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至誠惻怛(しせいそくだつ)=真心と慈愛の精神

松山城で中秋の名月①

2009-10-03 | 旅の日記
 10月3日(土)

 今日のアメダス(新見市足見堂の下) 23時現在
  最高気温23.4℃=12時、最低気温14.2℃=5、22時、積算降水量0.0mm、最大風速3m/s


 午前6時、起床。テレビが、2016年五輪開催地をめぐり、東京が敗れたことを伝えていた。10階の大浴場へ。そして、そこから屋上の露天風呂へ。いい湯だった。
 
 
           展望風呂(右上)と屋上露天風呂
 
 からだがほてるまま、浴衣姿でホテル「茶玻瑠」を出た。昨日とは打って変わり、快晴の松山市。朝の道後温泉本館(坊っちゃん湯)をポケットカメラで撮った。日差しがきつく、本館正面は逆光になった。朝風呂に通う観光客の姿も見られた。
 
  「茶玻瑠」玄関前で見る「坊ちゃん湯」
 
  朝日を浴びる「坊ちゃん湯」
 
  後方に「茶玻瑠」の客室棟
 
  「茶玻瑠」のロビー棟(中央)
 
 「茶玻瑠」に帰ると仲居さんが来て布団上げ。そして朝食。焼き魚などがあり、どれもおいしくいただいた。
 着替えて、午前9時過ぎ、フロントで精算。¥9,500円だった。ロビーの喫茶コーナーでコーヒー(¥500)。温泉の香りがするコーヒーは、格別だった。
 係員が地下駐車場から55番を玄関に運んできて、「茶玻瑠」を後にした。今度来るときは「茶玻瑠」か、「浅見光彦・坊ちゃん殺人事件」に登場した「八千代」にしようと思った。

 狭い道を上り下りして、伊予鉄道「道後温泉駅」へ。明治44年建築の旧駅舎が復元された駅舎前では、袴姿の坊っちゃんとマドンナが乗降客を迎えていた=写真中央。また、現役の「坊っちゃん列車」が1番線に入線していた=写真右
 
 

 
 駅舎前の交差点の一角に小公園「放生園(ほうじょうえん)」があり、からくり時計や足湯が人気。からくり時計は、道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにつくられ、1時間おきに時計が背伸びして扉が開き、小説「坊っちゃん」に登場する人物がつぎつぎに現れる。
 腕時計を見ると9時45分。からくりが動作する10時まで、道後商店街のアーケード入り口に展示されていた湯之町大神輿(みこし)=写真=を見た。10月7日の朝、道後温泉駅前で神輿を鉢合わせさせ、男同士が練り合うので、「道後男の祭り」と呼ばれているそうだ。興味深く神輿やポスターを見ていたら、商店街の若い男が近寄ってきて、「今日帰られますか。宿泊を延ばして祭りを見ていってくださいよ」。
 当日は法被姿の神輿守300人以上が3組に分かれ、総当たりで3回戦を繰りひろげる。神輿に乗った指揮官の号令でぶつかりあい、押し合うのだそうだ。
 
 

 午前10時、太鼓や笛、鉦が聞こえて、からくり時計がせり上がってきた。坊っちゃん、マドンナ、清、赤シャツ、野だいこ、山嵐などの人形が、つぎつぎに現れた。わずか数分間だが、キャラクターがユニークなので飽きさせない。いいものを見たという感じ。ここにも袴姿の坊っちゃんとマドンナがいて、からくり時計をバックに観光客の写真に収まっていた。
 
  後方は足湯
 
  せり上がった「からくり時計」
 

 からくり時計がある放生園の道端に露店がいくつかあり、目の大きな男の子が昆虫などの竹細工を売っていた。私がそれを見ていると、「トンボが売れないから、買ってください」と、そばの観光客に声をかけた。私は竹細工を見るなり、気に入っていた。1つ100円だった。カブトムシとカニ、それにトンボ=写真=を皿から取り、机の上に並べた。「300円でいいの」と聞いたら、男の子は「はい」といった。小学4年生ぐらいだろうか、それら3つをポリ容器に入れて輪ゴムをかけた。「ありがとうございます」。ほとんど無表情で話す子供が印象に残った。
 
 

 道後温泉を後にし、「伊丹十三記念館」(2007年5月15日開館)へ。記念館は国道33号砥部道路沿い近くにあり、ナビの案内でスムーズに到着した。拡張された駐車場には、すでに多くの車が駐まっていた。
 

 
 記念館入り口へ向かっていて目についたのは、脇の車庫に展示されている高級外車。乗り物マニアだった伊丹十三が最後にたどり着いた英国車「ベントレー」=写真=だそうだ。
 
 

 混み合うほどではないが、たくさんの人が館内を訪れていた。展示室内に入ると、宮本信子館長がビデオで迎えてくれた。
 
 私が作りたい「伊丹十三記念館」。
 ある昼下がり。
 中庭の草の上に寝転んでいる。腹這いになっている人がいる。
 どうやら本を読んでいるようだ。そばにシャンパンのグラス。
 近づいてみると、ナント、伊丹十三!
 そして、「やぁ!いらっしゃい!」少しニヤリと笑って言った。
 続けて、彼はまた、言う。
 「楽しんでいって! 結構面白い所だよ。ここは。
 記念館としては旨くいったネ。僕も気に入ってるんだよ。
 まぁ…ごゆっくり…いやぁ…(頭を掻く)よかったら、また、来てネ!」

 
 展示は常設展と企画展に分かれ、現在未公開の収蔵庫も収蔵展示室として公開される予定だそうだ。興味を引かれたのは自筆原稿で、原稿用紙の使い方まで独特な工夫がなされていた。それを一字一字、読んでいった。また、企画展室には「マルサの女」に用いたフィルム編集機が置いてあった。
 
 【常設展】 十三の名にちなんで、13のコーナーにわけて伊丹十三を紹介しています。池内岳彦(少年時代)、音楽愛好家、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、イラストレーター、料理好き、乗り物マニア、テレビマン、猫好き、精神分析啓蒙家、CM作家、映画監督の各コーナーでは、伊丹十三の業績や人柄を辿ることができます。
 それぞれの展示ごとに工夫が凝らされており、自分で引き出しを開けてみたり、イラストを写した布をクルクルと廻してみたりと、ただ眺めるだけではなく触って動かせるコーナーもあります。順路は指定していませんので、伊丹十三の作ったCMや著書になる前の肉筆原稿など、各コーナーの展示を見ながら、時には上に張り巡らされた年表を眺めて伊丹十三に思いを馳せることもできます。来館なさった方それぞれに、自分なりの楽しみ方を発見してみてください。
 
  常設展
 
 【企画展】 常設展示を見終わると、企画展示室へと入っていきます。伊丹十三が遺した資料は膨大です。ここでは定期的に展示を入れ替えて、常設展示では紹介しきれなかった資料をできる限り見ていただきます。伊丹十三の様々な仕事の中から、企画展ごとに一面を取り上げ、その仕事ぶりを深く掘り下げて紹介します。映画やテレビ番組、イラストや著作など、ものづくりの裏側まで見せることで“伊丹流”に迫っていきます。
 今回の企画展「メイキング・オブ・マルサの女」では、映画『マルサの女』『マルサの女2』をテーマに、伊丹流の映画制作術を皆様にお見せしたいと思います。
 
  企画展
 
 【収蔵庫】 伊丹十三が遺した資料は8万点を超えます。それらを後世に残すため、きっちりした空調管理の下で保存しているのがこの収蔵庫です。伊丹十三が描いたイラストや原稿、楽器や食器、衣服や靴に至るまで、ありとあらゆるものがこの中には収められています。その量が膨大なため、スタッフは資料の整理に追われる毎日ですが、徐々に整理が進んだ段階で、限定的にでも公開してより多くの方に伊丹十三の仕事を見ていただこうと考えています。
 収蔵庫と言っても、ただ資料が置いてあるわけではありません。多くの種類の資料をジャンルごとに分け、伊丹十三の仕事ぶりが一目で分かるような「収蔵展示室」を目指しています。その中でも、伊丹十三が購入し、後に別宅としていた神奈川県湯河原にある家の書斎が再現された一角は、家具や蔵書の並べ方まで本物そのままに再現しました。公開の日をお楽しみに!
 
  収蔵庫
 
 【中庭】 記念館を設計した建築家、中村好文の魅力が最も発揮されている場所の一つだといえるかもしれません。展示を見た後に、ゆっくりとベンチに座って風に吹かれてみてください。中庭は、一日のうちでも陽の当たり方によって色合いが変化し、雨が降ってもまた違った風景が立ち上ります。それを囲んで廻らされた回廊は、どこか非日常の空間を思い起こさせます。
 ただ展示を見ることだけが記念館の目的なのではなくて、建物全体が居心地の良い空間であることが我々のコンセプトです。展示を見ていただくのと同様に中庭という空間も是非楽しんで見てください。日常から離れて落ち着いた気分を味わえる場所であること。のんびりしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまったという方も少なくありません。クローバーに覆われた庭の中に立っている桂の木は、一株なのに根元から二つに分かれた双幹の形をなしています。ちょうど伊丹十三と宮本信子の夫婦を象徴したようで、当館のシンボルともいえるものです。
 
  桂の木が象徴的な中庭
 
 【カフェ】 シャンパンや日本酒など、伊丹十三が愛飲していた飲み物を取り揃えています。フランス製のチョコレートを用いて記念館の形を模したオリジナルケーキや、お土産として好評の「十三饅頭」も食べることができます。展示を見た後、伊丹映画のサウンドトラックが流れる店内で余韻を楽しむ。ショップで伊丹十三のエッセイを買って、コーヒーを飲みながら読書の時間を過ごす。あるいは友人との語らいの場であっても良いかもしれません。
 店内の絵は、映画『タンポポ』製作の際に伊丹十三自身が描いた登場人物のデッサンです。
 
  カフェ
 
  ショップ
 

 ……カフェで人物デッサンを鑑賞し、コーヒーを飲みながら中庭を眺めた。母の土産に「十三饅頭」を買った。1歳ぐらいの外国人の女の子が回廊で、中庭の石を拾って遊んでいた。婦人たちが入れ替わり立ち替わりカフェを訪れていた。




松山城で中秋の名月②

2009-10-03 | 旅の日記
 午前11時半に「伊丹十三記念館」を出発。今夜泊まるビジネスホテル「ミレニアホテル松山」の位置を確認しようと、松山市の中心部へ55番を走らせた。目的のホテルは、現存する堀の西北端にある。松山城下のホテルを予約したのだが、城へ登るロープウェイは城山の裏側にあり、「坂の上の雲ミュージアム」はその中間の県庁近くにある。この位置関係は誤算だった。
 

 ホテルのチェックインは午後2時からで、予約した時間の2時までには時間があった。昼食もとらねばならない。と、伊予鉄松山市駅に隣接し鉄道をまたいで建っている「いよてつ高島屋」の大観覧車を思い出した。高島屋のそばを通ったとき、駐車もしやすいようだった。ホテルの位置を確認したあと、高所恐怖症の私だが、引き込まれるように高島屋の駐車場に入った。4階に駐め、廊下を渡って高島屋本館へ。すでに正午をまわっていた。
 8階の中国四川料理「四川飯店」へ入った。客席はほぼ満席だった。ここは料理の鉄人、陳建一の直営店で、値段は高い。韃靼蕎麦(ダッタンそば・¥1.050)を注文した。陳建一の味はどんなものか、興味があった。結果は、やや薄味のさっぱりした味だった。品格がある味といえばそうだが、ごった煮の強烈な味を日ごろ口にしている者にとっては、ものたらないすっきり感だった。
 
  「四川飯店」の料理
 
 9階屋上にのぼり、大観覧車に搭乗した。1周するのに約15分、500円だった。こわい。乗ったときはそう思ったが、振動はほとんどなく、ゆっくりと上昇していった。松山市街があざやかに見渡せ、徐々に下方に沈んでいった。これから登る松山城がくっきりと見えた。大きく息をしていると、しだいに頂上にたどり着いた。やや揺れたが、これまで乗った観覧車ほどではない。このままでいたいとも思った。しかし、観覧車は下っていった。
 
  大観覧車「くるりん」
 
 観覧車を降りたときは、異次元から帰ったような現実感があった。空中もよいが、地上もよい。もっとも、どちらにしても地上とつながっているのだが、晴れた松山市街を空中から眺めたという不思議な充実感があった。地上の固定観念が振り払われ、自由な見地を体験したような気がした。渡り廊下のエスカレーターに乗って、高島屋の駐車場にもどった。

 少し早かったが、午後2時前に「ミレニアホテル松山」に到着。55番を立体駐車場に上げてもらい、チェックイン。ここは駐車台数が限られているので、早く到着したいと思っていた。同時に、これから行く「坂の上の雲ミュージアム」と「松山城ロープウェイ」は駐車場が乏しいので、このホテルを拠点にして歩いて出かけようと考えていた。
 チェックインし、4階の客室へ肩掛け鞄をおろした。ひと休みして外出。歩くには遠いので、路面電車に乗って県庁前で下車した。そこから歩いて、「坂の上の雲ミュージアム」(2007年4月28日開館)に行った。ここは司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」をベースに、正岡子規、秋山好古・真之の松山出身3人の軌跡が、日本の近代国家形成の歩みとともにたどられている。
 
 
      ガラス張りに緑が映し出されたミュージアム
 
 「坂の上の雲ミュージアム」は2つの三角形を重ね合わせた建物で、松山城周辺の歴史や文化が意識され、建物西側のガラスカーテン壁には城山の緑が映し出されるなど自然環境に配慮した外観になっている。建物は地下1階、地上4階。設計したのは建築家の安藤忠雄氏。竣工は、平成18年11月30日。館内=写真=の各階はひと続きのスロープで結ばれ、館外の四角いコンクリート池に水が浅く張られていた。館内の剥き出しのコンクリート壁といい、吹き抜けの空間、スロープや池などは、安藤氏が設計した高梁市立成羽美術館とよく似ている。
 
 
 
 司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は、「産経新聞(夕刊)」に1968(昭和43)年4月22日から1972(昭和47)年8月4日まで、4年半にわたり連載された。計1,296回。その新聞切り抜きコピーが、スロープの壁面いっぱいに展示されていた。これを原作にしたドラマがNHK総合TVで11月29日(日)から足かけ3年にわたり放送されるとあって、このミュージアムはもとより、道後温泉商店街にもたくさんのポスターが張ってあった。
 
  NHKのポスター
 
 現在の企画展は「秋山好古」。秋山好古は日本騎兵を育て、日露戦争でコサック騎兵と互角にわたりあい、後に陸軍大将となった。その足跡が当時の社会情勢とともに詳しく紹介されていた。
 
  企画展を知らせるチラシ
 
 吹き抜けの2階ホールで、「山頭火句碑高浜建立記念の集い」が開かれていた。俳人の種田山頭火が終焉の地を求めて、松山・高浜に降り立った昭和14年(1939年)10月1日を記念して、NPO法人「まつやま山頭火倶楽部」が旧高浜港(松山市高浜町一丁目)に10月1日、句碑を建立した。これにちなんだ「集い」が開かれ、約100人収容のホールは、立ち見もあるほどで、ほぼ満杯だった。
 
 【集いの内容】
 ・お伽座による伊予弁で語る民話と昔話「ほっこら、あったか山頭火さん」ほか
 ・ターナー島を守る会による講演「海の玄関、高浜物語」
 ・神奈川大学・橋本直講師による講演「山頭火の放浪の旅」
 ・ドキュメンタリー山頭火をつくる会による映像放映「山頭火 Last Days in 松山」

 
 ……乞食同然の放浪の俳人(というよりも廃人か)、種田山頭火がやってきた松山では、おそらく迷惑この上なかっただろう。大酒飲みの托鉢僧が、いま上陸地に碑が建てられるとは。だれも真似ができない生き方に共鳴する人は多い。
 
 山頭火の酒豪ぶりはハンパじゃなかった。本人曰く泥酔への過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」であり、最初の「ほろほろ」の時点で既に3合だった。酒と俳句については「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語っている。 cf. 「あの人の人生を知ろう~種田山頭火
 
 ……いま人気の太宰治といい、人間の弱さが認められる時代なのかと思う。
 ミュージアムのガラス張りから、緑に囲まれた「萬翠荘(ばんすいそう)」がくっきりと見えた。洋風の立派な建物に、なんだこれと思った。ここは、大正11年に旧松山藩主の久松定謨(さだこと)が建てた別邸で、現在は郷土出身美術家を顕彰する県立美術館分館になっているそうだ。館内にはロココ様式の大正ロマンが漂っていて、県指定の文化財になっている。見るからに由緒ある所だと思った。
 
  西洋のお城のような萬翠荘

 展示品をざっと見て、ミュージアムの外に出た。ここから歩いて、松山城ロープウェイ山麓駅「東雲口(しののめぐち)」へ。伊予鉄大街道駅交差点から緩やかな坂道を上った。道の左右に、飲食店が並んでいる。松山城からの帰り、夕食に寄る店は、ここで見つかりそうだった。
 ロープウェイ入り口にも、NHKの「坂の上の雲」を宣伝する看板があった。ロープウェイはこの季節、通常は午後5時半までの営業だが、この日は「中秋の名月」なので、夜10時まで営業が延長されている。腕時計の時刻は4時過ぎだった。つぎつぎに人がロープウェイに向かっていた。
 
  ロープウェイ入り口
 
 ロープウェイは山頂駅「長者ヶ平(ちょうじゃがなる)」まで約3分。料金は往復で500円。車内では、マドンナ姿のガイドが松山城(本丸の標高は132m)を案内してくれた。平行して敷設されたリフトでも登ることができる。
 
  ロープウェイとリフト
  マドンナが案内するロープウェイ

 松山城
 
 松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明(よしあき)が築いた四国最大の城郭。門櫓や塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配して、攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城といわれている。
 また、松山城は日本で12ヵ所しか残っていない「現存12天守」のうちの1つで、天守は江戸時代以前に建造されている。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定された。
 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡になっている。「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けている。

 
 ロープウェイを降りて、茶屋でひと休み。地酒を買って、少し飲んだ。残りを手に持ち、天守に向かって登城した。
 
  天守のある本丸に向かって登城
 
 登城途中、見晴らし台から夕暮れ近い市街地を眺望。乗った観覧車が見えた。
 
  夕暮れ近い松山市街地
 
 【大天守】 大天守(重要文化財)は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年、嘉永6年(1853年)に落成した江戸時代最後の完全な城郭建築。「現存12天守」の中で唯一、築城主として瓦には葵の御紋が付されている。大天守、小天守、隅櫓を廊下で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式城郭といわれている。
 
 
 
 




松山城で中秋の名月③

2009-10-03 | 旅の日記
 本丸広場では「中秋の名月」を祝って、“お城と月の物語”が開かれていた。
 
 
 
 広場の特設ステージでは、前座として地元のアマチュアバンドが演奏していた。客は少なく、一番熱心に聞いていたのはテントにつながれた犬だろうか。
 
 ・午後6時~ 城山荘(本丸広場)で、「いもたき」の無料配布(限定300食)
 ・午後6時30分~ 古三津こども虎舞、姫太鼓の演奏
 ・午後7時~ 夜の天守城門ツアー

 
  アマチュアバンドと犬
 
  のんびりくつろぐ親子連れ
 
 愛媛県名物の「いもたき」が午後6時から無料でふるまわれるとあって、5時45分ごろ、茶屋の大鍋から人の列ができた。新見では豚汁がイベント会場で提供されることが多いが、ここは里芋を使っている。山頂駅の茶屋で買った「十五万石」が空いたので、もう1本「城山」を買った。
 
 【いもたき】 いもたきとは、秋に月見を兼ねて、屋外で「いも」を「たき」(炊き)、それを肴に大勢で宴会することをいう。河川敷などで行われ、「いも」は里芋(愛媛県大洲地方では夏芋と呼ぶ)がよく用いられる。他の具は、鶏肉をはじめ場所によってさまざま。 大洲市が始まりとも伝えられるが、今日では南予を中心とした愛媛県下で広く行われている。大洲市のいもたきは、藩政時代に行われていた「お籠り」と呼ばれる親睦行事が起源とされている。 秋の社日に、土地の神に新芋を供えて、その年の豊作を祈願する風習が由来とされている。
 
  「いもたき」に人の列
 
   地酒2種
 
 陽が西の山に沈もうとしていた。薄く雲が出ていて、大きな赤い太陽や鮮やかな夕焼けは見られなかった。しかし、海の沿岸近くに漁船らしい船が見えた。
 
 
           日が沈む市街地(海に船が見える)
 
 午後6時に「開始」が告げられると、あっというまに長蛇の列ができた。茶屋に腰掛けて「城山」を飲み、月の出を待った。
 
  「いもたき」の提供開始
 
 午後6時20分になると、あたりはすっかり暗くなった。日が落ちると急速に冷え込んできて、長袖シャツでは寒く感じられた。ブレザーは車のトランクに入れたままだった。ふと後方を見ると、茶屋の裏にまん丸い月が出ていた。おっ、これぞ中秋の名月。「いもたき」に並んでいる人たちは、満月に騒ぐでもなく、黙々と順番を待っていた。
 本丸を歩いて、天守西側から月を撮った。 
 
 
                茶屋の後方に昇った「中秋の名月」
 
 
             ライトアップされた松山城天守の「中秋の名月」
 
 天守からもどってみると、「いもたき」の行列がなくなっていた。午後6時40分には鍋が空になったようだ。ステージでは子供の「虎舞」が行われていた。保護者らも見物しているので、客席はほぼ満席だった。姫太鼓の演奏も行われるようだったが、月見ができたので城を下ることにした。下り道、展望台からライトアップされた観覧車が見えた。幻想的な気分になった。
 
  ライトアップされた観覧車

 午後7時にロープウェイに乗車。夜景を見ながら、下っていった。大街道駅交差点へ向かう坂道の右手にあるチェーン店「博多一番どり・居食家」で焼き鳥などを食べた。相当食べたが、1,500円少々だった。
 路面電車に乗り、午後8時20分、ミレニアホテルに帰った。4階の部屋から松山城の方角に満月がくっきりと見えた。
 
  ミレニアホテルの夜景
  ホテルから見た「中秋の名月」


 《今日のイチロー》
 ・レンジャーズ戦(シアトル=セーフィコ・フィールド)
 ・4打数0安打
 ・今期通算221安打
 ・残り2試合
 ・打率 .350



  ※明日の予定…おか泉