ぴよママの直腸がん日誌

2006年、40歳で直腸癌3bと診断、開腹手術。大動脈周囲リンパ節腫大の為、抗癌剤で延命しているぴよママの身辺雑記です。

A先生の事

2008-11-16 22:30:16 | Weblog
A先生に「飲み薬はないのですか?」と訊いてみた。「あるが、点滴の方が効くと思いますよ。」との事。飲み薬だと月4万~5万円位だという。夫は「お金の方は何とかなるよ。点滴でやってもらおうよ。」と言う。院長から言われた事を知らない夫は即決しようとしている。が、私はA先生をすっかり警戒してしまっていた。以前から、「この先生は何故、その年齢で大学病院からこんな町医者に派遣されているのかな。」と思っていて、多分A先生に対する態度にも出てしまっていたと思う。先生もそれを感じ取ったのか、「自分は大学病院に居たが、ここの院長から、うちの看護師にいろいろ教えてくれと言われて手伝いに来た。」とかおっしゃる。その上、「この薬は日本に一年前から入ってきた新薬なんです。」とか「大学病院ではなかなか使わない薬。何かあったら、と。」とか「もはやこの病院は国立ガンセンターと同じレベルの治療が出来るんです。」とか力説する。私が「そんな、大学病院でなかなか使いたがらない薬をこの病院で使えるのですか?」と尋ねると「だって、院長先生に言えば何でも許可してくれるんだもん。」とまで、おっしゃるのだ。これには驚いた。即座に私の頭の中には「この先生は、シバリの多い大学病院を去って、この個人病院に来て、院長に何でも許可してもらって、新薬を試したり、最先端の手術をしたい人なんだ!」と思い込んでしまった。自分の病期をまだ知らされていなかった事もある

今後の療養方針

2008-11-16 21:36:32 | Weblog
午後、かなり遅くなってからA先生が部屋に入ってきた。A先生は夫に尋ねた。「抗ガン剤にはいろんなものがあるが、どういう薬が希望か。」と。夫は答えた。「一番効く薬にして下さい。」と。するとA先生は「一番効くのは点滴です。ポートという、薬の注入口を鎖骨の下に埋め込んで、そこから針を刺して48時間点滴します。二週間ごとに三日間。初回は入院中にやるけれど、次回からは外来で針を刺して、いろんな薬を入れて、最後にフューザーという小さな入れ物に入った抗がん剤を専用バッグに入れて、○○さんは自宅に帰る。三日目の朝、薬がなくなったら自分で針を抜き、完了です。○○さんは車を運転するから、ポートは左側に作った方がいいかなあ。シートベルトが当たらないように・・・。」とおっしゃる。外科医としての腕がうずくのか、A先生は何だか嬉しそうで、もう次々と話が発展していく。院長から「多分飲み薬と点滴でやっていくと思うから。」とか、「点滴はあまりにも・・・危険だ。」とか聞いていた私は聞いていたら卒倒しそうだった。48時間点滴というのだけでもショックなのに、また体にメスを入れられるのか・・。「あの、ポートというのは・・・。」と私が訊くと、夫が先生に「ペースメーカーみたいなものなんですよね。」と言う。「そうそう。それよりもっと小さいものなんだけど。」と先生。「3割負担で一回25万位なので月50万位になりますが、高額療養費を使えば。」とおっしゃる。費用を聞いただけでも卒倒しそうだった。

手術後の説明2

2008-11-15 20:00:13 | Weblog
その日は午後から、夫と私の両方に、改めて手術後の説明今後の療養方針があるという事だった。夫は仕事内容が変わった為に多忙で、全然見舞いに来ない。でももともと、私がお産で入院している時もろくに見舞いに来ない人だったのだ。ここぞという時にしっかりしていない、頼りない人で。そして私も、「もっとそばに居て」とか相手に甘える事が出来ない人なのだ。なので、夫婦仲も何となくただの空気のような感じになってしまっていた。けれど今、こんな病気になってしまったもので、たまらなく誰かにすがりたくなっていた。そして、その相手は夫以外にはいなかった
やっと午後に夫が仕事を抜け出してやってきた。しかし、院長による、改めての手術後の説明はごく簡単なものであった。切り取った腫瘍の写真を見せられ、「5cm位の大きさの腫瘍があり、切り取った。5年位経ったものであると思われる。がんは腸壁を突き破ってリンパ節に及んでいたので、それも取ったが、命に関わる部分に及んでいたものは、取れなかった。リンパ節は第二群にまで及んでいたが、一応第三群まで取った。だからもう仕事をしても何をしてもいいが、今後抗癌剤をやる事になると思う。薬の話はA先生の方が詳しいからその話はA先生の方からあるので。今は飲み薬で、あまり髪の毛の抜けない、いいのがあるらしいよ。」と言われた。言い方で、やはり私の手術はA先生がやったのでは、と感じた。

手術したのは誰!?

2008-11-14 22:33:43 | Weblog

時々「おかしいな。」と思うことがあった。院長が名医だと評判だったので、院長に手術をお願いしていたし、院長も自分がやったような事を言うのに、どうも違うようなのだ。院長が「腸はゆるく縫ってあるので、手術から10日位は、お腹に力を入れないで。」というのに、」私の剃毛をしたナースが、「○○さんの手術は、肛門から筒のような物を入れて、切った腸を金属製のホッチキスで止めたので、頑丈に縫ってあるんです。」と言ったりするのだ。そのナースは大学病院から派遣されているA先生と組んで仕事をしているようなので、実際に手術をしたのはA先生なのでは!?と思うようになった。別に隠さなくてもいいのに、と思ったし、それなら最初から「手術はA先生がやるから。」と言ってくれれば良かったのに。しかし、麻酔後にそんな格好をさせられてそんな最先端な手術をされていたとは、と、驚いた。そのホッチキスの針はどうなるのだろう、とも思った。


よう、姉ちゃん

2008-11-02 21:47:41 | Weblog
体力と免疫力をつける為、毎日、肝炎の注射後に洗濯と散歩をした。
この病院には広い屋上があり、ベンチと物干しがある。病院は市内の県庁のある大通りに面しており、屋上から沢山の車の流れと、通勤する人々を眺める事が出来る。私もつい最近まで、バスでこの道を通勤していた。まさかこの病院の屋上からこの道を見下ろす事になるとは、思いもよらなかった。涙を浮かべ、時には流しながら、小声で歌を歌い、私は散歩をしたり、下を覗き込み道路を眺めたりした。「これからどうなっていくんだろう。」不安でたまらなかった。子供たちに会いたかった。家が恋しかった。
 病院には元気な患者さんが多く、私は「よう、姉ちゃん、元気そうだけど、どこ悪いの?」と訊かれたりした。この年齢になると、「姉ちゃん」と言われても絶対サービスか馬鹿にされてるかと思う。サービスだな、とは思ったものの、事実を言ってしまえば相手が引くと思うし、たちまち院内に「あの人、癌だって。」と広まってしまうので、私は「お腹です。」と言った。が、「お腹なのはわかるけどさ、お腹のどこ悪いの?」と重ねて訊いてくる。数人に、気軽に「どこ悪いの?」と訊かれた。私はつくづく、元気な患者の多いこの病院が嫌になった。

術後の説明

2008-11-02 20:47:57 | Weblog

院長から、手術後の説明と、今後の治療方針の事で話がある、と言われた。
手術後すぐに、切除した腫瘍を前に院長から母と姉と夫が話を聞いてはいた。夫から聞いた話では、「腸の悪い所は全部取ったが、腫瘍の大きさから言って(五センチもあったそうだ)リンパ節に入り込んだ可能性が高く、周辺のリンパも取ったが、命に関わる部分にかかっている所は取れなかった。他の臓器には転移していなかったのは、幸いだった。でも一度癌にかかった人は、みんな五年間は再発の可能性があると言われている。そのために早く体力をつけて、抗がん剤を使用するのが再発を防ぐ一番の方法だ。その人によって、生存率何パーセントかなんて、わからないんだよ。薬も大切だけど、免疫力も大切なんだ。」という事だった。
が、母と姉からは「あなたの場合、五年様子を見るというのはないんだよ。それは早期だった場合の話だ。」という事も聞いていた。だから、今後の方針というのは、抗がん剤の話だな、と思った。
それから時々、院長が私の病室に来て、「飲み薬と点滴の療法があるけれど、多分飲み薬になると思うから。点滴は・・・あまりにも危険だ。」と言ったり、「飲み薬と点滴と交互にやっていくかもしれない。」と言ったり、「やっぱり飲み薬になると思うから安心して。」と言ったりしてきた。先生同士で話し合って、方針が決まらないのかもしれない。