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至誠惻怛(しせいそくだつ)=真心と慈愛の精神

父の7回忌法要

2009-10-24 | 日記
 10月24日(土)

 
  10月24日9時
 今日のアメダス(新見市足見堂の下) 22時現在
  最高気温16.9℃=13時、最低気温9.1℃=7時、積算降水量0.0mm、最大風速2m/s


 午前7時、起床。今日は、父の7回忌法要。7時半、神戸の坂本夫妻と加古川の川口夫妻を乗せた車がわが家に到着。この父方従弟ら4人が1番のり。その後、倉敷の叔母夫妻や哲多町の母方親類が、わが家へ。母の実家、哲多町成松の従兄夫人に教えてもらい、祭壇へ供える団子や膳を女房たちが作った。
 午前9時過ぎ、岡山の実家に前日泊まった妹の夫や、倉敷から来られる母方の叔父や叔父の夫人2人をJR新見駅へ迎えに行った。駅前にカメラを持った身ぎれいな年輩など約20人が、きょろきょろしたり、言葉をかわしたりしていた。
 まもなく中型バスが到着し、かれらは乗車した。バスのフロントガラスに「備中国新見庄探訪様」と示されていた。バスの乗車口に、スタッフの姿が見えた。手を挙げて、「大勢来られているがぁ」と近寄った。かれはうれしそうな顔をして、「*さんもどうぞ。3,000円いただきますが」といった。笑っていると、バスから実行委員長が降りてきて、「うれしゅうて、昨日は眠られなかった」といった。バスは新見市役所から乗った約30人を含め、定員いっぱいで出発した。
 
 午前9時半には、予定の20人全員がそろった。くつろいで歓談。
 
  法事前の祭壇
 
  くつろぐ親族
 
 午前10時前、菩提寺の住職(51)が来られたので応接間に通した。女房が住職に祭壇へ供える膳などを確認した。10時から約1時間、読経と焼香。その後、いわゆる説教を少し聞いて、車5台で菩提寺の墓へ。全員が線香や米を供えた。
 正午過ぎから、新見駅前のグランドホテル「みよしや」で「お斎(とき)」。腰が痛い人が多いので洋式をと頼んでいたら、和室大広間に長机を並べて、洋風に設営されていた。洋室の大広間は、別の家族・親族の「お斎」にあてがわれていた。そちらの方が人数が多いのだろう。
 全員がテーブルに着き、飲み物が運ばれたところで、当家を代表して挨拶した。
 
 本日はお忙しいところ、また遠方から、父の7回忌にご参集いただき、誠にありがとうございました。
 早いもので、父が亡くなって11月1日で丸6年がたちます。今日は天気もよく、祭壇で経をあげたあと墓参りもつつがなく済ますことができました。久しぶりに父の面影をゆっくりしのんだような気がいたします。亡き父への報告を兼ねて、父の家族の近況をお知らせいたします。
 枚方市の長女・道子は、高校ラグビーで知られる啓光学園で事務を執って10年。現在も元気に頑張っています。夫も松下電器、現在のパナソニックの系列会社で健在。長男は、厚労省管轄の成田空港検疫所(新型インフルでは大変だったようですが)、そこに勤めている長男が今年9月に結婚、次男も三宮の会社に勤務しており、そろそろ悠々自適な暮らしに入るかにみえます。
 長男の章ですが、産経新聞記者になって7年がたち、現在は新見通信部と津山通信部を兼ねて、岡山県北一帯をカバーしております。そして、妻の義子。奇しくも父が卒業した大学、徳島大学の教授として昨年4月に赴任。以来、金曜夜に新見に帰り、月曜朝に徳島へ発つという生活を基本に、勤務をつづけております。長男の理史は今年、同志社大学工学部大学院修士課程を卒業し、高校時代から好きな音楽と大学で学んだ工学を生かそうと静岡県浜松市のヤマハ楽器に就職し、楽器、主として電子楽器の開発研究に取り組んでいます。夏には、浜名湖のウナギを贈ってくれました。長女の文子は、大学と変わらず東大阪市に居住し、OLを続けています。
 さて、母の規久子ですが、このとおり元気です。すでに父が亡くなった年齢80歳を超えていますが、新見図書館では子供たちを相手に本の読み聞かせ、市の社会福祉協議会では高齢者の世話などにあたっており、これまた健在です。しかしながら、身内としては、年ごとに身体の自由が利かなくなっているのがよく分かります。精神的には、旅行したいなどと意欲もあり、家族へのアドバイスも確かで、還暦60歳のころを彷彿とさせるのですが、昭和と同年齢、先日84歳を迎えたことから、どうぞ皆さん、さまざまな面で助けてやってください。気兼ねなく、遊びにきてください。おそらく父もそのことを切に願っていると思います。
 本日はありがとうございました。

 
 つづいて、成松の従兄が「皆さま、7回忌の法要、ご苦労さまでした」と「献杯」の発声。飲み物を注ぎあいながら、食事をとった。二段の折り詰めは、まずまずだった。
 
 
  「献杯」のあと「お斎」
 
 午後2時ごろ、中締め。「お時間が許すかぎり、2次会、3次会、4次会と、自宅で語り明かしてください」とお礼の挨拶をした。
 全員がいったん自宅へもどり、茶を飲んで歓談。従弟らはクライマックスシリーズ「日本ハムvs楽天」をTVで見て、くつろいでいた。4回に楽天が3点を取ったとき、歓声をあげていた。
 
 ――プロ野球パ・リーグ「クライマックスシリーズ・第2ステージ・第4戦・日本ハムvs楽天」(解説=鈴木啓示・札幌ドーム) BS1 14:05~
  楽 天  000 300 010 =4
 日本ハム 130 000 23× =9

  (楽)藤原、青山、小山、有銘、川岸、岩隈-中谷、嶋、藤井
  (日)藤井、江尻、林、金森、武田久-大野、鶴岡
  ※本塁打=(日)森本1号2ラン(2回、藤原)、スレッジ2号3ラン(8回、岩隈)
 
 日本ハムの得点は実に効果的だった。二回までに森本の2ランなどで4点を先行。4-3の七回にはスレッジの適時打などで貴重な2点。八回にもスレッジの3ランでダメを押した。スレッジは5打点。藤井は五回まで3失点でリードを保ち、後半の4投手の継投もほぼ万全だった。
 楽天は藤原が序盤に打ち込まれ、最後は岩隈が決定的な失点を喫した。

 
 岩隈が打たれて負けたのだから悔いはなかろう。勝った日本ハムは、日本シリーズ進出。試合後、敵味方の選手らが一緒になって野村監督を胴上げしたのは感動的だった。
 
  野村監督を胴上げする両チームの選手ら
 
 午後7時半までには、妹と娘を残して全員がそれぞれ帰路に着いた。車が出るたび表に出て見送った。太池邸で午後3時から開かれている「新見庄歴史座談会」のスタッフと道端で立ち話も。
 従兄らと「ひのくち」を飲んでいるとき、女房や母、妹、従兄夫人、娘らは祭壇を片づけていた。

 午後9時、女房の運転で正田の「中世たたら操業施設」へ。ちょうど砂鉄を投入するところだった。記事は翌日書いた。
 
 岡山県新見市で24、25の両日、中世期のたたら製鉄が行われ、約300㎏の「銑(ずく)」と呼ばれる鋳物の原料を生産した。
 官民による「新見庄たたら学習実行委員会」が文化遺産の伝承を図って実施した。高さ1m50㎝、長さ1m80㎝、幅80㎝の炉を粘土で築き、木炭約2㌧、砂鉄約1㌧を約22時間にわたり交互に入れた。指導は国選定保存技術保持者の木原明さん(74)=島根県奥出雲町。愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターの研究者や日立金属の社員らも加わった。参加者は「押して引いて」と掛け声をかけ、代わる代わるふいごで風を炉に送っていた。

 
  炉に砂鉄を入れるスタッフたち

 ――プロ野球セ・リーグ「クライマックスシリーズ・第2ステージ・第4戦・巨人vs中日」(東京ドーム) 18:00~
 中 日 000 110 000 =2
 巨 人 205 001 00× =8

  (中)中田、パヤノ、小林正、河原、ネルソン、伊藤-谷繁
  (巨)東野、越智、豊田、山口、クルーン-阿部
  ※本塁打=(中)ブランコ2号ソロ(4回、東野)、(巨)谷1号満塁(3回、中田)
 
 巨人が序盤の大量点で主導権を握った。一回に坂本の二塁打を足掛かりに失策も絡んで2点を先制。三回にはラミレスの左前打で1点を加え、さらに谷が満塁本塁打を放った。五回途中からの細かい継投も決まった。
 中日は中田が大誤算。制球が定まらず甘い球を狙われた。打線は五回に1点を奪った後の一死満塁で森野、ブランコが連続三振に倒れた。

 
 ……勝った巨人は、日本シリーズ進出。


 ※明日の予定…津山まつり12:00