赤坂の老舗和菓子店「とらや」が7日に閉店する。
閉店すると言っても、ビルの建て替えのための一時休業。新社屋は2018年完成予定らしい。
素朴な疑問。
何故、他の場所に移して営業しないのだろう?機械や道具が移せない?そんな訳は無いわな、社屋工事中はどっかに移動させとかなあかんし、だいたい機械や道具ってのは使わないとガタがくる。
休業中、従業員や職人はその間どうするんだろう?無給?支店へ?百貨店等の出店へ?それとも他の和菓子屋さんにヘルプ?
江戸時代に和菓子は、お茶の普及に伴い一気に広まった。砂糖は高級品だったが、あんこの製法が色々たこともあっていろいろなお菓子が開発された。
大阪や京都、いわゆる上方で人気のお菓子をお土産に江戸に持ち帰る。これが下りものとして喜ばれた。人気のないお菓子は下らない。つまり、つまらないもの=くだらないって言葉の由来はここから来てる(本当)
大阪は当時、幕府直轄地だけど、幕府の武士(役人)はたった3000人くらいしか大阪城にはいなかったらしい。で、あそこに橋があれば、あそこの堀を埋めてとか直訴しても、決定権の無い役人ばかりだから「江戸からの返事が・・・」って感じで時間がかかる。せっかちな大阪商人は行政(幕府)に言うより、金を出しでも自分たちがやった方が早いやって、橋をバンバン作り、堀を埋めたりして町を整備してった。大阪が商人の町って言われる所以はこのせいだ。
京都の御所や大阪城周辺にはいろいろな公役や公益をする為に各藩の武家屋敷が立ち並んでたけど、これだって有事が無ければご家人も女中も使用人は暇だ。そこで屋敷を預かるご家人や家内は近隣の武家屋敷の家人と親しくなったりする。諸藩と交流や親交を深める事はいい事だってことで、どんどん交流するようになる。そうなるとお呼ばれの手みやげにはお茶に合うお菓子を、お招き、おもてなしする方もお菓子をって。
その名残か未だに京都御所、大阪城周辺は和菓子の老舗が多々残ってる。観光客の定番になってしまった、京都の和菓子老舗(聖護院八つ橋やおたべ)等と違い、この和菓子の老舗は未だに普段にはちょっとって値段の和菓子を提供して現存してる。
その中の一つ、とらやは元々御所御用達に選ばれた京都の老舗だ。明治維新後、江戸城に行幸された時に、一緒に江戸に移動させられた。
その際に、「とらや」の名前は関西では使えないからと、弟子の一人にすべてを伝授し大阪で開業したのが鶴屋八幡。(の、はずなんだがホームページ等には載っていないのは何故?)。羊羹と言えば東京ではとらやだが、大阪では鶴屋八幡と言われる。食べ比べた事があるがどちらも美味しいって倉石かわからんかったが似てるよね。
同じく羊羹の老舗、駿河屋も、その時代の権力に振り回され移転や移封させられた。秀吉に気に入られ、五台目の際には京都伏見に店を構えてた。紀州徳川家の祖・徳川頼宣に気に入られ、駿河に転封になった際にに随伴した。さらに、紀伊に転封されるとまた随伴し、和歌山駿河町に屋敷を賜り店舗を開いた。だから元々「鶴屋」なのに「駿河屋」って屋号に変えたのか?残念ながらこの駿河屋は直営、暖簾分けを含めてかなり展開してたが、会社更生法を申請して潰れてしまった。
和菓子離れと言われてるが、とらやが自社屋を立て替えるって言うのは、未だに売れまくってるってことか。
パティシエのケーキもいいが、職人の和菓子の方がなんか格が上に感じる。ベルギーとかのショコラティエのチョコ、次々と新製品が出る洋菓子スナックより、あられやせんべいといった米菓、あんこを使った和菓子の方が飽きがこない。
甘いものと一緒に酒が飲めるかって酒飲みが多いが、バーボンやスコッチと一緒にチョコレート食べたりしてないか?勿論ウィスキーをはじめウォッカやジンでも和菓子は合わないとは思う。けど、日本酒、焼酎と一緒に和菓子を食べる酒飲みは結構多いぞ。まぁ和菓子はちょっと苦めのお茶が一番合うけどね。
ちなみに羊羹もいいけど、ういろうの方が俺は好き。ういろうと言えば名古屋って思われてるけど、一番美味しいのは山口県。
ここの「外郎」を子供の頃から食べてて、「ういろうは山口ふるたの『外郎』が一番美味い」なんて言ってたんだけど、「外郎」と買いてこれが「ういろう」と読むことをつい最近知った。ずっと商品名だと思ってたよ。今迄誰も指摘しなかったのは何故だ。ずっと間違ってた事に照れてしまうが、山口の外郎は未だにワラビの粉で作られてて、小田原より名古屋より美味いという事には変わりがないからういろうの代名詞という事にしておこう。
カロリーを気にし、ダイエットだの脂肪燃焼など、トクホだの気にするこの時代、是非和菓子に再注目してほしいね。
閉店すると言っても、ビルの建て替えのための一時休業。新社屋は2018年完成予定らしい。
素朴な疑問。
何故、他の場所に移して営業しないのだろう?機械や道具が移せない?そんな訳は無いわな、社屋工事中はどっかに移動させとかなあかんし、だいたい機械や道具ってのは使わないとガタがくる。
休業中、従業員や職人はその間どうするんだろう?無給?支店へ?百貨店等の出店へ?それとも他の和菓子屋さんにヘルプ?
江戸時代に和菓子は、お茶の普及に伴い一気に広まった。砂糖は高級品だったが、あんこの製法が色々たこともあっていろいろなお菓子が開発された。
大阪や京都、いわゆる上方で人気のお菓子をお土産に江戸に持ち帰る。これが下りものとして喜ばれた。人気のないお菓子は下らない。つまり、つまらないもの=くだらないって言葉の由来はここから来てる(本当)
大阪は当時、幕府直轄地だけど、幕府の武士(役人)はたった3000人くらいしか大阪城にはいなかったらしい。で、あそこに橋があれば、あそこの堀を埋めてとか直訴しても、決定権の無い役人ばかりだから「江戸からの返事が・・・」って感じで時間がかかる。せっかちな大阪商人は行政(幕府)に言うより、金を出しでも自分たちがやった方が早いやって、橋をバンバン作り、堀を埋めたりして町を整備してった。大阪が商人の町って言われる所以はこのせいだ。
京都の御所や大阪城周辺にはいろいろな公役や公益をする為に各藩の武家屋敷が立ち並んでたけど、これだって有事が無ければご家人も女中も使用人は暇だ。そこで屋敷を預かるご家人や家内は近隣の武家屋敷の家人と親しくなったりする。諸藩と交流や親交を深める事はいい事だってことで、どんどん交流するようになる。そうなるとお呼ばれの手みやげにはお茶に合うお菓子を、お招き、おもてなしする方もお菓子をって。
その名残か未だに京都御所、大阪城周辺は和菓子の老舗が多々残ってる。観光客の定番になってしまった、京都の和菓子老舗(聖護院八つ橋やおたべ)等と違い、この和菓子の老舗は未だに普段にはちょっとって値段の和菓子を提供して現存してる。
その中の一つ、とらやは元々御所御用達に選ばれた京都の老舗だ。明治維新後、江戸城に行幸された時に、一緒に江戸に移動させられた。
その際に、「とらや」の名前は関西では使えないからと、弟子の一人にすべてを伝授し大阪で開業したのが鶴屋八幡。(の、はずなんだがホームページ等には載っていないのは何故?)。羊羹と言えば東京ではとらやだが、大阪では鶴屋八幡と言われる。食べ比べた事があるがどちらも美味しいって倉石かわからんかったが似てるよね。
同じく羊羹の老舗、駿河屋も、その時代の権力に振り回され移転や移封させられた。秀吉に気に入られ、五台目の際には京都伏見に店を構えてた。紀州徳川家の祖・徳川頼宣に気に入られ、駿河に転封になった際にに随伴した。さらに、紀伊に転封されるとまた随伴し、和歌山駿河町に屋敷を賜り店舗を開いた。だから元々「鶴屋」なのに「駿河屋」って屋号に変えたのか?残念ながらこの駿河屋は直営、暖簾分けを含めてかなり展開してたが、会社更生法を申請して潰れてしまった。
和菓子離れと言われてるが、とらやが自社屋を立て替えるって言うのは、未だに売れまくってるってことか。
パティシエのケーキもいいが、職人の和菓子の方がなんか格が上に感じる。ベルギーとかのショコラティエのチョコ、次々と新製品が出る洋菓子スナックより、あられやせんべいといった米菓、あんこを使った和菓子の方が飽きがこない。
甘いものと一緒に酒が飲めるかって酒飲みが多いが、バーボンやスコッチと一緒にチョコレート食べたりしてないか?勿論ウィスキーをはじめウォッカやジンでも和菓子は合わないとは思う。けど、日本酒、焼酎と一緒に和菓子を食べる酒飲みは結構多いぞ。まぁ和菓子はちょっと苦めのお茶が一番合うけどね。
ちなみに羊羹もいいけど、ういろうの方が俺は好き。ういろうと言えば名古屋って思われてるけど、一番美味しいのは山口県。
ここの「外郎」を子供の頃から食べてて、「ういろうは山口ふるたの『外郎』が一番美味い」なんて言ってたんだけど、「外郎」と買いてこれが「ういろう」と読むことをつい最近知った。ずっと商品名だと思ってたよ。今迄誰も指摘しなかったのは何故だ。ずっと間違ってた事に照れてしまうが、山口の外郎は未だにワラビの粉で作られてて、小田原より名古屋より美味いという事には変わりがないからういろうの代名詞という事にしておこう。
カロリーを気にし、ダイエットだの脂肪燃焼など、トクホだの気にするこの時代、是非和菓子に再注目してほしいね。