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横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:10

2013年10月10日 00時07分15秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
4)長者町エリア
【展示作品】
C-13:リゴ23
「ビルに描かれた壁画は、1952年名古屋で撮影された写真-電線に立てられたハシゴに昇る労働者達の図-名古屋の戦後復興を示している。作家の引用は、現代において、更なる変化に満ちた未来を映し出してもいる」
C-14:打開連合建設事務所

「台南・ベルリン・深圳など各都市で、都市の記憶を喚起する《Blue Print》シリーズを手掛ける。今回地下街を、青に染め、白線によって異空間を描く。階段の主題には、昭和の雰囲気が残る商店街と現在、そして未来、あるいは同時代の台湾へとつなぐ架け橋としての意味が込められている。日没後は、地上の出入口出美しく光るブルーの夜景も楽しめる」
【コラム:進化する芸術街 長者町-芸術と人がつながる町へ】
■繊維問屋跡地から、芸術発信基地へ
-戦後間もない頃から、卸売専門問屋街として栄えたが時代の流れを受けてシャッター街となりつつあった。
活気を取り戻そうと2000年から若手中心となってイベント・祭りなど、まちと芸術をつなぐ契機が次々と生まれていった。2003年には問屋ビルを改修し、カフェ・画廊を構えるビルが誕生。そして2009年開催された、あいちトリ2010プレイベントが起爆剤となり、一気に芸術との協力体制が強まっていく-当初芸術と縁のなかった繊維業の人々も予想以上の反響に驚き、活気が違う形で戻ってきた事に喜びの顔を見せた。
■芸術を非日常から日常へ、長者町界隈芸術宣言!
-あいちトリが終わっても何かしたいと思う町のファンが集結。日常的に芸術が根差す事を目指した《長者町界隈アート宣言》が発表、直後あいちトリやファン中心とした《長者町まちなかアート発展計画》地元住民中心の《長者町アートマニュアル》が発足。翌年には活動拠点となる《長者町スタジオ》《長者町プラットフォーム》が運営開始。あいちトリ情報発信拠点であり、若手作家の展示など行う《アートラボあいち》開業。各所での作品展示や芸術イベントが発信される中、滞在制作を行う芸術家や企画者達が長者町の持つ魅力に関心を寄せ始めた。2012年には共同複合ビルが誕生、さらに芸術の滞在制作を支援運営開始。
【コラム:今に引き継ぐ、あいちトリ2010作品】
-会期後人々の強い希望によって引き継がれ、町を彩る景色の一部となっている。
○ナウィン・ラワンチャイクン《新生の地》
「古い映画の巨大野外掲示板のような郷愁を内包する、タイ出身作家による壁画。町史に詳しい人々の取材を重ね、私的写真や資料を元に制作-繊維街の共同体を形成してきた人々の顔が刻まれる共に、次世代へと継承されていく作品」
○大山エンリコイサム《長者町壁画プロジェクト》
「企画コンペで23×14.6mにおよぶ巨大壁画を約3週間で描き上げた。作家独自の路上画デザインを幾重にも増殖させ、動的景観を生み出している」
○ジラユ・ルアンジャラス《無題(名古屋Ⅰ)》
「駐車所正面コンクリート壁に鮮やかな黄色で描かれた、タイ出身作家連作の一つ。人のかたちにも似た、エネルギーを持つ有機的曲線を描いている」

5)納屋橋エリア
ー名古屋氏中心を流れる堀川にかかる、祖kの周辺地域名所ともなった納屋橋。名古屋駅から市街地の栄へと延びる広小路通が通り、古くは市電の停車駅として栄えた繁華街。近年は市が進める再開発事業や堀川浄化計画があり、現在では川沿いの遊歩道が整理され市民の憩いの場所となっている。
【リチャード・ウィルソン:インタビュー】
■国際的芸術祭こそ、復活を目指す意味がある。
-今回のテーマ《揺れる大地-場所・記憶、そして復活》についてどう思われますか?
「東日本大震災から2年以上過ぎた今、あいちトリのような国際芸術祭の名は、復興を期待させるものであるべきだと思います。世界中から芸術家を招いて、海外からの観客を望むのであれば、何らかの形でこの使命を果す必要があります。それがあいちトリのテーマの正当化を図る、最も明確で賢明な方法でしょう。そのため、私にとってこのテーマはとても道理にかなったものであり、芸術家達にとっても趣味深い挑戦だと思います-《我々はどこに立っているのか》という言葉には、ある種の楽観性と希望を感じます。《あの悲劇は過ぎた事。ここから、どうやって前に進もうか?》と、芸術と作家、そして地域社会がこのテーマを通じて結束できるのは偉大なことですし、非常に積極的やり方だと思います」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:9

2013年10月09日 01時15分20秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月増刊号)
3)白川公園エリア
【展示作品】
B-03:イ・ブル
「初期に過激な身体表現などで急激に民主化した韓国における抑圧と権力などを元にした作品を発表-その後、光り輝く都市の模型など、自身の実像をとらえる事が難しい現代社会を描写する作品を制作」
B-04:ワリッド・ラード
「内政期のレバノン現代史を研究・記録する架空の保存庫を構築するアトラス・グループとして活動-近年は中東で急速に整えられつつある芸術の経済基盤を主題にした作品を発表。出来事の真偽を正確に知る事の可能性と不可能性を突きつける」
B-06:藤森照信
「土着性を感じさせながら実際はどこにもない、見た事ないのに懐かしさを感じさせる作風は、《世界的民芸風建築様式》と呼ばれる-近年は海外での発表も多い。出品作《空飛ぶ泥舟》は、宙に浮かぶ茶室。面白味あるデザインが硬直した建築の概念に揺さぶりをかける」
B-07:ブラスト・セオリー
「英国を拠点に結成された彼らは、演劇・美術・大道化文化などの異分野を横断しながら、仮想と堅実の間に生じる相互的関係を探る作品を発表。戦争・犯罪などの暴力など、都市を主題として取り上げ、鑑賞者をゲーム・都市参加させながら、巧みな物語構成によって個人の内面へと降りていくように仕向ける。大学など研究・文化機関との共同制作も多い」

4)長者町エリア
-大看板《繊維街》と商店街が連なり、独特の景色を色濃く残す-戦後、日本三大繊維街の一つとして栄え、今も多くの問屋が軒を連ねる。一方、繊維業は不況のあおりを受けながらも、近年では空きビルを利用したデザイン事務所・画廊・店など複合施設が誕生し、芸術活動を適して新たな活動を得ている。
【展示作品】
C-02:山下達也
「既存製品を組み合わせて、思いもよらない奇抜さと独自の感性によって、空間を占領する展示を展開-前衛かつ土俗的感性で、鑑賞者の関心を鮮やかに惹き付ける」
C-03:ケーシー・ウォン
「建築的視点を持った作品を数多く発表。移動住宅的計画など行い、出身地・香港の揺れ動く存在証明を表出する」
C-04:菅沼朋香
「街の中に埋もれてしまった《昭和らしさ》を探り、場所や人・モノなどを独自の視点で調査していく。今回は、逸話や記録を拾い集め、現代に残る昭和の形を展示で発表」
C-05:横山裕一
「自然と人工物が融合する近未来的風景を舞台に、擬音語と効果線を多用したスピード感のあるコマ展開で、作家自ら《ネオ漫画》と呼ぶ全く新しい表現を確立。今回は現実の都市風景を融合させ、街を《読む》様な仕掛けを生み出す」
C-06:シュカルト
「独裁政権下で民族紛争が繰り広げられていた頃、当時建築を学ぶ2人の作家によって結成-《人々の関係性のための建築家》を概念に、日常的個人感情と結び付くデザインを提案し実践的活動を行う」
C-07:ウィット・ピンカンチャポン
「都市の空間的構造などを作品に取り入れる作家-今回はピル跡地のコの字型空間を利用した駐車所上空に、コンピュータープログラムによって自在に浮遊する物体を設置。都市に生まれた隙間の存在や、町の歴史・経済活動の変遷を可視化させる」
C-08:マーロン・グリフィス
「《太陽のうた》は東日本大震災以降の東北・日本の再生・復活をテーマした作品-一般から募った参加者は地元孝行での研修会やスタジオを通じ、地元人と共同制作された衣装を着け、行進」
C-09:インヴィィブル・プレイグラウンド
「都市を舞台としたゲームを発表。《ささいな不出来事の美術館》は名古屋と岡崎それぞれ愛知で実際に起きた日常の出来事から着想を得ており、ここのゲームを通じて、まちなかが《出来事の美術館》となる」
C-10:西岳拡貴
「身体と大地とのやり取りから、場所の記憶を一つの塊への回収する行為を試みる」
C-11:日本人3んによるグループ
「地域と関わり合いながら、その場所に最適な《口実》から計画を立ち上げ、一つの出来事として《現実》をつくりあげていく団体。長者町では電力開閉所の跡地に手づくりの特徴スタジオを設置し、回遊型展示と映像作品を発表」
C-12:ほうほう堂
「劇場を飛び出し、その日の天候や道行く人々を絡めて、そこの良く主な魅力や特徴を背景としてダンスを繰り広げる二人ダンス。今回は長者町などの調査から見えてきた街の建築物や店・食べ物を題材に、短いダンスの連れなりと映像で構成」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:8

2013年10月05日 00時52分12秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
3)白川公園エリア
【青木淳×アルフレッド・ジャー談話】、の続き
ジャー「今回は、東日本大震災と津波の爪あと残る地域を訪問中に得た体験が元になっています-荒涼とした景色の中の倒壊した建築物を見て大変な衝撃を受けた-大きな被害を受けた中学校で、黒板を目にしました。津波が襲って来る直前に何があったのかを物語る痕跡が残されていて、心が揺さぶられました。子供達が亡くなった今、黒板の持つ意義は変わりました-歴史・概念的両点において、見つめていた子供達が投影した感情の大きな重みを背負う事になった。黒板は子供らの最後の眼差しをとどめている-それで私は黒板のみを展示しようと決めたんです。
 しかし、それを展示するには状況にきちんと当てはめなくてはならない。そのときに、青木氏が美術館に反転させた新たな軸線を導入し、建物改修をされると聞きました。私は皿にそこに記念碑軸線を加えるという概念を思い至った。原型にはポストモダンな美術館があり、その上に新たに《新》建築家といえる青木氏の概念的軸線がある。皿に私の日本での出来事にまつわる事を別の軸線として重ね合わせる。異なる層が重なり合うわけです。とても興味深く、複雑で、濃厚な何かになり得るのではないでしょうか」
青木「建築では色々な軸線の使われ方があります。例えば-軸線は《遠近法》を生み出しますから、その正面が《強調》されます。軸線があるとだいたい左右対称になるんですが、そうなると儀式・記念碑雰囲気にもなる。黒川氏が導入した軸線はきっと意識的だろうと思いますが、形式に留まっていて、軸線の意味付けはなされていない。だから、僕は展示を通して軸線を意味付けたい
と思っています。それで、《軸線の遠近法で正面が注視される》という事を導入しようとしたんですが、ジャー氏はそれと直行する方向で左右対称に儀式・記念碑な空間を被せようと言うんです。軸線という主題は共有していても、彼がいる事でより面白い方向に案が膨らんでいます」
ジャー」概念的接近が偶然一致したんですよ。青木氏は建築をまま扱いながらも現在の軸を変化させている。物理的に壁などを動かす事で新たな建築を創造している。それは私が黒板で行っている事で全く同じです。黒板そのものは工業製品ですが、別の場所へ移動させる事で新たな意味と得る。そんな可能性を秘めた物体なのです。物理的に少し移動させるだけで、重要な概念的変化が起こるわけです」
■文化的領域に許された自由
青木「今回のあいちトリの主題《揺れる大地》-《自分達が今生きている生活は揺るぎないものだ/美術館はこういうものだ》という固定観念や先入観があるじゃないですか。でも固定化されてしまったら息苦しいし、希望がなくなってしまう。だから、それを少しでも揺るがして、もっと違う側面があると言う所に戻してあげると言うことだと思う。それには、ある仕組みの中に入り込んで《そこにいながら変えてみる》法が、僕の性格からすれば面白い。僕は自分の姿勢をつくって売る事には興味がなくて、状況に一番適切な事を試みるのが建築だと思っている。その場所がどういう場所なのか、そこから何をしたらいいか。ジャー氏も《その場に行って何を感じるか》からいつもスタートしている。ジャー氏はやっぱり建築的な人だと感じますね」
ジャー「全く同感です。私の作品は概念・理念を伝える事が主旨で、物理的媒体・手法は特定されていない。姿勢云々ではなく、何が起こったのかを考慮する基本をつくっているように思います」
-(今回の)あいちトリのテーマ《揺れる大地》です。非常の強いメッセージがあると思いますが、どう受け止めていますか?
青木「東日本大震災から2年経って大きく変ったと思います。災害はいつやってくるか分からない、そのことを前提として周囲の環境をつくっていくしかなくてはいけないという事がはっきりとしたから-一見周囲の環境は磐石に見えるのだけれど、実は束の間の平和の中にいる。本質的には揺らいでいるものの中で、どういう種類の安定を見出す事ができるか?これが、今回のあいちトリの主題でしょうし、またそもそもそれが芸術や建築が担っている役割だと思います」
ジャー「芸術と文化の領域は世界で唯一自由が残された空間です。社会が抱く全くの問いも答えも、自由な文化的領域が残されている事は賞賛すべきです。芸術家や知識人・建築家が文化的領域にとどまらず、外の世界へ広がっていってくれる事を切に願っています」
【展示作品】
B-01:青木淳
「25年前に開館した(会場)名古屋市美術館を再読し、空間や動線の一時的改修を試みる。これは同時に展示する作家との共同作品でもある」
B-02:アルフレッド・ジャー
「地域や社会に出向き、出来事の背景を調べ、そこに必要だと思われる作品を提案する作家。今回は被災地を訪れた経験を元に、学校を失った子供達が2011年3月11日までにすごした時間とその先の未来を多くの人に思い描いてもらうための新作発表」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:7

2013年10月03日 02時09分37秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
【展示作品】
A-55:梅田宏明
「《A、temporal pattern》は、アジア各国の伝統舞踏の踊り手と共に異なった手法をつなぐ振付と動きの体系を追求。《Holistic Strata》は、光と音/身体と運動による身体情報を用いて人間の知覚を揺すぶる。これまでのダンスには空間表現」
A-59:ジェコ・シオンポ
「故郷パプアの文化的背景を生かした独自の手法を追求-故郷から都市に移り住んで初めて知ったアパートを舞台に、画一的な空間に住む事で変容していく人々の姿を通して、時間の積み重ねによる環境や人間の進化と共同体の喪失を描く」
【一般プログラム】
「(今回の)あいちトリ・テーマ《揺れる大地:場所、記憶、そして復活》について、観客や芸術家/学芸員と共に考え、読み解く場を提供。トークや討論会などのプログラムを通してあいちトリにより深く接近する事で、考え方の広がりや変化を促すと共に、現代社会と芸術との関係を考える」
【キッズトリエンナーレ】
■普段は体験できないような芸術プログラムに挑戦しよう!
「参加芸術家によるプログラムや、公募により選ばれた企画など、20種類以上の多彩な研修会を用意。その他、子供や親子で体験できる制作場や、展示作品と楽しく鑑賞するための材料一式など、いつでも誰でも参加できるプログラムが盛り沢山」
■参加芸術家による研修会、の一例
ケーシー・ウォン
「建築と美術を学び、日常の延長として建築的美術が社会にもたらす力を探求している-子供たちに、まちなかに建築を見て、感じたり想像したりした事を(建造物の)着ぐるみで表現」
田尾下哲
「歌う事/身体を動かす事/ドラマを造る事、という音楽劇の本質を子供に」
3)白川公園エリア
:都市を抜け静かに広がる、緑豊かな白川公園-大戦直後は在日米軍の家族住宅地だったが、1958年に返還されると人々の憩いの場となった。また銀色のドームが一際目が引く科学館。
【青木淳×アルフレッド・ジャー談話】
■かなり特殊な初対面
-今回が初対面だそうですね
青木「メールではやり取りしていましたが、何も分かっていない状態でお会いしました」
ジャー「自分の事を、芸術を造る建築家だと思っています-私にとって空間とは地理的だけではなく、社会・政治・文化的のも意味しますから、作家として別の建築家と仕事をする機会は非常に珍しいです。だから今回、以前から尊敬していた仁尾hン建築の新世代を代表する青木さんと一緒に計画に取り組める機会をいただいて大変光栄です」
青木「本来、僕の発想を実現するよりも、色々な事をまとめていく仕事に近いです。以前から芸術家と一緒に考えるのは凄く面白いと思っていたですが、展示をこちらが全部決めてからやってもらったり、逆に作家の要素を聞いてからこちらで計画をつくったり、意外と一方進行の過程が多い-でも今回は、ジャー氏が元々建築をされていた事は知っていましたし、僕と違う視点で空間に対してどう捉えていけるか、凄く面白そうだと思っていて、先程一緒に案を考えてみましたが、やっぱり面白かった」
ジャー「これまでの話し合いでも、互いに反応しあってすぐに解決策が見付かりました。いつもはこういかないです。今回はかなり特殊な事例です。大抵の建築家は自我が強くて、美術館なんて建てようものならその人のための記念碑になってしまいますから」
■共通の軸線、概念の変化・移行
-今回の展示では、ジャー氏を含む名古屋美術館での出展作家の展示計画を青木氏が担当されていますね
青木「僕の役割は凄く難しいです。元々美術館は黒川紀章氏が建設した建物ですから僕のデザインがそこに入ってくるのはおかしいし、となれば建築家として関わる意味が余りない。一方、僕はいわゆる作家ではないから、ここで僕の《作品》をつくる訳でもない。だから、とりあえず自分を消して、黒川氏と作家を取り結ぶような事をするのが仕事をするのが仕事なんです。そのためには、まず僕が作家とのやり取りのきっかけをつくらないといけない、そこで黒川氏が建設する時に決め手になっていた筈の二つの軸線を考えました。それを展開することを考えました。それから、普段の使い方では北側にある玄関が表、南側が裏、と言う感じになっているけど、どうも黒川氏は《南側も表》という意図があったようです。だから皆さんが余り見ていない南側を見てもらったらとも思います」


遅まきながらも、あいちトリエンナーレ学校

2013年10月01日 23時19分53秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 8日、日帰り見学ツアー内であった-
《まちなか展開拡充事業、まちトリ芸術家談話&研修会》
から:

《トリエンナーレの裏側 名古屋編》
話し手:住友文彦(あいちトリ学芸員)×武藤隆(〃建築技師)×吉田有里(学芸員助手)
■おおまかな流れ
武「2011,03,25-開催決定
       10,21-主題と作家4組発表
  2012,03,28-会場下見
       03,29-会場決定・作家8組発表
       03,30-学芸員による主題・作家選択
 今回は、建築ガイドを合わせてやっていて町歩きツアーもやる。
  2012,10,05-作品性など合わせて展示場代を組む
  2013,02,19-作品+場所⇒調整、音の重なり・移動された作品の場所とり
      04,05-イベント」
■各展示会場について
武「納屋橋会場は、元ボーリング場で海外作家が5分で(レーンを外に出し入れする)アイデアを出した。
●名古屋美術館は、青木さんの演出-殆ど見られない建物の裏とその周辺に色々仕掛をして、中と共に見ていく。芸術品の天敵-自然光を、美術館の特徴も合わせて逆利用」
住「(海外参加作家)チリのアルフレッド・ジャー氏は、《建築芸術家》といっていました-今回は大学で建築を学んだ人とやっていて、チリも地震国でジャー氏は東日本大震災を調べて来ていた-海外作家は、感覚など共感しにくいだろう、と思っていた。
 《文脈を作る》-観客に伝わらないとしても作っていく。ジャー氏が日本に何度も来ていて日本近代(第二次世界)といつ時代に沿った内容に-今回、青木氏との出会い-黒板・明暗を意識して作られた」
■長寿町
吉「始めてから、町から古くなったり壊されて会場が使えなかった。元気な所で、昼労働者の方が多く夜少ない。スタッフと町の人で、機関紙や無料会場借りを頼んでいる。年代的にメールなじめない人が多く手渡して、契約結んだと思っても後でなしになったり-昔の町内発電所が使われていないのを、テーマ《入れない所を開発》に合わせて中の小さい空間を使い外に回る作品に-市役所・警察などまわって許可をとり、3回の説明会・各報道に出て日本人作家3人組の手伝いに人が集める。
 会場の隣から水をまわしてもらっている。2回への階段も途切れていたのでつないだ。そこで、特撮製作所チューブが最後の作品を撮った(《ゾンビもの》《巨大怪獣もの》)-俳優は皆長寿町の人で、参加も飛び込みからスタッフ並とまちまち-展示(映画上映を作中使った衣装・セット)は範囲制限を逆に利用。
 あいちトリスタッフも、町の会社の朝礼にいってイベント紹介と社員にもあいちトリマップ持っている人に案内して欲しいと、頼んでまわった。
 サポーターといわずクルーと言って、好きなように手伝ってもらっている」
住「海外作家で《まちの中に船》-日常に非日常なもの-元々舞台演出家でやりたいのがわかったが、制限や船を動かすのが大変。英国も島国で被災地で漁船を見て-移動の際、周辺のを傷付けずにするのが大変。
 震災を建築が良かった-国際展なので、主題をしっかりしたい」
武「昨日、偶然会った作家同士が共作して、スタッフの扱い知らずな所で展開している」
吉「来た時、トリエンナーレが初めてでオリンピックのように開催地がまわってきたと思われ、《(今度は)ここに来たね》と言われたので、説明して最近わかってもらえた」
武「前は《あいちでない、名古屋トリ》と批判されたが、今回,(岡崎地区も入れて)地元人も知らない場所を気付く」
■Q&A
(私の)Q-ヨコトリ2011を見てどうでしたか?
武「黄金町と連携が切れていて、華やかさがない」
■締くくり
住「(ゼンカイハウスは)家を壊して建て直すとか、カッコよく直す、というのでないやり方している」
吉「美術と関連ない日常で芸術を持ち込む時点で、制限や天候で左右されるが芸術家の真剣な思いを大事にした」


横浜トリエンナーレ学校Vol、5+α

2013年09月28日 00時09分09秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■山野氏×菊池氏の、談話集
-国際展の地域色・サポーター同士と観客との壁を失くすか、適材適所のチーム構成
-個人⇒ヨコトリサポーターチーム⇒ヨコトリ⇒芸術+まちづくり⇒外への2点、掘り下げていく。

山「あいちとヨコトリで、地域とイベントの関係はヨコトリはイベント中心・あいちは地域密着型」
菊「2度目なので妙な期待-前資金出してくれた企業が手を引き、継続性が問われる-沢山あるのに、しっかり言葉や記録していないとあいまいになっている。私的に外向きで内でできないのはイヤ。そこで《内からの開拓》-芸術は必要ないと言われてしまうがやはり必要。前見た人が楽しみにしているのを大事(共鳴)-根本的にわからない人(準備)の組み合わせ。参加者の色々な方向・姿勢を立体的に考える-《自分(核)⇒チーム⇒組織⇒活動分野⇒共同体》。
 《今回、被災を芸術で考えるきっかけになった》と来客者も多く来てくれた。サポーターも解説する気満々」
山「共同体デザイナーの日本での仕事」
菊「日本は芸術は米国より広く固定している所がある-《作品ありき》な面が強い。
・《アートとまちづくり》-この地域あると知ってもらう/芸術とは関係なさそうな文化もつながりがるのを知る/がらみのないようなツアー
・《サポーターとの関わり》-実直で積極的に意見言ってくれるので、運営側にとっても有難い」

 


横浜トリエンナーレ学校Vol、5

2013年09月27日 00時43分32秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 25日ヨコハマ創造都市センター(YCC)1Fであった、《共同体とトリエンナーレの関係について学ぼう》報告-
講師:菊池宏子(あいちトリエンナーレ2013公式共同体デザイナー)/進行・山野真吾(ヨコトリサポーター事務局長)

■美術小話-《現代美術は難しくなったか》
講師:天野太郎(横浜美術館主席学芸員)
○近代以前-
 鑑賞者注文者でもある、神話・宗教が分かる権力者⇒主題も、相手の望むものばかり(神話・歴史・宗教家・肖像画)⇒それに入らないテーマのは、軽視されたり無視。
○近代以降-
 身分制度崩壊⇒力ある一般の金満家が注文人に移行⇒分かり易いものにテーマが移った⇒主題も縛りがなくなった
○マネ出現-
 見る手に理解のきっかけがない⇒五感のたとえを散りばめ、古典美術引用も隠している⇒古典など知識がないと理解しにくいものに。

■ヨコトリ講座-《共同体とトリエンナーレ》
講師:菊池宏子
 大学生時代、米国留学していた時共同体と美術の連携に関わる研修生として入って、5年やった-《閉鎖的ボストン美術館を、学生に知ってもらい親しんでもらうか》など、普及・学芸員の調整役で、子供から大人まで幅広く展開。
 今回、普通は入れない建築物に入るなど、芸術監督・五十嵐太郎が建築批評家なので建築関連企画が多い。市原さんもやっているフリマガ(前回)や芸術に興味なかったりあいちトリとは関係ない人がいつの間にかサロンを造ったりと、拡まってきています
 芸術≠建築の人多い。
 長寿町では、元BankARTスタッフ・吉田有吉さんが運営していてそこの動力源にもなっている。
 《愛知で東日本大震災》は、内輪で討論し1年というのも神経をとがらせてたが、受け入れられた。
■教育の場で、普及・広報の地域活動
 去年11月に、白紙にオノ・ノーコ作詩が書かれているが、芸術は体験と誘いとなった。他にも、同じように《JOY OF LIFE》という文字を町角やタワーまで見せた。
 LED提灯を持って行列-基地を設置して、提灯光の色を操作。
■今回のあいちトリサポーター
1)学年サポーター
 大学が多いのに、学校で参加するのに個人では少ない-そのため、参加動機・制作意欲を育てる。
2)ガイドツアー/運営
 前は誰でも受け入れていたが、質に問題が-そのため、今回から面接・小論文などやり研修まで行った。小グループにまとめてやった時、文句言われたが結局仲良くなったと喜ばれた。しかし、100人以上いるので知識に差があるので抜け打ちテストをやったり、障害者向け筆記応答も練習。写真記録班も、講師つけ(路上や街中・ペロタクシーの車台・グッズに描かれている)公式デザインも青一色に同一。
 ペロタクシーは、《移動の記録》として子供に大人気-スタッフTシャツ色も、前は違っていて説明押し付けもあったが同一してからは、自己責任持つようになった。
 特に予算使ったのはキッズトリエンナーレ-前は子供まで意識いっていなかったので、子供目線で美術体験できるようにしたら、大人まで一緒になってやっていた。
 学校でも大規模な身体表現がされたり、美術に関係ないような、きっさ文化講座からイベント見学中に休めるイスの並び方をスタッフが研究していたりと、色々と広まった。


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:6

2013年09月24日 00時31分37秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
【展示作品】
A-22:ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・サニ
「東日本大震災の人々の日常の変化に着目した作品を制作-愛知に転入した被災者への取材や、ビキニ環礁(かんしょう)沖水爆実験を受けて制作された黒沢明映画『生きものの記録(1955年)』をテーマにした研修会を撮影した映像をもとにしている」
A-23:フィリップ・ラメット
「荒唐無稽な着想素描を造り,実現する。あるいは身体を拡張する道具と身体と組み合わせて舞踏表現を行い、写真に記憶する。自然や建物と対決するような演技は、人間の更なる可能性を暗示している」
A-24:ジャネット・カーディフ&ジョージ・ピュレス・ミラー
「主に音を使った展示で世界的に知られている。今回

16世紀の英国を代表する音楽家トマス・タリス(↓)

作曲した40の声部からなる声楽曲を、40個のスピーカーで再構成するもの」
A-25:彦坂尚
(なおしい)
「今回は、震災後に福島・南相馬の仮設住宅の塔のある集合場で《復活》の大壁画を描いた計画をもとにいた、作品を発表。ヒノキ材に被災者の和歌を刻み込む」
A-26:リアス・アーク美術館
「地域史文化や東北の作家の展覧会を開催してきた美術館-2013年春から、東日本大震災直後から撮影した写真や破壊された街で収集した被災物を用いた常設展示を開始」
A-27~31(+E-09):オノ・ヨーコ
「(E:納屋橋エリアも含む)人生がいかに精神の有様を映し出し、それによって変化していったかを示している」
A-32:ステファン・クチュリエ
「仏国を代表する写真家の一人-自動車工場内部や宅地開発現場、大都市の建築物などを撮影した写真作品で特に知られている。出展する《メルティング・ポイント》シリーズは、実際の建造物を前に撮影した複数のイメージを、一見しただけでは分からないように重ね合わせて制作されている作品。実際の建物の存在感と、高度に洗練された建物にイメージが提示されている」
A-33:やなぎみわ
「古風な制服を身にまとった案内嬢は、氏の写真作品における主題で、近年演劇作品にもしばしば登場する。本計画では、名古屋で参加者を公募し、案内嬢として、室内ツアー形式の演技表現を披露する」
A-34:フロリアン・スロタワ
「美術館展示室内を作家地震が陸上競技者のように走り抜けてタイムうを計測する映像作品シリーズを展示-運動感とスピード感を持って展示室のこれまでにない見え方が提示される」
A-35:ニコラス・プロヴォスト
「冷笑かつユーモラスな短長編映画作品を手掛ける」
A-36:和田礼治郎
「2010年よりシリーズで発表している代表作は、真鍮(しんちゅう)で縁切った複層ガラスを水面と同化するように浮かべ、水面そのものの存在を視覚化した作品。近くから見ると空を映し出す人工的幾何学(きかがく)形式であり、遠景では自然の波のきらめきに同化している」
A-37:高橋匡太
「光を様々に用い、建築や都市空間に介入する-今回は多くの人を巻き込みながら、名古屋の都市空間を活用した計画を発表」
A-38:國府理(こくふ おさむ)
「車やアンテナなどの機器を改造し、不思議な機械を造り出す-今回は、ひっくり返った車の中に草木が生い茂る《虹の高地》シリーズを出展する。この極小の高地は坪庭のような美しさをたたえつつも、文明が滅びた後の楽園をも予感させる」
A-39:藤村龍至
「新しいデザイン手法提唱/独自メディアの展開/震災後の《列島改造論2.0》など、精力的活動を行う若手建築家。今回は展示室をワークインプログレスの計画推進室と位置づけ、多くの参加者を巻き込みながら、道州制と中京都の抗争を見据えた新庁舎の姿を共に考える」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:5

2013年09月21日 00時17分42秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
【展示作品】
A-09:青野文昭
「壊れたモノを拾い、《修復》する仙台在住に変容させるのが特徴。被害を受けた東日本大震災後も、自宅近辺や親戚宅などから出たガレキを用い、今回はこれまで以上に大型作品を発表」
A-10:米田知子
「《震災から10年(1995・2004年)》シリーズから阪神淡路大震災直後撮影した神戸周辺7点と、芦屋市内大判6点、《積雲(2011年)》より6点を展示。日本近現代史にまつわる象徴的主題や、戦争・災害・政治体制の変化などを経験した特有の場所に潜む、可視化されない記憶や歴史が一気に立ち上がる。写真に見えるものと見えないものの間に横たわる時間を読み解く事によって、私たち自身の存在と現代性を問いかける」
A-11:平田五郎
「ロウによって制作される建築的構造物-簡素で単一な立方体や球体からなる構造物は、最小形態の彫刻というよりも、その中に入って体験する空間として提示される。その空間内部は外から透通して入り込んだ光に満たされており、鑑賞者が観想し回帰していく事のできる原型としての《家》のようなものとなっている」
A-12:石上純也
「高さ14mの強大な質量が中を漂う四角い風船/目に見えない極細の柱の構築物など究極のデザインで美術界からも注目される建築家-出展作《little gardens》は、丸テーブルの上に可愛らしい銀器が無数に並ぶ作品。小さい花ぴらが入る容器は全て大きさと形が異なる。机の上を沢山の庭≠銀器がある街と見立て、じっと眺めると小さな世界に没入する感覚になるだろう。その時、器は展示室に、花びらは芸術作品のように見えるかもしれない」
A-13:キャスパー・アストラップ・シュレーダー+BIG
「都市を走る・登る・跳ぶなど動的動作(自由運動)をする、映像作品。通常とは異なる身体の動きによって、建築家集団BIGが設計した建築や都市空間を自由に読み替え、運動場に変えてしまう」
A-14:ダン・ペルジョヴスキ
「時事問題やニュースを素材とした大規模な壁画で国際的に知られる作家。初来日となる今回は、77mに及ぶ愛知芸術文化センター11階展望回廊の窓ガラスに直接描く。ルーマニア史の大転換を経験した作家の批評精神とユーモア・皮肉な視点にあふれた空中都市絵巻が展開される」
A-15:宮本佳明(かつひろ)
「阪神淡路大震災で全壊判定を受けた実家を鉄骨で補強し《『ゼンカイ』ハウス》として甦らせ、今回会場(愛知芸術文化センター10~地下2階公衆空間)の壁床天井に原寸大で福島第一原発の図面を描き、映像でしか知らない原発の大きさを身体で感知させる」
A-16:トーマス・セルシュホルン
「出展作は、災害後に生じるなかなか消えない不安感や生き残った人の罪悪感、悲哀や追悼の念といった感情を日常的素材を寄せ集め具体的形で表し、様々な考えを誘う」
A-17:渡辺豪
「平面作品や動画-コンピューターを用いた緻密な作業によって造り上げられた、漂白されたような質感が特徴的である。動くものと静止したもの、生命と非生命の境界線を静かに問いかける作品にもなっている」
A-18:ソ・ミンジョン
「実在する建物の物語性や歴史的背景に関心を寄せる。シリーズ作品《ある時点の総体》の新作は、発砲スチロールで原寸大に再現された名古屋市策資料館地下留置所廊下を一旦壊し、解体された瞬間のように組み立て直す。建物とそこに携わる人々が持つ《過去/瞬間/現在》といった異なる時点が重なる合う場を造り出す」
A-19:ミカ・ターニラ
「人口6000人ほどの小さな町・フィンランド南西部ユーラヨキ自治州に2015年完成予定の原発を撮影した映像作品-日本初公開となる本作は10年近い年月をかけて制作され、去年欧州(国際芸術展)ドクメンタで発表」
A-20:ミッチ・エプスタン
「1970年代後半にインド、90年代にベトナムを撮影後、(郷里)米国の風景に本格的に取組んでいる。出展作《アメリカン・パワー(2003-09年)》は、原子力を含む米国の発電所と、共同体や消費の風景と重ね合わせた代表作」
A-21:ペーター・ヴェルツ+ウィリアム・フォーサンス
「現代舞踊の最先端を走り続けるフォーサンス氏が単独で踊る様をカメラ5台で捉え、5チャンネルビデオを見せるヴェルツ氏の巨大映像展示」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:4

2013年09月19日 00時16分41秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
【アーノウト・ミック:インタビュー】の、続き
■そこにいなかった者の板挟み
-震災後に避難所となった福島郡山市のビックパレットふくしまで行われた撮影は、どのように進みましたか?
「直接的に関わり、個人的記憶を持っていた人たちと、距離を置いた人たちの両方、出演者として探していました。ビックパレットに再現した避難所は、当時のを抽象的に再現したのでした。ここで出演者達は2日間過ごしました。私は日本語は話せませんが、現場では出演者同士に沢山の交流があったようです-撮影では、直接的被害を受けていない人が被災者のように演じる事もありましたが、その隣には、実際に家を失った被害者がいたかもしれません。異なる事情を抱える人々が集まった事で、参加者の間に強い反応と議論を誘発した。
 そしてこれこそが、私がどのように自分自身を関連付けようとしていたのかという板挟みに似ているのかもしれません。もちろん人々に起こった事に対して深い情はありますが、同時に経験しなかったので、同情する事はできるけれど、被災者らの状況と感情を真に、完全に理解する事はできるのでしょうか?
 集団と個人の記憶には、常に食い違いがあります。福島と東日本大震災のイメージは、世界全ての人々による集団の記憶の一部になりつつありますが、同時にこの出来事が世界中の人々に与える影響を、いつになっても完全に把握する事はできない。その事が被災者の孤独となってしまい、また動かせない状況でもあるのです」
-出演者や運営者の間にも、過敏な心の動きのようなものがあったと思います
「私たちは、他者について余りに早急に答えを出してしまう傾向があると思います。《これはとても敏感な問題だから当事者に聞いてはいけない、これをしてはいけない》と。しかし、人々は遥かに開放的です。私は日本で、人々が互いの事をよく考え、共同体に対してとても強い感情を持っている事を経験しました。西洋社会は今は持っていないので、強く響きました。しかし一方で、他者について考えすぎてしまう所もあり、それゆえに独立した人たちとして接する事ができない危険性があります。
 500人もの方々が進んで撮影に参加をした事に感動しました。多くの方々が、《昨年だったら不可能だった》と言いました。しかし震災から2年が経ち、人々は当時を振り返り、考え、互いには話し始める事ができます。もちろん、この撮影に関わった人々には沢山の強い感情がありましたが、同時にそれは生産的であったと私は思います」
-最後に、あいちトリからの問題提起でもあると思うが、作家と社会の関係について、考えを聞かせてください
「作家に限らず一般的状況についてですね。《私たちに何ができるのか?》-この出来事は、日本だけでなく全ての人が直面し、共有している事です。日本での原子力問題-どのようにエネルギーを造り出し、危険を背負うのか?災害の恐怖に対処していくのか?意思決定をしていくのか?民主主義は本当に機能しているのか?常に誰かのせいにして、自分達に責任を持っていないのではないか?
 そこで作中、避難所の人々と東京電力社員の間に起きた、緊張感を持つ瞬間を幾つか導入しました。もちろんそれぞれ強い対立もありましたが、互いの関係を作り出したその緊張感が解けていくような状況も造りました-社員も、段ボールの仕切りで眠るという短い場面があります。
 皆、どのように社会をまとめて問題を解決するのが決断しなければなりません。決定を下す人たちは、確かに責任があります。しかし、人々もまた、共に造った組織的仕組みの産物なのです。おそらくどのように行動を起こせばよいのか分からない。作品では、ただ、少なくとも問題についての考えと、その結果として行動できるような場所へと導きたい。しかしそれは政治的声明を意味するものでは全くありません。起きた事を忘れないために、可能性の出現のために、そして熟考と社会的行動の両方を可能にするために、この感情が詰め込まれ、矛盾した複雑な瞬間を、上映する」
【展示作品】
A-08:アーノウト・ミック
「事件が起こる気配を漂わせる群衆映像は、戦争・国際化・民族主義などの政府・社会問題と結び付いている。今回震災後の避難所での出来事を題材に、人間が抱える矛盾や複雑な感情を独特の手法で描き出す新作を発表する」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:3

2013年09月17日 01時44分24秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
【展示作品】
A-03:コーネリア・パーカー
「《永久に繰り返されること》を意味する音楽用語《無限カノン》を題名に付けた出品作は、終わりのない空間を想定されてつくられている。追いつぶされ捨てられた楽器とそこから絞り出される息で構成され、音楽隊が無音の行進をしているようです。鑑賞者の注意は音の代わりに、壁面で揺れる影へと向けられる。この沈黙こそが、追悼を満たしている」
A-04:岡本信太郎
「社会や文化への辛辣(しんらつ)な批評を織り込んだ絵画を情熱的につくり続けてきた-出品される大作《ころがるさくら・東京大空襲》は、9.11を契機に蘇った少年期の自らが観た東京大空襲を描いたもの。幻惑される体験と知的体験とか共存する」
A-05:
「出品作《地球・爆-Earch Attack第1番》は幅約30mの15枚組で構成。2003年に10人の画家と10人の評論家が構想した巨大計画である。制作の契機は9.11.複数の人がお互いに議論を交わしながら、不調和音や矛盾をはらみつつ、共同制作としてつくり上げる」
A-06:ニッキ・ルナ
「この展示作品は名古屋のフィリピン人共同体に着想を得てつくられており、大理石でつくられた葉脈のようなものは流れ行く人々を示している。宙づりにされたこの大理石は、この共同体が故国から切り離され漂流の運命にある事を思い起こされる。また、美しい大理石はコンクリート板の上のひび割れが、あたかも、文化の源も、それとは全く異質な環境の中に見いだされるかのようです」
A-07:ハン・フェン
「伝統的墨絵を学び、現在その繊細な感性を生かして油彩画や紙を折り曲げた展示を制作している。水・発電所・都市の閉所恐怖症を主題とした絵画を展示する一方、揺れ動く街の上を浮遊するかのような作品を私達に見せてくれる。現代生活で身体と精神がどのような状態に置かれているかを鋭敏に感じ取り、意味する所を改めて気づかせてくれる」
【アーノウト・ミック:インタビュー】
■避難所の映像との出会い
-あいちトリ2013の主題は、2年前に起こった東日本大震災やそこから引き起こされた原発の事故など、日本の現状と深く関わる具体的なものも示されています
「あいちトリは、特定の出来事と関連づけながら、しかし型通りに解釈しようとしている訳ではないと、今の所理解しています。この出来事は、地球規模に影響を与え、それが記憶になろうとしている今、振り返ることが不可欠です。その影響は、感情・環境・経済など、様々に波及していきました。何とかして前向けに考えていく事がとても大切であり、意味のある事だと思いました。《理解》のようなものに近づくために、どのように私達が異なる水準で同時に思考できるのかという問題に、挑戦することに非常に興味を持ちました」
-あなたは実際に福島を訪れた数少ない(海外参加)作家の一人で、どのような経緯で調査を初めて事になったのでしょうか?
「学芸員・住友文彦さんと会合を重ねる中で、これまでに私が様々な報道機関の素材を基礎にした映像作品を造っている事から、住友さんは私に《他の手による撮影した映像》での制作を提案しました。震災当時の、報道機関だけではなく人々による映像も全く見ることからはじめ、異なる記録から沢山の資料を受けとりました。
 しかし早い段階から、それらを作品に使う事に違和感を覚えていました。海外にいたり、自分自身がそれを体験していなかったりする場合、報道における災害の様子も神秘的な誘惑となる側面があるからです。特に津波の映像は、圧倒的な方法で人間を放り出してしまう自然の広大な動きのようなものであるため、崇高の習慣があります。そのため、これらの映像と直接的に制作をする事が不可能だと分かりました。このような自然災害は、人間の想像を遥かに超えたものであり、実際に何か起こったのがという事に対して、私という現実の所在からは入り込む事ができなかった。
 しかしその後で避難所の映像と出合い、これが突然の変化となります。整備された場所に、段ボールや他の沢山のものによって、簡素に個人の区画を造りだすような人間による新たな組織が始まっていました。そこでは人々が再び共同で何かを行い、生活を続けるための道を探っていた。その映像と出合った事が、私自身を完全な外部の人間としてではなく想像できる立場になれた初めての瞬間となった。象徴的的だったのが、東京電力の社員が謝罪をする場所でした。被害者たちが再び自らの考えを述べ、それぞれの感情を抱えながら互いに向かい合い場面です。これが私の作品の基軸となっていった》


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:2

2013年09月14日 00時37分59秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
2)栄エリア
:名古屋随一の繁華街、栄-名古屋テレビ塔のある久屋(ひさや)大通公園は、幅100mもの道路の中央に緑が豊かに広がり、かつて第二次大戦時の空襲で壊滅的被害を受けたという影は見られない。
 あいちトリ2013の主会場エリアで、参加作家のうち約50組がここで展示を行う他、舞台芸術や歌劇、映像プログラムも開催される。

【ヤノベケンジ・インタビュー】
-あいちトリ参加申込を受けたのはいつごろですか?
「早い時期から-2回目の参加作家発表(3/29)とほぼ同時期です。芸術監督の五十嵐(いがらし)さんが今回掲げたテーマ《揺れる大地-場所、記憶、そして復活》で、東日本大震災後の表現者のあり方を問いかけています。過去の作品で核をテーマにしてきたし、原発事故で被災した福島の人々の復興を願い、未来へと立ち向かう意志と希望を込めた作品『サン・チャイルド』を発表するなど、何度も自分の意思を表現してきました。そこが評価されたのだと思います。また、建築的視点を絡めた作品を提示した事も申込の理由だと思います」
-今回出品する《太陽の結婚式》について
「愛知県美術館の最も大きな空間に、結婚式場をつくり、実際に式を挙げてもらいます。《サン・チャイルド》が進化した《ウルトラ・サン・チャイルド》は余りに大きいので、上半身のみの展示になります。着色された《サン・チャイルド》とは違い、鏡面のように輝く像のような姿です。そして床には赤じゅうだんが敷かれ、他の作品が並び、小さな礼拝堂やシャンデリア、ステンドグラスなどもあって、というイメージです」
-美術館で結婚式を行うという発想が斬新です
「2011年10月に大阪・万博記念公園《太陽の塔》前で《サン・チャイルド》のお披露目をした時、すでに《太陽の神殿》計画がありました。そして、(同年28日から4ヶ月)東京の岡本太郎記念館で展覧会の際、模型や図面を展示しています。この計画は、元々は熊本県で結婚式場設計申込があって始めたものです。余りに規模が大きいので、今はゆっくり進めています。人口の湖があり、中には建物が-新郎新婦が誓い合うと湖面が割れ、階段を降りていくと巨大な地下空間に《サン・チャイルド》が立っている。太陽の神殿をつくり、そこで2人を祝福-太陽信仰には、生命力を礼賛する同時に、今まで我々は間違った《太陽の神殿(≠原子力発電所)》を信仰してきたのではないかという裏メッセージも込められています。五十嵐さんが模型を見て、『あいちトリ2013で発表して欲しい』、と言われました。場所の制約もあって計画通りという訳にはいきませんが、メッセージや祝祭空間を伝えることはできると思い快諾しました。
 愛知は結婚式を盛大に祝い土地柄で、(文化として)どの地域より広く深いです。最初街中の結婚式用教会を借り上げようと考えましたが、様々な可能性を考慮し、愛知県美術館で行うのがベストだと判断しました。
 東日本大震災以降、今までの美術の枠内で表現しようとする作家は皆足元をすくわれかねません。美術がどんな意味を持ってこの世の中に存在するのか、美術にはどんな機能があるのかという事を改めて問い直さざるを得ないのです。私は今、美術表現として格好いいとか、自分の表現うんねんではなく、人として何をするべきかを行動原理にしています。この状況に打ち勝つためには、恥ずかしい位積極的なものを提示しなきゃダメだと。そんな時、美術館で作品に囲まれた結婚式を行う事で、自分自身にも新たな発見があるのではないかと思います」

【栄エリア展示作品】
A-01:ヤノベケンジ
「1990年代放射能検出装置を装備したアトムスーツを着用し、チェルノブイリを訪れる世紀末計画を行った。新世紀を迎えるとテーマは復活に移行し、未来へのメッセージを打ち出す。東日本大震災後は、希望の記念碑として子供の立像《サン・チャイルド》を発表。今回は北野武・原画のステンドグラスやマティスの版画を用いた太陽の神殿を構築」
A-02:ソン・ドン
「古い家具や廃屋を再利用し伝統的庭園をつくり上げる。出品作品は借景と借用権という二つの考えをつなぎ合わせるものとなっている。中国古風の風景のつくり方であり、都市空間をより美的で機能的なものとする考え方である。ここ10年以上、第三の発想-貧者の智慧(ちえ)-を展開されており、空間や美的な質に対する権利を拡大させて、いかに暮らしをよくしているかを表現している」


あいちトリエンナーレ(あいちトリ)2013文献資料紹介:1

2013年09月11日 23時13分17秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 会場で入手した資料から抜粋紹介-

●公式ガイドブック(「美術手帖」2013年9月号増刊)
1)あいちトリ2013のコンセプト
【揺れる大地-われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活。我々の立つ場所の揺らぎと、芸術の役割】
-五十嵐(いがらし)太郎・芸術監督インタビュー
■東日本大震災は避けられない
:国家芸術展は、造られた祭り-現代の大都市には、昔の村落のような、皆の顔を知っている伝統的祭りがない。だからあいちトリのような都市に入ることによって、愛知の人々と都市を訪れた人が同じ場所を共有し、新しい祝祭を楽しむことができるわけです。ただ、里山や島を巡るという圧倒的体験がテーマの芸術祭と違って、都市型あいちトリは非日常精を出しにくい。でも都市にある美術館を使えるという利点、良好な展示環境で繊細(せんさい)かつ品質の高い作品も用意できる-「3.11から2年後という時期で都市型国際展をやるなら、東日本震災をテーマによるのは避けられない」と考えました。
 震災の直後から被災地を見てきました。今回のテーマ【揺れる大地】は、震災を連想させる言葉ですが、時間が経つにつれて、【我々が建つ場所や存在証明が揺るらいでいる危機的状況】というようにと考える事ができます。英語タイトル【Awakening】は、【今まで気がつかなかったモノが新しく意識される】という意味があります。海外作家は国で抱えている地殻変動-副題の【場所、記憶、そして復活】という3つのキーワードに関わりが深い作家も積極的に選ばれています。今回は楽しむ芸術に加え、芸術を通じて社会を考える事も積極的に体験していただきたいと思います。
■あいちトリ2013の見所
:プログラムの中に過激あるのは世界の芸術祭でここだけではないでしょうか-美術や音楽の複合施設であるあいち芸術文化センターを最大限活用する事で美術好きと音楽好きが行き来できるのは、あいちトリならでは

-舞踏表現芸術の副題は20世紀の劇作家サミュエル・ベケット(↑)。美術と舞踏表現芸術を橋渡す作家が増えているのも前回との違い。今回は建築家も多く参加しています。規制に縛らない美術館という敷地ならではの、現実の建築にはできない実験的な表現が見られるでしょう。また、建物公開イベントや建築ガイドを通じて、街中に存在している建築も、鑑賞してもらえるような機会をつくります。街全体を博物館のように楽しめる事を知っていただきたい。
 前回でもあった、【長寿街の街中展開】は継続します。街中で作品が展示されるのは非常に印象が強い。普段入れない建物に入れるだけでも楽しめる。それから、名古屋しか展開しかなかったので【名古屋トリ】という批判あったので、歴史があり、街とゆかりのある建築家や、芸術管理・経営や現代美術の画廊を手掛ける人的資源がある岡崎市を加えました。またモバイル・トリという形でも、愛知県の各地に作品が巡回します。あいちトリの商標価値を上げるには【続けること】が重要です。


8日のあいちトリエンナーレ日帰りツアー報告(写真付)

2013年09月10日 02時01分20秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■原稿無で書いていますので、筆足らずでしたらすいません■

 新横浜から、7時に新幹線のぞみで約1時間半で名古屋に到着。

  
 ↑金の時計台で、ツアー参加者-横浜トリエンナーレ市民サポーターのいつものみんなと合流。

 名古屋駅から少し歩いた所で駅ビル内の階段、階段の向こうでもイベント会場があってあいちトリエンナーレ関連のお祭りをしていました(後で地下鉄乗りに通った時盛り上がっていました)。

 これは知る人は知る、ヤノベケンジさんによるサン・チャイルドの巨大像です。像の左ヘルメット後ろにある黄色い線は、実は福島原子炉原寸大の設計図から建物全体にそれに合わせて張られていて、架空の原子炉を再現しています。

 最初の見学先・愛知芸術文化センター入れ口すぐの吹き抜けにあった巨大作品-大きすぎて左右が切れてしまっています。
 
 今回のあいちトリエンナーレのテーマは
【揺れる大地-
 われわれはどこに立っているのか:
 場所、記憶、そして復活】
というものですが、説明をなさってくださった学芸員さんによると全部それに合わせた物ではないそうです。海外の芸術家さんは特にこうした経験が少ない人が多く、感覚など共有しにくいそうです。ですが、制作しているうちに大震災の方に寄って作調もそれに近づいた結果、全体大震災を思い浮かぶようなものが多くなったそうです。

 上の写真は、先あげたヤノさんの大作で実際結婚式上げるために造られたものでヤノさん本人本格的に結婚式場造る計画をしていてスケッチや模型がその構想で作られたものです。実際、会期中ここで3組が結婚式
を上げたそうです。
 他に、ヤノさんの前に中国のソン・ドンさんが古家具や廃材を使って中国の伝統的中庭を再現-具体的なものでなく廃材などを置いて想像しながら見るもので、日本の庭同様後ろの背景を借りる様子や家族で楽しみ様子が手に取るようにわかりました。
 暗い部屋に沢山のつぶされた管楽器がグルッと円を描いて吊るされているのでは、壁に映るその影が影の主役でタイトルは「無限カノン」-英国人作家によると、ガイドや観客の声と歩く音だけが支配された部屋で音楽を感じる作品です。
 年配者の日本人作家による、平面と球体を中心にした立体作品には作家ご自身の体験などから出てくる言葉をテーマに合わせた色鮮やかな作品の上に小さく書き込まれていて、見る側の記憶を覚ますような作調です。
 オランダ人作家は、被災地の避難所を見てプロの俳優に実際避難所生活を体験なされた方も参加しての映像作品を造り、会場でダンボールを沢山吊るして観客が映像と共に擬似体験できるようになっています。
  日本男性芸術家が被災地から貰い受けた廃材を他の材料を使って再生させる作品を造っていますが、見る方向によって全く違うものに見えます。
日本女性写真家による連作の一つに、撮影中偶然黄色い服を着た男の子が降りてきて川遊びしているのが写り込んだのがあり、とても印象的な作品に成ったものがあります。
 などなど見てから、すぐ下にあった子供向けのを見学横浜トリエンナーレ子供向けワークショップ班として素晴らしいのを見れました。

 昼食に、栄駅近くの定食やに・・・ナゴヤ名物、てんこ盛りとんかつ定食・・・皿にサラダに冷えグラダンにカツどーん!皿一杯のご飯!!お吸い物!!!ホルモンあえ!!!!ぎっちり残しちゃいました(お店の方本当にすいません!!)!

 次に白川公園の美術館へ

 その前に、科学博物館で国産H-ⅡBロケットを見ました。
 美術館で、あいちトリエンナーレの裏側を聞き早速会場見学。
 室内では鉄廃材を集めて吊るした美しくも不思議な作品やフロア全体を使った色とりどりの布やスポンジ(?)を使った視覚が刺激されるもの、野外ではジブリ映画に出てくるような木の実風吊り小屋など公園と交じり合う作品画見れました。
 長寿町では、町に点在する会場を回ってみて物ですがさすがにツアー後半になってややっこしいLOGBOOK付きでグループで自力で会場4箇所しか回れず。
 長寿町は町の人も飛び込み参加で作られた会場で、元発電所では町の人によって作られた特撮映画上映や、アジア作家の手作り満載の作品など見てその後見れなかったところを皆で見て一番目玉の元ポーリング会場へ。

 入る直前、話に聞いた外国人作家がレーンを外に出し入れする作品が丁度出てくるのを見ました。
 
 会場が意外と広く最上階では、フロア一杯泡一杯です。ここは、色々あって説明不可ですが見ごたえ充分です。

 10月27日までやっていますので、新横浜などからチケット屋でのぞみ指定席が自由席より安く買えるのでどうぞ。


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)学校

2013年05月17日 00時40分39秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 15日、ヨコハマ創造都市センター(YCC)での、
«ヨコトリ2014現状報告»
1、天野太郎氏(ヨコトリ組織委員会事務所次長+横浜美術館主席学芸員)
●美術作品題名・説明について
-そうしたのは18世紀以降近代になってからで、その以前は古代の図書館では文面主書体で分別中世欧州でも文書最初か登場人物から取られていた。
 それに、18世紀までは自分で題名などはという位に芸術家は身分低かったが、要因は«絵の意味がわかる»貴族や知識人だけのもので、わざわざ説明する必要性がなかったから1793年設立のルーブル美術館が初めてつけた。誰でも意味が理解して楽しめるようにという配慮だが、その頃になって画家も認められるようになったが一番の要因は商品として見られるようになり番号では分からないからと付けられるようになった。
 そうした訳で、18世紀以前はあとつけ。

2、帆足亜紀氏(ヨコトリ組織委員会事務局長)
●ヨコトリ2014と過去4回について
-このヨコトリ学校自体は2005年に開校し、08年に定着。
 初回である01年には当時まだ珍しかったネットサイトを開設し、技術と共に進化していった。
 ヨコトリと同系のは、
ドクメンタ(ドイツ・カッセル-イベント詳細は⇒http://blog.goo.ne.jp/goo20030407/s/%A5%C9%A5%AF%A5%E1%A5%F3%A5%BF
 5年に1度の大型国際展)・光州ビエンナーレ (韓国・釜山-アジア最大の国際展-光州事件など、市民が中心にした展開http://blog.goo.ne.jp/goo20030407/s/%B8%F7%BD%A3%A5%D3%A5%A8%A5%F3%A5%CA%A1%BC%A5%EC)・リバプールビエンナーレ(英国-まちなか展開、銃工場から港町の明るい街造りしている。作家が強い土地柄で、気楽に見れる野外芸術作品が中心。だが、近年欧州経済低迷で国からの支援が減っている)・APT(詳細は、http://blog.goo.ne.jp/goo20030407/e/b10078d7fd0a8b0685522ab8795313bb
で)・シャルジャビエンナーレ(中東-中東をテーマにしているが、市民の殆どは外国人労働者で運営は王豪貴族見学者も専門家)

3、天野氏によるまとめ
-作家に参加依頼していないが、夏には順々に発表していく-今まで、欧米で勉強していたアジアの芸術家も郷里で学び制作している。