
gooのブログのスマホ編集機能が日々更新されるのはいいけど、使い方が変わるのでよくわからずに、前に書いた記事に上書きしてしまった。
記憶とメモと予測変換による再現。
記憶とメモと予測変換による再現。
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晩夏らしくなってきた。
ビーは、メルカゾールを朝晩3分の1ずつから、2分の1ずつに増量して、次の日にはいらつきがおさまってきた。

殿の旅立ちから2週間の金曜、夕方に天へ伸びる虹を見たこと。
にゃんたに呼ばれて外に出たら、虹があった。
殿のこと。
殿のまだいけるぞ!は、私のまだいけるぞ!とギリギリまで一体になっていた。最後には体の限界が来たけれど、ギリギリまで一体となって生きられた。何があっても悲観しないは間違いではなかったと思う。これからもそれでいく、ということ。
8月の巨匠トーク、「死について」。
始まりと終わりはない。個体として閉じない。連続している。
山に入って、倒木に芽が出ているのを見たり、虫の死骸に別の虫がたかっているのを見ると、生は個体として閉じていないとわかる。
風景のままで捉えると、生物の思考、風景の思考が、ふいにリアルに実感される。
そこに答えはある。
自分ではなくて、「風景が考える」。
自分がいない後も、風景が考える。
たとえ地球がなくなっても、宇宙が考えるからいい。
宇宙、時間、人生は外から見えない、内側の視点しかない、外からの視点はフィクションである。
もう一つ、不死性について。個であることをときほぐすこと、芸術の目的は絵や音楽そのものであり、自分に返ってくるものはない。
飲み会ではFさん、猫を飼ってる女性、芸術家なのか肉屋なのか分からないMくん、タフな編集Iさんと話した。
晩夏らしくなってきた。
ビーは、メルカゾールを朝晩3分の1ずつから、2分の1ずつに増量して、次の日にはいらつきがおさまってきた。

殿の旅立ちから2週間の金曜、夕方に天へ伸びる虹を見たこと。
にゃんたに呼ばれて外に出たら、虹があった。
殿のこと。
殿のまだいけるぞ!は、私のまだいけるぞ!とギリギリまで一体になっていた。最後には体の限界が来たけれど、ギリギリまで一体となって生きられた。何があっても悲観しないは間違いではなかったと思う。これからもそれでいく、ということ。
8月の巨匠トーク、「死について」。
始まりと終わりはない。個体として閉じない。連続している。
山に入って、倒木に芽が出ているのを見たり、虫の死骸に別の虫がたかっているのを見ると、生は個体として閉じていないとわかる。
風景のままで捉えると、生物の思考、風景の思考が、ふいにリアルに実感される。
そこに答えはある。
自分ではなくて、「風景が考える」。
自分がいない後も、風景が考える。
たとえ地球がなくなっても、宇宙が考えるからいい。
宇宙、時間、人生は外から見えない、内側の視点しかない、外からの視点はフィクションである。
もう一つ、不死性について。個であることをときほぐすこと、芸術の目的は絵や音楽そのものであり、自分に返ってくるものはない。
飲み会ではFさん、猫を飼ってる女性、芸術家なのか肉屋なのか分からないMくん、タフな編集Iさんと話した。
会の前に、Sちゃんとモスに寄った。
日射しが眩しかった。
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6月頃から何度も感動をもらっているMちゃんが、腎臓からの出血で、ヘマトを15をきってはらはらしていたら、おれをにゃんだとこころえる、とまたまた乗り越えてみせてくれたこと。
ご飯を自分て食べて、ヘマトも順調に20越えた。
Mちゃんは、これまでもシニア年齢にもかかわらず2回の全麻手術を乗り越え、心筋による窮地も華麗に乗り越え、口内のできものを噛んでしまった出血による貧血も乗り越えたキセキの子。
Mさんの寄りそいようも素晴らしくて、聞いたことのない新技を編み出しつつ、ほぼ24時間体制で母猫顔負けのお世話をするうちに、Mちゃんは子猫の顔になった。
信頼しきって、すべてをあずけて、安心してる。
ふたり一体となった命のかがやきを、まだまだずっと見ていたい。
Mさんは在宅で仕事もこなしながらなので、体力的にハードだと思うけど、がんばってください。
おうちも、同居猫も、パパママも大好きで、ここにいるぜ!が強い子は、15歳を越えて、老猫期に入るまで、とても幸せに暮らしていたということで、そういう環境にいられた子は、その先の時間に何があっても何の間違いもないし、すべてが祝福のもとにある、と、Mちゃんの子猫のような可愛い顔を見ていて思った。
ご飯を自分て食べて、ヘマトも順調に20越えた。
Mちゃんは、これまでもシニア年齢にもかかわらず2回の全麻手術を乗り越え、心筋による窮地も華麗に乗り越え、口内のできものを噛んでしまった出血による貧血も乗り越えたキセキの子。
Mさんの寄りそいようも素晴らしくて、聞いたことのない新技を編み出しつつ、ほぼ24時間体制で母猫顔負けのお世話をするうちに、Mちゃんは子猫の顔になった。
信頼しきって、すべてをあずけて、安心してる。
ふたり一体となった命のかがやきを、まだまだずっと見ていたい。
Mさんは在宅で仕事もこなしながらなので、体力的にハードだと思うけど、がんばってください。
おうちも、同居猫も、パパママも大好きで、ここにいるぜ!が強い子は、15歳を越えて、老猫期に入るまで、とても幸せに暮らしていたということで、そういう環境にいられた子は、その先の時間に何があっても何の間違いもないし、すべてが祝福のもとにある、と、Mちゃんの子猫のような可愛い顔を見ていて思った。
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