Weblog
ナースセンターからの帰り、税務署のアルバイトをしていた時にお隣の席に居た、とっても意地悪で辛辣なSさんをある病室で見掛けた。元気そうで何か飲み物を飲んでいた。でもあの人は確か、大学病院に通っていた筈。何気にナースに訊いてみたところ、A先生が担当していた患者さんで、四月にA先生が大学病院から移ってきた時に、先生についてきたらしい。一ヶ月の内に、時々一週間とか十日職場に居ないなあ、と思っていたが、こうして、入院しているんだなあ、と思った。
それから数日後、またナースセンターからの帰り、Sさんを見掛けた。震える手で何かを飲んでいた。検査かな、と思った。向こうは私を見ていない筈だが、私がナースセンターから呼ばれる声は聞こえていたかもしれない。
その数日後、また病室の中にSさんを見掛けた。奥さんが付いていて、Sさんの苦しげな息遣いが聞こえてきた。かなり具合が悪そうで、奥さんが「わかる?わかる?」と話しかけているのが聞こえた。
その晩、ナース達がバタバタと忙しそうで、夜に誰も来なかった。誰か亡くなったのかもしれない、と思った。
そして翌日、Sさんの病室は空っぽになっていた。その翌日、外来の新聞の死亡広告欄にSさんの名前が載っていた。私はそっと冥福を祈った。と同時に同じ病気なので私も死を恐れながら、覚悟した。

ドレーン抜ける

2008-10-24 21:26:44 | Weblog
ドレーンを抜く日が来た。担当はA先生。抜くときは抜糸なので、また痛い思いをするのかと思ったら、意外に痛くなく、するっと抜けてくれた。が、まだ汚物がお腹に入っているようで、それを染みこませる為にかなり長い長いガーゼをまたお腹に入れられ、何の説明もなく一晩そのままにしておかれた。
やはりA先生は怖い。無言で仕事を進めていく。夜、ガーゼが血で染みていたので、取らなくても良いのかナースに訊いてもわからない様子で、先生も帰宅しておりそのままに。不安な一夜だった。
翌朝、またナースセンター内の処置室に呼ばれた。A先生が表面に貼ってたガーゼをとり、ドレーンの跡から少し出たガーゼをピンセットで取り、引っ張る。しゅるしゅると長い長いガーゼが血に染まって出てきて、それに国旗でも付いていたら、手品のようだった。A先生いわく、「このガーゼ、取り忘れたと思っていたでしょう。」と、何やら意地悪な言い方。私はムカッとして「はい!」と正直に答えた。先生は無言だった。後になってから実は良い先生だとわかったのだが、このころは私にとってこの先生は苦手な存在だった。ドレーンを抜いた後は、、「オプサイト」という透明なシールを貼ってくれた。
この時やっと、「これは人工肛門ではなかったんだ」とはっきりわかった。

妊婦に間違えられる

2008-10-24 21:11:59 | Weblog
院長先生の回診で、「手術日から10日間迄は、腸が腹圧で切れる可能性があったのだが、今日で10日め。だから、今日から腹圧をかけてOK」と言われた。
まだお腹にはドレーンが刺さり、先端から5cm以上飛び出ている。
そしてお腹周りには妊婦のようにさらしを巻いているので、お腹がカエルのように膨らんでいて、恥ずかしい。
ナースセンターからの帰りに、「あの人、妊婦なんだが!?」と私の事をナースにきいている男性患者がいた。失礼な・・・!
そして2日後、部屋替えがあり、私は手術後の患者の入る部屋から、3階の元気な患者さん達のいる特別室に移った。