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横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

美術手帖2001年10月号で横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)の原点振り返る:3

2015年10月21日 14時21分42秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
2)映像を使った芸術を堪能したい―言語文化から映像文化へ。映像は都市のいたる所にあふれ、人々の意識は浸されている。芸術は敢然と、その本質を浮かび上がらせる。
:テーマ別に整序されたこの鑑賞ガイドで、映像関連の作品だけを集めて一項目を設けたのには、それなりの理由がある。それは、映像が数ある表現媒体の中の一つではなく、新しい表現の模範を提起している、つまり現代芸術において、それを代表する特権的な位置にあるように思われるからだ。確かに、映像が巷に溢れる現代社会では、映像を用いた作品はあふれて見える。また現代芸術に映像が多くなるにつれ、それに反対する者も増えてくる。しかし、それぞれ説明の仕方は異なるものの、言語文化が映像文化に道を譲るという歴史的シナリオを力説する媒体論者の言葉を信用するなら、むしろこの現象は当然だと考えた方がよかろう。
 ところで、映像自体が持つ特異性を考える時、それ尾を一過性の流行として軽んじる事ができない。例えば、物資と比較した場合の映像の軽やかさは、些末な属性などではなく、世界の存在論的転換を告知する重要な指標のように思われ、また主体と客体の間に挿入される映像の地位は、その両極を吸収して相対化する事で、世界の認識論的な組み替えを予言しているように見える。そこまで根源的な変動を期待しなくとも、映像の可能性は、ハイテクの驚異的な発達にともなって飛躍的に増大し、未知で新規な素材で観客の目を絶えず魅了し続けるだろう。
 このように映像が一般に抵抗なく受け入れられるのは、大衆伝達媒体の力による所が大きい、とりわけTVは、20世紀の後半瞬く間に大衆社会に浸透した。実はそれに並行して、芸術の世界で映像芸術の実験的関係を強いられる事になった。媒体として人々に受容されるためには、TVの絶対的な影響力を頼らなくてはならないが、それが流布する表象の通俗性に対しては反発するという両面的な感情に呪縛されるからだ。
 少数の例外を除けば、90年代に到るまでTVの発信する映像を借用するのは、大衆伝達媒体の不当な粗暴さを批判する場合に限られた。90年代、芸術の世俗的映像に対する視点は変化してくる。種々の映像媒体の攻勢に、芸術家も圧倒されたのようだった。ヒッチコック監督の映画を引用したダクラス・ゴードンの名前を出すまでもなく、映像の表現の強度を反省的に認めるようになったのだ。90年代以降、映像作品は、その力を最大限に引き出す増幅する方向で映像を活用する事になった。それは、単一の映像ばかりではなく、二重や三重の映像を対比的に並置したり、他の非映像的要素と共に作品にはめ込んだり、三次元の空間内でスクリーンを複合的に組み合わせ、映像環境と呼ぶべき空間を構築したのである。
【映像理解のための三つの構成】
 トリエンナーレの参加芸術家の作品を取り上げ、最近の映像の内容に関していくつかの目立った傾向に整理してみよう。
≪実存的な生のあり方を垣間見せる作品―その他者の不透明性と主体の存在証明の探求を通して、実存が透かし見える≫
≪独特のユーモアを漂わす作品―その帰結する事は、強さと弱さの全て含めて人間の存在を肯定する事である≫

≪ポスト植民化の風景へ想像的な促す作品ーそれらは、国際的な関係(交流/交通)に置かれた地方的な文化状況について、人々の意識を覚醒させる事を目指している≫ 

 


美術手帖2001年10月号で横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)の原点振り返る:2

2015年10月20日 23時24分11秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
1)新鮮な日本の作家を応援したいー海外で評価される若手日本人芸術家たち。平面/映像/音響/展示/情報媒体など、異なる方法で世界と地方を表現
:国際展というと、すでに世界的に著名な作家、いわゆる中堅・巨匠級ばかりが参加するものと思われる向きもあるかもしれない。だが、実際には20代後半から30代前半の若手作家が大半を占める例が多い。低年齢化といってもよいが、最先端と呼ばれるような最新の作品を一早く紹介しようとする傾向の表われである。学芸員の調査力が最も試される部分といえるが、ここではヨコトリに選ばれた何人かの若手作家に注目してみたい。
 伊藤存は、今春のVOCA展(上野の森美術館)にも出品するなど、注目度の上で急上昇中の期待の作家である。作品は、刺しゅうによる平面とアニメーション映像。平面(絵画)が少ないというのも近年の国際展に顕著な傾向だが、優れた画家が決して少ない訳ではない。絵具こそもちいないモノの、伊藤の刺しゅう絵画は、縫うという行為によって身体性を直截的に示す点で、最新の平面作品の良質な部分を代表するものといえる。また、映像作品の方は、ナラティブで感覚的な映像美と軽快でリズミカルな音楽とか心地良く調和している。
 映像芸術は近年の国際展の定番と呼んでも良いが、日本の映像作家はまだ少ない方だろう。そうした中で束芋は、要注目の映像作家の一人。2000年にキリン・コンテンポラリー・アワードを受賞した彼女の作品は、通常の映像芸術に見られるクールさとは大きく異なる、紙芝居的なタッチが特徴だ。生活臭の強い断片的な日常風景の中に、日本の現代社会に潜む負のイメージを記号として散りばめたその作品は、皮肉やブラック・ユーモアにあふれ、実に印象的である。伊藤存も束芋も関西出身で、東京出身の作家とは異なる味あいを持っている。
 篠田太郎は1964年生まれだから若手という言葉がふさわしいかどうか微妙だが、ここ数年国際的な注目を集めている。その作品は外見上、毎回違う印象を与えるが、一貫して科学や科学的探究に強い関心を抱き、宇宙や進化などをテーマにしたユニークな作品を発表してきた。今回の音響展示もそうした関心と密接にかかわるもので、近未来的なデザインによるスピーカー群と、そこから流れる尊厳さを装った安っぽいな音楽との落差は、崇高な理想を追求しつつもそれを裏切ってきた人間の歴史とそのまま重なっている。
【ますます境界がない若手芸術家】
 1970年生まれの中沢研は、東京都現代美術館の≪ひそやかなラディカリズム≫展(1999)での大掛かりな展示が記憶に新しい。細長い木/糸/針金などによって何もない空間を分節化し、変容させていく。材料を大きく加工しないという点でそのアプローチはモノ派的ともいえるが、物質感は希薄であり、か細く小さなものへの繊細な関心という点で90年代の国際的な一傾向とも通じる作家である。
 高木哲/堀口一也/古郷卓司の3人が1998年に結成したユニット集団キャンディ・ファクトリーは、国内外の作家たちとウェブ上で交流し、様々な計画を展開する。いわばインターネット時代の新世代と呼べるだろう。また、作家が主体となって活動するその姿勢は、美術をとりまく制度的なものへの批判的性格ももっている。
 90年代以降、留学などによって海外で活動を続ける作家も増えてきた。塩田千春はこれまでベルリン/ボンなどで作品を発表してきたが、日本での発表は今回は初めてとなる。泥を使った巨大なドレスのトリエンナーレ出品作は、女性の身体性や皮膚感覚を強調したものであると同時に、西洋とは異なる東洋的感覚の表現をそこに見る事も可能だろう。
 日本の若手作家と海外の同時代の作品とを比較しながら、その相違点や共通点を探してみるのも面白いだろう。 

 


美術手帖2001年10月号で横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)の原点振り返る:1

2015年10月20日 00時05分26秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

―ヨコトリの原点が見える、「美術手帖」特徴を抜粋で紹介

■ヨコトリ2001の歩き方
―2001年9月、ついに幕を開けた国際現代美術展で、あなたは一体何を見るのだろう―国内外から集まった総勢109人の芸術家による作品の数々?世界的な注目を集める日本人芸術家の活躍?ウワサに聞く海外の最新芸術家の作品をこの目で確かめたい?それとも、見知らぬ作品との劇的な出会いの一瞬?横浜という位置に、あなたは何を 求めるのだろう―パシフィコ横浜に並んだ規模の大きな展示―?赤レンガ倉庫と現代美術との趣ある融合?それとも、国際的な港町の風景から垣間見える海の向こうの文化と生活?2001年という頃合いから、あなたは何を連想するのだろう―3年の1度開催されるトリエンナーレの第一回にふさわしい21世紀の芸術現場の始まり?あるいは、1970年に開催された日本国際美術展・東京ビエンナーレ「人間と物質」点から数えて31年目に大きく花開いた夢の祭典?

 今、横浜から世界の芸術現場の現在が見える。いや、見方によっては未来まで見通せそうだ。だとしたら、まずは横浜を歩く事から、世界の現代美術の散策を始めよう。歩き方によってはもちろん最先端まで歩いていける。
◎ハマトリ速報レポート
=分散、統合、変容=
―歩いて知るヨコトリの精神
:参加作家の多さや会場の分散により、ヨコトリのテーマは、容易には見えにくい。しかし、横浜再開発の要であり、ショッピングモールや巨大集会施設の立ち並ぶみなとみらい21地区から、開港記念会館や県庁など、レンガ造りの建物や並木道に横浜の歴史が刻印された旧市街にわたる展示場をたどる内に、浮かび上がってくるメッセージや姿勢がある。
 一つは、インターナショナル・コミッティのメンバー、ハンナ=ウルリッヒ・オブリストが指摘するように、60/70年代の建築家やコンセプチュアル芸術家から、都市空間の均質化や伝達媒体の拡大による精神の自律性の危機に抵抗するための様々な方法を学ぶ事で、21世紀の現代美術は、生活空間や人間観の変容に答えようと≪小さな工夫≫を提起しているとする姿勢だ。
 それらの方向とは、
1)個人の動きやつながりの能力を高める流動的な建築や都市の構想
2)これを促す、歩行や簡単な交通手段を用いた移動計画 
3)交流の道具としての≪ゲーム≫や≪たまり場≫の創造
―といったものに大別できる。これらの方向の持っていた精神と効果は、形を変えながら、リクリッド・ティラヴァニャが、九州から横浜までバンで移動する旅の間に路上や釣場で撮った、慶尚でも事故現場でもないゆえに見過ごされる日本の風景の断片や、曽根祐が、学生たちと、手作りのボードを手にサーフィンやスノボーをしながらロスの郊外都市街を移動する≪無償の遊戯≫を記録したフィルムに、生かされている。
 今自分が暮らす世界への愛と、それを制限する枠組みからの飛翔の試みは、パシフィコでの展示にも見受けられた。尻尾にない巨大な魚型ルアーや拡大された罠が超現実主義的空間を演出する一方で、開け放たれたスーツケースが未完の行為への観客の≪参加≫を誘い、また、繊細な透明のアクリル製都市模型や、周囲にある他の作品やそれ自身の二重の影を包合して揺れる銀の振り子の球が、≪可能性としての世界≫を夢見る事の大切さを、改めて確認させる。
 そうした、個人の精神や身体の自由を訴える作品に対し、赤レンガ倉庫での展示は、まさに、消費社会が近代人の≪夢≫の実現を加速させ、≪神話≫を増大させる装置であるがゆえ、その機能の網の目に私たちの生が深く組み込まれざるをえない事の非哀を、印象づけた。刀根康尚は、鑑賞者がヘッドフォンをつけて展示作品の前を通りすぎると、センサーが感知してベンヤミンの≪バサージュ論≫からの朗読や雑音が聞こえる装置を作り出し、各々の作家の政治的な主張や服装の非歴史性の表現を、深層からの声を響かせるかのように統合する。国際化がもたらす交易の自由の代償としての均質化への反抗は、クイーンズ・モールに設置されたアーナウト・ミックのビデオにも、反映されていた。
 だが、椿昇と室井尚による、ホテル壁画を昇降する昆虫のきょだいバルーンや、養蚕倉庫上のスクリーンの中で弾ける、破壊と生成を繰り返す宇宙のようなイメージ、そして深夜の灯台のように、天に昇る青い光と暖かみある音によって赤レンガパークから散歩者を導くオノ・ヨーコの貨車では、風景に付加される事によって過去の残存物を現在に引き寄せ、無機的な構造物と自然を媒介するという芸術の力が示されていた。人為的な加工もまた、時や人の流れの中で自然に近づき、過去の異物も現在の出来事と結びつく事で、未来へ生存していくというメッセージが、これらの作品の中から流れ出てきたが、それは、トリエンナーレのそこかしこに見出されるメッセージだったかもしれない。


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)ゼミ:中国人映像作家,ネット配信を考える

2015年07月13日 01時15分18秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 講師の李秀一氏は,大学卒業後中国で働き,その後,日本で5年法律を学ぶ-そこで,中国では一方的に聴かされるが日本では会話式と初めて知る-卒業後,学者したくなく口コミで音楽業界へ-当時,第一アジア音楽ブームで中国勢中心だった。しかし,専門知識は使えず独立してからは,テレ朝での海外の日本人活動取材番組担当してヒット-それによって,NHKに口がかかり報道で17年程,日曜美術館以外での美術関連情報を配信。
 日本と映像造りは,中国がわかる10~50分ものをやっているが,日本側にはわからないと-見えない視聴者を想像して考える-今回は、映像内容を説明してみなさんを,目に見える視聴者として意見交換したいと思う。
 中国現代史-特に,文化革命より後の世代は良くわからないし難しい内情も伝いにくい-中国人に知っているこれも,日本人の若い人には言葉だけ知られていないかもしれない。 

↑横浜美術館今回の展覧会CM以来で,前回のヨコトリネットCM映像を見てそれを合わせて美術館と話した。李氏は,作家自体知らなかったが北京オリンピックでの火薬アートで知っていて,中国では関連映像が大量にある。
 制作参考に見た前回のヨコトリCMは,15秒で巨大トラック作品設置ドキュメンタリー-展示作品なし-,美術館としては金銭/考察かけてるけれど李氏的にはなっていない。
 
 美術館とネット配信について考える-キーワード検索時に,検索し易-探している人が見るような言葉を盛り込む-今回は,作家活動内容/作風や中国現代史を映像含め,当たるのを設計。
 展覧会CM90秒もの-北京オリンピック花火の割り込みが多く,作品が少ない-横浜は花火が似合うとやろうとしたが金もスポンサーもたりず断念。作家から作品借りての制作。15秒は,んっと配信狙いで音なしなのに入れた-アイデアを二つあげたが, 
■A案-三分割の過去作品映像あり
■B案-作家の制作風景と作品紹介(Aと同じで,上記のがない)
(講座に来たヨコトリサポーターも感想聞いて)日本人的にわかり易かった-意見は美術館寄り(作家/企画内容がわかり易い)で,専門的(説明付で何度も見れるので分析的)-A案が多し。
 美術館はB展示物中心だから,作家的には過去のも知ってほしいとA-日本的にはイベント紹介中心に考えている。李氏は,好み的にはB案が嫌い-狼作品ばかりだが,スマホ的には見づらいと却下される。
■美術館側の決定までの流れについて
-単独・横浜のみイベントだったので,CMに関しては難しい-現代芸術的≪現場制作≫中心で宣伝用に狼ともう一点しかなかったので,狼に-作家の国際活動(Aの3分割)を抜いて-イベントに来てほしいと,企画内容のみのBに。
 駅内CMTV用なので,無音で忙しい中見てもらえるために印象強い狼中心に-配信媒体で考えた決定。
■李氏的には
-作家的には-言葉通じないNY時代の話を入れたかった-大規模作調見せたい。
 日本では紙媒体中心-中国ではネット媒体中心。
 ネット配信は,個人で誰でもできる-ネット口コミが一番のCM。
■横濱kabitan的考察
-ネット中心は危険,国によって格差が大きく,先進国も世代・地域・所属共同体/所得によります-野外TV/看板・一般的報道・紙媒体がやはり誰でも目・手にする事ができます。ヨコトリは芸術TV・紙上報道/野外ポスターなどネット以外で知ってもらっている様子-キーワード検索も,ぼう大すぎて絞れず,興味ある所しか見ない問題が 。

 


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)講座:地域とつながるために

2015年06月22日 00時00分56秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■開講前に:山野信吾氏(ヨコトリサポーター事務局長)
-市民協働のヨコトリサポーター向け講座は、当初、知識・芸術勉強中心だったが、前回(2014年)から自主活動始動したので今回は「地域と芸術のつながり」を考えてみる。 
■講座:木下勇氏(千葉大学院園芸学研究科教授・工学博士)
-ワークショップ(WS)とは?集団でやればアイデアが溢れるが、新聞によればそれが逆に発揮せずなまけになる⇒寺山修司氏の演劇WS中心に、地域とのつながりを考える。
 (ここでいう)地域活動とはイベント企画・参加といった積極的なもの、ヨコトリも地域に出て芸術が生活役立つか、考える活動-農村がWS的-協働/集団創造/共有-活動が普通になされている。個人がやっていたアイデア/考えを集団⇒全体化している。
 先の今日付朝日紙に、
≪集団は社会的手抜き≫
とあるが、WSは集団力を+に持っていく。
≪五感を働かせ、全身に⇒身体性≫
≪意識化≫
 意識化-とある外国人が、スラム街に住む人が無学のため、やってきた企業にだまされる-文字読めず、言われるままにサインしてしまう-当初、人々は気にしなかったが意識化する事で気付かせる事ができた。
  学生に地図書かせたら、コンビニ中心に-中高生で、コンビニ生活だったので農村に行ってもないと不安がり、遠くっても行ってしまう。寺山氏は"人々が周辺の情報に動かされてしまう"と、いった趣旨の事を言っている。同じように、1840年にトクヴィル氏という人が、
≪(米国は皆平等だが)誰もが自分の世界にこもり、他の全ての人の運命にかかわりを持たないかのようである≫
という不安を持った-後世、ジャン・ボードリヤール氏がそれを発展させた-現代の媒体と消費社会の記号と意味システムによって対象物がいかに記号化されているか、という記号論で分析した。

 人が無意識で造り上げた壁を、WSで取り払ってくれる!?-人々と芸術をつなぐ役を、ヨコトリサポーターにある。楽しく、創作活動しリーダーでもない-決して落ちこぼれを出さない、参加者が主体的に考え動く-教える側もそうするべきだが、競争社会だと、振り落してしまいがち。
 子供が主役・大人が脇を支える形でWSを展開-それは、役割を与え意見を求め中心となって指示大人と決定していく-これによって、子供は
≪問題特定/分析⇒計画⇒行動⇒評価⇒計画練り直し/新たに問題特定≫
を繰り返して、成長していく。
 地域に出て、人々や環境をまき込む-賛同してくれる人が必ずいる。 


横浜トリエンナーレ学校2015:vol.0

2015年04月20日 22時54分43秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■葉山芸術祭の実例
ー神奈川県立近代美術館・葉山館がある、1993年から23回目を向えるー会場も周辺地域も含めて文化施設が県立以外なく、個人宅・神社・公民館・店舗・海岸と庶民的な場所で行われている。
 企画は、芸術と思われるモノは全てに認めているー判断できない場合は説明求めている。

 独立系との共催もあり、フォーラムや場所柄なのか食にこだわる人も多くカフェに写真・作品を飾り、パフォーマンスも行われている。
 ワークショップには、「科学と芸術」という化学から芸術に接触する試みも。
 テーマは、
●地域文芸創造/環境/教育への接触
●芸術意識
●つながり
●海感(かいかん)
とあるが、参加者が共感するモノでゆるくやっている。
 長くやって見ていると、
●地域の特殊性
●受容的地域共同体ー葉山はリゾートという土地柄が、 新しい人・事には受け入れ易い体質
●自然・地形的環境
●行政が殆ど関与しないー自由にやらせてもらっている
  ↓
●地域によるもの地域発注展ー住民にあるアートという祭り
  ↓
≪課題≫
●変化への対応
●新しい参加者はお客様感覚、古参の方が造っているという意識の差
●実行委員会の後継者問題ー高齢化/女性0のため、見落としが多すぎる
●管理の効率化
●専門的にならず、楽しむ
●地域性いかすのが重要
●身につけてきた管理技術のノウハウを応用していく
  ↓
 流れとしては、発足始め頃は成功した人ばかり集まって 学術的ー都心部のマネしていたが、段々と市民的になってきた。それは初期メンバーは運営技術なく、若手に移行していったから。でも、地域性ばかりで創造性が薄れてきている。
≪対話≫
ー“芸術は方向つけない”という姿勢にはビックリ。それに、余りお客来ないで欲しいなんで。発展も責任取りにくい。
「元々は金沢芸術祭とやっていたが、6回目(1998)で独立。“芸術を方向つけない”のでなく“定義しない”のは専門家でないのに定義するのはどうかと思って」
ーヨコトリとは方向が真逆
「土地土地の特色ー金沢は1960年代のヒッピー風で子供中心的感じ。問題なども、土地から出てくるー芸術家が集まって自然発生するのもある」
ーやはり、土地によるかもーあの葉山館は戦後に造られ日本の美術館のモデルになっている。 
「館は当初は県立といって地元とは関わらないようにしていたが、 今は一緒になってやっている。館に芸術祭を仕事として扱って欲しいと話し合い、専門家・学校にも共同ー今はハコだけでなく地元共同の方がいい。感も時流や交流でつながっている」
ー実行委員会に関わってどうですか?
「元々絵描きが好きで、オランダで人生楽しむという気風に触れてーこうした仕事していると、自由業・遠方の方が多く若い人・サラリーマンも」
ーもう一人は、芸術肌の方
「物事の本質を見るー無口で考える人」
≪Q&A≫
●(冒頭見た)青空アート祭は、芸術家の中核で手造りのを売っている。
●個人宅使うのは普通危なう所だが、土地柄的にできた。都心だと集客などうるさいけれど、捉われないので自由。
●実行委員会は人脈ー友人・引き入れ、運営は楽しく苦しむようになったら続かないー理屈でなく楽しくなければ
●ボランティアには有給制ー話し合いや友人額で、低額ながらも支払っている
●(実行委員会の)代替り・女性に入って欲しいー土地の共有化する組織、過去の知識を貸したり若者から新しいのを学びたい。 


ヨコハマアートサイトラウンジvol,5「参加するアート」:3

2015年03月26日 23時19分45秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

NPOトリトンアーツネットワーク(トリトン)
ートリトンは、2001年東京都より認証受けたNPOです。東京都中区晴海トリトンスクエア第一生命ホールを拠点とし、2つの柱ー「音楽を中心として芸術活動」「音楽による周辺地域の活性化を図る共同体活動」ーを軸に活動しています。
◎使命:音楽による共同体活性化ー音楽の楽しさを分かち合い、心を豊かにする。
●広める:音楽をあらゆる年代/層の人に広める
●創る:創意工夫した音楽プログラムを創り提供する
●育てる:若手演奏家/芸術経営管理/文化ボランティア人材を育てる
◎音楽が広げる人間の輪:トリトンは、弾き手も聴き手も顔の見える関係で、共に芸術が持つ豊かさと価値を受け入れたいと考えます。音楽専門「文化サービスNPO」として、ホールの内外共に活動を展開しています。
ー70人によるもので、問題ありながらも支え合っている。
○活動
1)音楽中心として芸術活動:ホールとサポーター共同でー一歳からコンサート楽しめる人生・生活にあったプログラム実施。
2)教育普及ー周辺地域を中心とした共同体事業ー
●アウトリーチ:ホールを拠点に中央区とその近隣教育機関や病院・福祉施設など、来れない体験できにくい人に対して出張公演・指導
●室内アウトリーチ:上記の活動できる若手演奏家育成
●トリトンスクエアロビーコンサート:周辺住民と勤務者向け、お昼コンサート。ロビー知ってもらうのにやっている。
●レクチャー:3年前からサポーター自主で、ホール・音楽初心者向けに演奏者も交えて音楽について講師。
○サポーター事情:女性層が厚く、60代以上中心に学生も研修で5人もみたない。時間があって近隣者が参加している。
 活動は、
●ホール運営サポート
●共同体活動サポート:記録/ブログ記事用レポート
●サポーター共同企画:上記の≪活動≫2)にある事業
●事務手伝い
●サポーター会議
ーサポーター少なくとも、ホール関係者が数多くて手手伝ってくれる。サポーターも子供イベントでパフォーマンスやクイズで活躍、そういうのができる・得意な人が多いーたとえば、親と子が前半別々になって後半は一緒というコンサートというのも、経験豊かなサポーターがいたのでうまくできた。
 事務局が10人もいないけれど、サポーターのおかげで運営できる。
○課題ー
●市民・若い人の取り込み・サポーターとしての使命実現/どこまでまかせられるのか?
●サポーターの能力:できる/やりたい所を理解して、 声をかける際かたよらないよう、新規者・若手継続ーつながりが強すぎて、新規者が入りにくい。長期の人も、アンケートだけでなく個別話し合い/座学による技術向上ーサポーターもスタッフ研修。
 様々な背景ある人々とやっていける。
 トリトンが認定法人で支援・寄付金あるが、ヨコトリはボランティア基本形となっているが自主性の度合いが特に高い。
 トリトンホール周辺はいわゆる富裕層で出生率多い地区ー地方的でサポーターが高齢者になりやすい。先住者もマンション移住多くその層も多く占める。

ーヨコハマアートサイトとヨコトリの連携は、2014会期中、ヨコトリのテーマ≪マチに広まる≫に沿って関連チラシ/ポスターへのロゴ掲載やイベント活動している。市民レベルでのヨコトリ連携イベントもある。
 ヨコトリは市民よりー地域も会場地区周辺なりがちで、広まらない。トリトンといった文化施設ー企業的にも大事、誰でも文化を楽しめる方法を。

ヨコハマアートサイト 
◎7月~来年1月に開催活動の内
 3つのテーマで募集
ー横浜市内で実施される芸術文化活動のうち、
●フェスティバル:地域の歴史や自然・景観など活動し、芸術を通じてその魅力を引き出し、地域に寄与するもの。また、開催地域外からの集客も見込めるフェス性を有するもの。
●課題解決:福祉・環境・街づくり・国際交流などの社会課題について、芸術を通じて解決を目指すもの。また、芸術に触れる機会を広げ、参加者間における交流の醸成や感性を育む事を目的としたもの。
●横浜独自の文化:横浜独自の魅力的芸術作品を創造し、市内外へ発信する事を目的とした活動。


ヨコハマアートサイトラウンジvol,5「参加するアート」:2

2015年03月25日 23時00分01秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 「参加する芸術」-鑑賞・制作でなく、最近では参加型が人気。
■ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)
◎横浜トリエンナーレとは?:横浜で3年に一度行われる現代芸術の国際展。これまで、国際的に活躍する芸術家の作品を提示する他、新進芸術家も広く紹介し、世界最新の現代芸術の動向を提示してきました。2014年には第5回展開催を迎えます。この間、世界の情勢はより流動化し、第4回(2011年)展開催前は東日本大震災が発生するなど、予断を許さない時代の中で、ヨコトリは世界と日本、社会と個人の関係を見つめ、芸術の社会的存在意義をより多角的視点で問い直してきました

 開港以来、様々な文化を積極的に受け入れ、それらが交流し、新たな文化を醸成し、そして発信する都市として発展してきた横浜では、2004年に市の政策として創造都市政策を策定し、文化芸術が持つ力を活かしたまちづくりを推進してきました。ヨコトリはその主要プロジェクトとして位置づけられています。
≪世界水準/次世代育成/市民参加/にぎわい造りと経済活性化≫
⇒≪創造的市民/世代超えた人脈/自分の住む所で創造活動をひきいる≫
○課題:サポーターは毎度新規・引き継がれるので幽霊会員も多い。
○活動:座学/チーム活動/会期中運営
≪会期中運営≫
●ビジターサービスセンターーサポーターチーム/芸術家ワークショップ、観客案内、スタンプラリー
●ガイドーサポーターによるガイドツアー
●芸術家支援ーパフォーマンス活動:この時演劇部が自主発足して最終日パフォーマンスにも参加。
≪チーム活動≫
●イベントー他芸術展見学/小~大規模宣伝イベント企画/他地域団体を招待。
●LOGBOOK-マチを海にみたてて、地図のヒントでコンパスを片手にマチ歩き
●子どもアートー子供達に芸術を楽しめるようなワークショップ
●フリペーサポーターと横浜市民向けに、サポーター活動やイベント・芸術家・ヨコトリ自体の紹介機関誌を全て手作り
●おもてなしマップー横浜の魅力をチーム・イベントで来られた人からの聞き取りで集まり、各テーマごとにマップ制作、ヨコトリ会期中/横浜市内施設で配布

○今後:市民力でつながりヨコトリ⇒次回、2017年はゼミ新設(サポーターが研究テーマを決めて仲間を集めて自主活動)。断絶的だったけれど、2011年から横浜市が支援するようになったので維持できるようになった。
 サポーター活動には、特技と空き時間利用ー芸術/マチ造りの2通りー2014年は黄金町が拠点にしていた。課題活動は全体集会に参加希望で人数決めていない。
 2011年は横浜美術館とは別扱いだったが、2014年はサポーターとして入ってもらい(美術館スタッフ)共同活動ーまだ2年目で会期中が大きかった。ガイドツアーも継続ー現在も展示会や学校・マンションの人と関われる、2017年につなげていく。これらの共同活動はメールで案内。

Q-サポーター/チーム活動
A-動いているのは400人ほど、事務局運営でサポーターを軸に全体調整。
 


ヨコハマアートサイトラウンジvol,5「参加するアート」:1

2015年03月24日 23時13分53秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 23日、横浜・黄金町高架下スタジオ集合所でありました。

ー「参加するアート」:近年、芸術プロジェクトを多くのサポーターが支えています。こうした市民参加は何のために行われ、どのような魅力や課題があるでしょうか。昨年開催されたヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2014での市民連携の試み、市民が芸術プロジェクトを支える意義を考えます。
 アートサイトラウンジは地域におけるつながりやネットワークを広げ、共同体の活性化を図る事を目的とし、横浜というマチで芸術と地域の関わりについて考える・交流する場として開催しています。
■横浜市地域文化サポート事業:ヨコハマアートサイト
◎アートサイトラウンジは、
≪地域文化を考える・応援する≫
ー「考える」のは、機関誌を出している。
□機関誌「ヨコハマアートサイト」
vol,1「特集 となりの多文化」
1)100年の歴史があるこの地域だから育ててもらえた:鶴見臨海部の大規模な埋立により工業化が進んでのは大正時代。その産業を支えるために沖縄からやって来た人々が横浜に琉球文化をもたらして、およそ100年。好景気に沸く80年代後半から沖縄にルーツのある日系南米人なども鶴見に移住をしたり、横浜市内でも屈指の多文化地域となった。
2)安心して伝えられる場を作る所から:大佛次郎記念感現館長は、多文化共生の取り組みに関わってきた一人。
 90年代勤務していた鶴見区の中学校文化祭で、外国につながる子供達が大切にしている文化を発表する場を毎年作った。出身に悩む子供達も多かったー「まずは自分達の守っている文化をキチンと安心して伝えられる場を作っていくのが重要だと思い、始めたんです。色んな人との出会いの場を作ってゆさぶりをかけて、最終的には自分自身で存在証明を選んでいけばいいと考えたんです」
 館長は「鶴見の文化が創造されてきたように、横浜の文化も各地から集まって来た人達が創ってきました。開港以降に横浜に集住してきた人達をきっかけにして、生まれていく目の前のものを見ながら横浜の文化は見直され、新しいモノ・文化が創造されてきたといえるでしょう」
3)ふるさとの学校に太い木をつくろう:ヨコハマアートサイトは2010年に、大和市と隣接する泉区いちょう団地地区で行われた「あいさつロード」計画を支援した。中南米など10カ国以上の人々が暮らすこの地区で使われている言葉を盛り込み、小学校の壁画をみんなで描いた。
 企画したNPO多文化まちづくり工房代表は「このマチの風景も一つの文化の要素」
◎浜松の暮らしににじむ芸術の風景:静岡県浜松市は、「雑多」としかまとめられない程、様々な活動が起きています。
 市が創造都市推進の一環で実施している助成事業からは、自然環境・歴史・生活を背景とし、専門性に基づく様々な社会課題や各々の趣味関心に取り組む活動が数多く浮き立ちました。一方、民間ならではの取り組みも多く、それらは思い切りの良さと丁寧さのバランスに長けています。
 共に共通して、人に内在する創造性が生活の上で様々に形作り、試行錯誤を重ねています。
 「雑多」ゆえの見えにくさがありますが、浜松には「芸術」といって連想される芸術家という特殊な才能をありきではなく、日々を暮す人の切実さや想いに端を発するという心意気があります。そんな「地域」に対して「芸術」や造り手が介助的にならず、よい他者として関係していけるか楽しみな状況です。
◎住宅街に現われる渚~CoZAの間(湘南区):個人で運営しているこの場所は、地域の方々に展覧会やコンサートなどで気軽に使っていただきたいと造られた。
 工業施設利用は、施設管理者との一対一の関係になってしまいがち。さりとて地縁組織による関係には転入者は入りにくいと感じてしまう事もある。地域の共同体の希薄化が懸念される中、「CoZAの間」は、地域の人とが、気負いなく出会う事ができる渚となっている。
vol,2「特集 境内につどう」
◎地域に暮らす人々の物語によりそう事:三軒茶屋には、世田谷シアターという劇場があります。世田谷区の劇場として、地域の人々が演劇やダンスを「観る」だけではなく、「経験」したり「活用」するプログラムを、実施します。
◎誰でも入れる街の空き地~ハッピースクエア(保土ヶ谷区):天王町商店街の一角で、NPOリロードが開設している青少年地域活動拠点「ハッピースクエア」は、まるで街の空き地だ。小中学生が運営に参加する季節ごとのイベントもあるので、少しずつ顔見知りが増えていく。
 この場所の内装は、6年前に子供達と芸術家が協力して造り上げたもの、淡い色の壁と遊び心のあるイラストで、くつろいだ雰囲気造りに一役買っている。
 


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2014サポーター活動報告:4

2014年12月28日 23時58分46秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

◎全体的
■まとめー山出/伊藤/市原/端山/帆足/山野/上野
上野「次回の発展は、自主的」
伊藤「力尽くしているのにボランティアというと、ボランティアの過小評価されてしまう理解されない。ハマトリーツとして、固定した方が社会貢献として経済と同一したものにーヨコハマとして、土俵を」
上野「ハマトリーツとしての価値を高める。別府の地域密着の共感とヨコハマ」
山出「ヨコトリでなく、どういう社会、地域の関わり合いを考えるー芸術祭の先がヨコトリに求められるーヨコトリ開催は国際展が日本にない時期で日本代表に」
上野「地域密着施設」
伊藤「個人的欲望でヨコトリに来ているー個人目標達成を先に地域活性」
帆足「ヨコトリ、皆さんへの希望ー現在、文化市策はあたりまえのようでされない時代。価値観を変えて、豊かになる―意思を言える/価値観を見えるー地方最大都市として、個人がはっきり出る」
端山「立ち位置上、あいまいになるがー学んだり知ったのを発信する立場になるー他人に生産ー発信する人々を次回置く」
上野「ボランティアの立場」
端山「相互反響できる立場」
山野「サポーター名称は2005年、そこから作品解説が自由でそれが2008年に引き継がれたが自主的なものは0だった。今回は目標なくやり、やっとヨコトリーツという土台ができた。そこから固定・発展。ヨコハマの創造都市策とヨコトリの立ち位置、市との共働を考える」
上野「街造りと創造都市をやるのに大勢とできる」
伊藤「美術館とは違うつながりー芸術共同体として外部活動時には名称決めるー芸術と社会のつながりと一般に知ってもらい、サポーターは資格でなく生き様として見せる。西洋は違う人種というので細かいが日本は近い親しい人が市民と見ている。そうしたのを意識して、価値観を理解し交流すると違うのを見つけてしまう。交流はわからないのを表面し、それを乗り越えて共同していくのは共同体」
上野「サポーターもそれで乗り越えたり止まってしまうのもあるー別府でも地域性」
山出「別府を温泉地と見るのでなく、配役を決めて得意するも。やりたいのを見つけてつないでいく。創造都市とは?-ある外国人が≪それは誰でも芸術について言って、価値観を認めてとけこむ≫というもので、土地のイメージを固定せず芸術も変動ー別府を小さくしていく、ネットワークしようと思っている。影響の反響ー造りたい」
上野「創造の自由と市民共同」
市原「知らない所にいく、チャレンジして知らないものをーまさに、子供時代の初体験・知識を知っているサポーターだと思う。今またやった事ないー声を誰かに伝えるのをやっていくのを手伝ってみたい」
山野「今回はやる気満々ーこれまでは終わってバラけてしまうのに、それが続いている」
端山「前々から芸術家の感覚を活かし切れない」
帆足「2011年から、市主催になって市民協同になっているが、監督主導だが今回は市民の声も届ける」
上野「ハマトリーツと名称固定して、知名度上げー参加者が向上させる」 


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2014サポーター活動報告:3

2014年12月27日 23時26分44秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

◎第二部
ラウンド2≪市民活動の広がりと自主性≫
■ヨコトリサポーター野外活動報告:各チームリーダー
・イベント班
「あいちトリエンナーレ見学ツアーは決定事項で、後は自主ー宣伝イベント/横浜創造市策・サポーター・芸術サロンなど、地元アート発見学と交流に力入れた」
・デザイン班
「ハマトリーツという名称後、イメージ固定・定着しイベント告知案などと全体にーフリペやサポーター総選挙(ヨコトリ展示作をサポーターがイメージで実物見ずに描いたのを一般の人によるシール投票)。
 リーダー不在というため、まとまりがなくデザインも一部しかしていなく専門性もある問題」
・フリペ班
「去年8月からー4号までは、ヨコトリ全体わからず班活動の紹介し横浜市民に知らせた。5号からは参加作家がわかったので全方向ーヨコトリ観客向けに。
 フリペ以外に、メール/ブログも運営。
 折り・配りも手作業として全体でやった。
 1号出来たときにはサポーター総動員して桜木町-新港ピアまで配った。製作には参加者の幅広く全体できたのでドンドン造れ、報道活動なので取材も楽だった。
 紙面制限で記事が沢山でたのにかなり削り、意見も取り込めなかった」
・こどもアート班
「主要21名中男性2人という女性中心で、プロでなく先生・主婦といった現役の人を中心に運営。
 運営にはやれる人に負担になり、参加数がバラつき激しい。ワークショップも去年8月から実践しながら実力つけた。
 ワークショップでの役割を毎度変えていき、全員参加ー主婦中心だったですが、異なった体験にやる気あった。
 継続決定時、(先日あった話し合いで)中高生・美術館・芸術家との共働などを考えています」
・(街歩き)LOGBOOK班
「演劇仕立てにして、謎とき的すごろく風マップを造って、街散策。
 カウントダウンとの突然ワークショップでの体験でどう話すか説明するか考えた。話するのもメンバーの個性によってできた。
 チームなりの、観光地・横浜の穴場紹介ー
 他の班とのコラボが難しかった」
・おもてなし班
「マップを、忘却・海・芸術とテーマに絞ってまとめていったー地図制作ばかりに気とらわれて、他のができなかった。プロジェクト形式で他チームからの集まりー殆ど活動できず、細かくやってしまい予定の半分しかなく、自分も東京生まれなので逆におもてなしされた」
■サポーター自主活動講師:市原幹也(演劇作家・演出家)の各チームへの感想
○こども班
「会議ばかりと言ったけれど、話しまくったせいで削り易くブレしないー時間のズレあった分、バラつきつけて多数参加」
○街歩き班
「(自分の)慣れの失敗で面白さが伝わっていないと判明して、一から」
○フリペ班
「人気あったけれど、サポーター活動なのにプロ化して抜けてしまった」
○イベント班
「何とかサポーターをつなげる」
○マップ班
「横浜の全てを紹介」
○のみ会班
「そのまま、のみコミュニケーション」
山出「サポーターチームリーダーやりながら、自生活しているのはすごくー自分の活動を客観視していい」 
■討論会:各チームリーダー+市原氏・山出氏・上野氏+サポーター代表ー満岡重敏/野晴美
上野「やりたい事ーそれに周辺で影響した事―困った事とうまくいった事を」
山出「国東半島芸術祭は、展示の際、土着催しもあって地元に許可求めたが人が来ないので来てくれると喜ぶが、外から言う人もいて周囲も」
デザイン+フリペ「≪自己の発言と目標意識≫≪先鋭化・専門化の罠≫ー発言の自由の半面、言えない所サポーターの意識/印刷技術や記事の細やかさに穴」
野「≪情報収集≫≪自主的能動的関わるチームとの出会い≫
ー参加しないとわからなかった所があるが、自分達もヨコトリ参加ー作品制作していた」
満岡「≪アートのカベ≫≪自分の居場所⇒絆≫
ー現代芸術理解できるかという、不安があったがやったら仲間との絆」
街歩き「≪仲間を尊敬する事≫≪意見をまとめる≫
ー人間性が見えて良かった」
こども「≪一人一人の満足度が高かった≫≪時間のなさ≫
ー濃さがあるので、なかなかまとめにくいのもあった分」
マップ「≪知る時間≫
ー全体的で、今年5月からヨコトリー横浜から知る所から細かくわからず、自分でやってしまった所もーおかげで学べて体験でき、それを還元をするのを考えていかなければ。
 ぽらんてぃあの意味を間違いされるので説明を」
イベント班「≪0から1≫
―楽しさとチームへの落とす大変さと喜び」
市原「≪やった事がない≫≪やってみたい≫
ーこどもアート班の姿勢に涙」
上野「伝達方法」
山出「外からの批判が大変ー国東半島で黒船呼ばれたが鉄像を山頂に置く時、自衛隊も設置に及び腰になったーその話が≪日本人にはできない≫とヘンに伝わり、半島の人々がやっきになりそれぞれ得意分野で、本当にあげてしまった。設置実験用モデル像も置かれ、夫婦像のように大事にされている」
イベント「≪遣○使≫ー外側埋める/趣味を越えて」
野「声かえけ」
満岡「入り易いサポーター/他人を喜ばす」
デザイン+フリペ「ブログ感覚ー軽く書ける」
こども「出入り自由な雰囲気」
街歩き「楽しめる/刺激/活動の賛同で広げる」
マップ「楽しむー自分が楽しめば集まる」
市原「エラーとバクー予想外のを楽しむ」
山出「感想ー具体的考えと楽しさ。立ち位置ー自分達が楽しんで、専門化する罠ー美術ではよくある事、アートは誰でも初めてーサポーターもお客と同じ立場ーお客と一緒になってやればついてくる」 


ヨコハマトリエナーレ(ヨコトリ)2014サポーター活動報告:2

2014年12月24日 23時48分24秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

◎第二部
ラウンド1≪文化施設における芸術文化事業と市民協働≫
■話題提供:伊藤達也(芸大特任助授/とびらプロジェクトマネージャ)
「連携している芸大横の東京都美術館改築の際、
≪訪れる人々が新しい価値観触れ、自己見つめ世界への絆深めるー芸術への入れ口≫
 借会場として、子供から年配者まで作品展示も行われている。そうした受け入れ姿勢から、考える。
 美術館と社会だけでなく、個人・個人/個人・作品/作品・情報(モノ)/作品・人と、つないでいくー
○芸大と都美術館協同ーとびらプロジェクト
 一般の方にサポート募集し、専門家を芸術交流を。
 芸大も社会に関われる芸術家になるよう学生育成したいと参加。テスト審査などで一般募集した所、20-40代中心に女性が6割以上ー40代女性が圧倒的で、60代男性が逆に少ない。普通に上野でやったら60代中心になってしまう。下の世代まで来たのは美術館運営手伝いといったのが、社会貢献したい若手の人々が沢山いるのを知った。
 皆、イベントなどを自主的にー「0からの活動」、世代・職業差を理解し、日常から離れた芸術的空間で交流深めていくーワンマンにならずに、一人一人のつぶやきが聞ける仲間がいた方が効率的。一週間中参加がバラつくようにして、多様性を造り、そして、アイデアあれば仲間を集めて終わる時反省会して解散ーを、繰り返して行けばサポーター同士交流が広まる。係と人数決めると、アンバランス―人数多いとやる気なくして辞めてしまう。何かと決めてしまうと、合わない人や疲れてしまう。
 とびらプロジェクトは、サポーターの自主的打ち合わせを認めるが、サポーターしか使えない掲示板サイトでその様子の写真と発言を載せていくーそうすると、活発な参加者の顔・名前と発言がサポーターと関係者だけで見れるので、≪あー、この人は考えているんだ≫とわかってもらいつながっていく。
 とびらプロジェクトは、芸術の共同体都美術館のサポーターは3年の年季あげ、他の共同体に散ばり広げて欲しい。
 子供向けにあいうえのプロジェクトは、放課後活動や障害ある子とのワークショップをしている。
■討論会:上記まで登壇者全員+端山聡子(横浜美術館教育普及グループ)/帆足亜紀(ヨコトリ組織委員会事務局長)/上野正也(ヨコトリサポーター事務局)
上野「前の発表への感想」
山野「この話を雪の日に聞いて、サポーターにも聞かせたく呼んだーこんなに市民協働しているのは珍しいー美術館に一般人入るのは難しい。文化財産の側で活動しているのは、ヨコトリサポーターとしては、今回の話の範囲がやりたいと思っているだろう。
 ≪皆でやる≫という、発想は素晴らしいー美術館の位置は皆様は?」
上野「美術館とサポーターに、3年の1度のつながり発展について」
端山「伊藤さんの話に合わせて、今回のヨコトリトーク活動は初めてーそれを踏まえて次回に。
 サポーターのトーク活動登録の半分は実際なされた。
 美術館の位置については、10年以上されているー過去の作品を見に行く神殿的と活動する活発さは、横浜美術館は中途半端」
伊藤「開放的空間が美術館・自分的には原っぱ的神社みたいに、何かと人が集まる人工的集合場所にしたい。居場所なくなったのを、新たに生み出す広まりある文化施設」
上野「建築にもそういうものがあるープラットホームとしての美術館」
帆足「単なる企画でなく、市と市民の官民協働としてのイベントー前は拠点として色々いってが、美術館では前回展(2011年)が初。ヨコトリは、また上層部で終っている」
上野「とびらプロジェクトの良さは」
伊藤「芸大はその以前から、学芸員/地域密着型の実演活動している」
上野「学生のは?」
伊藤「4年間、自作にかかりきり。交流系はやっているが、選択したら先生がプロジェクト関係者だったりすると関わってくる」
上野「学術より広い範囲」
端山「美術館の教育普及は最新もので、プログラム参加などさせているー伊藤さんは、ボランティアといわず、提案型。教育普及は用意してやらさせるー自主型は難しいーヨコトリ通して段々まとめているけれど、弱々しいー見せるだけでなく、自主型に」
伊藤「用意したのもあった、最初は―それがこんなに転がってOK。設定多いとそれで満足している所がー自主とバランスーあいうえのプロジェクトの障害ある子へのはとびらプロジェクトから。
 とびらプロジェクトのアイデアは、都美術館の人々も見れるのでそこから発展する。第三者の目があると、信頼して飛躍できる」
山野「大学の存在が大きいー道一本で行けるのはいい。黄金町もやってみているがー」
Q「とびらプロジェクト加入テストは?」
伊藤「≪やりたくなった体験≫といったテーマにした、小論文+5人一組の面接」 


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2014サポーター活動報告:1

2014年12月24日 00時11分15秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

21日YCC(横浜創造都市センター)に合った、公開討論会の要約を載せます。

■開会あいさつ:逢坂恵理子(横浜美術館館長/ヨコトリ委員会委員長)
「前回(2011年)からの参加で、当時、東日本大震災でなかなか市民協働が難しかった分、時代の流れと共に、その空気を市民にも感じてもらった。
 最初の1・2階まではサポーター登録人数のみでしたが、前回からは参加人数も発表」
◎第一部
■活動報告:山野真悟(ヨコトリサポーター事務局長)
「ハマトリーツ(サポーターによるフリペ)は、サポーターによってデザインと名称決定。
 主な活動は、
1)ヨコトリ学校
 2012年度、世界の国際展/サポーター野外活動紹介
 2013年度、参加芸術家紹介/具体化/ワークショップ
2)自主活動
 2013年9月、あいちトリエンナーレ見学
 チーム班:イベント・企画/こどもアート/LOGBOOK(街歩き)/デザイン/フリペーデザインは元々なかったけれど、活動する内に専門班あった方がいいと、立ち上げ。
3)ヨコトリカウントダウン・アップ宣伝活動
 300日前から会期残り1ケ月まで新港ビア/マークイズ横浜・美術館一帯を使った大々的なものから、開港祭から区内祭りといった所まで宣伝。
4)チーム活動紹介+メンバー募集
 固定し易いメンバーを流動ー各活動報告+紹介で、未加入者へのお誘いや他参加をうながす。
5)ヨコトリ参加作家+会期中運営支援
 展示参加製作/会期中の美術館案内所/ギャラリーツアー/イベント手伝い/LOGBOOK街歩き/こどもアートワークショップ/作品を使ったパフォーマンス(作品投棄/朗読/演劇)
6)おもてなしマップ
 スマホARソフト(カメラ機能使用情報表記システムーヨコトリ専門チャンネルーイベント会場/みなとみらい博物館/みなとみらい歴史ー)と連動
7)ヨコトリ2014以後
 フリペ/おもてなしマップなどの、チーム活動・アート系サポーター作品展などの、企画継続」
■基調講演:山出淳也(別府現代芸術フェス「混浴温泉世界」総合プロデューサー/NPO「BEPPU PROECT」)
「芸術家としてフランスで活動中、2003年に別府で市民が路地裏散策をしているのを知り見たくって駆けつけたーそれは、市民が芸術を感じる場所を紹介していくもので、そこでNPO設立しー街中散策拠点基地多数設置/芸術家居住(横浜がその先駆け)/地域との仕組み/イベント計画・運営
 こうした文化活動は、行政よりそれに気付いた市民がやるべくものと思うー町の地元色ある施設の利用料金が少なく実験空間が軒並み現われ、それが行政・報道に目が向けられる。耐久力難の古民家も安価で改修され、そこで長年やっているおみやげ屋が扱っているサボンがなかなか売れないので、食べ易いように改良したら売れるようになり家族運営から2人雇用まで生じたー街紹介フリー雑誌も、助成金なし広告抜きで金券による資金回収。
 芸術家居住は、海外からも多く切るので古アパートの大家さんの好意で月一万円という赤字経営ながらも、そのおかげで住んでもらえるーこうした人達は少なく、地元店舗と共作しそれが人気商品となって全国活動にー地方自治体で、芸術分野では少しだけ知られている立場。
 課題は、会う芸術家が知り合い多く初見の人を広げたいー人脈の幅広くしたい。
 ≪造り手の顔と活動が見える≫-造り手の土地への思いも見えるゆくもりあるものに、土地文化ー山なら山、里なら里と感じられる。地域還元を考えます。
 2010年から、別府文化活動団体紹介したりイベントやっているー市民中心で芸術家は途切れ途切れ、参加費3000円程度で助成金/運営抜きで宣伝・チケットは手伝うー参加団体・観客が年々増える。
 サポーターとイベント主催者が互いに話し合っている、客層は20-40・60代女性に集中し、園外からも口コミで地元よりも多く来ている。参加者も、20-30代女性園外/海外から多い―これは、どの年でも変わらない。
 市民と国際的芸術家による地域文化創作活動ー次回から客を絞っていこうと考えている。10年も続けていくと、街が変わっていくー芸術カフェができて、ソーホー的に発展し駅周囲がにぎやかになり治安も安定し住民も駅の人も喜ぶー百貨店にあった店が街にも出てきて生活のうるおいが出てきた。
 移動困難だったため、古い風俗残る国東半島の文化に触れられる、芸術祭をからませ作品数少なくしたので必然的に島の自然・歴史・風俗体験できる。作品も自然と島民と交じ合って生きたものになっていき島の風土を感じられるものになっている。この島には、寺から来た鬼をもてなし祭が2年の1度あり、その中で一般の人と30代までの若手作家による縄文遺跡跡洞窟壁にカウンター付ミニチュア家を付け、カウンター時間を好きに設定しその様子を人生に見たてたのを半永久展示ーこれによって、その一帯が再開発話がなくなり、住民も興味持つようになった。
 地元の人がサポーターとして作品維持ー平均60代
、イベント終了をさびしくするも自分たちの所にある作品を好きになって、次週的に解説したりグッズを造っているーこうしたのが、地域密着の素晴らしい型になっている

 


8/9の横浜トリエンナーレこどもアートワークショップ案内

2014年08月02日 23時51分24秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

  
 事前申込による参加になっています。
 メールで furifura@yokohama-youth.jpにて
件名:きおくのアルバムづくり
1)氏名 2)電話番号 3)参加なされるお子様の人数・年齢をお願いします
―対象年齢3-5歳まで
 先着10名 

  


横浜トリエンナーレ他、芸術イベント2

2014年05月24日 23時52分33秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

4、東アジア文化都市2014横浜、の続き-
:日本(横浜)/中国(泉州)/韓国(光州広域)の3か国それぞれの文化が出会い、交わることにより、新しい価値を創り出し世界へ発信する姿を、交差する3色のしま模様で表しています。
・スカイブルーは「開放性」
・コーラルピンクは「交流・協同」
・シルバーグレーは「先駆性・創造性」
■現在の情況
-9~10月を「コア期間」として、ヨコハマトリエンナーレ2014をはじめとする、様々な分が芸術イベントを集中的に開催します。
■中国・泉州
―福建省に位置する泉州市は、古くから「海のシルクロードの拠点」として知られており、「アラビアンナイト」や、マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも登場しています。伝統芸能が盛んなほか、泉州で育まれた伝統工芸の「泉州花燈」は精巧かつ

きらびやかで、その美しさは中国国内にとどまらず、海外でも好評を博しています。
■韓国・光州広域市
―韓国7都市のひとつで、湖南の中核都市です。古くより芸術の街としても知られ、各方面に偉大な芸術家を多数輩出してきました。光州ビエンナーレ/デザイントリエンナーレなど数多くのイベントが開催されてきたほか、韓国の国家プロジェクトである「アジア文化中心都市造成事業」が進行中。
5、討論会「都市の忘却空間の再生:横浜-6/12大阪-6/14」
―都市部の使われなくなった場所が芸術家や文化プロプロジェクトの担い手により再利用され始めたのは、仏国においては1970年代のことで、その動きは80年代には欧州や他の地域においても広がりをみせました。いまや先進国においては、工業地帯からの再生のプロセスや、使われないくなっていた空間への芸術による再投資は、都市部に活力を取り戻すための様々な試みの中心となっています。未来都市に関する社会的議論が活発化している今、これらのプロジェクトに共通する目的とは、未来の街にもっと芸術を取り入れ、文化についての新しい概念を発展させ、阿多菜文化的実践の実験を鼓舞することにあると言えるでしょう。
 日物の文化協力の90周年を記念する本年、フランスと日本から専門家をお招きし、都市部の忘却空間を芸術によって再生する方法についての2つの討論会を開催いたします。
「横浜―都市の忘却空間を芸術家の滞在」
:街の魅力を強化し都市のイメージを変えることを目的に、国際交流の発展や芸術家の自由な行き来を重視しながら、使われなくなった施設を利用して芸術家のための住居にすることを、文化計画にどう組み込んでゆけるのでしょうか。
 芸術家の住居において、芸術と都市計画を結びつけるために、どのようなプログラムが創出できるでしょうか。日本とフランスから芸術家滞在のディレクターや文化・芸術分野の専門家をお招きし、これらの問題について意見を交換します。
「大阪―空間創造と創造空間:仏国と日本における、都市の忘却空間再生に関する意見交換」
:日仏双方より、学者や文化・学術専門家・行政責任者たちが、都市部の廃墟となっている空間を、芸術空間に変える目的や構想、またその過程について意見を交わします。