2010.9.16(木)
つづき~~~
13:00 和歌山市の語り部さんと一般のお客さんも5,6人一緒に、船はゆくゆく~加太の瀬戸~~♪
目指すは向かいの~友ヶ島~~
加太の港が小さくなって行きます
虎島です、役行者さんが葛城修験道の28宿第一番の宿(経塚)を定めたところ、、今でも年に一度はこの岩場で修行があるとか
また紀州藩の石切り場にもなっており岩には五所の額が400年の歳月を経てなお残されているのだそうだ
残念ながら今日は時間がないのと引き潮のときしか渡れないのであきらめ
船上から見るだけ~~
約20分で野奈浦桟橋に到着
いきなりこんな物騒なものがありました
ここ友ヶ島は無人島で立ち入り禁止の地の島、民宿や海の家のある沖ノ島、朽ちた橋で沖ノ島と連絡する虎島
そして小さな神島の総称です
これから探検に行くのは沖ノ島の西側半分3.3kmのコースです
(6.1kmのコースは朝一番の船で来て最終の船で帰ればたっぷり探検できるそうですよ~~)
トイレをお借りしますが皆さん茶色の水が便器に溜まっているので<<いやー汚い~~>>と悲鳴!!
でも中には冷静に何事もないように済まして出てこられる方もあります
そうですよ~~バイオの還元水ですから、、、富士山やお山登りしている方は先刻承知です
13:30 語り部さんと出発
と、そのとき、ひゃ~っという黄色い声が、、、、見ると一緒に乗ってきたミニスカにスパッツのおねえさんたちが
軽トラの荷台で騒いでいます、、海の家からの送迎車です (^^) 昔を思い出しました (^^)
海の家の前で放し飼いでしょうか、戦後に島に連れてこられた子孫でしょうか?
一緒にリス、鹿、猿さんも来たそうですがお猿さんは増えすぎて悪さが絶えないので追放されたそうです
標識を見てもうお解かりですね~~~
戦前の負の遺産を見にここまでやってきました
この沖ノ島には明治時代に築かれた砲台や弾薬庫の遺構が今もしっかり残っています
先人はこの様にして日本を守ってきたのです
もしかして今日は英霊に出会うかもーーーー???
敬礼が出来るかな?・?
そんな複雑な思いを抱きながら
右に紀淡海峡の素晴らしい眺めを見ながら暑くなってきたハイキングコースを行きます
この島独特の植生がある蛇ヶ池です
茶色いガマの穂みたいなのはヒトモトススキ、
今はもう枯れかけていますがハンゲショウが一面に茂っています
第一砲台跡、、崩れて解りにくいですが当時の技術の粋でしょうかコンクリートの厚さが2m以上です
重要なポイントの軍事要塞、、軍艦や潜水艦を見張っていたのでしょうね
今でははるかに望む召島の鱧は絶品だなんて、、戦争を知らない子供たち~さ~
この島に放たれた鹿は日本鹿ではなく台湾の鹿だそうで下草を食べてくれるので芝刈り機が必要無いそうだ
言われてみると一面整備されたグリーンのようだ、、糞は奈良の鹿のものとなんら変わらない
鹿は食べない赤シソやホウロクイチゴやマキが茂っている
まだ幼木のときにリスがかじって出来た藪椿の幹模様
白い巨塔じゃなかった灯台があります
これも明治の物を改修して今は無人で遠隔操作ですが現役です
飛行機見えますか??
そしてここは明石と同じ子午線の通るところ
東経135度地点なのです、真北に明石海峡が望めるはずなんですが
そこまでのお天気は望みません(^^;
いつかきた丘~~~かあさんと~~お船はど~こ~へゆ~くの~でしょう♪~~
満ち潮でしょうか? 太平洋の潮が大阪湾に一気に流れ寄ります
屈指の潮流の友ヶ島水道(紀淡海峡)
ちょっと泳げません
淡路島の由良までわずか3km余りなんですが
ハイキングコースは戦前からの荷馬車やジープが通る為の道で広く歩きやすい
藪椿やカンコノ木の木立をすいすいと歩く
ウバメガシの木立が木漏れ日を受けて綺麗です
素晴らしい備長炭になるかも
小展望所からの神島と大阪湾を望む~~
羊歯も素敵~~
タカノス山、標高119.9m 立派に一等三角点です
展望台もいいですねえ~~
関空へ着陸する為には必ずこの上を通過しなければなりません
W???システム名は忘れちゃったーーーー
いよいよ階段を降りて本日の大探検の始まりです
これからですよ~~~(^^+*^^)
ここからは真っ暗でヘッドランプが必要でした、
忘れましたというか注意事項に無かったので持参しませんでした
語り部さんと添乗員さんそしていつもリュックに入れてるという方のライトで恐る恐るユックリユックリ
全てがレンガ造りの頑丈な要塞です、広場のような円形プールの跡のようなところに出ます、砲台の跡です
そしてまた暗いトンネルを階段を踏み外さないように足探りで水溜りはびちゃびちゃと右に左に暗闇の迷路は
流石のおタケさんもびびりまくりです
ここはパンフにもある第3砲台跡ですが地下には弾薬庫もあったんではないかと
語り部さんは話しておられました
撮影も良く行われるようになって先ほどの女性陣もご訪問となったのでしょう
レンガの強固で綿密な仕事は昔の職人さんの魂でしょうね
自家発電所跡も
将校の住まい跡ももう朽ちていましたが確かに要塞での生活もあったのです
私たちはこんな時代の凄まじさを知りません
そしてこの重要であった地が終戦まで白地図だったことも
たまには私たちの父や母が生きた青春時代を思って涙してみるのも自分をみつめる何かになりそうです
きっかり16:30の最終便に間に合うように桟橋に戻ってきました
何故か赤い実が淋しげでした
お船に揺られて加太に着きバスに乗り
最後のトイレ休憩はこんなお山の見える紀ノ川SAでした
大和八木に着いたのは19:10
直ぐに上本町行きの快速急行がきてしっかり眠りこけて帰りました
いつものように地下鉄乗って20:30にお家でした
今日も運良く過ごせた一日にありがとうです~~~
つづき~~~
13:00 和歌山市の語り部さんと一般のお客さんも5,6人一緒に、船はゆくゆく~加太の瀬戸~~♪
目指すは向かいの~友ヶ島~~
加太の港が小さくなって行きます
虎島です、役行者さんが葛城修験道の28宿第一番の宿(経塚)を定めたところ、、今でも年に一度はこの岩場で修行があるとか
また紀州藩の石切り場にもなっており岩には五所の額が400年の歳月を経てなお残されているのだそうだ
残念ながら今日は時間がないのと引き潮のときしか渡れないのであきらめ
船上から見るだけ~~
約20分で野奈浦桟橋に到着
いきなりこんな物騒なものがありました
ここ友ヶ島は無人島で立ち入り禁止の地の島、民宿や海の家のある沖ノ島、朽ちた橋で沖ノ島と連絡する虎島
そして小さな神島の総称です
これから探検に行くのは沖ノ島の西側半分3.3kmのコースです
(6.1kmのコースは朝一番の船で来て最終の船で帰ればたっぷり探検できるそうですよ~~)
トイレをお借りしますが皆さん茶色の水が便器に溜まっているので<<いやー汚い~~>>と悲鳴!!
でも中には冷静に何事もないように済まして出てこられる方もあります
そうですよ~~バイオの還元水ですから、、、富士山やお山登りしている方は先刻承知です
13:30 語り部さんと出発
と、そのとき、ひゃ~っという黄色い声が、、、、見ると一緒に乗ってきたミニスカにスパッツのおねえさんたちが
軽トラの荷台で騒いでいます、、海の家からの送迎車です (^^) 昔を思い出しました (^^)
海の家の前で放し飼いでしょうか、戦後に島に連れてこられた子孫でしょうか?
一緒にリス、鹿、猿さんも来たそうですがお猿さんは増えすぎて悪さが絶えないので追放されたそうです
標識を見てもうお解かりですね~~~
戦前の負の遺産を見にここまでやってきました
この沖ノ島には明治時代に築かれた砲台や弾薬庫の遺構が今もしっかり残っています
先人はこの様にして日本を守ってきたのです
もしかして今日は英霊に出会うかもーーーー???
敬礼が出来るかな?・?
そんな複雑な思いを抱きながら
右に紀淡海峡の素晴らしい眺めを見ながら暑くなってきたハイキングコースを行きます
この島独特の植生がある蛇ヶ池です
茶色いガマの穂みたいなのはヒトモトススキ、
今はもう枯れかけていますがハンゲショウが一面に茂っています
第一砲台跡、、崩れて解りにくいですが当時の技術の粋でしょうかコンクリートの厚さが2m以上です
重要なポイントの軍事要塞、、軍艦や潜水艦を見張っていたのでしょうね
今でははるかに望む召島の鱧は絶品だなんて、、戦争を知らない子供たち~さ~
この島に放たれた鹿は日本鹿ではなく台湾の鹿だそうで下草を食べてくれるので芝刈り機が必要無いそうだ
言われてみると一面整備されたグリーンのようだ、、糞は奈良の鹿のものとなんら変わらない
鹿は食べない赤シソやホウロクイチゴやマキが茂っている
まだ幼木のときにリスがかじって出来た藪椿の幹模様
白い巨塔じゃなかった灯台があります
これも明治の物を改修して今は無人で遠隔操作ですが現役です
飛行機見えますか??
そしてここは明石と同じ子午線の通るところ
東経135度地点なのです、真北に明石海峡が望めるはずなんですが
そこまでのお天気は望みません(^^;
いつかきた丘~~~かあさんと~~お船はど~こ~へゆ~くの~でしょう♪~~
満ち潮でしょうか? 太平洋の潮が大阪湾に一気に流れ寄ります
屈指の潮流の友ヶ島水道(紀淡海峡)
ちょっと泳げません
淡路島の由良までわずか3km余りなんですが
ハイキングコースは戦前からの荷馬車やジープが通る為の道で広く歩きやすい
藪椿やカンコノ木の木立をすいすいと歩く
ウバメガシの木立が木漏れ日を受けて綺麗です
素晴らしい備長炭になるかも
小展望所からの神島と大阪湾を望む~~
羊歯も素敵~~
タカノス山、標高119.9m 立派に一等三角点です
展望台もいいですねえ~~
関空へ着陸する為には必ずこの上を通過しなければなりません
W???システム名は忘れちゃったーーーー
いよいよ階段を降りて本日の大探検の始まりです
これからですよ~~~(^^+*^^)
ここからは真っ暗でヘッドランプが必要でした、
忘れましたというか注意事項に無かったので持参しませんでした
語り部さんと添乗員さんそしていつもリュックに入れてるという方のライトで恐る恐るユックリユックリ
全てがレンガ造りの頑丈な要塞です、広場のような円形プールの跡のようなところに出ます、砲台の跡です
そしてまた暗いトンネルを階段を踏み外さないように足探りで水溜りはびちゃびちゃと右に左に暗闇の迷路は
流石のおタケさんもびびりまくりです
ここはパンフにもある第3砲台跡ですが地下には弾薬庫もあったんではないかと
語り部さんは話しておられました
撮影も良く行われるようになって先ほどの女性陣もご訪問となったのでしょう
レンガの強固で綿密な仕事は昔の職人さんの魂でしょうね
自家発電所跡も
将校の住まい跡ももう朽ちていましたが確かに要塞での生活もあったのです
私たちはこんな時代の凄まじさを知りません
そしてこの重要であった地が終戦まで白地図だったことも
たまには私たちの父や母が生きた青春時代を思って涙してみるのも自分をみつめる何かになりそうです
きっかり16:30の最終便に間に合うように桟橋に戻ってきました
何故か赤い実が淋しげでした
お船に揺られて加太に着きバスに乗り
最後のトイレ休憩はこんなお山の見える紀ノ川SAでした
大和八木に着いたのは19:10
直ぐに上本町行きの快速急行がきてしっかり眠りこけて帰りました
いつものように地下鉄乗って20:30にお家でした
今日も運良く過ごせた一日にありがとうです~~~
潮岬の望楼の芝生・・・こんもり盛りあがった所には 僕が高校生くらいまではコンクリートの 窓が在ったのです。
戦時中の高射砲基地の跡です。
もう一度行きたいと思いながら、なかなか行けません。
おタケさんの行動力、すごいです!
コメントありがとうございます
今日の語り部さんが和歌山は特に戦時の遺産が多いのだと、海に面した海峡入り江の多いところは日本全国にありますよね~~
どれだけの労力が要ったことか・・・
潮岬にお邪魔したら探してみます
足の向くまま、気の向くまま、思いつき~~GO!!
やっと解放されたんですから、、楽しまないと、、いつまた奈落に落ちるやら~~考えません~~(^^;
思い出しながら日記を拝見しました♪
淡島さんの境内で貝を焼いている香ばしい匂いがしませんでしたか?
いつも匂いに釣られています。(笑)
思い出していただけたでしようか,
随分カットして仕上げたんで
孝助松海岸のタイドプールや風衝木は記事にしませんでした
そう、香ばしい食欲をそそる匂いがプンプンでした~~
歩きながらつまめるものが無かったんでひやかしただけでした(~~;
血を抜いたって、もしやまた血液検査ですか?
この記事は珍しいですね~☆
負の遺産、ですか。
私はこのテのは恐ろしくて実物は見るのもダメなんです。高槻にもあるんですよ~広島にも修学旅行で行かされましたが怖すぎてトラウマになり夜眠れませんでした。
しかし、こうして私たちは生きているのです。
賢い、たくましい、誇り高い我々の祖先様のお陰なのです。
否定するばかりが歴史じゃございません。しょうがなかった事情があるんです、どこの国にも・・・
2月頃は椿、6月はホウロクイチゴ、7月はハンゲショウが綺麗ですって、、、まだまだ、、ヒサカキ、ビシャコ、ありますが、亜熱帯の植物という感じはあまりしませんでした
下草は見事になかったです
高槻にも? もしかして釜風呂の近く?
あ、なんかTV特集を見たような気がする
そう、失って初めて知る平和の有り難さ、当たり前のこととして
今生きているのは誰のお蔭様なんでしょうねぇ~~
小学校3年~卒業までを父の転勤で和歌山(園部・六十谷)で過ごしました。
そんな中、加太には釣り好きの父に連れられて、月に数回は足を運びました。
主に赤灯台の防波堤か、淡島神社近くの地磯で釣っていました。
グーグルなんかの航空画像で見ると、いまでは随分港の様子も変わったようですが、懐かしい海には変わりありません(^^)
友ヶ島には渡ったことありません。
加太の風景をありがとう^^v
ぽち~☆
タカノス山行ってみたいです・・・
最後は竜門山の景色で終わりですね(^-^)
訪問ありがとうございます、、&☆も(^^)
想い出に出会えて良かったですね、、、桟橋では当日も沢山の人が釣り糸を垂れてましたよ
タカノスまたはコウノスどちらが正しいのか語り部さんは調べておきますとおっしゃってました(^^)
まだまだ探検が足りませんでしたのでいつか一緒に行きましょうか?
修験の岩窟も沢山ありそうです(笑)
あの山が竜門組の事務所もある山なんですね~~(^^)
今日も見つめてきましたよ~~
瀬戸内海の片隅に太平洋戦争の遺構があるんですね。
いろいろ考えさせられる探険でしたね。
☆ポチッ!!
もう一つ冒険を・・・・おタケ舟に乗れば海流で摂津国へ帰れるかもね。(爆)
ほんと小さい島なのに色んな見所があるんですよねぇ♪
海の幸も最高に美味しいと聞いてるしぃ~
大阪湾の入り口要所ですからね~~
満ち潮に乗ってゴムのタイヤ浮き輪で難波津に漂着してみますか~~
瀬戸内の来島海峡の小島(おしま)にも殆ど実戦には使えなかった
明治の遺物の砲台跡もあります
国を挙げて軍国へ突き進んで行った時代があったんですね!
テント持ってキャンプしてくださいね~~
鮑とりに夢中になって潮に流されんように~~
沼島の鱧食べに小船で渡りましょうよ!
奈良交通のツアーだったんですね♪
そこまでして行かれた、その気合・・・・・・いつものことながらひれ伏してしまいます(^m^)
加太は子どもの頃、父がよく連れて行ってくれた所です。
「加太」という地名だけが記憶に残っています。
たぶん、和歌山線に乗って行ったんだと思いますが。。。
ただただ好奇心の固まりなだけです、行ってみて納得できればそれでいいんです、今回も紀淡海峡にずっと憧れてて行きました(^^)
これからもあまり普通では行かないツアーばかりをピックアップして
お一人参加です(笑)