くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

科学者 野口英世。

2021-09-26 09:36:55 | 映画・TV

『フランケンシュタインの誘惑』で科学者・野口英世をやっていました。

歴史に残る発明・発見をした科学者が 死後何十年か経ちその研究成果の
誤りを暴かれる 科学史の闇にせまる番組で かつてこの番組から

良心の医師としてその名も高い 小児科医アスペルガーが ナチス時代に
多くの障害児を安楽死させた 黒い歴史もしりました。

今回は日本人が 福沢諭吉のつぎに好きな野口英世の 欲望物語でした。 
 

1876年 野口英世は貧しい家に生まれ 幼少期のやけどで左手が不自由と
なるも 努力し単身渡米して医師になり 梅毒や黄熱病の研究でノーベル賞
候補にもなった 世界に名高い細菌学のスーパースターです。

しかし現在では その多くの研究が 誤りであったことが証明されました。
なぜか?  科学者  野口英世の欲望物語が 先日のフランケンシュタインで
語られました。

フランケン・・の野口英世を今回初めて観ましたが 再放送とのことです。

 

1900年   24歳で単身渡米した野口は   梅毒や狂犬病の論文発表でその名が
世界に知られ 若くして ロックフェラー医学研究所の重鎮となる。

1918年 南米でまん延する黄熱病の原因調査のため エクアドルに着任し
現地に着いてわずかひと月で 黄熱病の病原体を発見した 発表させてくれ
と上司に言ってくる。

1919年 十分な研究期間もとらず動物実験もそこそこに 黄熱病の病原体
発見論文を発表し 発表後わずか3ヵ月で『野口ワクチン』を作ったものの
その頃南米の黄熱病はほぼ収束しており ワクチンの効き目は不明となる。

研究期間中も だれかが出し抜くのではないか との恐怖不安が常にある。
なぜ それほどまでに1番の発表をと急ぎ 1番にこだわり執着するのか。

発表が2番になると 優れた内容であっても それら全てが1番の功績になり
2番手には何のメリットもなく さらに 苦労した内容すべてがパクられる。

野口の場合 日本で十分な教育を受けてないため米国でも冷遇され すべて
裸一貫から今の地位にのし上がったため 今の場所を失いたくないとの思い
から 功を焦ったと思われる と現代の科学者は語ります。

1924年 アフリカで黄熱病が流行するが 野口ワクチンはまるで効き目なく
エクアドルで発見発表した病原体は 黄熱病のものとは違うことが判明する。

1926年 野口の論文もワクチンも誤りであったと ハーバード大のマックス・
タイラーが発表し   野口ワクチンは使用禁止となり   同時に黄熱病は   野口の
となえてきた細菌ではなく ウイルスによる感染であると発表される。

1927年 今度こそ黄熱病の病原体を見つけリベンジする決意で   黄熱病が
まん延するガーナへ 野口ワクチンを接種後に行くも 黄熱病に感染し翌年の
1928年 野口英世は死亡する 享年51歳 

  

野口の死は世界中に 『英雄的な科学者の死』 と報じられました。

野口の論文の誤りを発表した ハーバード大のマックス・タイラーは
野口の死後 黄熱病ワクチンを完成させ ノーベル賞を受賞しました。

病原体を発見したことで世界にその名が知られ ノーベル賞候補にも
なった狂犬病の論文も 誤りがあったと 野口の死後 証明されました。 

「医学の歴史の教科書に野口の名前は載っていない。医学の観点からは
歴史上の人物ではなく 物語の人物である」と現代の科学者は語ります。

野口が渡米する前 あちこちから無心して集めた金を 船の切符を買う
前に 一晩で遊郭や酒に使いはたした話は知っていました。

だかまさか本業がこうだったとは初めて知りました。今から100年前の
顕微鏡ではウイルスは見えなかったと思われ 気の毒な面もあります。

貧乏のなかから そして左手が不自由な人生からも 必死で生き抜いた
野口英世の51年が偲ばれ もう一度1,000円札を見たことでした。

長くなりすぎました 最後まで読んでいただき ありがとうございます。
 
  

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16 コメント

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こんにちは (TANAKA)
2021-09-26 10:59:31
私の出身地である会津若松には余り知られてはいませんが
野口英世を手術したと言う場所もあり子供の頃から大人達に
伝え聞かされて来ました。
また野口英世の生家には昔、英世の母の妹だと言う
老婆がいて、訪ねたときに色々と説明していましたが
歯がないのか何を言っているのか子供の私には分かりませんでした。
今は立派な建物に変わっているようですが。
私が高校の頃、部活の弦楽クラブに来ていた先生が交通事故にあい、お見舞いに行った際
その先生の音楽仲間だと言う医者が言うには
野口英世は英雄とされているが、医者仲間には評判が悪く
200以上の論文のうちほぼ間違いであると聞いて
ショックを受けた事を思い出しました。
野口英世の母は晩年遠くへ言ってしまった英世に
やっと覚えたひらがなで、
さみしいのですこしだけてもかえってきてください。
と、書かれた手紙を見ました。何もない田舎で寂しく
英世を待ち焦がれる手紙を思い出します。
話は変わりますが、今度お札にのる渋沢栄一について
あれだけの偉業を成し遂げたのに今まで一般には知られなかったのは
栄一には愛人が多いからだと、
栄一の愛人の孫と知り合いが結婚することになったと言う
生徒さんからの話です。
因みに栄一の生まれた血洗島までは、家から車で15分程です。
何だか世俗的な話になってしまいました(笑)
TANAKAさんへ (くりまんじゅう)
2021-09-26 12:34:55
30年ほど前になるでしょうか 会社の慰安旅行で福島を観光したとき野口の生家で
囲炉裏を見ました。そうですか母親の妹が生家の説明をしていましたか。
書かれている 野口が米国で受け取った母からの手紙も番組の中で紹介されました。
ひらがなばかりのたどたどして文章は 見ていて胸が熱くなりました。

>野口は英雄とされているが医者仲間には評判が悪く 200以上の論文のうちほぼ間違いである
その医師が言ったことは本当で 野口の死後つぎつぎと誤りが実証されました。

とにかく1番に出さねば人に盗られる の思いが強くじっくり研究せぬうちに
見切り発車で発表した数々があとからの検証で 多くの誤りが判明しています。
上昇志向が強く 認められ常に尊敬されたい思いがそうさせたでしょうか。

渋沢栄一もそうでしたか。私の県西部の政治家 竹内綱がかつて愛人に産ませた子が
戦後を創った男と言われる吉田茂です。茂の実母はいまだに分かっていません。
生まれる前から吉田家へ養子に行くと決められ 茂は大金持ちの養子となりました。
生まれは東京ですが父の地盤を継ぎ 高知全県区からの出馬となっています。

コロナがまん延する現代で 100年前にウィルス感染で起きた黄熱病の研究に没頭し
功を焦って命を落とした野口が なんか可哀そうになります。 
Unknown (mobilis-in-mobili)
2021-09-26 15:27:31
少しだけ弁護するなら、当時使われていた光学顕微鏡では細菌は視ることができても、ウイルスを視ることはできなかった、という事実があります。ウイルスの発見は電子顕微鏡の登場を待たなければなりませんでした。生物と無生物の中間に位置するウイルスのような極小の存在があることは、当時は想像もできなかったでしょう。
必死になって見つけた(別の)細菌を『これが原因だ』と思い込んでも仕方がないとは思います。
但し他人の意見に耳を貸さなかった点は非難されるべきですね。彼自身も含めて多くの人命が失われました。合掌。
Unknown (mobilis-in-mobili)
2021-09-26 15:32:52
〈誤解〉野口英世の伝記に(囲炉裏に落ちたエピソードとして)『シカがイヌを連れて夕飯のおかずを採りに行っていた間に』という件があって、それを読んだ友人が『ふーん、鹿って賢いんやなあ』と言ってました。すいません😢⤵️⤵️笑い話です。
モバさまへ (くりまんじゅう)
2021-09-26 17:21:49
やっぱりね 100年前の顕微鏡ではウイルスが見えないだろうと思い
気の毒な面もあると思っていました。エクアドルで黄熱病の病原体発見
の報せに野口の上司の「論文発表後もくり返し実験をするように」
との命令は守られず 結局野口は似た症状が出るワイル病を黄熱病として
野口ワクチンを作りました。

思い込みが激しく他人の意見には耳を貸さず の繰り返しが結局
野口の死後に 数々の誤りが立証される結果になりました。

論文発表はとにかく1番に出さねば!は今の科学界でも同じことで
しばしばこのやり方がネックになっている と現代の科学者が述べていました。
かつて「2番ではダメでしょうか?」と言った議員さんがいましたが
科学の世界では 1番と2番では天と地ほどの違いがあるようです。

野口の母シカさんは 字を習って助産婦の資格を取ったそうで努力家ですね。
野口の妻メリーさんは野口の死後も 遺族年金を義姉のイヌさんに
送り続けたそうで 野口は立派な妻を持ちました。

私の実家の山の中のお墓には 私から多分4-5代前のおばあさんと思いますが
クマ と墓石に彫られています。当時の女性の名前は動物から取ったでしょうかね。
偉人裏話 (のりのり)
2021-09-26 20:41:58
偉人と言えば野口英世、という時代に育ちましたね。
日本人には切っても切れない人物だし、今も親しい男性の一人であることに代わりはありません。

もう100年も前の人、しかも海外に暮らしていたのですから、我々が知るよしもない事実がたくさんあったのでしょうね。

会津の生家には50年ほど前に行きましたし、まだ昨年も会津でゆかりのある場所を方々歩きました。
たとえ論文が事実でなかったとしても、努力した人物であったことに変わりはないので、会津の町から消えることはないでしょうね。

ねつ造といえば、小保方晴子さん、100年前だったら
「STAP細胞あります」と断言して偉人になっていたかもしれません。
今は洋菓子店でケーキ作りをしているそうですが、この方も転変激しい人生ですね。

有名人の裏話が出てくるくりまんじゅうさんのお話は、読んでいても飽きません。
(o^^)o[こんばんは]o(^^o) (キミコ)
2021-09-26 22:12:55
「フランケンシュタインの誘惑」時々見てます
(* ゜O゜)ホォホォ♪今回は野口英世さんですか
子供の時に散々偉人伝として読みましたのでねえ
なんだか今頃言われても(〃_ _)σイジイジという感じがぬぐえません
子供の時に親しんだものはおいそれとは変わりませんわね^^;

人には良いうわさも悪いうわさも並行して出るものでしょうが
死んでからあれこれ言われたくないだろうなと(ぁ_ぁ;)
私も死んでから出る埃とか まさかないと思いますが・・・バシバシ (*~ρ~)ノ☆(ToTw)
もちろん身内&親戚にですけどね(-ι_- )クックッ
のりのりさんへ (くりまんじゅう)
2021-09-27 13:14:51
野口英世の伝記はたいていだれも 子どもの頃の教科書で知っていますが
黄熱病の特効薬を開発し その研究過程で自ら感染して死亡した
としか知識がないまま この番組を観ました。

今回知った 野口の研究で数々の誤りがあったとしても 先月の五輪の
ガーナ選手団が野口の出身地 猪苗代町を訪問したことを思えば
ガーナの人にとって野口は 尊敬される人物であり恩人なんですね。

野口が若い頃の左手の手術費用も 当時の学校の先生や級友たちのカンパで出来たし
独学で英語をマスターするにも 野口の熱心な態度に感動した英語教師の助けがあったし
渡米費用もあちこちから集まった の援助を思えば 野口の人間としての魅力が
あったからと推測します。

人の意見を聞き入れず 功を焦り過ぎた過ちは否定できませんが
渡米してからの野口は「睡眠を取っているのか?」と言われるほど
研究に没頭したそうで 熱心さではだれにも負けない研究者でした。

そうですね 100年前なら小保方晴子さんのSTAP細胞も野口のように
世界に絶賛される論文発表となったでしょうね。
今は洋菓子店でケーキ作りですか。理化学の道から外れたのですね。

野口の研究成果については夫も娘も知っており 私だけが知らない事柄でしたが
今回の事実は けっこう私には衝撃の話でした。 
キミコさんへ (くりまんじゅう)
2021-09-27 13:39:23
『フランケンシュタインの誘惑』は科学の世界はまるで分らん者にも分かりやすく
それでいてその分野の専門家が 素人向けに説明してくれるこの番組が好きです。

野口英世は亡くなってから 今までの研究発表の多くが誤りであったと判明しますが
彼の名前は世界中の人が知っている 偉人になっています。

2024年からの新紙幣の1,000円札の肖像は 北里柴三郎と決まっており
野口が独学で医術開業試験に合格したあと 渡米するまでの若き時代に
北里研究所で助手をしていたそうですから 年齢は野口が下ですが
お札では後輩の野口から 先輩の北里へと移りますね。

野口はお金が入ると 前後を考えず使うというアクヘキがあったようで
それも多くの人からのカンパを 一晩で散財するなどの失敗を何度かしています。
石川啄木も借金を重ねたと伝えられていますし 一つに秀でた人は
お金の計算は苦手だったようですね。

ええもちろんです 母ちゃんが死んだあと借金取りが来ても
それは詐欺だからね と子どもには言ってあります。 
こんばんわ....。 (kiyasume)
2021-09-27 18:14:11
野口英世と言うと、母型の祖父と
親しかったらしいです、、

母型の祖父は東大の医学部を出た人で、、
戦前にドイツ留学もした人でした。
そして哲学を愛し、ちょっと変わって
居たらしかったけど、、

今や認知症の母の自慢の父親でした。

若死して居ますが。もし私が学生の頃
生きて居たら。「お前は何をしとる!!」
と怒られたと思います。

その祖父と一時親交があったのが、、
野口英世だそうです。
色々とあった様ですね・・・・・。

もう祖父もとっくに亡くなり、、
母も今や認知症で施設暮らし、、

母は痴呆のせいで頭がおかしくなっており、
もはや何も解りません。
私が母の面倒を見て居た時も、、
なぜか幼稚なバカな事しか言いませんでした。

あれだけ祖母に似て聡明だった母ですが、、

私はどうやら私が嫌って居る実の父方の血が
多い為か、頭が悪いです・・・・・。
弟も医者になりましたが、東大には入れませんでした。

ただ私が統合失調症の発作を起こして居た為、、
弟は勉強が出来ずに、弟にはすまないと思って
居ます。弟は今から5年前に亡くなっております。

今頃は天国で祖父と語り合って居る事でしょう。
何か書きたくなりました。関係ない話ですみま
せんでした。また来ますね・・・・・。

お土産です。悲しい曲ですがクラシックです
聞いて見て下さいね。。。

https://www.youtube.com/watch?v=lKrxPTePXEQ

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