Pastor Johnが安曇野と伊那高原の風に吹かれて

ゆっくり 流れる時間を大切にした日々を記したい。
アルプスの少女ハイジと同じ標高八百五十メートルの高原から…。

少年寅次郎

2019年10月21日 | Weblog

                                        

映画「寅さん」シリーズのほとんどをわたしはDVDで観ている。わたしが神学生の時に、説教学を学んだ関田寛雄先生もこの「寅さん」映画が好きで、「寅さんとキリスト教」と題して講演会をしているくらいだ。

その資料によると寅さんこと渥美清さんは若いころに肺を病み片側の肺を失い、さらに晩年は肺がんとなり、寅さんシリーズの最終作の頃は声もあまり出ない状態になり、入院した。そして死期の近い事を知った渥美さんは、カトリックの信者であった奥さんと、同じ方に手を合わせたいと、病床洗礼を受けている。

またこの寅さんシリーズの監督である山田さんも、キリスト教と無縁ではない。山田監督の母親は山田家の遠い親戚でもあった日本基督教会の牧師小川武満(医師でもあった)と親しい友達でもあり、ちゃんづけで呼び合う中であった。洗礼を受けることはなかったが、その教会へ彼女は長いこと通っていた。だから山田監督は母親が死んだ時、キリスト教で葬式を行っている。

そういえば、寅さんシリーズの中で、カトリック教会や神父さんらしき人もちらりと顔を出す場面もありました。

今月19日(土)に寅さんの出生とわんぱくな少年時代を描く「少年寅次郎」第一回がnhk総合でスタートした。これも感動しました。次回も楽しみです。

冬が来る前に「フレデリック」絵本を読みましょう

2019年10月16日 | Weblog
             
台風19号が日本各地に川の氾濫などで大きな被害をもたらして去って行った。安曇野の田園に秋の空気が一気に流れ込み、秋の深まりの季節へと入った。北風は冷たさを運び、わたしはジャンバーを着て犬たちとの夕暮れ散歩である。

この季節の道沿いの土手では、春や夏の大きな野の草花は姿を消した。しかし、小さな秋の草花が夕陽に鮮やかである。白、黄色、紫や青など、近づいて腰を屈めてじっくり観察すると、春や夏には気づかなかった秋の可憐な、ひかえめな美しい草花の姿に感動する。

少し離れた小高い土手に西日に透けたススキの穂が幻想的に美しい。赤く色づいて来た柿木の葉、そして、土手には丈の低い芝草が夕陽の中で燃えるように並んでいる。小さな草花の近くには、やはり小さな蝶や蜂などの姿もある。自然の草花は、季節をづらして、小さな蝶や蜂のいのちと交流し、支え合っているのだと感動する。

トンボは少なくなってきたが、西日にその繊細な羽の網模様をキラキラ光らせて低く飛んでいた。

5月28日に、このブログで「フレデリック」の絵本を紹介した。ネズミのフレデリックと仲間たちは、やがてやって来る厳しい冬に備えて、木の実などを巣に運ぶのに忙しくなるのが、秋である。

しかし、フレデリックだけは、一人高台に座ったり、野に座ったりで、仲間と一緒に食料の備蓄に汗をながしたりしない。フレデリックは、温かな太陽の光や、野の草花の色や香り、そして、小鳥のさえずりの声など、やがて冬の中で姿を消してしまうものを、一つ一つ大切に心に蓄えているのだった。

そんなフレデリックのように、この日の夕暮れ散歩で、わたしは、一つ一つの自然の姿を心に刻む思いで、ゆっくりと歩いた。

この「フレデリック」の絵本を買った時、その背表紙の隅に、切手大の応募券があり、ハガキにそれを貼ってプレゼントキャンペーン係に出した。フレデリック弁当箱が当たるかもしれないのだ。抽選があり、7月末が締め切りだった。

そして八月も過ぎ、九月に入り、応募したことも忘れかけたこの10月に、ポストに小さな小包があった。送り主は「好学社」とあった。もしかして弁当箱が!と思って手で封筒を押してみると、ふわふわしている。

そう、どうやら「フレデリックのぬいぐるみ」の方で、当選にしてくれたようだ。やー、とてもいいではないか。わたしはうれしくなり、それを教会事務所の壁に小さな棚を作り、乗せている。礼拝で、もう一度「フレデリック」の絵本を読み、そして人形も見せた。みんな「よかったねー」と言ってくれた。

みなさんもぜひ、この絵本「フレデリック」を一読ください。冬が来る前に…。

        
                      

絵本「げんきくん たべちゃうの?」

2019年10月09日 | Weblog
                                    

この絵本はまだ内容紹介しか読んでいない。手元に届くのが今月末頃になるようだ。
この絵本の著者西出弥加さんが、アスペルガー症候群の発達障害を持つ人であることを知ったのがきっかけで出会った絵本である。彼女は子どもの頃「ロボット」とのあだなをつけられていたらしい。何となく彼女の性格が、このあだ名から理解できる気がする。幼稚園の頃から自殺願望もあったという。事実彼女はリストカットや自殺未遂経験を持つようになる。
明治学院大の社会福祉科を卒業。しかし朝起きることが出来ず、起きても午前中はいつ眠くなるか不安を抱えていた、いくつかの職場に就職したがいずれも長続きせず、現在は自宅で出来るイラストライター、デサイナーや絵本作家として活躍してる。
夫の光さんとの出会いや結婚に至る経過は特異である。彼も発達障害(注意欠陥、多動)を持っている。詳細は記しませんが、二人はパートナーとなり二人で支え合いながら生活している。一番ぼくが教えられたのは
【障害は、人と環境の間に生じるもの。受け入れる環境があればなくなります】の言葉だった。
二人には失礼になるかもしれないが、これは犬や猫、人間と動物たちとの関係にも当てはまる真理だと思う。自分を基準に、合わせようとするのではなく、お互いを理解し、違いを認め合う中で、心を通わせる環境をつくりだすことなのだと思える。
お互いの個性が、相手に対する思いやりの心を持つことでプラスに転じるようにぼくは思う。我慢は長続きしない、お互いの欠点は、お互いにカバーし合う思いやりの心があってこそ、長続きするように思う。こうした優しさは愛に通じるのだなと思う。

ともだちをたすけたゾウたち

2019年10月06日 | Weblog
                                       
今日の日曜礼拝の「こどもtime」で、この絵本を見せながら解説した絵本です。多摩動物公園に住む象のアヌーラが病気になりました。横になることもできず、どんどん弱っていきます。そのとき、仲間の2頭の象が…。実際にあった、心あたたまるお話であり大人も子どもも感動する。

この礼拝を終えた夕方のニュースで、タイ北東部のカオヤイ国立公園(Khao Yai National Park)で、野生のゾウ6頭が滝に落ちて水死した。付近の岩場では、滝に落ちた仲間を助けようとして身動き取れなくなっていた2頭が救助された。と報じられていた。

さっそくネットで調べると以下の記事があった。

【タイ国立公園・野生動物・植物保全局(DNP)によると、5日午前3時(日本時間同5時)、ゾウが助けを求めて「泣き叫んでいる」との通報が公園当局に寄せられた。

数時間後、「地獄の淵(Haew Narok)」と呼ばれる滝の底で、ゾウ6頭の死骸が見つかった。

 滝の上の滑りやすく狭い岩場では、転落した仲間を助けようとしている様子の2頭が身動き取れなくなっていた。映像には、この岩場に必死で戻ろうとする1頭が映っていた。

 公園職員らは、ゾウがはい上がって森に戻るための元気と体力を取り戻せるよう、栄養剤を混ぜた餌を投げ与えた。

 岩場にいた2頭は救助されたが、憔悴(しょうすい)しきっていたという。

 DNPの報道官は、「ゾウが転落した真相を確実に言い当てることは誰にもできないが、現地では前夜、激しい雨が降っていた」とAFPに語った。

 救助活動の間、滝への観光客の立ち入りは禁止された。

 タイでゾウは国獣とされ、一部地域に野生で生息しているが、その数はわずか数千頭にまで減少している。(c)AFP】

ぞうはきわめて仲間思いであることが、実話の絵本でも、今回の悲しい象たちの出来事をみてもわかる。人間たちはこうした動物たちから学ぶべき点は多いと思う。聖書的に見ても、人間だけに特別な魂があるわけではない。象たちにも他の動物たちにもいのちがあり、魂があることを実感し、感動する。