GOH GOH GOH

至誠惻怛(しせいそくだつ)=真心と慈愛の精神

道後温泉へ

2009-10-02 | 旅の日記
 10月2日(金)

 今日のアメダス(新見市足見堂の下) 23時現在
  最高気温21.1℃=12時、最低気温19.0℃=1時、積算降水量25.0mm、最大風速3m/s


 午前7時、起床。小雨の中を8時に出発。近くのJoyfull で「モーニング」を食べようと55番のナビで検索。すると福山市内に6店舗あり、名前からして最も近いだろうと「福山駅家店」をセットした。ところが、これがとんでもない思い違いだった。そこは福山市駅家町にある店で、JR福山駅とは関係のない場所だった。福山東ICから国道182号を北上、十九軒屋北交差点を左折し国道486号をしばらく行くと店が見つかった。そこは府中市に近い所で、山陽道からは大きく外れていた。時間的な制約が少ない旅なので、初めての道をのんびり運転した。
 

 雨の国道を行き交う車や人を見ながら、Joyfull の朝食メニュー「雑炊」(¥499)を食べた。ドリンクバイキング付きなので、コーヒーを1杯。このあたりの平地は広く、国道を軸に発展の余地があるような気がした。
 一般道を山越えして南下。福山西ICから中四海橋の「西瀬戸自動車道(しまなみ海道)」へ。因島北ICで降りた。因島へは水軍城など、これまで2度ほど訪れている。今回の目的は、昨年9月にオープンした「本因坊秀策囲碁記念館」(広島県尾道市因島外浦町)。ぜひとも訪れたかった場所で、近くには秀策の墓碑もある。ナビのおかげで、記念館へスムーズに到着した。
 

 記念館は平屋建てで、常設展と企画展の2室がある。常設展は、秀策の生涯を年譜でたどり、エピソードなどが紹介されていた。秀策の幼名は虎次郎。「3、4歳のとき、碁石を与えればすぐに泣き止み、黒白を並べて遊んだ」そうだ。それを見た母のカメは秀策に碁の手ほどきを行い、秀策は母を相手に「絶対碁感」を養ったといわれている。
 有名な「耳赤の一手」の棋譜もあった。館の奥に再現された生家もあった。
 
 
   碁盤に建つ本因坊秀策碑            雨の本因坊秀策囲碁記念館
 
  本因坊秀策肖像画
 
 
 
  一石三鳥の「耳赤の一手」(中央の黒27)
 
  記念館裏に再現された生家
 
  記念館近くの地蔵院に建つ墓碑
 
 本因坊秀策(1829~1861)の遺骨は、東京巣鴨本妙寺にある本因坊家代々の墓に葬られている。地蔵院の墓碑は、因島の町並みが見下ろせる墓地の中腹にあった。こぢんまりとした墓碑だった。

 雨の「しまなみ海道」を四国へ向かった。「海道」を通るのは3回目。雨で煙る瀬戸内海もまた風情があった。SAやPAで休憩。「坊っちゃん劇場」の切符を携帯電話で予約した。大三島、伯方島、大島と渡り、今治ICから四国の一般国道バイパスへ。今治小松自動車道の起点になる今治湯ノ浦ICほど近くにある伊予桜井漆器会館に寄って、しばし休憩。高価な漆器を眺めた。
 今治小松道から松山自動車道に入り、川内ICで高速道路を降りた。ここから「坊っちゃん劇場」(愛媛県東温市見奈良)まで車で約5分。複合レジャー施設「レスパス・シティ」の敷地内に劇場がある。
 

 午後1時半、「坊っちゃん劇場」に着いた。劇場前には地元小学校や専門学校の児童・学生団体が開場を待っていた。購入した切符は「S席う列7番」。前から3列目の左側の席だった。前を希望したので大満足。2年半前の前回(こけら落としミュージカル「坊っちゃん」)は、最前列中央だった。今回上演は、第4弾ミュージカル「鶴姫伝説」。450の客席は、ほぼ満席だった。予定通り、2時に開演した。
 
 
 
 中世の瀬戸内。日本総鎮守「大山祇(おおやまづみ)神社」の大宮司、大祝安用(おおほうりやすもち)の娘、鶴姫。 伊予河野氏の一門である大祝氏は、代々神職を務め、戦場に立つことはなかったが、戦が起きたときは一族の者を陣代(軍務統括役)として派遣していた。
 周防の大内氏が、瀬戸内の海に侵攻してきた。鶴姫の次兄、安房が陣代となって、河野氏や来島氏と力を合わせ、大内軍を撤退させたが安房は討ち死にした。 かわって16歳の鶴姫が、戦の先頭に立つこととになった。 海の平和を守る使命を背負う鶴姫は、戦によって憎しみが憎しみを生むことに苦しんだ。 誰かがこの連鎖を断ち切らねば。
 鶴姫を心から愛し、鶴姫の本当の願いをわが身を持って遂げようとする若者クロタカ。 女としての鶴姫の葛藤を知り、救おうとする幼なじみの娘カモメ。3人の思いが瀬戸内の海を駆けめぐる。
 
 「いつか平和が」(コーラス)
 ♪いつか平和になり 剣のさびる日がきたら
  いつか平和になり 弓の折れる日がきたら
  鎧に花を 花を飾ろう

 
 ……約100分の公演。戦国時代の物語だけにユーモアや笑いに乏しかったが、緊張感がみなぎった舞台だった。わらび座の碓井涼子(鶴姫)や古関梓紀(カモメ)、新劇俳優の神敏将(クロタカ)らは、歌って踊って、さすがプロの演技だった。

 終演後、トイレに行こうと、隣の集合店舗「クールス・モール」に入ったら、アジアン雑貨店「Chez-moi(シェ・モア)」が目に止まった。中に入ると、イリヤ人形に目を射られた。高さ30㎝ほどの木彫りに魅せられ、手に取った。呪術的な、原始的な力強さ。他の物は目に入らなかった。迷うことなく買い求めた。1,575円。イリヤ人形は、インドネシアの東端、イリアンジャヤ地方の人形で、インドネシアからの直輸入だという。
 
 
 
          自宅に持ち帰ったイリヤ人形(右)

 午後4時過ぎ、レスパス・シティを出発。予約時にチェックインを4時としていたので、まっすぐ道後温泉へ。宿泊する「茶玻瑠(ちゃはる)」は、道後温泉本館(坊っちゃん湯)のすぐそばにある。

 午後4時半にチェックインした。坊っちゃん湯の入湯券をもらった。仲居さんに案内された部屋=写真=は、8階の和室。8畳の間と窓辺の2畳があり、入っただけでくつろいだ。
 
 
 
 「お食事は何時にしましょうか」
 「6時でお願いします」
 「あの、少し遅れてもかまいませんか。6時15分ごろ。今日は雨なので、お客様が皆さん早めに到着されて」
 「いいですよ。お願いします」
 浴衣に着替えて、のんびりした。今日めぐった「しまなみ海道」、因島の「本因坊秀策囲碁記念館」、秀策の墓碑、観劇した「坊っちゃん劇場」でのミュージカル「鶴姫伝説」などが頭によみがえった。雨だったが、いい一日だった。
 午後6時過ぎ、さっきとは違う仲居さんが夕食を運んできた。こういうところは6時15分といったら、その少し前に約束を果たすのがサービス。そのことを知っていないと、あれっ、早い、とあわてることになる。6時になってからは椅子に座って、ちゃんと待っていた。持ち込まれた食事は、豪華だった。すべて味わった。
 
 
 
 【この日の献立】
  食前酒 梅酒
  先付け ままかり黒酢マリネ
  珍 味 赤貝山椒しぐれ
  小 鉢 柿とシメジの白酢和え
  お造り 鯛(タイ) 平政 サーモン
  煮 物 鯛(タイ)の荒炊き
  鍋 物 瀬戸内鍋
  焼き物 牛ロースサイコロ焼き
  揚げ物 河豚(フグ)の唐揚げ
  蒸し物 茶碗蒸し
  吸い物 秋刀魚(サンマ)つみれ
  ご 飯 鯛(タイ)飯
  香 物 二種盛り
  果 物 葛餅

 
 食事をとって、坊っちゃん湯へ下駄音高く歩いた。こうして浴衣姿で街路を歩くのは、温泉場ならではであろう。目の前が坊っちゃん湯なので、気分も気やすくなる。入湯券を差し出して1階の坊っちゃん湯に入った。湯船は深く、なるほど「泳げる」と思った。湯船の正面に「坊っちゃん泳ぐべからず」の木札が張ってあった。
 
   男湯(左)と男湯に張られた木札(右)
 
 小説「坊っちゃん」に出てくる場面を思い浮かべて、くすくすと笑いがこみあげてきた。どっぷりつかって外に出た。2階、3階は特別席になっていて、お茶や「坊っちゃん団子」を口にすることもできるのだが、今回はやめた。坊っちゃん(夏目漱石)気分でいられたら、それだけで満足。茶玻瑠に帰って、早めにやすんだ。
 
 【道後温泉】 道後温泉は愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉で、日本三古湯の一といわれる。その存在は古代から知られ、古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。この周辺は温泉郡(湯郡)と呼ばれていた。伊予国(いよのくに)という名前も、湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。夏目漱石の小説「坊つちやん」(1905年)に描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。

 《今日のイチロー》
 ・アスレチックス戦(シアトル=セーフィコ・フィールド)
 ・4打数2安打…中前打(1回)、遊撃内野安打(3回)
 ・今期通算221安打
 ・残り3試合
 ・打率 .352



 ※明日の予定…道後温泉駅、伊丹十三記念館、坂の上の雲ミュージアム、松山城