昨日、横浜美術館にてー
■目に見えない≪空気≫を見る・撮る・観る
ー舞台演出家/映像作家/女優、それぞれの視点ー
:実際とカメラ越しで観る違いー目では対象を選んでいる、映像やブログといった文章はどう切り取って伝えるか?-
今はアイフォンで誰でも撮れるー見方・興味の方向が人々それぞれー
WSで、サポーター6人が撮影挑戦ー
:感想
◎動画初めてで、イメージもできなかった―でも、自分のを見るとよく撮れている
◎ズームしたら映らなかったり、意図しないものが映り込む
◎人の生活が映る
ー今回、動画だったが、自分の目線でこの場・空気をどう伝えるか
ー何回か撮れば、自分のクセ・目線が気付かされる
ー意図していないフィールド外のが映っているのが、美しさも感じる
■ヨコハマ港町物語
2)船旅が隠喩する現代美術の果てしない可能性
:一見見慣れた日本地図だが≪旅する芸術家≫島袋道造の≪日本の船旅≫地図はちょっと違う。地名は全て港町。日本から行ける国内外の船旅全ての航路図だ。新幹線はどんどん早くなり、海外旅行は飛行機が当然のスピード優先時代、郷愁にさえ響く≪船旅≫への夢を描かせる島袋のヨコトリ出品作は、彼がここ数年展開してきた、本人の旅のプロセスを主軸に据えたものから、鑑賞者自身に未知の世界への切符が渡されるものへと移行している。彼曰く「船旅アプリの無料配布」。冒頭の航路図とロシアのコルサコフ(稚内から5時間半)/釜山(下関から14時間)/上海(神戸から4,5時間)などの港を島袋が撮影し制作した「思わず船旅に出たくなる観光ポスター」展示に加え、無料パンフには日本の全ての航路と船会社の電話番号が掲載され、誰もがその≪アプリ≫を起動できる。
船でしか行けない場所/同じゴールへの異なるチャンネル/スロースピードを選択する事で見えてくる何か、そんな≪どこか≫へ連れて行ってくれる船旅に現代の芸術の在り方を重ね合わせる時、そこに秘められた果てしない可能性や独自の価値が見えて気はしないだろうか。
3)港から読む都市の歴史/政治、そして経済
:港ヨコハマでの計画は、世界の港町に目を向けてきた写真家であり理論家でもある芸術家アラン・セクラにとって、旺盛な知的好奇心を刺激する絶好の機会となった。セクラは横浜開港資料館を舞台に日本で撮りおろした映像を中心にした展示を行なう。
セクラが1995年まで足掛け9年かけて取り組んだ≪フィッシュ・ストーリー≫は、彼の撮った港、そこで働く労働者の肖像が導入となって、港という世界に通じる窓をとおして捉える現代の世界経済、また政治という深く広い主題へ向かう対話を喚起する。セクラの視点に誘われて見直せば、横浜の港も東南アジアを初めとする物価の安い国々で造られた製品/素材を詰めたコンテナが消費/加工されるため荷揚げされる、カーゴの移動から世界経済を目の当たりにできる場所だ。抒情的な風景と捉えられがちな港は、一転して現代を映す鏡となる。
2000年12月と6月に来日して開港資料館の資料を調査した。ここには明治期からのイメージ、つまり日本近代の軌跡が集積され、とても惹かれたと語る。横須賀の軍港/築地の魚市場/神戸港にも足を向け映像を取り収め日米関係の歴史を中心に調査を行ってきた。日本という海に囲まれた国の西洋との関係を、横浜という港町をとおして見る試みがなされる。
■現代美術の現在
≪再び想像力の圏域へ≫
:前世紀最後の10年間、現代芸術は劇的な変貌を遂げた。少数派の叛乱がもたらした人種(民族)/男女差/排他性の問題/芸術家の生活の私的で親密な出来事/生命力溢れる大衆文化から引き出されたポップな要素が、主題として作品に取り込まれ、表現の主題を一挙に豊穣(ほうじょう)なものにしたのである。それは、ラディカルな社会批判や真面目な記録作品から、享楽に奉仕する見せ物や娯楽にいたる、幅広い種類の作品群を出現させた。そのため表現形式は、近代主義の自律性から遥かに遠ざかり、鑑賞者の倫理的な反応を期待したり、遊戯的に体感できる構造を内包する事となったのである。その結果、20世紀のメイン・ストリームを形成してきた現代芸術の単線的な進歩の歴史と、80年代の衰微と閉塞の中から生まれたポスターモダンの模造品を打ち砕いた。
このように現代芸術は、形式と内容の両面で多種多様な方向に拡散したが、時間だけでなく空間の中でも同様の事が生じた。現代芸術の活動領域は、長らく米国と西洋の先進国を中心として発展してきた。しかし90年代をとおして、それ以外の地域、東欧/南米/アジア/アフリカへと急速に浸透していったのである。まさに現代芸術が国際化された。それらの作品は、現代芸術として最低限の条件を満たすものだったが、地方的な特性を色濃く表出してもいた。というのは背景に、国際的規模で接合された多文化社会があったためである。そしてそれは、世紀末に続く21世紀初頭の現代芸術を産み出すコンテキストにもなっている。
一見収拾がつかないほど種々雑多な現代芸術の作品を、私達はどのように理解したらよいのだろうか。その糸口は、どこにあるのだろうか。しかし現代芸術のこの状況を前にして、いたずらに戸惑わなくでもよい。というのは、極めて古典的で正当な方法が、作品理解の強力な助け舟となるからである。それが「想像力の力」なのだ。
それなら誰でも分かっているし、作品鑑賞の際つねに用いられてきたというだろう。しかし21世紀芸術に必要とされる想像力は、過去の作品に適用されるものとは異なる事に留意しておかなければならない。例えば、それは現代芸術を突き動かしてきた想像力とは根本的に異質な原理を持つ。つもり、現代芸術が作品生成の際に行使する物質を素材として想像力ではなく、国際的な多文化社会という現状に照らして作品に結実した他者を志向するものなのである。
とはいえこの想像力は、主体(自己)が属する文化(価値体系)の要素をそのまま他者に投影する事でもなければ、他者の文化を素朴に同化し共感する事でもない。元より他社は、主体と同じ文化を共有する人間から、全く異質な文化に帰属する人間まで、様々なスペクトルに分けられる。従って他者を志向する想像力は、自己と他者の間にあるこのような文化的隔たりを埋める試みとなる。想像力によって産生されたイメージを構成する内容は、自己と他者の属する文化の複合となろう。
■ヨコハマ港町物語ー開かれた国際都市・横浜にちなんで制作する作家たち
1)「横浜初めて物語」を紐解くヨコトリ伝道師が行く!
:タイ人作家ナウィン・ラワンチャイクンの作品作は、横浜に初めて伝来したもの事やそれにまつわる人々、場所に関して調査していく実地調査ともいえる計画。題して「ヨコハマサーラ」という、野外展示/イベント開催/新聞発行など複合的なコンテンツを持っている。野外展示では、汽車道の線路沿いにかつて実在していたかもしてないプラットフォームを再現し、その壇上にサーラ(タイ語で「寄合所」≫という小屋風のイベント空間を組み立てる。プラットフォームを再現しようという案は、横浜ー品川間を走った、日本初の鉄道について調べていく内に考えついたもの。「初めての鉄道が創設されたという記念すべき場所なのに、簡単に壊してしまうのが日本。みなとみらいのように全てを再生するのが好きだ。だからプラットフォームをもう一度取り戻そうと考えた」それが≪横浜初めて物語≫を作品にしようとした具体的な出発点。
寄合所「サーラ」の中には、書き割り風の看板画がいくつかの層のようになって展示される。看板画といえば、ナウィンのタイの映画宣伝用看板画がすぐに頭に浮かぶが、今回は写真草創期に流行った、白黒写真に後から彩色した天然カラー写真のタッチで描かれている。写真が初めて日本に紹介されたのも横浜から、この点も彼の≪初めて物語≫へのこだわりだろう。
今回ナウィンは、調査のために横浜在住の外国人や≪初めて物語≫に絡む人々に取材して回った。特に外国人から多く話を聞く事にしたのは、横浜が文明開化の発祥地として日本における国際化を担った期限であることを、作家なりに確かめようとしてからである。
今回ナウィンが出会った人々は、カンボジア/パキスタン/韓国/中国/インドネシア/フィリピン/ロシアなど驚くほど多国籍である。こんなに様々な文化背景をもった人々が身近に住んでいる事を始めて意識させられる。ナウィンから話を聞いて改めて感じたのは、いかに我々が異邦人と距離を置いて生活しているかという事。こんなに小さな島国に住んでいても、出会える人々はほんの少しだけ。日本のような情報化社会に住んでいながら、事実は伝わっていない。芸術を通して、ナウィンは現実社会を直接に我々に指示してみせた。それは、出会いを心から大切にして芸術に昇華していく作品ともいえる。ナウィンの芸術家の観察力/洞察力に関心してしまうしかなかった。
■現代美術の現在
≪再び想像力の圏域へ≫
:前世紀最後の10年間、現代芸術は劇的な変貌を遂げた。少数派の叛乱がもたらした人種(民族)/男女差/排他性の問題/芸術家の生活の私的で親密な出来事/生命力溢れる大衆文化から引き出されたポップな要素が、主題として作品に取り込まれ、表現の主題を一挙に豊穣(ほうじょう)なものにしたのである。それは、ラディカルな社会批判や真面目な記録作品から、享楽に奉仕する見せ物や娯楽にいたる、幅広い種類の作品群を出現させた。そのため表現形式は、近代主義の自律性から遥かに遠ざかり、鑑賞者の倫理的な反応を期待したり、遊戯的に体感できる構造を内包する事となったのである。その結果、20世紀のメイン・ストリームを形成してきた現代芸術の単線的な進歩の歴史と、80年代の衰微と閉塞の中から生まれたポスターモダンの模造品を打ち砕いた。
このように現代芸術は、形式と内容の両面で多種多様な方向に拡散したが、時間だけでなく空間の中でも同様の事が生じた。現代芸術の活動領域は、長らく米国と西洋の先進国を中心として発展してきた。しかし90年代をとおして、それ以外の地域、東欧/南米/アジア/アフリカへと急速に浸透していったのである。まさに現代芸術が国際化された。それらの作品は、現代芸術として最低限の条件を満たすものだったが、地方的な特性を色濃く表出してもいた。というのは背景に、国際的規模で接合された多文化社会があったためである。そしてそれは、世紀末に続く21世紀初頭の現代芸術を産み出すコンテキストにもなっている。
一見収拾がつかないほど種々雑多な現代芸術の作品を、私達はどのように理解したらよいのだろうか。その糸口は、どこにあるのだろうか。しかし現代芸術のこの状況を前にして、いたずらに戸惑わなくでもよい。というのは、極めて古典的で正当な方法が、作品理解の強力な助け舟となるからである。それが「想像力の力」なのだ。
それなら誰でも分かっているし、作品鑑賞の際つねに用いられてきたというだろう。しかし21世紀芸術に必要とされる想像力は、過去の作品に適用されるものとは異なる事に留意しておかなければならない。例えば、それは現代芸術を突き動かしてきた想像力とは根本的に異質な原理を持つ。つもり、現代芸術が作品生成の際に行使する物質を素材として想像力ではなく、国際的な多文化社会という現状に照らして作品に結実した他者を志向するものなのである。
とはいえこの想像力は、主体(自己)が属する文化(価値体系)の要素をそのまま他者に投影する事でもなければ、他者の文化を素朴に同化し共感する事でもない。元より他社は、主体と同じ文化を共有する人間から、全く異質な文化に帰属する人間まで、様々なスペクトルに分けられる。従って他者を志向する想像力は、自己と他者の間にあるこのような文化的隔たりを埋める試みとなる。想像力によって産生されたイメージを構成する内容は、自己と他者の属する文化の複合となろう。
■ヨコハマ港町物語ー開かれた国際都市・横浜にちなんで制作する作家たち
1)「横浜初めて物語」を紐解くヨコトリ伝道師が行く!
:タイ人作家ナウィン・ラワンチャイクンの作品作は、横浜に初めて伝来したもの事やそれにまつわる人々、場所に関して調査していく実地調査ともいえる計画。題して「ヨコハマサーラ」という、野外展示/イベント開催/新聞発行など複合的なコンテンツを持っている。野外展示では、汽車道の線路沿いにかつて実在していたかもしてないプラットフォームを再現し、その壇上にサーラ(タイ語で「寄合所」≫という小屋風のイベント空間を組み立てる。プラットフォームを再現しようという案は、横浜ー品川間を走った、日本初の鉄道について調べていく内に考えついたもの。「初めての鉄道が創設されたという記念すべき場所なのに、簡単に壊してしまうのが日本。みなとみらいのように全てを再生するのが好きだ。だからプラットフォームをもう一度取り戻そうと考えた」それが≪横浜初めて物語≫を作品にしようとした具体的な出発点。
寄合所「サーラ」の中には、書き割り風の看板画がいくつかの層のようになって展示される。看板画といえば、ナウィンのタイの映画宣伝用看板画がすぐに頭に浮かぶが、今回は写真草創期に流行った、白黒写真に後から彩色した天然カラー写真のタッチで描かれている。写真が初めて日本に紹介されたのも横浜から、この点も彼の≪初めて物語≫へのこだわりだろう。
今回ナウィンは、調査のために横浜在住の外国人や≪初めて物語≫に絡む人々に取材して回った。特に外国人から多く話を聞く事にしたのは、横浜が文明開化の発祥地として日本における国際化を担った期限であることを、作家なりに確かめようとしてからである。
今回ナウィンが出会った人々は、カンボジア/パキスタン/韓国/中国/インドネシア/フィリピン/ロシアなど驚くほど多国籍である。こんなに様々な文化背景をもった人々が身近に住んでいる事を始めて意識させられる。ナウィンから話を聞いて改めて感じたのは、いかに我々が異邦人と距離を置いて生活しているかという事。こんなに小さな島国に住んでいても、出会える人々はほんの少しだけ。日本のような情報化社会に住んでいながら、事実は伝わっていない。芸術を通して、ナウィンは現実社会を直接に我々に指示してみせた。それは、出会いを心から大切にして芸術に昇華していく作品ともいえる。ナウィンの芸術家の観察力/洞察力に関心してしまうしかなかった。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
9)中国芸術の奥深さを理解したいー労働者の身体から、≪肉≫としての身体へ。カラダの見方で違いがわかる、芸術家たちの新旧世代
:中国の芸術を考える時、造る人がまず≪労働者の身体≫を持っている事を年頭に置いてみよう。そうすると、ツァイ・グオチャンがカンテラの明かりの下で世田谷美術館の横っ腹にせっせと穴を掘っている姿も、実に当たり前に見えてくる。ツァイさんの人のいい労働者風の眼差しや所作が多くのボランティアの思いを結集され、見事な計画に開花するという訳だ。ジャン・ホァンの裸体のパフォーマンスは、まさに身体だけが資本、身体がショーバイ道具、筋肉質の労働者だ。最近の作品は多くのエキストラを使うが、ジャン・ホァンがそうする事に何のイヤミもない。そこに労働者としての同等の肉体を示すからだろう。
確かに古い歴史を持つ中国は≪奥深い≫ものに感じるけれど、それは中国文化圏の日本もそう変わらない。それよりも決定的な違いは、全てが労働者だったという、身体に刻まれた記憶に求められる。
【身体を物化する新世代芸術家たち】
彼らはまず表層的な身体に疑問を示す。スン・ユエン+ベン・ユーの示す肉としての身体は、90年代以来この傾向の極北を示す。≪もの≫としての身体はそれ以外の全てをそぎ落とした形に他ならない.
シン・ダンウェンの最初の作品集≪中国人の眼で≫は、貧しい辺境の人々を他者の目で写し取る新世代の中国再発見だった。さらに異形への執着は東村の芸術家ジャン・ホァンやマ・リュウミンに向けられていく。そして≪私の性は女≫では男の視線を拒否した「女の目から見た女」を前面に押し出した。さて、NY以後はどんな作品になっているだろうか。ツァン・グオチャン/ジャン・ホァン/ホアン・ヨン・ピン/シン・ダンウェンといった海外在住組は、欧米の期待する中国からいかにはみ出すかが面白い。ホアンは巨大な魚を宙吊りにするらしい。ブツとしての魚と、魚を示す中国語の隠喩にある「農民の富への願望/男女の愛情/為政者/軍隊」との間にあるすさまじい隔たりが、楽しみ。
新世代のヤン・フードン/ウーエンシャンの映像芸術、どんな作品になるのだろう。ディン・イーの10年来変わらない最少量な作品も新たな見方が可能になる。
10)多文化な世界を飛び回りたいー世界と地方の反服する世界。国籍が民族が人種が宗教が消えつつ 現われるその狭間で、人々は美術に何を期待するのだろう
:国際化が進む現代美術の中では、国際性/原理主義性といったいわゆる多文化を意識した世界観を声高に語り合う機会が増えてきた。今回のヨコトリでも、こうした国際化の問題を読み取る事ができる。
そこで、美術の国際化とはいったい何かという問いになる。具体的には、西洋/非西洋といった二分化の図式では捉え切れなくなっている事、芸術家の活動する地域が母国ではない場所に増えている事、芸術家の国籍が移民/移住/国際結婚(その親族)によるパスポートの取得という事例によって複合的になっている事、国籍だけではなく民族/人種/宗教などの文化的背景を示す区別が多種多様になっている事など。こうした状況は冷戦以後、無境界/新植民地が加速的に発展し、対極する観念から多様化する価値観へと変容した社会環境のなかで成長の遂げているというのが事実である。また、情報の加速化/大量化や交通網の整備といった、高度通信技術社会がもたらした物質的変化も影響を与えている。
さて、ヨコトリの出品作家にはこうした多文化的といった文化的背景をもち合わせた芸術家たちが大勢いる。彼らの中には、国際的を積極的に取り入れて無国籍芸術を目指す作家や、海外での活動によって国民性や独創性の探求を求める作家など広範囲な活動が見られる。その活動は、政治的/歴史的背景を抜きに語られないものも少なくない。
【細分化が進む 多文化の多面体】
:アメリカンインディアンの活動家としても知られるジミー・ダーハムは、西洋中心社会によって抑圧されてきた少数民族の苦悩を代弁し、植民地化問題を痛烈に批判してきた。彼の作品は、言葉と視覚的表現によって歴史的課題と向き合っている。やはり先住民族を問題にして、アボリジニの立場から文化的・社会的側面を意識的に取り込んだ写真を制作しているデスティニー・ディーコンなどもいる。
しかし、一概に植民地支配を政治的な問題として捉える作家ばかりではなく、個人的な関係として捉え、自分の文化的背景を見直す事で存在証明の探求に結び付けていく作家もいる。アニタ・ドゥベはコロニアル・スタイルの家具一式の表面をホコリと塵で覆い隠して展示。母国インドの近代史を見つめ直し、自己体験や記憶といった自らの存在証明を模索していく。また、ジャクリーン・フレイザーは、針金やオーガンジーの布を使って平面的や展示を展開している。そこには、欧州の服装感覚とニュージーランドの先住民文化が混合する文化的交流への視点が見受けられる。
一方、アトゥール・ドディアのように、インドの神話と前衛文化などの現代社会の状況、あるいは家族の肖像や個人的イメージという二重性を、二重構造のシャッターによって表現している作家もいる。また、ヘリ・ドノのように伝統芸能や土着文化を直接に取り入れた作品で、独自のスタイルを確立しようとする作家もいる。
中国人の父とオーストラリア人の母を持ち、現在オランダで活動しているフィオナ・タン。複雑に絡んだ文化的背景を自らの中で消化するために、祖国/民族/人種といった区分けされた要素を、独自性の追求へとより強烈に転嫁させている、こうした作家もいる。ジュン・グエン・ハシシバは、ベトナム人の父と日本人の母を持ち、幼年期は日本、就学は米国、現在はベトナムで活動する多文化の申し子のような人物だが、西洋と東洋との関係を浮き彫りにする展示を制作している。
さらに、ガブリエル・オロッコやカティア・グェレロのように日常生活や作品制作の要因として自分の国民性を意識する作家も少なくなく、文化的・物理的な差異を中立に捉えている。
地理的側面からいえば、オラデーレ・アジボイエ・バンボイエ/ウィリアム・ケントリッジ/アデル・アブデスメッドの3人がアフリカ出身。ただし、だからと言って単純に同じくくりにはできないものの、彼らの作品から、アフリカに存在する言語/宗教/人種/政治/歴史が入り混った文化的背景の複雑さに着目する事はできる。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
7)音の芸術で鼓膜をシビレさせたいー≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫、二つが互いに交錯し、共振し、ついには、どちらがどちらか分らなくなるーそんな混乱状態に飛び込む事ができるだろうか?
:芸術と≪音≫との関わりは、とりわけデジタル技術の発展と共に日々、大胆な変容を遂げつつあるともいえるし、はるか昔から、基本的な構図は殆ど変わっていないともいえる。媒体や方法論が変換されても、それはつまる所≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫の領域設定と、両者の交通/共振/融合/共闘の可能性(あるいは不可能性?)をどう考えるのか、という問題に還元されるからだ。
音は目では見えないし、絵画や彫刻を聴く事はできない。これは自明の事であり、そのような事を可能にするのは、ただ個別的で恣意的な想像力だけだ。ならば、その想像力を喚起=操作するような仕組みを造ったらいいという考え方はもちろんあって、それらは音響芸術や媒体芸術の一つの流れになってもいる。しかし、それは要するに、一種の幻想なのだという事は認めておかなくてはならない。
あるいはもっと単純に、我々は世界や事物に対峙する際に目と耳を同時に使っているのだから、片方しかないのがそもそもおかしいのだ、という主張もあり、見て聴いて感じる事の足し算で成立する試みも多々存在している訳だが、これはしかし、だとすればいわゆる五感の内でこの二つだけを優遇しすぎてやいまいか?という素朴な疑問も生じてくる。
しかるに、音響視覚などという、いかにもあいまいな宣伝文句に惑わされる事もなく、≪可視的なるもの≫が≪可聴的なるもの≫を、是が非でも必要としていく過程や、それらへと一気に突破していく契機、あるいはその二つが互いに反転し合い、遂にはどちらかどちらなのかさえ分からなくなる(しかも幻想抜きで!)ような魅惑的な混乱を、しかと見据え=聴き入っていく必要がある。両者の出会いは、実のところ、そんなに簡単な事ではないのだから。
【音楽の歴史性/非歴史性 メタ・メディアの意味論】
今回のヨコトリにおいて、日本から≪音≫に関わる作品を出品する芸術家は4名ー問題意識を照し合せてみるから、たった4名でありながら、この組み合わせによって極めて広範かつ多方面的な、≪可視的なるもの≫と≪可聴的なるもの≫の交錯への問いかけが為されている事に気付かされる。
8)分野を横断する複合世代に注目したいー服装やアニメ/映画/インテリア・・・ファイン芸術と若者文化の領域を行き来する新世代の発想は新しい刺激が一杯だ。
:「パリでは服装編集の世代交代より、学芸員の方が回転が速いと思うわ。新しいの時代の芸術を読み解く感性と世代は、切り離せないものとして取られているのよね」と語ったのは、服装や芸術を縦横無尽に扱う≪パープル≫誌の編集長であり、学芸員としても活躍するエレン・フライスだ。学芸員として彼女が頭角を現したのは、パリ市近代美術館で1994年春に行った≪イベール・ダムール≫点だった。美術館に入ってすぐ、デュフィの壁画の大広間には写真家ヴォルフガンク・ティルマンスが選曲したテクノ音楽が鳴り響き、ヴィクトール&ロルフの服やマルタン・マルジュラを現代美術と同列に配置する。雑誌のように編集されたカタログが美術館で売られた事自体も、新鮮だった。
確かに、フランスでは、30代前半の学芸員の活躍が華やかに目をひき、良くも悪くも議論を呼ぶ力を持つ。
それでは、ヨコトリに参加する作家たちを一望する時にも、分野という縦軸を捨て、世代という横軸をあえて持ち出してみてはどうか。ここに集まった60年代半ば~70年代前半生まれの作家たちは、内容に差はあれ、そうした試みー一つの分野におさまりきらず、あえて柔軟に、縦横無尽に横断するーを≪言われるまでもなく、当然の事として≫行っている。この世代の人間なら当然、興味を抱く対象と素直に向き合う姿勢は、我々の生活感覚の基調をなすものだ。
ドミニク・ゴンザレス=フェルステルは、映画/旅/室内意匠/音楽など芸術の外へと飛翔する自らの好奇心を、最終的に自らの芸術空間へと見事に還元させる展示を行なう。服装界の異端児ヴィクトール&ロルフは、≪芸術と服装のつながり≫が喧々諤々の90年代後半の全てに先駆けて、誰より早く95年、パリコレ週間中、ショーではなく画廊での展示を行っていた。
こうして振り返れば、芸術にしろ服装にしろ≪初めて≫はいつまでも新鮮で、どこまでも古びない。
■横浜生まれの輸出攻撃
ー≪収集品から、横浜の魅力を伝える~収集品から歴史を見つける~:それがどのように造られたかを発見するのが、楽しみ。
箱根の寄せ木細工ーおみやげ物と思われているが、欧州輸出用に大型家具がある。その事は、日本では全く知られず逆にウソと言われてしまう。
横浜にも島山細工という技術があるー寄せ木細工は、静岡が作で江戸初期、余り木と漆器をうまく合わせたものであった。漆器は静岡が名産ー輸出用に宝石入れといったのを生産。
横浜開港直後は、静岡で生産していたが横浜に職人が集り、静岡と会津で横浜が間に合わない時の調達先となった。
近代、モースなどの欧米人が来日して箱根・日光で購入―横浜にも、当時かま元が40もあって、サムライ商店など日本的なものを造っていた―明治中期、横浜に全国から職人が集ったのは、納品作で製造した方が運搬負担軽減になるからである。
こうした傾向は、幕末期、横浜で(寄せ木は)売られているのを欧米人が見て欲しがったのが初めーそれと共に、日本風俗が描かれたアルバム表紙や壁かけいたと広まってきた。
25日、横浜文化都市センターでありましたー
=記録からみるヨコトリ2014=
◎加藤健氏(写真家:記録写真撮影)
ー3年前の1回目記者会見から、
クィーンズでのFMヨコ:ヨコトリ紹介番組用公開録音でのチラシ配布/マークイズのスタンプラリー(人気あったので驚いた)/国際討論会ー
と写真を撮っていると、スタンプラリーなどサポーターと一緒にいると、
「何のイベントですか?」
と聞かれるーヨコトリは地味だけど、人々に広めている。
写真は、その時の風景/様子を残す媒体―図録にはない、舞台装置/作家同志の交流やヨコトリ開始前の様子、作品設置/会場内部様子ー準備中がワクワク感があって、一番好き。撮っていると、何でも撮りたくなる。忘れてしまっても、写真整理していると思い出す。
ヨコトリ開始―内覧会/ヨコトリ子ども探検隊(中学生が小学生にガイドしていく)、10月になるとヨコトリ終了近くにつれて、人が増えていった。
◎ヨコトリサポーター:フリペ制作チーム長
ー元々、ヨコトリの魅力/サポーター活動/横浜見どころを、サポーター/芸術好きな人中心に発信を目的にしていた。
マークイズの200日前カウントダウンいペンと参加者は、そこでの催し物では最大と言われる420組だったとの事。
◎津田道子氏(映像作家:記録映像制作)
≪会場準備から、最終日イベントまでの映像鑑賞≫
■討論会「記録からみるヨコトリ2014」
上記3名+進行:上野正也氏(ヨコトリ事務局調整役)
加「フリペの写真はサポーターによるもの―その場にいる人によるものが大事。動画による良さ」
フ「プロによるものだと、美しく見える―写真だと懐かしくなるが、動画だとその時がよみがえりそこにいるように感じる」
津「サポーターもカッコよいのでよく撮れた。写真も解説付だと違ってみえる」
上「媒体は違うも、その場にいるライブと記録残すは、真逆」
津「編集時、撮ったものから全体のバランスを考える。撮った分、全て見て編集」
上「見た人がその場にいるように感じる」
津「臨場感高めるために、カメラ/マイクを色々と配置するー組み立てをしてから、現場入り」
加「依頼の時はその人が望んだのをやってから、自分が撮りたいのを追っていく」
上「フリペは、サポーターの素顔」
フ「フリペは捨てられ覚悟―全て、保存して確認できる」
上「これからのサポーター的活動は?」
加「整理は、生々しい時にすぐやる―何回もやって厳選していく」
フ「保存関連チーム/ゼミも整理で止まっているー第三者的目線なので、参加者としては辛い」
津「とりながら編集した事もある」
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
5)ユーモア一杯、不思議な物体を発見したいー自然におかしい≪天才くん≫からサプライズ&機知の達人まで、近頃気になる芸術の愉快犯が、ヨコトリでも一杯活動中!
:お固い現代芸術作品は人々に敬遠されがち。だが、好奇心をかきたてるほど変てこな外観やユーモアのある作品はそれだけで人々を虜にする。それは万国共通で、その内容が理解されようがされまいが、人々の足取りをピタッと止める力があるのだ。
ドイツのアンドレアス・スロミンスキーは罠造りがお好きだ。日常用品をつなぎ合わせて造った、ネズミなどの動物を捕獲するための罠の彫刻作品は見るからに残酷そうだが、その機具画ども様な機能を持っているか、つい興味津々で見入る観客の複雑な心理を突く。今回は≪大量捕獲≫というタイトルの10tの大型罠彫刻をハンブルグから船でワザワザ運んでいる。ベルキー生まれのカールステン・フラーの作品は、シュールという言葉では追いつかない。97年の≪Geluk(幸福)≫点で空飛ぶ機械を作品として発表。ライト兄弟のように飛行機の機能性を探求するのではなく、フラーは最初から行為の大騒ぎに着目している所が興味深い。その関心は4羽のハトの首に小型のビデオカメラを装着して、鳥の視覚を映像化した作品に表れている。今回展示する作品は透き通った建築模型を地上15~16mの所から天井吊し、照明演出したもの。
【ユーモアの奥に芸術の醍醐味】
ドイツのヨーン・ボックの展示作品は、原宿のダサワカイイ系の服と前衛演劇の舞台装置を彷彿とさせる。その中で毎回、ボックは奇妙な演技をする。観客たちは無理矢理に劇用の小道具をもたされ、馬鹿げた台詞を復唱させられるはめになる。今回は2階建ての建物を展示する。観客が台に乗って天井に空いた穴から顔を出すと、ニカイノそれぞれの部屋によって全く違う景色を見る事ができる。また、実際に二階で作家がパフォーマンスをしたりするし、それを覗く観客の様子も含めての記録映像が、作品空間内のモニターで流される。
ウィーンの行動性を継承するオーストリアの作家フランツ・ヴェストは80年代から≪フィッティング・ピース≫というシリーズの作品を造っている。例えば、メタル製の椅子や寝椅子に織物やカーペットを敷いてその上に体をねじ曲げて据わる観客の様子を写真とビデオに収めるなど、直接身体に影響を及ぼすものをテーマにしている。今回はパシフィコの広場にリング状の彫刻を設置する。
最後にイタリア出身の芸術界の問題児マウリツィオ・カテラン。でっかいピカソの頭の彫刻をかぶってMoMAの前でおどけたと思えば(中は売れない役者)、新聞をくわえた骨だけの子犬の彫刻を造って。その作品の緻密さで驚嘆させる。今回は高さ30cmぐらいミニエレベーターを設置する。
6)科学&自然と共に、未来をめざしたいー自分の脳を石膏模型にしたり、昆虫人間になってみたり、芸術の世界は科学&自然の最先端。
:人類は相当遠くまで来てしまった。クローン人間が可能な21世紀、存在証明とは、生きるとは何か?地球環境のヤバさを実感させられた今夏の猛暑。ケータイやインターネットなどの情報技術の発達は、常に豊じょうと欠落の危うい両義性を持つ。あらゆる局面において、20世紀的な一分野の専門性では判断しえない。ルネサンス期の”なさ”ゆえの、ある意味優雅な時代の科学と芸術の融合ではない。かつてなく科学と芸術は不可分には考えない事態から、未来への提案が希求されている。
人間以外の別の生命体に目を向ける事は一つの手だが、今回は3作家が≪昆虫的視点≫に立つ。椿昇+室井尚の巨大バッタ。パフォーマンスと展示の≪バグ(虫)≫シリーズを展開中のカナダの芸術家ジョエル・シオナは、和紙を虫のように唾液で柔らかくし、自らのマユをつくる。体液で加工した素材で家を造るという、現在の人間にはなしえない、神体と環境との循環的な関わりを持つ昆虫の生態や生き方。また、身体の限界を挑むパフォーマンスで有名なオーストリアの作家ステラークは、90年代から≪ロボティクス≫に傾倒。筋肉の神経パルスを拾い、ものを動かすなど、身体機能の外側への拡大の可能性を探っている。今回は、昆虫を想起させる6本歩行のロボットと、それを装着したパフォーマンス・ビデオを公開する。
身体機能をつかさどる脳。生物学や遺伝子工学など、分野を超えて活躍中の芸術家・沖哲介は、自らの脳を医療器具でスキャンした模型を約400個並べる展示。エドワルド・カックは、日本とシカゴに同じバクテリアを設置し、インターネットを介して互いの変化や成長を映像とデータで見せる。以前には、蛍光タンパクをウサギの遺伝子に組み込み、一定の波長の光の下で緑色に発行する、全くの新種のウサギを造り出して物議をかもした。しかもそのウサギを飼っていもいる。遺伝子工学の問題について社会に論議を喚起させ、新しい創造物を社会がどう受け入れるかも狙いの内。
【歴史さえも変える?!科学と芸術の無境界化】
NASAと組んで実験的な活動も行っているスウェーデンのピガート&ベルストロム。環境をテーマに、巨大な半球の内側から、映像を回転させながら投影する。風景をジオラマ状の展示に展開するマリール・ノイデッカー。今回は、水銀灯の下で、巨大な水槽の中に白い山脈を浮かべる幻想的な作品だ。19世紀ドイツの画家フリードリッヒの影響と、竜安寺の石庭に自分の作品との符合を見た彼女の、自然観や宇宙観。幾可学的なパターンによって構成された山脈や氷山の模型に、CGによって四季の変化を模擬した映像を投影するフロリアン・クラールも、≪人工自然≫と≪時間≫を扱う。藤幡正樹の作品では、観客は3Dメガネを装着し、風景に取り囲まれていく。
人間の存在を超越した風景と、人を≪場≫の一部としてふかんする風景。よりよく生きるための欲望を持つ化学+芸術。新しい光景のイメージ力が歴史を更新しうるはず。
■黄金町バザール
≪地域と芸術が共存する黄金町バザール。”芸術”と”町造り”の視点から黄金町の町を再考し、多様な文化や共同体と出会い、黄金町ならではの芸術を体感しよう≫
◎日本/アジアの14組芸術家が参加。
1)ジョセフ・カブリエル(フィリピン): 展示空間全体を庭に見立てて構成し、有機的にその姿を変える共同体の在り方を重ねる。
2)進藤冬華:作家の出身地である北海道で見つけた工芸や石。北海道の歴史や背景を含んだいくつかの要素に黄金町での体験を加え、再編集する事で、北海道と黄金町の関係性を作り出す。
3)さかもとゆり:私達の時間を支配する時計。その中から生まれた物語を、セラミックの展示で展開する。
4)アーノント・ノンヤオ(タオ):自転車に、独自に制作したビデオ&音響装置を搭載し、街中で演奏。その記録展示と同時に町の中で見つけたもの/音/環境を利用した音楽装置を発表した。
5)ナターシャ・ガブリエラ・トンティ(インドネシア):自国のインドネシアと日本が抱える社会的また個人的な‘恐れ”についての調査をもとに、仮想のショップ「リトルショップ・オブ・ホラーズ」を開店、怖いものを楽しいものへと展開する事を試みる。
6)メリノ(日本):実地調査を通して手に入れた木の実や種に、架空の話を織り交ぜながら物語を作り上げる。今回は、卵黄テンペラで描かれる仮想の村や人々の絵画シリーズと実際の素材でによる村の資料室を公開する。
7)キム・ウジン(韓国):現代社会では、情報媒体の発達により簡単に情報を手に入れる事ができるようになった。しかし、私にとって、自由に思考し情報を選ぶ事は本当に可能なのだろうか、日本のラジオ体操と韓国の国民体操をめぐる社会的システムの支配的考え方について問いかける。
8)岩竹理恵:写真や図鑑/古切手/絵葉書などを使った切り貼り作品。町を一つの生き物に見立てたり、人体 を一つの町を見立てる事によって、微笑と巨大を行き来する。
9)小鷹拓郎:戦後から1995年頃まで、横浜の路上で度々目撃されていた白塗りの女性。今回は、彼女の千年後の姿を想像した映像作品と合わせて、様々な形で伝えられる彼女の姿を追う表現者達の展示を行う。
10)グエン・ホン・ゴック(ベトナム):「あなたにとっての光とは」この問いを手掛かりに、人間の根本的な存在意義と、黄金町のまちの歴史や現在への接触を試みる光の展示作品。
11)浦川大志:私達は「存在」を、いかに認識する事ができるのか。「存在」を定義するものが何であるかを巡る問いかけを幾何学的な形でキャンパス上に表現し、場所の特徴を生かしながら構成した作品を発表。
◎横浜市/中国/成都市芸術家滞在交流事業
≪横浜市の公益財団法人横浜市芸術文化振興財団と中国のA4現代芸術センターと認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターによる、文化芸術活動交流事業です。「黄金町バザール2015」では、横浜市と成都市の双方の都市に派遣された芸術家の滞在制作による作品を発表します。
12) 吉本直記:中国・四川省成都市の街を舞台に、街の記憶を巡る架空の芸術家の制作現場を描いた映画。
13)ザン・ジン(中国):SNSの使用が当たり前になっているが、むしろ人が人に直接経験を伝える事の影響力は計り知れない。黄金町での出会い、人のつながりをデジタル解析し、黄金町の歴史、今起こっている事を表現する。
◎特別プログラム「宮前正樹とワークショップ展」
≪1980~90年代に活躍し、43歳の若さで亡くなった宮前正樹の先駆的な取り組みであったワークショップに焦点を当てたプログラム。生前の宮前と交流のあった芸術や美術関係者を招き、宮前のワークショップを独自の視点と解釈で「再」制作します≫
◎まちプロジェクト
≪「まちにくわえる」「まちをよむ」「まちをひらく」の3つのキーワードに、建物の改装空間の公開や、まちを調査するため会議の開催/芸術家と地域商店との共同企画を実施します。これらを通じて、黄金町の歴史や魅力を再発見すると共に、、まちの未来について考えます。
「まちにくわえる」
≪芸術家によって創り出される空間作品を活用してまちに必要とされる機能を加えていくプログラムです。今回は「滞在空間」「図書館」「情報」という3つの機能を設定すると共に、その空間デザインを公募し、黄金町バザール2015の作品として展示します≫
15)KSA:(図書館)”秩序と混沌の間”の状態を構築する事を観念とした。秩序の起点となるBook Cubeが積層した空間は、本と人との関係を緩やかにつなげ、混沌としたこのまちに溶け込む図書館となる。
16)國武美久:(情報)黒板・電柱の2つのアイテムを用いて、人々が自由に情報を交換できる場をつくる。
ー黄金町に住む芸術家は自らの作品や活動の宣伝を。
ー主婦達は、ランチパーティーのメニューのお知らせを。
ー地元の小学生は黒板の壁で秘密の会話を。
様々な人が、様々な情報をやり取りする事でこの場所が豊かになる。
17)川嶋勘助:極めて小さな空間の中に、以前の改修で設けられた特徴的な吹き抜けを生かし、通りに対して「ニワ」のあるアトリエをつくる。外部でも内部でもある「ニワ」の中に、芸術家のための小屋が建っている。
18)アイホリィアーキテクチュア:幅1間、3階建の長屋という特徴的な割合を生かした、極端に細高いスタジオである。まちの中に作品が異様な規模で立ち上がってしまう場所を作る事で、製作行為が否応なく町と関わり合う環境を提案した。
19)中村建築:扉を開けて部屋に入るとそこは大きな「パスタブ」となっている。ここでは全部を水で洗い流す事ができ、塗料や染色などの液体を使用した創作活動や表現が可能である。壁も床も体もびしょぬれになって水遊びしてみませんか?
20)ヴェレナ・イセル(ドイツ):壁画/照明/抽象的な彫刻や切り貼りなどを互いに関係付けながら配置。それらは何を意味するのか。その答えは、小さな扉の先にある「本作りのプロセス」の中に見る事ができる。
21)ヤマグチオサム:ワークショップで子供達が選んだ「夏色」を基に、四季の移り変わりを色彩で表現した、グリッドデザインによる壁画。
壁画計画は、「初黄・日ノ出町地域における落書き防止事業」によって落書きを消去した建物に作品を設置するものです。
■あざみ野ー
≪もう一つの選択≫
4)和田昌宏:多摩美大中退後、ロンドン大ゴールドスミスカレッジ美術コース卒業。ブリコラージュ的手法を使いつつ、日々の小さな「事件」を断片の映像として蓄積します。こうした掘り起こされた身分の事柄に、虚構としての画像も織り込みつつ、映像作品(あるいは映像展示)によって一見つながりのない事象の間に、人間の根源的な問いかけを見出してきました。
Q作品には効果的に物語の要素が取り込まれていますが、物語の面白さは何だと思いますか?
A映画/小説/絵本/童話と色々な物語があって、本と映画では同じ物語でもレベルが違うとは思いますが、物語を読んだ人は、自分の中でイメージを造りあげているのではないでしょうか。基本的な物語の流れはありつつも、頭の中で造りあげる個々のイメージは大きく異なっている、そこに物語の持つ可能性や面白さがあると思います。
見る人によって様々な解釈が生まれる、一連の流れの中で関係がありそうで、なさそうな。起承転結や物語が終わる感覚がなく、続いていくような雰囲気の方が物語としての魅力を感じます。
5)リンゾンチュワン:中国・山東省リンギ市生まれ、中国美術学院卒業。出品作≪煙草と祖母≫は、卒業制作でもあり、自身の故郷でもある山東省リンギ市に住む祖母の生活を記録映画として撮影したものです。過酷な生活を強いられる祖母の日常生活を通して、格差社会の歪みを目の当たりをしながらもただその光景を受け入れるしかない無力感が伝わる一方、家族という当事者としての立場を通して現実性ある視線が貫かれた作品となっています。
Qこの作品を制作した動機について教えて下さい
A私は、祖父母(母方)の煙草の匂いにつつまれながら育ちました。記憶の中では、祖父母は山で働き、山から下りる事は滅多にありませんでした。祖父が亡くなった後、祖母の仕事が一気に増えました。けなげな祖母とその煙草の吸う姿に強く引き付けられ、作品を通じて、祖母の心に近づこうと思うと同時に、自分が感じた事を表現したいと思いました。
Qこの作品を通じて最も訴えたかった点は何ですか?
A祖母の生活は偶発的なものではなく、中国の農村部には祖母のような貧しい人が沢山います。祖母一人ではなく、このような人々の事を表現したいです。撮影する前に、私は叔父と叔母をよくない人と位置づけましたが、撮影する内に、彼らはワザと祖母にそのような生活をさせたのではない事に 気づきました。苦しくも貧しい現実に直面する彼らも全力を尽くすしかありません。ただし、子のために無私に働く親がいれば、利己的な子もいます。
Q作品制作において困難だった点は何ですか?
A最も困難だった事は、家族の問題を取り扱っている点だと思います。叔父/叔母/彼らの子供のせいで、祖母が苦しんでいると表現していますから。叔父/叔母を撮影した時、具体的に何を取るのか、どのように編集するのかは何も教えませんでした。殆どは彼らのありのままの生活。
Q今後、どのような作品を制作しようと考えていますか?
A自由な映像作家になりたいです。次の作品も農村をテーマにした記録映画を製作すると思います 。
6)ワンピン:中国美術学院クロスメディア専攻卒業。在学中は手描きのアニメーションや短編を制作してきました。卒業制作でもある出品作は、ワンが両親を連れて旅に出た様子を撮った旅もののような映像となっています。本来であれば楽しい筈のこの旅は、両親の慣れない場所への戸惑いや欲求不満が垣間見れるだけでなく、高齢の両親へのワンの心理的葛藤が幾つかの層となって現れます。
Qこの作品を通じて最も訴えたかった点は何ですか?
Aこの作品は私にとって初めての記録映画で、高等な技術など何も分からず、ただやりたい一心で造りました。後になって、なぜこの作品を造るのかと自問した事もありますが、出来上がったものを人に見せるという行為は、他人のため/社会のためというより、理由の分からない自己暴露という欲望ではないかと思います。複雑な家族の絆や生死別離をめぐる事で、個々人の時間や宿命に対する無力感を思索します。
Q作品制作において困難だった点は何ですか?
Aお金が足りない事や、旅の疲れ/撮影でぶつかった予想外の出来事ではなく、最も苦しかったのは自分の心の葛藤でした。まず、撮影は両親にとって大変な事だと予想できました。しかも、これは両親を利用しての作品造り/自己反省と自己弁解を繰り返しながら、撮影を完成させたのです。次に、「作品造り」という客観的な視点をもって、「心境が最も複雑な当事者」という主観的感情をいかに克服するかは自分にとって苦しかったです。
Q今後、どのような作品を制作しようと考えていますか?
A策分や題材は限定したいと思っています。また、それぞれの作品は人生の異なる段階における考え方と生活状態の反映だと思います。作品にせよ、自分により多くの自由と可能性を与えたい。今後全ての作品は、きっと自分の生な人生体験から生まれるものに違いありません。ずっと素直で自由な心を保っていたいです。
■あざみ野ー
≪もう一つの選択≫
2)斉藤玲児:武蔵野美大造型学部油絵学科卒。普段、日常生活の中の見逃しがちな風景を丹念にすくい上げながら写真・映像撮影を継続してきました。出品作は、それらを編集し映像作品として再構成したものです。ここでは、個人的な記憶に過ぎなかった個々の画像が、そこに他者と共有すべき記憶として浮上します。
Qアナログとデジタルの表現上の違いは意識しますか?
Aデジタルは現実物として触れる事ができず、量がいくらあっても重さがない。この軽さが自分にとって非常に大切です。また、身体的な感覚として、フィルムが重すぎるという事もあります。フィルムの映像がはらんでいる重さ自体、それはそれで素晴らしいと思うのですが、それよりは、重さも厚みも全くない四角い点でできている、ただの情報でしかないデジタルがよりしっくりきている、そういった自然さの中で制作しています。フィルムが持つような、既に確かな豊かさに向かうのではなく、自分がそれの地点で持っている貧しさをどうにか引き受けて進む事が、とても大事な事だと思っています。
Q作品には独自の構成がありますが、表層的なものを見せつつ、何か背後にある構造を持たせたりする事はありますか?
A現実のものを見つけている時も、映像になったものを見ている時も、余りその裏側については意識しないようにしています。それは、なぜ映像を記録するかという事に関わると思いますが、ものが失ってしまったり、人や場所が変わっていく事自体、自分にとって非常に大事な事であって、その瞬間瞬間に過ぎていくもの、つかまえられるものは、表面でしかないと思っています。あくまでそれをなぞって記録していく。それを記録した映像も、結局表面しか映っていないという諦めみたいなものは常にあります。
Q映像表現の可能性について、どのように考えています?
Aまだ分からないです。同じ作品を7~8年造っていますが、まだ多くの可能性があると思っていますし、これまでは自分の前にある現実と作品をある程度切り離して造っていたのですが、特に今回では映された対象と自分がどのように関わっていくのか、という事をようやく考え始めた所なので、これからゆっくり時間をかけて変わっていくのだろうと思っています。
3)友政麻里子:芸大美術学部絵画科専攻卒業後、同大学院美術博士課程修了。映像媒体を中心に、交流において生じる、小さなズレや亀裂に注目し、本来あるべき対話の姿を浮き彫りにします。本展では、自身の監督した自作映画作品とその制作過程を映像化した作品を通じて、映画とは、あるいは自主映画とは何か、を問いかけます。
Q国内外でも様々な計画を手掛けていますが、こうした実践の中で、具体的な苦労点や自分が想像していなかったような成果はありませんか?
A15年程、≪お父さんと食事≫という作品を撮っていますが、この作品は簡単に説明すると、初対面のお父さんと親子のフリをして、親子になるために努力をするという約束をして、一緒にご飯を食べる作品です。これを台湾や西アフリカ・ブルキナファソで行いましたが、言葉が分からない場所で、言葉以外の方向や、違う方向を模索する経験をします。一緒にいてどう思っているのかを伝えていかなければ、交流ができないのです。そこでは普段気にも留めていなかった身振り手振り、声の調子などがぐっと前に出てきます。それは、とても動物的というか、何か新しいやり方だと感じながらやっていました。言葉が使える時には隠れていた、ただ目を合わせる、頷く、ちょっと触れる、相手に何かを勧めるという単純なやり取りによって、共通のものはないかと探しているような感じです。全く知らない土地で行った計画だからこそ、出てきたものではないでしょうか。
Q映像を表現の手段にされていますが、その魅力や特性についてどのようにお考えですか?
A今年に入って自主映画を題材にした共同の計画を行っています。そこで考えているのは、映像には映るものしか映らないー気持ちとか風とか、目に映らないという事です。映像は目に見えるものしか映らない、とても面白い情報媒体だと思います。制作の過程で、各自が一つのテーマに基づいて素材を持ち寄るのですが、それらは映像に映るものになります。なぜそれを選んだのか、という事が後ろについてくるというか、見えるものをやり取りしているのに、見えないものが透けてくるというか。目に見えるものしか映さないからこそできる事だと思っています。
Q制作において重要視している事は何ですか?
A作品の中に、誰もが形態を変える事ができるような場所や時間、そういったものがあるかどうか、もしくはそういうものが生まれたかどうか、という事はとても気にしています。「誰のものでもない」という交流の場所を模索しているのです。
そして、交流が達成された後の平和や幸せを目指す訳ではなく、なんだか良く分からないけれど、交流をとろうとする、あるいは交流をとる事をあきらめない、たとえ相手がいなくても。そういう部分が人間的で面白いと思っているので、それを映したい、そうした部分が出てくるような場所を用意したいと思っています。
Q今後の制作についての構想をお聞かせ下さい
A先程の「見えるものしか映らない」という映像の話が今とても気になっています。映像がドンドン前に出て、それを造っている人や、そこに映されたり関わったりしている人、それらの人達の姿が限りなく透明にならないか、そうなったら面白いなと思っています。見えるものしか映さないという映像というものを、利用し、考えるような作品を造りたいと思っています。
10月末、午前は横浜市民ギャラリーあざみ野/午後は黄金町と、横浜横断の遠足となりました。
■あざみ野ー
≪もう一つの選択≫
◎ごあいさつ
:美術(ファイン・アート)にとらわれず、様々な分野の芸術家の表現活動に注目し、現在進行形の芸術を紹介するシリーズ展≪あざみ野コンテンポラリー≫。その第6回目として、国際的に活躍する日本と中国の芸術家6名による展覧会を開催します。
現代の社会は、もう一つの選択をするのが困難な時代と言われています。あるいは、もう一つの選択の可能性を見出す事自体が困難を極めています、多くの国が資本主義の枠組みの中で経済活動を行い、新たな自由主義経済が極端な貧富の差を生んでいる事は良く知られています。望ましい社会が形成されている訳ではないにも関わらず、これに代わる社会の枠組みについて有効な手段を持てないのが実情です。まさに、もう一つの選択を見出す事が出来ないのです。こうした社会の中で、表現活動もまた、社会構造の変化と無縁ではありません。人々が、表現の持つ現実性や、アクチュアリティに共感するのは、こうした閉塞感の強い社会の中で、そこに残されたもう一つの選択の可能性を芸術の表現の中に見出すからに他なりません。本展では、一見行き場のない社会の有様に、声高ではないものの、しかし比較的立場を貫きつつ、様々な通じて私達に”もう一つの選択”の可能性を示しています。
1)青山悟:ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ/シカゴ美術館付属美術大学大学院でテキスタイルを学びました。一貫して、刺しゅうという技法を使いながら、手工から工業化されていったこの技法と近代社会との関係性によって浮上する≪新たに獲得されるもの≫と≪失われるもの≫について、様々な側面から作品化を行っています。
Q刺しゅうに興味を持ったのは、テキスタイル科に入った事がきっかけですか?
Aゴールドスミスのテキスタイル科は、男女同権運動などと連動し、女性の社会の中での立場を考えていく、その一環として刺しゅうを使い始めたコースでした。入学すると、あらゆるテキスタイルにまつわる技術を学びます。機織り/編み物/シルクスクリーン・プリント/手刺しゅう/ミシン/フェルト作り、の他にも手でやるつづれ織りとか。全部やってみましたが、その中でもシルクスクリーンとミシン刺しゅうを選びました。
Q大学でミシン刺しゅうを選んだ理由を教えて下さい
A当初≪テキスタイルで芸術≫と言われてもよくわからず、1年目は十分に理解していない状態で留年してしまいました。2年目に、芸術家で誰が好きだったか、という事に立ち返りアンディー・ウォーホルについてもう一度勉強し直し、自分の作品の間に一つ機械という要素を入れてみたい、そう思いました。当然ウォーホルはシルクスクリーンをやっていたので、シルクスクリーンもやってみたい、後もう一つ、機械という事ならミシンもいいかもしれないと思って始めました。同じ産業機械を作品に導入できたらと思ったのです。
Q現在取り組んでいる刺しゅうの表現としての可能性はどこにあると思いますか?
Aミシンには特有の言語や、使っていると自然に発生してしまう意味があると思います。例えば、ミシンは大量生産の道具なので、ミシンの普及が進めば進み程、雇用がなくなっていくといった労働の問題もありますし。よく参照しているウィリアム・モリスなどはミシンに対して必ずしも肯定的だった訳ではないと思います。けれど、今ではそうした意味も変わり、特に僕が使っているミシンは凄く古いもので、どちらというと古い労働の在り方だと思います。だからこそ、現代の労働の在り方や、機械や科学技術の発達などに普及できるのではないかと思っています。
Q作品の制作において最も大切にしている事は何ですか?
A僕の作品には、始まりがあって、絶対に終わりがあります。ここまでできたら完成、というのがある意味見えている作品なので、どんなに短い時間でもいいから、時間を見つけてやり続ける。それだけでしかない。また、僕の場合は、作品として残っているものが全部”成功の手数”だと思っています。成功しているものだけが、蓄積されている。つもり、画面上でこねくりまわすようなつくり方ではなく、完全にプランでやっている作品なので、始まった時にはもう終わりが大体見えているのです。だから、終わらせるためには、ひたすら積み重ねていくしかないという事なのです。
Q今後の制作の方向性について教えて下さい
Aいくつか同時進行で実験している所です。≪Map of The World≫は継続して取り組んでいて、5色目の作品になります。このシリーズは、1点の完成までに5ヵ月位かかりますが、続ける事によって、国境の変化も反映できますし、意味が強くなっていく作品だと思っています。ピクトリア時代の古い印刷物に直接刺しゅうをするシリーズも始めました。興味を持っている事は、古いし資料を参照しながら、それを現代に置き換える事です。その内、日本の浮世絵もやってみたいです。それから、楽譜の作品もつくっています。普段は一人で制作しているので、現代音楽家など色々な他分野の人達と合作するような計画も、また進めていこうかと思っています。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
4)建築でも芸術でも、≪空間造り≫にはこだわりたい―芸術が外に飛び出せば、そこにはでっかい世界が広がっている。建築や室内装飾の世界と共有する芸術は、どんな空間を造り出しているだろう?
:建築には窓があり、美術には窓がないというのは、フランク・ゲーリーの名言だが、最近はどうやらそうでもない。彼の作品だって、窓のある巨大な彫刻(美術館)と化している。一方、美術も内部空間を持ち始めた。
芸術に越境する若手建築家は少なくない。ディラー+スコフィディオは、建築よりも映像の展示で知られている。建築事務所カサグランデ/リンターラの≪ランド(エ)スケープ≫は、廃棄された納屋に4本の足をつけ、祝祭の最中に炎上させるというもの。FATは、ロンドン各地のバス停の報告板で芸術家の作品を展示したり、電柱にスイッチ、噴水に蛇口をつける。阿部仁史の≪サクリファイス≫も芸術色が強い。一方、荒川修作や中村政人は芸術から建築へ接近した。川俣正/ジェームス・タレル/ジョルジュ・ルースは建築界でも人気が高い。アーキグラムも試みたが、ルーシー・オルタは衣装と建築の中間物を目指す。既存の空間を流用したり、家具的な物体を制作する作家は多い。空家を改装し独自の家具を設置したマリーナ・アブラモヴィッチの≪夢の家≫は、その代表例だ。
最近の展覧会にも≪交差路≫の傾向が認められる。
【内と外 建築と芸術の交通】
建築家ヨナ・フリードマン、もはや歴史的な存在なので、彼の名の入ったリストには驚いた。実際、1923年生まれで最高齢の参加者である。57年に彼は動く建築の研究集団GEAMを結成し、若き日の黒川紀章に大きな影響を与えた。≪空中都市計画≫は、住民参加で造る柔軟なユニットから構成されるが、その案は60年代の物質交換にも受け継がれている。半世紀前から探究した可動建築は情報化社会において新しい意味を持つだろう。今回は段ボールを用いた展示を制作し、自作肉筆画その壁画を飾る予定。
ギャラリーは空間を構成する型の出席者は要チェックである。ジェイソン・ローズは、車庫のような騒然とした個人空間を持ち込む事で有名。アレクサンドラ・ラナーは実物大の8割に縮小した室内とその鏡像関係にある虚構の空間を実際に造り、観客を覗き見させる。リアム・ギリックは、アルミニウムとカラフルな柔軟グラスを用いたパネルや、家具に使える際小量な物質の展示を行ない、場所の意味を問う作家。カールステン・フラーの近作は、機能の壊れた建築的装置により人々を困惑させる。ビガート&ベルグストロムはドームを造り、科学技術を利用して人工環境を生む。
次に、内部と外部の関係をねじ曲げる。美術ならではの試みも押さえておきたい。バク・イソは壁をくり抜いて倒し、 そこに複数のカメラを通して、太陽の動きを天井から投影する。ユラリア・ヴァルドセラは床と壁を入れ替え、壁を洗面台やトイレ、床に鏡を置く。その室内に映写機からの映像や鏡の反射が散らばり、観客はヘッドフォンで異なる空間の会話を聴く。彼らは情報媒体を利用して、空間を脱臼させる。そして邢丹文は、NYの映像と中国の都市の音を展示室に流し、記憶の風景を再構成する。
なお、都市観察系としては、社会批判的なカルロス・ガライコアやフロリアン・ブムフースルの他、無機能建築のトマソンを発見する 赤瀬川源平らの展示も楽し無である。実は≪メイド・イン・トーキョー≫など、建築界の都市観察も彼らの手法に近づいているからだ。
■タイプ別スーパー鑑賞ガイド
3)芸術で伝達したい―1990年代以降現在まで、伝達手段の回路を開放して、人々との交信を求める芸術が急増している。もちろんヨコトリでもそんな作品が沢山、あなたを待っている。
:展覧会という体裁にのっとりながらも、祝祭色が濃い大規模国際展を楽しむ方法の一つは、屋外も含め市内各地に点在する作品を探索し、能動的にそれらに参加する事にある。その意味では、国際的潮流にたがわず、観客が作品や制作過程の一部に関与するモノや社会と芸術との関係性を再考させるものが多い今回のヨコトリは、
絶好の機会といえる。作品は多様だが、芸術を社会から孤立・遊離した特殊なものとせず、改め要素との関係性や現代美術の役割や位置づけを実感したいという芸術家の要求は共通しているようだ。とりあえずは眼前に出現した作品に先入観を持たず、積極的な関係作りを試みる事が理解の糸口という所だ。
例えば、美しく輝くシルヴァーのキャンディが床に敷きつめられていたとする。「これは芸術?」と考える前に、一粒口に入れてみよう。展覧会にキャンディやポスターを大量に持ち込み、それらを観客に持ち帰ってもらう事で、作品とのより親密な関係を生み出したフェリックス・ゴンザレス=トレス。彼は若くして世を去ったが、キャンディ・シカルプチュアとの再会にはいつも心躍る。言葉の芸術家イチハラヒロコは、桜木町駅からパシフィコに向かう動く歩道沿いに≪恋する芸術≫と書かれた垂れ幕を展示。帰り道では裏面の≪これ以上何を望む≫を見せる。ユーモラスな中に切ない女心を込めた白地に黒の太いゴシック文字は、鮮やかな色彩やイメージが氾濫する街中で、それが芸術か否かをあいまいにしたまま、無意識の内に記憶に残るだろう。今回イチハラの言葉は、FM横浜の電波に乗って市内各地に配置したラジオからも流れ出す。聴覚のアンテナも立てておきたい。
一方、小沢剛の≪トンチキハウス≫では、作品の変化を≪トンチキ新聞≫とHPを通じて、地域と世界の双方へ発信。≪相談芸術≫など、第三者との交流を通した芸術の先駆者の一人とも言える小沢は、神奈川県民ホールギャラリー内に設けた畳100畳の空間を、期間限定の≪海の家≫的くつろぎの場に転換し、小沢流のユーモアと郷愁で味付した。多芸多才なゲストによる連日の舞台演技/研修会/雑談会会場から単なる休憩所まで、完成形と正確のない≪家(ハウス)≫で、小沢芸術が堪能できた。休憩所といえば、アリシア・フラミスがパシフィコ内に作った子供の遊び場もカフェに隣近し、その空間を、さながら託児所ならぬ托≪大人≫所として機能させている。映画館と病院/地下鉄と墓地など、都市に存在する異なる要素を再構成した≪再構成建築物≫シリーズ同様、大人と子どもの立場を逆転させる今回のフラミス作品には、様々な領域感覚が切り混ぜさせられる。
あるいはまた、フィンランドの建築家ユニット:カサグランデ/リンターラは、社会・環境問題を建築的アプローチで提示する。今回は、木製の小屋に設置した72個の巣箱を毎日正午に一つずつ開けて、そこから鳥と種入りの風船を飛ばすという計画。10kmほど飛んで風船が自動的に破裂した後、桜のためと説明書を受け取った人が、その情報をターミナルセンターに送るという仕組み。作品の一部が社会に浸透していく点では、ゴンザレス=トレスのキャンディにも通じるが、作品が拡散される後の動向も調査され、情報が整理される事では、社会調査的な要素もある。
その他、富田俊明は、地元神奈川県相模原の住人聞いた≪くぼ地≫の由来のイメージした水彩画を出品。近隣の子どもたちにその絵を見せながら自分の聞き集めた語りの数々を話して聞いてもらった様々な絵も一緒に展示する。聴覚障害のある芸術家ジョセフ・グリグリーは、彼自身が出会った人々の名前が書かれたテキストを交流の記録として展示、韓国出身のハム・キュンは、日本/中国/マレーシアなどアジアの都市を旅して≪黄色いものを身につけた人たち≫を追跡・撮影した映像を見せる。これらの作品もまた、各芸術家と社会との関係性を展示するものといえるだろう。